怒りは移り、妖精は凪ぐ
紡ぐ言葉に、何時は見ない表情に、ふと思ったのは娘がかなり怒っているのかもしれないということだった。
アルジェントを拾ったときに見せた、奴隷という理不尽な境遇への苛立ちとは違う。リオンにぶつけていた一族を尊ぶ叱責とも違う。
俺の目の前で対峙している子爵家の者に、彼が無意識にか滲ませる奴隷の境遇を肯定する物言いに、リリルフィアは静かな怒りを滲ませているように見えた。
俺が言ったことに対して言葉を返せない子爵家のレッグに強い眼差しを向ける娘は、これまで何度も似たような感想を抱いているけれど、年齢に似合わない精神をしている。
「リンダ、お茶が冷めてしまったようだわ。」
「はい、お嬢様。」
会話が止まったタイミングでリンダを呼んだリリルフィアは目配せし、彼女にお茶の用意を頼む。
そして俺の方を見て扇を俺だけに口元が見えるように顔の横へ持ってきたので、リリルフィアに耳を近づけた。
「お父様、一度リンダを下がらせても良いでしょうか。彼女に“彼ら”のことを任せておりますので。」
彼らとはこれから帰ってくるだろうラングやアルジェントたちのこと。増えると言っていたから、奴隷も一緒に戻ってくる可能性は聞いていた。そしてその対策も。
…枷の外し方を聞いたとき、思わず『本当にそれ、やるの…?』と何度か確かめたくらいだ。もしも自分の身に降り掛かったらという有り得ない想像をしても、俺は絶対にされたくないどころがその恐怖は計り知れないものに感じた。
我が娘ながら、何度聞いても『本を読みました』と良い笑顔で情報源を詳しく教えようとはしないけど、書庫にはそんな本無いって知ってるんだからね?
「…何度も聞くけど、本当に、子供にそれをしてしまうの?」
扇に隠れるように口を動かせば、少しムッとしたリリルフィアがコクリと頷く。
そして意地の悪そうな笑みでこう呟くのだ。
「それ以外には、切断か火炙りか…」
「もういい分かった、俺が悪かったよ…」
何をと断言しない辺り、リリルフィアも恐怖の煽り方を知っている。
降参の意味も込めて溜息を吐けば、リリルフィアは話は終わったと言わんばかりに扇を自分の前に持ってきて「淹れ直してきて頂戴。」とリンダに告げた。
優秀な侍女だ、リリルフィアの意図を汲んできっと彼女は別の者にお茶を託すことだろう。
リンダが退室し、空気は戻ろうとしていたが今それを許すリリルフィアじゃない。
「お連れの方、戻られませんわね…どうかなさったのでしょうか?」
「え?ああ…どうでしょうなあ。」
目を逸らし、何かを考え込むような彼に始めここに来たときの笑顔はもう見られない。得た情報と自分の目的とを吟味して、考えている最中にはリリルフィアや俺が挟んだ彼らにとって“余計な言葉”が邪魔をしていることだろう。
明らかに動揺しているレッグを気にすることなく、リリルフィアは言葉を紡ぐ。
「そういえば、まだ話の途中でしたわ。今後のご予定についてでしたわよね。」
「そうだね。どのくらいの期間こちらにいるのか、それが分かれば俺たちも王都へ戻らなければならないし。」
そもそもが、旅行と称して本当に最低限の報告のみで領内を動いている彼らだ。俺としては速やかにご退場願いたいし、リリルフィアとしても渡すつもりのない奴隷の子を人に戻すため、彼らには離れてもらいたいだろう。
伯爵家の意見が『早く出ていけ』に対して、子爵家はリリルフィアとの会話から察するに見つけるまで領を出ることを考えていなかった。見つけられないなどとは、全く考えていなかった。だから今、リリルフィアの問いに対してこんなにも言葉に窮している。
静かな時間が少しあり、そのタイミングで扉は叩かれた。
入室したのはワゴンに茶器を用意している侍女と、その後ろに茶髪の客人。漸く戻ってきたようだ。
そして、そのまた後ろから茶髪の客人に腕を引かれるようにして入室した人物。
「!!」
リリルフィアが明らかに肩を揺らし、茶髪の客人は貴族の遣いとしては些か人相の悪い笑みを見せた。レッグも付添に腕を引かれる少年に驚きを見せつつ、その表情は宝を見つけた盗賊のようだ。
銀の髪を揺らして、腕を茶髪の客人に持たれ、歩きにくそうな少年はコチラへ所在無さげな瞳を向ける。そして声には出なかったようだが、確かに彼は口を『おじょうさま』と動かした。
「…リリルフィア、少し落ち着いていて。」
アルジェントを凝視して動かないリリルフィアを、宥めるように背を撫でる。ゆっくりと上下に動かせば、リリルフィアはそれに合わせるように深く呼吸した。
突然のことに驚いただけだ。ここにアルジェントがいるということは、無事に戻って来たと言えなくもない。ラングも戻って来ていることだろう。
我が家の下男となっているアルジェントがこの男に見つかったのは予想外だが、奴隷の方ではなく彼なら寧ろ丁度いい。
「それは我が家の使用人。どういうご事情か、お聞かせ願えますか。」
思ったより低く出た声にリリルフィアが俺の顔を見て、驚きを顔に出す。「お父様…?」という呟きに頭を撫でれば、それ以上娘が言葉を繋げることはなかった。
リリルフィアの怒った雰囲気が移ったかな。手荒に見える客人の行いに、俺は腹の底から澱んだモノがせり上がるのを感じていた。




