回想と回顧
鋭い視線は変わらず私を刺していて、リンダとアルジェントの咎める声も耳に入らないほどネルヴは私を敵と見なしているようだった。
兄であるアルジェントを泣かせている現場を見てしまったからだと思っていたのだけれど、泣いていたアルジェント本人が否定しているのにこんなに睨まれるのは、どうにも他の理由が含まれている気がする。
「順を追って聞かせて頂戴。屋敷を出てからおじ様の家に行ったのでしょう?」
「はい!あ!聞いてくださいリリ様!兄貴がなんと…結婚してたんです!」
なんと喜ばしい、と言いたいところだけれど。
リンダと目を合わせ、思わず私達から出たのは祝福の言葉ではなく溜息。ラングの兄の結婚は屋敷へオレンジを届けてくれたおじ様から既に聞いているし、ささやかながら他の領民と不平等にならない程度のお祝いを送った。
半年前に、だ。
「…ラング、知らなかったの?」
「お嬢様、オランジュさんが子爵位の件を知らなかったくらいでございます。」
ああ、そうだった。
名前が同じだからと不安に感じて手紙に認めていたくらいだ。何も話していないのだろうとは思っていたけれど、家族間の祝い事をここまで伝達不足に出来る親子や兄弟、なかなか居ない。家族仲は一般的に見ても良好だろうに。
「言いたいことは色々いあるけれど…後でまとめて言うわ。話を進めて。」
今はネルヴについてのことが聞きたいので、先をラングに促す。
「えっと…親父と街に来て、女性二人の親子の家に行って、このネルヴに会って、お茶をもらいました!」
「…お茶?」
「あ!ウチで作ってるやつですよ!多分リリ様も飲んだことがあると思います!」
そうじゃない。私が聞き返したのはお茶が何かではない。
どうして奴隷の子、ネルヴを保護しに行ってお茶をご馳走になるという流れになったのかを聞きたかった。ラングの視点で説明を聞くと、なんとも愉快に聞こえてしまう。ほらアルジェントなんて微妙な顔をしてるわ。
「ネルヴとアルジェントがこんなに仲がいいのだから、保護はすんなりと成功したとして。帰りに子爵家の方に会ったということね?」
「あ、はい!リリ様は凄いですね!本当に俺が着替えただけで、レッグ殿が親父の外套を気にしてくれました!」
明るい言葉からして揉め事や危険な事には繋がらなかったようだけれど、私の案が上手く行ったのは良かった。
胸をなでおろしてお茶に口を付けると、何か言いたそうなアルジェントが視界に映る。
「アルジェント、その時何かあったの?」
「いえ、少し気になっていたんです。ラングさんの…」
チラリとアルジェントが目を向けたのはラングの手。
少し黒くなっている手には文字が書かれており、私は朝方繰り広げられた痛い出来事を思い出した。
『ラング、手をお貸しなさい。』
『何ですか?…っだ!いっ!リンダさんん!?』
『覚えることが貴方は苦手のようですので。こうして書いて差し上げます。』
痛がるラングにも容赦なく文字を綴っていくリンダ。何処にそんな力があったのか、はたまたラングが最小限の抵抗しかしなかったのか、リンダの行為は止められることなく彼女が手を離すまでラングは涙目で痛がって。
『状況に応じて、複数の行動を書いてあります。臨機応変に対応なさい。』
『羽ペンを刺した理由はあ!?』
『痛みと共になら、少しくらい覚えられるでしょう?』
いつも私に優しいリンダの容赦の無い一面に、ラングは手を庇って『リリ様、鬼がいますうぅぅ!!』と、否定したいところだけれど今の光景を見せられては否定しきれない叫びを上げていた。
見せられた私も少しの間リンダが怖かったくらいの衝撃的な出来事だった。
「…聞かないのが身のためよ。」
「え?」
「いいえ、あれはラングが覚えられなかった作戦をリンダが書いたものなの。何かあったら見るようにって。それだけよ。」
書いたときに何があったのか、アルジェントは知らないほうがいいだろう。
少しラングの震える様を見て首を傾げていたアルジェントだけれど、何かを察したのか素直に頷いた。それでいい、覚えるのも早くて素直な貴方は今後体験することは無い恐怖の筈だから。
「帰りも上手く行ったようで良かったわ。」
「レッグ殿以外は、何事もなかったですよう…」
少し怯えの余韻の残るラングは落ち着くためか茶を口にし、ほう、と息を吐く。そして次に話は屋敷へ帰ってからの事になった。
全員で裏口から帰還し、おじ様と荷車はオレンジの木箱を数箱置いて家へ帰宅。何時もオレンジを売ってくれるので、おじ様が屋敷へ来ても問題は無い。
保護したネルヴを連れて、予め用意していたこの部屋へ入ってリンダを待っていたのも手順通りだ。
「枷が外れているから、上手く切れたみたいね。」
私の言葉に一番に反応したのはネルヴで、立ち上がったかと思えばいきなり指を指して叫んだ。
「俺の足を切ろうとしたのは!!おま」
随分と荒い口調の彼を途中で遮ったのは『何言ってるんだ!!』という感情が表情を見ればすぐにわかるアルジェントだった。




