イメージとピース
ゆっくりと息を吸って、細く細く吐く。
肩が緊張で上がらないよう意識して、私は父の腕に手を添えた。
「まあ、ご覧になって…!」
何処からか声が上がる。ざわめきは瞬く間に広がり人から人へ、連なった鈴のように広く声を響かせる。その言葉たちに耳を向けないように意識しながら、開かれた扉から室内へ足を踏み入れた私はゆっくりと辺りを見回した。
昨年もご挨拶をさせて頂いた方々が多いが、それでも初めて見かける顔ぶれももちろんあって。一箇所、扇で口元を隠した“深みある”ご夫人が数名集まって居るのが見えた。
囁きあうような様子はにこやかなものには感じられず、勝手に私の頭では『まあ、なんて目立ちたがりな…』やら『注目を集めていい気になって』やらご夫人の会話を想像してしまう。想像ではあるが、彼女たちの表情はそう思えるほどには穏やかでないもので。
「お父様。」
トントンと腕に添えていた手で父の歩みを止め、私は父の腕から手を離す。
扉から数歩といった所で止まった私達への視線は外れることはなかった。それを確認してからゆっくりと、そして洗練して見えるように腰を落とす。
デビュタントを終えた者が教わる作法に、ドレスの仕上がりに、誰もが息を呑んだのがわかった。
会場へ入ってすぐ礼をすることは義務ではないが、新参者が上のものを敬う場合に古くから行われていた作法だ。しかし会場内の全員の目に晒された上で恥の無い美しい礼が求められるので、する者が少ない。
稀とも言える私の行為に、会場は話す話題を見つけたと言わんばかりにざわめいた。
「完璧。」
「ありがとうございます」
父に手を取られ立ち上がってから、先程のご夫人方へ目を向ける。さっきとは打って変わって眼差しの厳しさが和らいだのを感じて、私は父に導かれるままに歩き始めた。
後ろではラングが若干の近さを感じさせるものの、動揺を見せずに着いてきている。
「リリ様、リリ様。俺もしたほうがいいですか!?」
「淑女の礼を?」
「え!?うーん…」
「冗談よ。あれはしなくても問題の無いもので、私はお父様と相談してすることにしていただけよ。」
隣で父が私達のやり取りから何か想像したのか、クツクツと笑っている。そんな父とここに来る前に話し合ったのは会場に入って気になる視線を感じたら、この礼をすることだ。
私が綺麗な所作で礼をすれば、それは私に教養がしっかりと身についていることを周りに示すことが出来る。令嬢令息の教養の有無は、貴族家において一族の品位に直結する。つまりは『出来た子の親は出来る大人』という風潮が強い貴族の考えを利用して、ハルバーティア伯爵家のイメージアップを謀ったというわけ。
「しなくてもいいものを、何でしたんです?」
「これからお会いする方々と、円滑にご挨拶出来るようにね。印象を良くしておけば、風当たりも弱い。」
父の言葉にラングは頷いて、納得したように歩く速度を緩めて私達から適切な距離を作った。
歩けば割れる人垣の中を、視線をひしひしと感じながら歩めば夜会の主催である侯爵夫妻が見える。挨拶するために父と向かえばにこやかな表情で夫妻は私達を迎えてくれた。
「ジェッタ侯爵、本日はお招きいただきまして有難うございます。」
「嫌だなあ、硬い硬い!君と僕の仲じゃないか。」
父の礼に併せて私も腰を落とす。手振りで侯爵は私達の挨拶に応じ、それから気安い態度で笑った。
隣で侯爵に寄り添う夫人も柔らかく微笑んでおられ、両者が伯爵という下の身分の我々に対しても隔てなく接するつもりだということはよく分かった。
それに父に連れられて初めてお会いした際にも、同じような態度で私の緊張をほぐして下さったのだ。父も侯爵夫妻のお人柄は把握済みなので、すぐに姿勢を正して侯爵から求められた握手に応じている。
「それより見事なものを見させてもらったよ。ハルバーティア伯爵令嬢は昨年より美しくなられた。」
「お褒めに預かり恐悦至極に存じます。」
こちらに向けられた視線にドレスを摘んで軽く腰を落とすと、侯爵夫人から「本当にきれいな所作ですこと」と重ねて褒められる。
それにもお礼を口にしてから話題を変えてほしいと父を見れば、頷いて「ウチの娘は良く出来た子だからね!」と通常運転にもほどがある反応を見せていた。
「それはそうと、後ろの彼が噂のイエニスト子爵かな。」
私達の後方へ視線を向け、有り難くも話題を変えることと不慣れなラングに対しての配慮を下さった侯爵。その言葉に私はラングを前に出すために半身後ろを振り返る。そこには緊張で顔の強張ったラングが。
「ほらラング、侯爵にご挨拶を。」
「はっはい!!」
ピンと背筋を伸ばして一歩進むラングに目で応援する。
懐の深い侯爵夫妻は明らかに不慣れな様子が分かるラングの動きに嫌な顔ひとつせず言葉を交わしておられた。会話の端々に“うちの弟が”やら“騎士副団長が”やら出てくるので、ラングが改めて国の騎士団に所属していたという事実と、何時ぞやの推薦状に書かれていた侯爵の家名を思い出す。
どんなところで繋がるか分からないのが貴族の世界だと分かってはいても、一つ一つパズルのピースのように繫がる部分を見つける度に思うのだ。
このパズルは、本当に完成させてしまっていいものなのだろうかと。
自分がパズルのピースになっていると感じた瞬間、何か重要な部分が、私のピースに描かれているのではないかと。
ざわりと先ほど私達が入ってきた扉の方が賑やかになり、そこに居るのが真っ白な騎士様だと分かれば。パチリパチリと、多くのピースが嵌め込まれていく感覚がした。




