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第16話 ライナ、リンクスに襲われる

「ライナ、ライナ、どこにいるのっ?」


 遠くからレティシアの呼ぶ声がした。

 しかし、ライナは声が出せない。木々の向うからこちらを見る何かの目に捉えられたかのように、声が塞がれ足が竦んでしまっていた。

 なに、これ、動けないし声が出ないわ。どうしよう。でも、姉さんたちを呼ばないと。


 その何かが、ゆっくりと近づいて来る気配をライナは感じ取る。

 動かないと。とにかく足を動かさないと。落ち着くのよ。何だかわからないけど大きなもの。きっと獣だわ。


 焦り出そうとしている気持ちを押さえ込み、まずは息を静かに大きく吸い込む。そして、森からキ素を取り込み、キ素力を身体に巡らせる。

 わたしは魔法使いよ。土魔法しか使えないけど、でも魔法使い。落ち着けば魔法が使えるの。落ち着きなさい、ライナ。


 静かに深呼吸し、キ素力を巡らせることによってライナは少しずつ落ち着き始めた。

 あらためて、何かが近づいて来る木々の向うに意識を向ける。

 音は僅かにしか聞こえない。ズズッ、ズズッと、葉が落ちて湿った地面をゆっくり踏みしめて移動する、重量感のある足音だけだ。


 だがそれは、こちらに何かを放っている。ライナの声や動きを塞いでいる何かを。

 これってキ素力よね。魔法じゃないわ。

 人間が魔法を使う時に身体を巡らせるキ素力とは、ちょっと雰囲気の違う性質をライナは感じる。

 なんだかもっと荒々しいキ素力。わたしを押さえて、動けなくしようとする力。


 それは、この大森林に棲息する大型の食肉獣が、獲物を捕獲する時に用いるキ素力だった。

 ライナが思った通り魔法ではない。しかし狙った動物や人間の足を竦ませ、その場で動けなくする力がある。



 ライナは自分の全身にキ素力を循環させることによって、向うから放たれている相手のキ素力に対抗する。

 それによって自分の身体が温かくなり、先ほどまで焦っていた心が少し落ち着いて来るようだった。


 もう足も手も動くわ。声も出せる。しかし彼女は、迂闊に声を上げたり動き出したりしない方が良いという、自分の心の声が聞こえた気がする。

 それでその場に留まり、樹木が折り重なる直ぐ向うにまで来た筈のそれをじっと注視する。

 ライナがいる場所は陽光が注いで明るくなっているが、そちらは木々が密集していて暗い。

 その暗い中に、赤く光る眼がふたつ見えた。


「ライナっ」


 レティシアのライナを呼ぶ大きな声がした。

 そして、その声を合図にしたかのように何かが樹木の間から飛び出し、跳躍してライナに跳び掛かって来た。


「危ないっ、ライナ」


 しかしライナは不思議なほど冷静に、その大きな獣を自分の両方の眼で捉えていた。


 あれって、とっても大きな、猫?

 凄い跳躍力。でもわたしのところまでは届かない。直ぐ眼の前に着地するわ。そしてきっと、わたしをあの太い前足で叩いてから噛み付こうとする。

 だから、あいつが着地する時に地面を崩して。でも、大穴だと少し位置を間違ったら、わたしも一緒に落ちちゃう。どうしよう。

 そうだわ、硬くて太い杭を地面から突き出そう。

 着地するのはきっとあそこ。タイミングは……。


 ライナの思考とイメージが高速に動く。それは数秒も掛からない、ほんの刹那のことだった。


 その大きな獣は、彼女がイメージした通り直ぐ眼の前に着地した。と同時に、ライナは魔法を発動する。

 獣が姿勢を低くして着地すると、その前足が踏みしめた地面が少し崩れ、獣はバランスを僅かに失った。

 その僅かに空いた間を捉えて、ライナは続けて初めて行う土魔法を発動させた。



 硬化させ先端を尖らせた杭が地面から突如出現し、四つ足の獣の胸を下から襲う。

 しかしその獣は咄嗟に危機を察知したのか、身体を捻りながら瞬時に横に移動した。

 胸を捉えて突き刺さる筈だった杭の伸びる速度が、その動きに追いつかず、狙いの位置をずれて獣の右前足の後ろを掠めるように突き刺した。


 獣の口からグァーッという痛みに唸るような声が上がる。

 その時、ヒュンと風切りの音がしたかと思うと、矢が飛来して獣の胴体に突き刺さった。

 続けてもう1本、更にもう一本が突き刺さる。


 その獣はしかし倒れず、頭部に光るふたつの眼をクワっとライナに向け、獰猛な歯を覗かせて大きく口を開いた。

 魔法を発動させるまでその場でしゃがんで留まっていたライナは、慌てて身体を起こす。


「この野郎っ」


 大きな声が聞こえたかと思うと、誰かが凄い速さで走って来てその獣の胴体に身体ごとぶつかるように攻撃を加えた。それはエヴェリーナだった。


 彼女はメイスを振るい、ライナが地面から突き出した杭が掠めて傷ついた箇所を打ち据えたのだ。

 その攻撃に、獣はその痛めた前足を上げて尖った爪を伸ばしてエヴェリーナに打ち当てようとし、彼女はかろうじて後ろに逃げる。

 と同時に、反対側からレティシアが飛び込んで来て、獣の胴体に両手剣を突き刺した。



 ふたりがそれぞれに一撃を入れ、いったん後ろに下がる。

 しかしその獣は、それでもまだ倒れず四肢を地面に踏ん張って、三方を囲む人間に敵意を向けながら反撃の間合いを伺っているようだった。

 そしてその眼を、再び正面のライナに向ける。


「固めます」


 ライナはそう声を出すと、タイミングを冷静に探った。

 まだこの獣は動かない。動き出す直前の間合いを正確に測って、4本足を同時にしっかりと固めないと、わたしが殺られる。

 人間と違って、足の力は凄い筈よ

 大きく動き出す直前の静止。いまっ、ここ。


 ライナは獣の4本の足が踏みしめる地面の位置をイメージの中に捉えると、4ヶ所同時に土地魔法を発動した。

 獣の足が4本同時にズブっと土の中に潜り込み、瞬時にその周囲を含めて硬化させる。

 かなり深く、また広い範囲を繋げて硬化させたので、その獣の四肢は何百キロもの重さの石に固められたかたちだ。


 グゥゥと獣が唸り声を上げ、足を持ち上げて動かそうとするが、びくとも動かない。

 それを見て、エヴェリーナが獣の後頭部をメイスで殴りつけた。

 続けてレティシアが太い首に斬撃を加え、頸動脈を断ったのかもの凄い血が吹き出す。


「終わりだな」と、エヴェリーナがメイスを構えて再び打撃を行う体勢を取りながら、呟いた。



「ライナっ、大丈夫か。動けるのか」


 レティシアがそう声を掛けながら、ライナの側に来ると彼女を抱きしめた。


「あ、動けます。これが現れるまでは動けなかったけど……」


「おいおい、普通は逆だろ」

「ライナちゃんが腰を抜かしてたのかと思ったわよ。あー、吃驚した」


 エヴェリーナも近寄って来て、どこからかセラフィーナも現れた。

 先ほど矢を放ったのは彼女だろう。


「この獣って?」

「こいつは、リンクスだな。アラストル・リンクス。それも大きい」

「何でこんなやつが、この浅いエリアに現れたんだ」


 リンクスとはつまりオオヤマネコだ。だがアラストル大森林のこのネコ科の食肉獣は、通常よりもかなり大型で獰猛だ。


「そうよね。普通はもっと深いエリアで単独行動してるから、滅多に遭遇しないって聞くわよ。わたしたちも闘ったのって初めてよね、エヴェ」

「そうだな。いちど遠目に見かけたぐらいだ。レティ姉さんは?」

「ああ、わたしはもう少し小さなやつを、随分前にパーティでいちど」


「それにしてもよ、ライナは良く腰を抜かさなかったな。普通はこんなのが目の前に出て来たら、腰を抜かして漏らすぜ」

「ライナちゃんは、あんたとは違うのよ。でも、屈んだままだったから、わたしもそうかと思っちゃったけど。あの時、魔法を出したのよね。この杭かぁ」


 ライナが最初に地面から出した先の尖った杭は、まだ残っていた。


「ライナちゃんがこの杭を地面から出して突き刺したから、このリンクスの動きを止められたのよね」

「いえ、狙ったところを刺せなくて、前足の後ろを掠っただけでした。でも直ぐにエヴェ姉さんの矢が突き刺さって。あれがなかったら、わたし……」


 セラフィーナが抱いていた手を離すと、ライナの脳裏にはあの時の情景が浮かんで来て、冷たい汗が背中を流れる。今になって恐怖が襲って来たのだ。

 そしてぺたんと、地面に座り込んでしまった。


「おいおい、いま腰が抜けたのかよ」

「ライナ、良くやったな」

「えと、はい」




 まだ座り込んでいるライナを休ませて、レティシアたちは手早くリンクスの解体を行った。

 頸動脈を断たれて絶命したことから、かなりの血が既に流れ出ていた。

 3人の女性冒険者たちは相談し、取り急ぎ毛皮を剥いで、あとは前足の長い爪を剥ぎ取る。

 肉はかなり硬いらしく、食用としては売れそうもないので持ち帰ることはやめた。


 この様子をライナは、少し呆然として眺めていた。

 闘い、血を流し、勝てば殺し、そして解体する。それが狩りの仕事だ。

 このすべてから目を逸らすことは許されない。だからライナは、まだ手を出せないけど見続ける。


「ライナ、もう立てるか」

「あ、はい、レティ姉さん。もう大丈夫です」


「毛皮と爪だけ持ち帰って、あとは置いて行くことにした」

「そうなんですね」


「それで、残った肉や骨はまとめておくだけでもいいんだけど、埋めようと思うのよ。このままにしておくと、他の獣や小動物とかが始末しちゃうんだけど、ここは浅いエリアだから、屍肉を漁る獣とかが匂いを嗅ぎ付けて近寄って来るとね」


 レティシアによると、もっと深いエリアならば入って来る冒険者は闘いや狩りに慣れたパーティだけなので、そういった屍肉を喰っている獣に出会しても対処が出来る。

 だがここは浅いエリアで、大森林に入る許可を得たばかりの冒険者も来る可能性がある。

 なので念のために埋めてしまおうということだそうだ。


「わかったわ。いま穴に埋めてしまいます。ちょっと離れていて」


 ライナが土魔法を発動すると、たったいま毛皮と爪を剥がされた大型のリンクスの屍体が横たわる地面が陥没し、屍体はその穴へと落ちた。

 そしてその上に前後左右から土が崩れて来て積もり、あっと言う間に埋めてしまった。


 ライナが杭を地面から出し、更にリンクスの四肢を固め硬化させていたその地表部分は、リンクスを倒したあと元の地面に戻してあったが、リンクスの全身も埋められてまったく見えなくなる。

 命起草などの植物が生える周囲とは違って、そこだけがぽかっと黒い土が剥き出しになっている地面を、ライナは暫く見つめていた。




 4人の女性冒険者は命起草の群生地を引揚げ、大森林の入口起点から奥に伸びるルートの最初の休憩ポイントまで戻って、そこでひと息つくことにした。

 思わぬ闘いと狩りの収穫となったリンクスの毛皮は、丸めてエヴェリーナが背負っている。

 ライナは、自分が採取した命起草をバッグに山ほど詰め込んでいた。


「それにしてもこいつは、どうしてこんなに浅いエリアに来たんだろうね」


 エヴェリーナが今まで背負っていた毛皮を降ろして、パンパンと叩きながらそう言う。


「どうしてなんだか、わたしにもわからないけど、これはギルドに報告しないといけないね」

「ねえ、レティ姉さん。このリンクスって魔獣ではないんですよね」


「ああ、魔獣とは違うよ。ただの獣と言えばそうなんだが、とても獰猛で人間が1対1で闘えば、まず負けるだろうね」

「姉さんでも?」

「レティ姉さんなら勝つだろ」


「いや、こいつは本来、動きがとても敏捷で速くて、意外と剣の刃も通りにくい。さっきはライナの魔法と、セラの矢やエヴェのメイスでのぶん殴りで、足止めされていたからね」



 休憩ポイントの切り株や倒木に思い思いに座って4人がそんな話をしていると、大森林の入口の方から誰かが何人かやって来る気配がする。

 このルートを通るのなら、これから大森林内へと入って行く冒険者のパーティだろう。

 これからお仕事なのね。どんなパーティかしらと、その者たちが来る方向をライナが見ていると、よく知っている姿が現れた。


「おーい、そこで座り込んでいるのはレティに、おやおや、ライナじゃねーかよ。あとは、エヴェ、セラのコンビだぜ。こんなところでなに休んでんだ」


 先頭は見知らぬ男性だが、その人と並んで見たら直ぐに分かる背の高い獅子人の戦士、クリストフェルが現れた。

 そしてそのふたりの後ろには、若い女性冒険者と並んで歩くアウニがいる。

 最後尾は、大きな盾を背負った大柄のがっしりとした男性だった。


「おい、ブルーストームの皆さんだぜ」

「これから奥地に入るのかしら」

「ブルーストームって?」

「クリストフェルさんたちのパーティの名前だよ」


 そのブルーストームの面々5人が、ライナたちが座っている休憩ポイントに現れた。


「おいレティ、こんな入口近くで何してんだ? て、ライナはもう大森林に来てるのかよ。許可はどうした」

「ああ、ちょっと訳があってね。ライナは、ギルド長から浅いエリアに入る許可を貰ったのよ」


「はい、お陰さまで許可をいただいて、姉さんたちに付いて薬草の採取に来ました」

「もうかよ。早えーな。でもライナなら当然か。それで、訳あってってどういうことだ?」


「それがさ、こんな浅い場所にリンクスが出てさ」

「何だってエヴェ。リンクスだと?」

「そうよ、これ」


 エヴェリーナがそう答えて、また丸めた毛皮をパンパンと叩く。

 それからレティシアが、先ほど起きた出来事をクリストフェルたちに話した。



「こんなところにリンクスが彷徨い出て、ライナを襲おうとしたのか。そいつは俺も気になるぜ。なあ、ブルーノさん」

「そうでやすな」


「ああ、ライナは俺とアウニ以外は初めてだよな。この人はブルーノさん。ブルーノさん、この子が前に話したライナだぜ。あと、アウニの隣にいるのがメラニーで、そっちのデカイのがラインマーだ。この5人がブルーストームだぜ」

「こんにちは、初めまして、ライナです」


「ライナ、そこのおじさん、ブルーノ。ダレルの友だちだよ」

「え、アウニさん、そうなんですか? 昨年の暮れにダレルさんにお会いしました」


「ダレルの友だちって、まあそうでやすが、アウニも一緒にパーティを組んでましたんでね。そうでやすか、あなたがライナさんで」


 ニコリともせぬ表情で言い、そして続けた。


「さっきのレティさんが言っていた土魔法の話は、本当でやすか?」


 ブルーノは鋭い眼でライナを見た。その眼光は、疑いとかとは違う何かを見通そうとするような光だったが、ライナには嫌な感じはしなかった。


 この人が、ダレルさんとアウニさんとパーティを組んでいたブルーノさんなのね。

 きっとダレルさんと同じように、とても優しい人。でも現役の冒険者だからかしら、怖いほどいろんなことを見られている感じがする。


 5人の中でもひときわ不思議な存在感を持つブルーノが、ライナはとても気になるのだった。



お読みいただき、ありがとうございます。


本編をまだお読みでない方がいらっしゃいましたら、そちらもよろしくお願いします。

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