多忙のお嬢様の見えぬ間で
流れる景色
揺れる馬車
続く列はラングさんが騎乗しておられる馬を先頭に、旦那様とお嬢様とご友人のメイベル様が乗っておられる馬車、そして僕達の乗る馬車、荷馬車と続く。
「ネルヴ、あれが王都です。」
「わあ…!!」
一緒に乗っているジャニア様から説明を受けているネルヴは、向かう先に小さく見える森とは違う色彩を目を輝かせて見ていた。
三日前に比べて随分と元気になった弟に安心する一方で、何も変わっていないだろうお嬢様とネルヴの関係性に悩む。
『ネルヴ。多忙のためお嬢様の指導は見送りです。代わりに私がアルジェントと纏めて立ち居振る舞いについて教えます。』
三日前にこの言葉を聞いた時、ネルヴが最初に見せたのはホッと息を短く吐く安堵。リンダさんに叩かれたこともあってか、そのまま僕と一緒にジャニア様の指導を受けるネルヴは元気が無さそうに見えたけど、何も言わなかった。
それから次の日、また次の日とジャニア様からお嬢様との指導が出来ないことを告げられると、ネルヴは返事をする一方で落ち込むような姿を見せた。
そして昨日の夜、ネルヴはこんなことを言ったのだ。
『もう、俺のことどうでも良くなったのかな。』
僕に聞いているわけじゃない、独り言みたいなその言葉は明らかにお嬢様のことを気にしていて。
ネルヴの中でお嬢様の印象が変化しているようだった。
王都への旅は何事もなく終わり、前回は緊張した王都入りも2回目となると少し落ち着ける。何より隣で俺の服を掴んで不安そうにしている弟がいるのだから、兄としてしっかりせねば。
屋敷に到着すれば、慌ただしく荷物を移動させる。ジャニア様の指示に従って動いていれば、時間も荷物もどんどん動いていった。
「ネルヴ、明日からは午前に私の指導、午後は下男の仕事とします。」
ジャニア様から告げられたネルヴの予定に、お嬢様の指導は入っていなかった。
夜会を前に準備が必要なことが山とあって、ネルヴの指導は後回しに。それは当然の判断で僕もネルヴも頷いて返したけれど、ジャニア様が他の仕事へ向かわれてから流れる空気はしんみりとしていた。
「あ…」
庭で庭師の人たちの手伝い中。
ネルヴの声に顔を上げれば、視線の先には綺麗な髪を揺らして歩くお嬢様。向かう先は旦那様の所なのか、ジャニア様も一緒だ。
するとジャニア様が一度こちらを見てからお嬢様へ何か声をかけられ、次にはお嬢様がこちらを見ていた。すると隣りにあった気配が背に移動し、お嬢様は苦笑いの後に手をヒラヒラと振るだけでその場を離れられた。
後ろを見れば僕の服を掴んで黙っているネルヴ。
最初にお嬢様と会った時の怒りや、それから見せていた嫌悪、それらとは全く違う表情がそこにあった。
不機嫌な顔だけど、何処か気まずそうに口を尖らせて、その顔は前に何度も見たことがある。ネルヴを置いて家を出るとき、家の手伝いでネルヴと遊べないとき、弟は決まってこんな顔になった。
「ネルヴ、お前拗ねてるの?」
「拗ねてないっ!!!」
ボスンと背を叩かれ、笑いがこみ上げる。
ネルヴの中でお嬢様の印象が変わっていたことが嬉しかった。関わりたくない人ではなく、関われなかったら寂しく思える人になっていることに。
「お嬢様、夜会に出席された後は予定も落ち着かれるってジャニア様が言ってたよ。」
手が空いたとき、気になってネルヴの指導のことを聞いたらそう教えて下さった。ジャニア様にネルヴの感情なんてお見通しで「少しは素直になるよう兄から言い聞かせてくださいね。」と呆れ半分で言われた。
お嬢様の出席される夜会はもう間近に迫っている。
たまに話すラングさんも夜会へ出席するらしく、終わったらどんな夜会だったかを聞かせてくれるそうだ。何故か最近ラングさんに余所余所しかったネルヴはラングさんに突然撫でられ、「リリ様が二人のこと気にしてた!」とお嬢様の名前が出て狼狽えて、ラングさんに笑われていた。
「あ!アルジェント!!」
ラングさんに後ろから呼び止められたのは、夜会の2日前。
お嬢様や旦那様の周りの慌ただしさが頂点に達している今、ラングさんの全く変わらない様子を不思議に思っていると、ラングさんから小さく折られた紙を渡された。
滑らかで僕でも上質だと分かるその紙を開けば、美しい字が真ん中に2行あるだけだった。
【リリルフィアの世界を見たくはない?】
書かれた文字に首を傾げると、ラングさんは横から覗いてきて「あちゃぁ…」と頭を抱えている。
2行目にはお嬢様の出席される夜会の日付で、時刻は昼過ぎ頃。そして【パレッツェ家タウンハウス】と場所まで書かれていた。
パレッツェ家がメイベル様…ガーライル伯爵家の家名だということはジャニア様に覚えるよう叩き込まれた。つまりメイベル様のお屋敷にこの日時で行けばいいのだろうか。
ラングさんを見れば、その顔は見たこともないくらい蒼白で、僕の肩を掴んだかと思うと小声で告げた。
「旦那様には報告、お嬢様には絶対言うな、ジャニアさんが許すなら、弟を連れて行った方がいい。」
なにか起こる予感に、お嬢様の名前を呟いて謝罪を繰り返すラングさんの表情に、不安が大きく僕を支配した。




