第10話 子爵館のダレルの作業小屋で
ライナとレティシアは、冒険者ギルド長のジェラードとナンバー2のエルミに連れられてグリフィン子爵家の子爵館に向かうことになった。
これだけでもライナにとって思いも寄らぬことであるばかりか、なんと土魔法の達人の庭師であるダレルに会いに行くのだという。
ライナが遠くグリフィニアを目指した目的は、ひとつは冒険者になり、そして自分と同じ土魔法の使い手で達人として名の知られるというダレルに会い、更に可能ならば天才的魔法使いといわれる子爵夫人のアナスタシアにお目に掛かりたいというもの。
そのうちの最初の目的は、グリフィニアに着いて早々にカタチばかりは叶い、そしてふたつ目の目的も叶うのだという。
ライナは展開の早さにあらためて驚き、そして自分の幸運と出会った人たちから受けている親切に、深く感謝するのだった。
アマラさま、ヨムヘルさま。わたしはなんて幸運な女の子なんでしょう。バラーシュ村で毎日悶々と悩みながら、魔法の練習をしていたついこの間までが嘘みたい。
アマラ様は太陽と夏の女神、そしてヨムヘル様は月と冬の男神。この世界で最も尊いという2柱の神様にもライナは心の中でお礼を言う。
子爵家の住まいである子爵館は、冒険者ギルドを出てサウス大通りを北方向に行き、中央広場を経て今度はそこから真っ直ぐ伸びるグリフィン大通りを東方向へと進む。
グリフィニアのメインの街路であるグリフィン大通りは、それほど長い通りではないので、中央広場を出て進むと直ぐに真正面に子爵館の大きな門が見えて来る。
4人の一行は間もなくして子爵館の正門へと到着した。
この門の中にはグリフィン子爵家の一家が住む屋敷があるほか、騎士団本部や内政官の事務所施設がある。
通常、騎士団や内政官事務所に用件のある領民は、この正門から左方向に塀の外をぐるりと巡り北方向の通用門から入るのだが、今日はダレルに会うのでこの正門からの方が近いのだとギルド長は説明した。
それでエルミが門衛に取り次ぎを願い、暫くこの正門の外で待つ。
ライナが大きな格子門に顔を近づけて子爵館の中を眺めると、正面には美しくて大きく立派な屋敷が見え、その手前には広い庭園。そして左右には果樹らしき樹木が広がっていた。
現在は冬なので何も成ってはいないが、収穫時期には果物がたわわに実るのだろう。
「ねえ、レティ姉さん。レティ姉さんはこの子爵館って来たことあるの?」
「わたしも初めてだ。これまでそんな機会がなかったからね。ちょっと緊張するな」
「姉さんでも?」
「当たり前だろ。子爵さまのお屋敷だぞ」
「手前に見える大きなお庭とか向うの樹木とか、ダレルさんがお世話してるのよね」
「おお、そうだぞ。左右の樹木は子爵館名物の果樹園だ。特に向かって右側はずっと奥まで果樹園が広がっている。この庭園と果樹園を、ダレルのやつがたったひとりで面倒を見ているんだぜ」
ギルド長のジェラードがそう教えてくれる。
「ここの果樹園で収穫される果物は、とても美味しいのよ。いろいろな種類の果物がたくさん採れるから、わたしたちも買うことが出来るの」
エルミが付け加えた。
へぇー、そうなんだね。採れる果物が美味しいのは、やっぱりダレルさんの土魔法のお陰なのかしら。
別に魔法で美味しくしている訳ではないのだが、土魔法による良い土壌とダレルの手間を惜しまない世話のお陰なのだろう。
「お、ダレルのやつが来たぜ」
ギルド長のその声に子爵館の中に目を向けると、屋敷前にあるほぼ円形の表庭園の外側をぐるりと巡る馬車通路を、ゆっくりとこの正門に向かって歩いて来る人がいる。
その人が徐々に近づいて来るのを見て、ライナはダレルがとても背の高い人だという話を思い出した。
ホントウだ。すっごく背が高いわ。わたしの相手をして貰った冒険者の、あのニックさんよりも大っきいよ。
じっさい、ダレルは2メートル近い身長があるだろう。こんなに背の高い人をライナはこれまで見たことがなかった。
「やあジェラード、寒い中を待たせたな。わざわざ来て貰って悪かった」
「ああ、いいってことよ。それにお願いしたのはこっちだからな」
「そうかね、ああエルミも久し振りだ。夏以来かね」
「ダレルも元気そうね」
「それで、手紙に書いてあったのは……」
「おう、こっちの女の子の方だ。ライナな。それから、こっちの姐さんは剣士のレティ。ひょんなことからライナの保護者役をしている。ライナ、ダレルだぞ」
「あ、はい。あの、えーと、こんにちは、初めまして、ダレルさん。わたし、ライナです」
「おお、そうか。はい、こんにちは。グリフィニアに良く来たね」
「あの、あの、わたし」
「まあ慌てるなって、ライナ。なあダレル、寒いからよ、中に入れて貰ってもいいかな。どこかで話でもさせて貰えれば」
「ああ、悪かった。それじゃ、私の小屋にでも。作業小屋で悪いがな」
ダレルが門衛に話をし、4人を子爵館の中に入れる。
そうしてダレルに案内されて、先ほど彼がやって来た表庭園を巡る馬車通路を歩いて行く。
「とても大きな庭園ね、姉さん」
「そうね。それに本当に奇麗に整備されてる」
「きっと春になったら、お花がいっぱい咲くのよね」
「そうよ。それはそれは美しいの。この庭園の美しさは王国一よ」
「そうなんだ」
エルミが王国一美しいと表現した表庭園は、直径が100メートルほどの円形庭園で、中央部分に東屋風のテラスがあるのが見えた。
一方で右側には、何の実が成るのかは分からないが、低木やらそれよりも高さのある木など、いろいろな種類の果樹が奥まで続いて広がる。
ライナは、とても優しげなところ、と思った。
大きなお屋敷が近づいて来ると、ダレルはいま歩いている大きな円弧を描く馬車通路から外れ、少し細い道へと入って行った。
そして屋敷の端と果樹園の間を通り、裏手へと向かう。
少し行くと、ダレルは先ほど作業小屋と言っていたが、ライナが思うにバラーシュ村の一般的な農家よりも大きな建物があった。
「さあ入ってくれ。片付けてないから、がちゃがちゃしてるが、まあ我慢してくれ」
その木造の建物内に入ると、田舎屋敷のとても広い居間のような雰囲気だった。
ただし、確かにダレルが言うように、いろいろな物が置かれていて多少雑然とはしているが、暖炉には火が入っていて温かく気持ちの落ち着く空間だ。
「ここは、私の作業場兼居間でね。まあいつもこの奥の部屋で寝泊まりをしているので、私の家みたいなものだ」
「ダレルは、お屋敷にも部屋があるんだろ」
「あっちはキレイ過ぎるし、作業も出来んからな。だから、ほとんどはここにいる。紅茶でも淹れるから、ちょっと待っててくれ」
「それはわたしがやるから、ライナの話を聞いてあげて、ダレル」
「ああ、すまんなエルミ。なら頼むか」
「いいわよ」
「じゃあ、そこらの椅子に適当に座ってくれ。それで話を聞こうかな、お嬢ちゃんの」
それでライナは、自分の魔法適正のことと土魔法の練習をひとりでして来たこと、そしてこのグリフィニアに来た経緯をダレルに話した。
もう何回か話していることなので、ライナも随分と要領良く伝えることが出来るようになっている。
「ほう、そうするとライナ嬢ちゃんは、私に会うのも目的にこのグリフィニアまで来たのかね」
「はい、そうなんです。ダレルさんに土魔法でどうやって生きればいいのか、それを教えて貰いに。いいえ、少しでも参考にさせていただければと思って」
「そうかね。ライナ嬢ちゃんは、なかなかしっかりしてるな。まあ確かに、話にあった通り、通常の騎士団の魔導士部隊では、土魔法は使えない魔法と思われてるだろうな」
「やっぱり、そうなんですね」
「しかし、それはそもそも、土魔法の使い手が少ないので、どんな魔法なのか見たことのある者が少ないからなんだ」
「俺もそう思うぜ。尤も俺らは、近くにダレルがいたから分かってた、っていうのもあるがな」
「あとは、騎士団とかの魔導士部隊では、土魔法とうまく連携出来ない可能性があるからね」
「それは?」
「何人かの魔導士が、後方からまとまって攻撃する訓練が一般的だからよね。一斉に火魔法を撃つとか」
「そうなんだよエルミ。だから、そこに土魔法がひとり混ざっても攻撃が合わない。土魔法はどちらかというと、中間の距離や前衛と組んでの攻撃の方が有効だからな」
「ああ、普通の騎士団だと、そういう訓練はしねえし、それにそんなことが出来る優秀な土魔法使いが、そうそういないってことか」
「そういうことだ」
ライナも実際は目にすることがこれまでなかったにしても、彼らの話していることがなんとなく理解出来た。
ダレルは冒険者時代、中間距離から石弾やストーンジャベリンを撃ち、大穴を開け土壁を立たせ、そして接近して大斧を自ら振るって闘ったとアウニから聞いたのを思い出す。
「それで、土魔法でどう生きて行くのかってことだが、こいつはなかなか難しい問いだ。まずはライナ嬢ちゃんが、どれぐらい土魔法がいま出来るのか、私も見させて貰うかな」
土魔法の達人として広く名の知られるダレル。そのダレルさんを目の前にして、わたしの魔法を見せるなんて。
ライナは思わず身震いした。
その時、外から誰かがドアを開ける音がした。
いったい誰が来たのだと、部屋の中の全員が一斉にドアの方を見る。
そこには誰も居ない?
いやドアの下の方、大人だと思って誰も居ないよう見えたその下の方に、小さな男の子が顔を覗かせていた。
「ダレルさぁーん。遊ぼ……って、おきゃくさん?」
「おやおや、ザカリー坊ちゃんじゃないですかい。さあさ、寒いから中に入って。坊ちゃんひとりですか? シンディーさんは?」
「シンディーちゃん? おいかけてくるよ、きっと」
「ああ、また逃げて来たんですね」
その小さな男の子は、何の躊躇いもなく建物の中に入って来る。まだほんの幼児だ。2歳にも成っていないのではないだろうか。
しかし、中に入ると後ろを向いてきちっとドアを閉め、トコトコと歩いて来る。
歩き方はこのぐらいの幼児にしては、随分としっかりしている。
「おいダレル、この子は?」
「ああ、ご長男のザカリー坊ちゃんですよ」
「え、何だって」
ジェラードとエルミ、そしてレティシアは慌てて立ち上がって、深々と礼をした。
ライナも釣られて立ち上がり、良く分かっていなかったが同じように頭を下げる。
それからちらっとその男の子を見ると、その子は順番にひとりひとり見て行って、それから頭を少し上げたライナの顔に視線を止めて、じっと見つめて来た。
あれっ? なにこの子、わたしのことをじーっと見てるけど。
ご長男のってダレルさんが言ったから、子爵さまのご長男? アナスタシアさまのお子さま?
そう考えたライナが思わず顔を上げてしっかりその子を見ると、そのザカリーと呼ばれた男の子はライナの目を見てニコっと笑った。
まあ、なんてカワイイの。でも、笑顔から感じられるものが、こんな小さな子のものじゃないみたい。
無邪気な幼児の笑顔というより、なんだか温かい笑顔。いいんだ、わかってるよって言っているような、不思議な微笑み。
「ザカリーさま、いますか? ダレルさんのところにいますよね。奥さま、やっぱりダレルさんのところですよぉー」
ドアの外から可愛らしい女性の声が聞こえて来る。
その声を聞くと、ザカリーは更にトコトコと歩いて来てライナに近寄り、あろうことかライナの下半身にバッと抱きついたかと思うと、そのまま服を掴んで後ろに回り込んで彼女の後ろに隠れるようにした。
その様子を、部屋にいた大人たちは唖然と眺め、ライナはどうしていいのか分からず立ち尽くしてしまう。
「あれっ、確かにこちらに入った気がしましたが、ってお客さまでしたか、申し訳ありません」
そのザカリーの動きと同時にドアが静かに開いて、可愛らしい服を身にまとったライナより少し歳上ぐらいの女の子が入って来た。
あ、なんてカワイイお洋服。あれって侍女さんの制服なのかしら。でも見たことのないデザインよね。
「シンディーさん、それはいいんですが、どうしました?」
ダレルさんが少しトボケてそう聞く。
「それがダレルさん。またザカリーさまが逃げ出したんですよ。奥さまとラウンジにいたのに、遊びに行くとかいきなり言ったかと思ったら、急に走り出して。奥さまも目を離していた隙にでしたから。それに知っての通り、とても速いので。それでコートを持って慌てて追いかけて来たら、ダレルさんのところに入ったのが見えた気がして」
ダレルは特段に珍しいことでも無い風にふんふんとシンディーの話を聞き、他の4人はどうしていいのか分からず黙って立っている。
特に自分の後ろに装備の服を掴まれてザカリーが隠れているライナは、身じろぎも出来ずじっとしているほかなかった。
「シンディーちゃん、ザックはいたぁー?」
外からまた別の女性の声が聞こえて来た。若々しく可愛らしく、でも張りのある美しい声。
「あ、えーと、いらっしゃらないみたいな」
「いないのぉー。わたしはここにいると見たわ。ごめんなさいねダレルさん、失礼しますよ、あら」
その声の主がゆっくり入って来る。
輝くような長いブロンドを美しくまとめた髪、すらりと伸びたバランスの良いスタイル、そしてあまりにも美しく上品に整った顔立ちの若い女性。
しかし、その表情には無邪気でいたずらっ子のような雰囲気も伺える。
そして不思議なのは、コートを上から羽織っているものの、シンディーと同じデザインの制服を着ていることだ。
この人も侍女さんなの? でもそれにしては、あまりにも美人だとライナは思わず見蕩れてしまう。
「こいつは、奥様」
「あらあら、ジェラードさんじゃないの。エルミさんも。今日はどうしたの?」
「奥さま、お邪魔しております」
再びジェラードとエルミが先ほどよりも更に深々と頭を下げ、レティシアは驚きのあまり口を手で押さえ、そして慌てて同じように頭を下げた。
ライナは今度も訳が分からなかったが、合わせて同じようにする。
「いいのよ、こっちこそお邪魔しちゃったかしら。それから、その可愛い女の子のお尻にくっ付いてるザックは出て来なさい」
「あー、ばれたぁ」
「あっ、そこにいたんですかぁ」
ザカリーは悪びれずライナの前に出ると、ひゅーっと走って今度はシンディーにばっとしがみついてそれから離れ、続いて隣に立つ奥様と呼ばれた女性に抱きついた。
「それで今日は何の集まりなの? ジェラードさん」
「それがですね」
ザカリーを連れて直ぐに出て行くと思われたその女性は、何故かしっかりと椅子に腰掛けて落ち着き、膝の上に男の子を乗せている。
おまけに、折角のお客様だからと、シンディーにお菓子を取りに行かせていた。
「ねえレティ姉さん、この方って?」
まだ良く分かっていないライナは、小声で隣に座るレティシアにそう尋ねた。
「あなた、まだ分からないの。奥さまよ。子爵さまの奥さまの、アナスタシアさまよ」
「えぇーっ!」
ライナはそれを聞いて思わず大きな声を出し、勢い良く立ち上がる。
全員がその声と、いきなり立ち上がった様子に驚いて彼女を見た。あ、恥ずかしいっ。それからとても失礼なことしちゃったわ。
ライナの顔は、みるみる真っ赤になった。
どうしたの? という表情の大人たちを余所に、アナスタシアの膝の上にちょこんと座ったザカリーは、そのライナを見ながら、キャッキャと手を叩いて笑っているのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
本編をまだお読みでない方がいらっしゃいましたら、そちらもよろしくお願いします。