第15話 大森林に入る
冒険者ギルドを出る前にライナたちは装備を確認した。
軽装鎧を着たライナの腰にはダガー、そして背中には弓矢を背負い、肩からはショルダーバッグを提げている。
昨年末に武器防具屋で購入した装備一式に、年が明けてから買い加えた弓矢が増えている。
今日はギルドの訓練場で弓の練習もするつもりだったので、背負って来たのだ。
村で暮らしていた時に思っていた魔導士や魔法使いの格好とは、なんだか違うわよね。
ライナは装備を確認しながら、なんとなくそんなことを考える。
そう言えば毎年領都から村にやって来た魔導士の人は、ローブ風のコートを着て鎧装備とかしてなかったし、武器とか持っているのを見たこともなかったわ。
「それじゃ、昼飯を買って行こう」
エヴェリーナが冒険者ギルドの大きな扉から外に出ると、直ぐにそう言ってさっさと歩いて行く。
レティシアとセラフィーナはやれやれという感じでその後ろを付いて行き、ライナも慌てて3人を追いかけた。
このギルドの近くには、昼食に手頃なサンドイッチ類などを売っているパンと惣菜の店があり、そこで4人は思い思いに昼食用の食料を購入した。
そして店を出ると、サウス大通りを南方向へと歩いて行く。
この先には、グリフィニアを囲む都市城壁の南門がある。王都から馬車に乗って来た時に潜った門なので、そこはライナにも見覚えがあった。
その南門はとても大きな門で、頑丈そうな扉が開かれており、2台の馬車がちょうど擦れ違える幅の空間が空いている。
高さはかなりあり、2階建ての屋根ぐらい。扉が開閉する上には見張り用の通路が渡されている。
また扉の左右の位置には側防塔が設置されていて、どうやら監視塔の役目を果たしているようだ。
その側防塔の地上部と馬車が通過する大扉の間には、徒歩で城壁を出入りする者のための出入り口があり、こちらも頑丈そうな扉があるがそれも開放されている。
「おや、レティさんだね。あとはエヴェさんとセラさん。それからその子は新顔かね」
「ああ、ライナだ。よろしくな」
「えと、ライナです。よろしくお願いします」
南門を護り、馬車や人の出入りを監視する警備兵のひとりが、そう声を掛けて来た。
レティシアたち冒険者は、アラストル大森林に出掛けるためにここを通過する頻度が高いので、警備兵も顔と名前を覚えている。
ライナも装備のお陰で新人の冒険者と認識されたようだ。
「大森林かね。そのライナさんの許可は出ているのかな?」
「ああ、大森林に採取に行く。浅いエリアに入るライナの許可は、ギルド長からいただいた」
「そうかね。レティさんが言うんじゃ、間違いはないだろう。だが、くれぐれも気をつけてくれよ」
「もちろんだ。ありがとう」
「よし、行ってらっしゃい」
南門を通り抜けてグリフィニアの外に出た。
都市城壁内に入るために何台かの馬車が並んでいる。ほとんどは荷馬車で、周辺の村や他の貴族領からやって来た馬車もあるのだろう。
グリフィン子爵領の第2の都市である港町アプサラからの馬車は、この南門ではなくここから北方向に行った北西門に到着するのだと、レティシアが教えてくれた。
門を出ると南方向に真っ直ぐ街道が伸び、その両側はどこまでも続く平坦な田園風景だ。
しかし視線を東に向けると、迫って来るようなアラストル大森林を臨んでグリフィニアがあることが分かる。
緩くカーブを描いて続く都市城壁が、まるでこの先で大森林に飲み込まれてしまっているみたいだわ。
実際にはライナが感じたように、グリフィニアが大森林に飲み込まれていることは無いのだが、この南門とそれから北西門とは別にもうひとつある東門では、目の前が直ぐに大森林なのだそうだ。
しかしその東門を一般の人が通ることはないし、冒険者ですら使用出来ない。
レティシアの話によると、その東門を使用出来るのはグリフィン子爵家騎士団と子爵家の関係者のみなのだそうだ。
東門は騎士団が直接に大森林に入るための門であり、そして万が一、大森林から出てしまった魔獣などの危害からグリフィニアを護るための門だという。
「普通、その地の領主とかは、危険な場所からなるべく離れたところに住むものでしょ。でもこのグリフィニアの子爵さまは、この国でも最も危険な森を直ぐ背中にして、暮らしていらっしゃるのよ」
そう言えば、あのダレルさんも時折、騎士団と一緒に大森林に入ることがあるって話してたわ。
それからアナスタシアさまも、普段から大森林の直ぐ側でお暮らしになっているのね。ふたりの可愛いお嬢さまも、あの小さなザカリーさまも。
南門を出ると直ぐに四つ角があって、右に折れると近在の村々に通じ、左に行くと大森林の入口へと至る。
もちろん左へと行く者は冒険者しかいない。
ライナたちは四つ角を左に曲がり、都市城壁を左手に見ながら歩みを進めて行く。
6、700メートルほど行っただろうか。そこはもうアラストル大森林の入口だった。
そこにはまるで、何か薄い透明の膜でも張られているかのようにライナには思われた。
空気が突如変わったのが全身で感じられたからだ。
キ素が多いのね。グリフィニアの街の中でも、わたしが住んでいたバラーシュ村より少し多い気がしてたけど、ここはそれなんかより遥かに濃いわ。
ライナはそんなことを思いながら、大森林に近づいたり戻ったりを何度か繰り返す。
「おい、ライナは何してるんだ?」
「行ったり来たり、どうしたの?」
「え? あ、なんでもない」
「さあここが、アラストル大森林だ。中に入るよ、ライナ」
「はい」
「この入口地点から歩いて、1時間で行って帰って来られる範囲が、ギルドが決めている浅いエリアだ」
つまりここから歩いて30分の距離、およそ半径2キロメートルの範囲となる。
尤も、高価で稀少な懐中時計など誰も持っていないし、ましてや腕時計など無い。
すべては冒険者の身体感覚ということだ。
ちなみにその上の段階の、やや深いエリアはここから3時間で行って帰って来られる範囲なので、およそ半径6キロメートルの範囲。
その次の深いエリアは6時間から7時間で行って帰って来られる範囲で、半径12、3キロメートルほどのかなり広いエリアとなる。
それよりも更に先は奥地と呼ばれ、冒険者で行って活動する者はかなり限られているそうだ。
グリフィニアの冒険者が活動する最も奥の地点は、この入口地点からおよそ25キロメートルほども行った場所で、勿論日帰りでは行けず野営となる。
冒険者ギルドとしては、大森林内での野営を禁じてはいないが、なるべくなら日帰りで活動することを推奨している。
「つまり、30分ほど歩いて入って、1時間ぐらいかけて採取活動を行い、また30分ほどで帰って来る。この2時間の活動が、大森林に入りたての冒険者の基本ね」
「そうなんですね」
「はじめはルートを見失わないように、必ずいま姉さんが言った2時間ほどで、この入口地点に戻って来るの。それからまた別の方向に、2時間の単位で行くって感じね。丸1日活動する場合は、これを3セット。お昼ご飯や休憩の時間も含めると7時間からせいぜい8時間までってことよね」
レティシアとセラフィーナが、浅いエリアでの活動の単位を教えてくれた。
それでも6時間は森の中を歩いて採取活動をするのだから、結構大変よね。あらためて冒険者というのは体力勝負なんだとライナは思った。
「姉さんたちは、いつもはその先の深いエリアまで行くんですよね」
「あたしらは、3時間で行って帰って来られる範囲だな」
「1時間から1時間半ぐらい進んで、その地点をベースに2時間から3時間の活動ね。だから合計で5、6時間はかかるの」
「へぇー、大変ですね」
「レティ姉さんのクラスだと、6から7時間で行って帰って来られる範囲だよな」
「そうね。でも実際は、3時間も奥に入るには途中で小休止も入れるし、探索とかで進むのも慎重になるから、わたしがいちばん奥に入った時だと、片道4時間はかかったわね。なので、着いた先で活動するためには、どうして野営になっちゃうのよ」
「大森林で野営かー。あたしらもしたいぜ。なあ、セラ」
「でもふたりじゃ、夜の見張りの交替で睡眠時間が厳しいわよね」
「まあ、バディじゃ、無理ってこったな」
野営って、そうか、見張りとかが必要なのね。
エヴェリーナとセラフィーナのやり取りを聞いていて、村を出ようと思った時、お婆ちゃんからお金をいただく前には野営でもしてと考えていたライナは、自分が無知であることに少し恥ずかしくなった。
この世には危険なことがいっぱいあるのよね。馬車に乗っていても盗人に狙われるし、ましてや大森林だと何があるのかも想像がつかない。
いつでも気を引き締めていないとだわ。どんなことに出会っても、せめて驚いて慌てふためくだけにならないように。
「話してたら日が暮れるよ。今日はライナの初仕事だからな。成果を上げて帰るぞ」
「そうだな、レティ姉さん」
「頑張りましょうね、ライナちゃん」
「はい、姉さん」
今日の採取の目的は、大森林の浅いエリアでも採取可能で、比較的高値で引き取ってもらえる薬草だ。
冒険者にとって最も一般的なのは命起草と呼ばれるもので、命を起こす、つまり回復や治癒のポーションの原材料となる薬草だ。
薬草としては比較的大型のもので、地面から生えた高さは4、50センチメートルほどになるのが普通だ。
伸びた茎には細かい毛が生えており、上方部分に卵形のわりと大きめの葉を付けている。
秋には小さくて複数の青い花を咲かせるが、ポーションの材料になるのは花ではなく葉や茎、根である。また多年草なので1年中薬草として採取が可能だ。
この命起草の治癒効果はとても高く、特にアラストル大森林に生えるものはキ素をたっぷりと茎や葉、根に貯えていて、最高の質を持っているとされている。
怪我や極度の疲労で倒れたなどの緊急の場合には、地面から生えているこの草を抜いて茎を噛んで飲み込むだけでも、ある程度の治癒回復が見込めるという。
ただし、直接口にすると極めて苦いのだそうだ。
ポーションとして治癒薬にする場合には、この命起草を細かく砕いてすり潰し、水を加えて煮込み、そして冷やし落ち着かせる。
その際に、鍊金術士はキ素力を込めた鍊金魔法を施すそうだ。これによってポーションの効果が格段に上がる。
また、煮る際に使用する水も、アラストル大森林で取水した湧き水が最も効果を高めるとされている。
このように大森林産の命起草と清らかな湧き水。そしてそれを用いてグリフィニアの鍊金術士が作り出す治癒回復ポーションは、セルティア王国内でも最高品質のものとして評価が高い。
ライナは、今日の採取の目的である命起草と治癒回復ポーションについて、冒険者ギルドを出発する前にレティシアから説明して貰っていた。
「あとは実際に見て覚えるのよ」と彼女から言われている。
大森林の入口の起点から奥に向けて、トレッキングルートのような道が伸びている。
このルートの途中途中には休憩ポイントが設けられている。
冒険者が大森林の中で活動する場合、だいたいはその休憩ポイントからルートを逸れて道無きルートを探索して進むのだ。
ライナたちは入口起点からルートを辿って10分ほど奥に進み、最初の休憩ポイントへと至った。
尤も、この入ったばかりのポイントで休憩をする冒険者パーティなどいないので、ここを目印にしてルートを逸れる訳だ。
ここからは斥候職であるセラフィーナの仕事だ。
彼女が先頭になって、この最初の休憩ポイントから北方向に木々の間を分け入って行く。
セラフィーナによると、なんでもここから15分ほど行った先に命起草が群生する採取ポイントがあるのだそうだ。
それで、セラフィーナ、レティシア、ライナ、エヴェリーナの順で隊列を組み、ゆっくりを大森林の中を進んで行った。
こんな密度の濃い森林の中を歩くのは、ライナにとって初めての経験だ。
勿論、ライナが生まれ育ったバラーシュ村の周辺にも森や林はあったし、そこに行ったこともある。いや、むしろ村の子供たちの遊び場だった。
しかしそんな村の近くの森や林の木々の密度は、こんなに濃いものではなかったし、ましてや魔獣は勿論のこと大型の獣などが現れることは滅多になかったのだ。
先頭を行くセラフィーナが片手を擧げて歩みを止めた。
「どうした? 何か見つけたか」
「うん、たいしたものじゃないけど、ライナちゃんは初めてだと思って。ほら」
そう言ってセラフィーナは地面を指差した。
「これって、足跡?」
「そうよ。なんだかわかる?」
「えと、豚の足跡みたいよね。豚? は、いないだろうから、イノシシかな」
「そう、良く分かったわね。イノシシ、この辺ではボアね」
「ボア」
「ファングボアじゃないよな」
「足跡が小さいし、こんな浅いエリアにはファングボアは出ないよ。ただのボア」
ファングボアとは大きな牙を有した、通常のボアよりもかなり大型の牙イノシシのことだ。
獰猛で突進力に優れ、闘うとそれなりに苦労するが魔獣ではない。
「あと、あっちには鹿の足跡があるわね。ほら、あれよ」
セラフィーナが指差す地面をライナが見る。そこには、ボアと同じ偶蹄類でも形の異なる、多少細い足跡があった。
「エルクじゃないよな」
「中型クラスのセルバスの何かね。赤セルバスじゃないかしら」
さすがにセラ姉さんて詳しいのね。足跡を見ただけでイノシシと鹿の区別だけでなく、どんな種類の鹿なのかまで分かっちゃうんだ。
ライナは冒険者の斥候職という技能者の能力に、初めて触れた思いがした。
「赤セルバスか。出て来たら狩れるといいな」
「この足跡は少し時間が経っているみたいだから、もうこの辺りにはいないんじゃないかしら」
「それに今日の目的は、薬草の採取だからね、エヴェ」
「わかってるって、姉さん」
それからまた暫く進んで、セラフィーナの言う命起草の群生地に到着したようだ。
そこは今まで辿って来た木々の間よりも、多少樹木の密度が薄くなっている一帯だった。
「さあ着いたわよ。さてライナちゃん。ここで問題です。命起草はどれでしょう?」
セラフィーナの問いにライナは辺りを見回す。
レティシアに教えて貰った命起草の特徴を思い出し、頭の中でイメージする。
それから群生地というのだから、命起草が生えている数が多い筈だ。つまり、同じカタチの植物が多く見つかるのだろう。
そのふたつのことを頭の中で結びつけながら、注意深く周辺を見る。
すると、太い茎の上部に大きめの葉を付けた4、50センチぐらいの高さの植物が、いくつも生えているのが目に入る。
そのひとつに近づいて茎を触ってみると、細かくて意外と丈夫そうな毛が生えていた。
「これね。これが命起草よね、セラ姉さん」
「はい、大当たりっ。それがそうよ。そいつを根っこから抜くの。わりと根が張っているから、気をつけてなるべく根を残すのよ」
それなら簡単だ、とライナは思った。だってわたし、土魔法使いよ。
ライナはそれから、セラフィーナにだいたいの根の広がりや深さを聞き、魔法を発動した。
あ、キ素がやっぱり濃いわ。ちょっと意識すれば、直ぐにキ素力が循環出来る。
ライナはあまり強い魔法にならないように気をつけたながら、1本の命起草の根が張っている場所の土だけを魔法で取り除く。
地面に穴が空き、そこには支えを失った命起草が横たわった。おまけに根には少しも土が付着していない。
「おいおい、やっぱりライナって凄いな。こいつは、あたしらが手を出す必要がないよ」
「ホント、根っこに少しも土が付いてないし、先っぽまで切れていなくて、キレイに残ってるわ」
「これは……。土魔法が冒険者の仕事に役に立つって、アウニさんの言っていたことを目の当たりにしたよ」
それからライナは、同じように次々と命起草を採取して行った。
同じ場所からまとめて取ってはいけない。間隔を空けて採取して、絶滅してしまわないようにすること。そういった注意をセラフィーナから受け、ライナは土魔法を使った採取を続ける。
もうこのぐらいでいいかしら、と屈んで歩いていた腰を伸ばすと、レティシアたち3人から少し離れてしまったようだ。
あ、姉さんたちから離れちゃったわ。戻らないとライナが思ったその時、木々の向うで何かが動いた気がした。
大きな何かが、いる。ライナは、思わずその方向をじっと見つめるのだった
お読みいただき、ありがとうございます。
本編をまだお読みでない方がいらっしゃいましたら、そちらもよろしくお願いします。