第1話 魔法適正
「ライナ、ライナ、ライナは何処にいるのー、ライナ」
ライナを呼ぶ声がする。お母さんだ。
また何か用事を言いつけるつもりかな。それとも礼儀作法とかのお稽古をしろと言うのかな。どちらにしても面倒くさい。でも、いつまでも返事をしないと、後まで煩いわよね。
ライナは諦めて返事をすることにした。
「はーい。いまお庭から帰って来たところよー。なーに? お母さん」
「あらま。あなた、また泥だらけで。お庭に行ってたって、あなた、魔法の練習をしてたのね。いいから、手と顔を洗って、それから着替えて来なさい。
「だから、ご用事はなーに? お母さん。礼儀作法のお稽古なら、昨日したわよ。それとも、お夕飯のお手伝い?」
「夕飯の準備はまだよ。それから礼儀作法のお稽古でもないわ。もうすぐお父さんが帰って来るの。だから早く着替えなさい」
「お父さんかー。ウルバ兄は?」
「ウルバンは、騎士団の見習い学校。だから、まだ帰ってこれないわ」
「なんだ、つまらない」
「つまらないって、お兄さんは騎士になるための、大切なお勉強中なのよ」
ライナの家は騎士爵の家。父親はアルタヴィラ侯爵家騎士団の騎士として、普段は領都の騎士団本部にいる。
そしてライナのふたつ上の兄、つまり長男のウルバンは、昨年から騎士団本部にある騎士団見習い学校に転入して、騎士になるために学んでいるのだ。
ライナにとっては格好の遊び相手だった兄が領都に行ってしまい、それから自分は毎日つまらない日々を送っていると思っている。
「あなただってもう子供じゃないのよ。もうウルバンと遊んでいた頃とは違うんだから、これからどうするのか、ちゃんと考えないと」
「考えてるよー」
「本当にちゃんと考えてるのかしら。あなたったら、学校から帰って来たらいつも魔法のお稽古でしょ。そうやって泥だらけになって。どうして神様は、あなたに土魔法なんか」
「その話はもういいでしょ」
「ちゃんと手と顔を洗ってから着替えるのよー」
「わかったわよー」
これ以上続けると、またいつものライナの魔法の話が延々と続くと思い、彼女は早々に切り上げて洗面所に向かうことにした。
だって、わたしが自分でお願いしたんじゃないのよねー。8歳の時から繰り返し考え悩んだことが、また頭の中をグルグル廻る。
ライナは今年11歳だから、あれは3年前の春のことだ。
彼女が通う学校。つまりライナのお父さんバラーシュ騎士が領主を務めるこのバラーシュ村の学校に、領都から騎士団の魔導士がやって来た。
学校に8歳の子供がいる時には、必ず魔導士がこの村を訪れる。
それは、騎士爵で村の領主である父のヤルミルの方針で、彼の部下である従士の家の子供や例え農家の子であっても、攻撃魔法に優れた適正のある子がいたら、それをいち早く見つけ出し将来の魔導士として育てようということだ。
しかし残念ながら、ライナが知る限りそういう子はここ何年も見つかっていない。
ふたつ上の兄のウルバンが8歳になった時は、バラーシュ騎士爵家は勿論のこと、村中が期待に胸を膨らませた。
彼は既に多少の生活魔法は出来ていたし、何よりも将来はこの村の領主となる騎士爵家の長男だからだ。
でもそんな周囲の期待は、「ウルバン殿には残念ながら」という魔導士のひと言で空しく消えて行った。
生活魔法レベルの魔法が使える者は、この村にもある程度はいる。
それは単に竃の口火となる弱い火を出したり、少しばかり水を出したりする程度だ。
しかし、攻撃魔法とは遥かに強さが異なる。
それからライナの兄はそれまで以上に剣術の稽古に熱心に取組むようになり、そして昨年、騎士団の見習い学校に入るため領都へと旅立って行った。
兄の次に期待が集まったのは、勿論ライナだった。
「ライナ嬢さまなら」と、村中の面々が領都から魔導士が到着するのを心待ちに待つ。
そして、領都から魔導士がやって来たその日、学校で今年8歳になる5人の子供たちが集められた。
初めて村を訪れた、とても若い魔導士だ。
「まずは、キ素を集めて、身体にキ素力を循環させる。できるかな?」
普段はしっかりとした魔法が使える者のいないバラーシュ村では、魔法の力の基となるキ素力をうまく効率的に行う方法を教わることは出来ない。
子供たちは、それぞれ思い思いに自己流でやってみる。そして、何とかうまく出来たのはライナだけだった。
それから魔導士は、あらためてキ素力循環のやり方を5人の子たちに教え、もういちどやらせてみる。
「おお、ライナ殿はなかなかお上手ですね。それにキ素力もかなり強い」
「おぉーっ」
周囲で見守る村の大人たちや、その当時はまだ一緒に学校に通っていたウルバンをはじめ、子供たちの間からも歓声が上がる。
ライナ自身は、正しいキ素力循環のやり方を教わったことで、自分の中で何かが強く動くことに驚いていた。
わたしって、もしかして魔導士になれるのかしら。そんな思いが、身体中を巡るキ素力と一緒に湧いて来る。
「では、魔法を撃ってみましょうか。いや、まずは魔法を出したいと思うだけで良いですよ。四元素の4つを試します」
「初めは火魔法。頭の中で大きな炎を思い浮かべて、火焔よ、その姿を現し、敵を撃つべく強く解き放たれよ。そう唱えるのです」
「火焔よ、その姿を現し、敵を撃つべく強く解き放たれよ」
ライナを含めた4人の子たちが、それぞれに魔法発動の詠唱を行い、攻撃魔法を放とうとする。
発動出来たのはライナだけだった。しかし、それでも放たれた炎は、生活魔法に多少毛の生えた程度でしかなかった。
あとの3人の子たちは、発動すら出来ない。仮に口火程度の火魔法が出来ても、攻撃魔法を発動出来るとは限らないのだ。
それから魔導士は同じことを何回か繰返させ、ある程度納得したところで次は水魔法、その次は風魔法と、子供たちに詠唱を教えながら試させた。
その結果、水魔法が発動出来たのはやはりライナだけだが、水が飛ぶ威力はまったく覚束ない。
そして風魔法はライナも、気をつけていなければ分からないぐらいの、ほんの僅かの風らしきものが出た程度だった。
ましてや他の子たちは全滅で、ひとつとして発動すら出来なかった。
魔導士は諦め顔で首を横に振る。この様子を見守っていた周囲の人たちからも、「今年も駄目だったか」という落胆の声が出ていた。
「それでは最後に念のため、土魔法を試して終了としましょう。私も土魔法の適正は無いので、そうですね、土の壁が地面から立ち上がるような様子を思い描いて、土の壁よ、地面から立ち上がれ、とでも詠唱してみましょうか」
先ほどのキ素力循環の時に沸き上がっていた、もしかしたらわたしは魔導士になれるという思いが、みるみる萎んですっかり意気消沈してしまっていたライナは、「なによ、いいかげんな詠唱よね」と心の中で悪態をつきながら、すっかりやる気を無くしていた。
でも、まあ、やるだけやってみましょ。それで今日はおしまい。早く終わらせて、もう遊びに行きたいわ。
ライナはそう思い直して、地面からニョキニョキと土の壁が立ち上がって行く様子を頭の中に描く。
これって、どこまで高く伸びるのかしら。あんまり高くなると、パッタリ倒れちゃうわね。倒れないように、土台はしっかりさせないとよね。それで、人がよじ登って越えられないぐらいの高さがいいわ。そうね、大人の背丈の3人分ぐらいね。
こうやって、実際に見たことがないものでも、頭の中で思い描くのがライナは得意だった。
そう言えばウルバ兄が、「おまえはいつも、変なことが頭に浮かぶんだな」って、わたしに言うわよね。壁なんだから変なものじゃないわよね。これって、領都にあるっていう城壁とかかしら。
そして、もう凄く疲れたからこれで最後よ、とキ素力を出来るだけ循環させて両手の掌を地面に向け、さっきのいい加減な詠唱を口に出して唱える。
すると、自分でも吃驚するほどの何かの力が、掌から地面へと放たれて行った。
あっ、と声が口から漏れたのと同時に地面がみるみる盛り上がり、まるで地の中から何か凄い力で上に向かって押し上げられるように、土の壁が立ち上がって行くではないか。
それはまさに、先ほど自分で頭の中に描いた都市城壁のような高い土壁だった。
「ほぉー」
これが自分のしたこととも信じられず、ライナはその様子を惚けたように眺める。
周囲から上がる「おぉー」「凄いぞー」「ホントに土壁が立った」「ライナ嬢さまぁー」といった様々な声も、ライナの耳には入らなかった。
「これは……」
領都から来たその若い魔導士も、暫くは驚きに声も出ない。
そしてようやく落ち着きを取り戻すと、ライナを前にしてこう言った。
「ライナ殿の土魔法適正は素晴らしい。おそらく土魔法の使い手としては、一流の魔導士になるやも知れません。しかし残念ながら、土魔法は攻撃魔法としてはそぐいません。いやこれは、私個人としては正しくない見方と考えます。ですが、我が侯爵家騎士団としては、そういう見解なのですよ。土魔法使いは騎士団では役に立たないと。尤も、侯爵家騎士団の誰も、ライナ殿ほどの土魔法の素養を持った者を見たことはないでしょうが」
村の者たちは、この魔導士の言葉を聞き、ライナを祝っていいのかそれとも慰めれば良いのか分からなくなった。
彼らには魔法についての知識がそれほどある訳でもないし、ましてや騎士団の魔法に対する考え方などに理解が及ぶ筈もない。
取りあえずは「さすがはライナ嬢さまだ」「凄いものを見せていただいた」などと声を掛けながら、ひとりふたりと去って行った。
いつの間にか学校も子どもたちもいなくなり、兄のウルバンだけがひとり残っている。
「ウルバ兄……」
「ライナは凄いな。きっと、きっとライナは凄い魔導士になるよ」
「でも、騎士団にはいらないって」
「バカだな、ライナは。騎士団だけがすべてじゃないだろ。それに、うちの侯爵家騎士団が絶対じゃない。ライナの魔法が役に立つ、そんな場所が必ずある。だから、ライナは魔法を。だって俺には無理だったから」
「ウルバ兄、わたし」
それからライナは、誰も教えてくれることのない土魔法を、ひとり練習することにした。
いつも土だらけになって。そんな騎士団にいらない魔法なんか、訓練したってしょうがないぞという、声に出されない声を背中にいつも受けながら。
いいのよ、わたし。わたしの土魔法は、わたしだけの魔法でいいのよ。
でも、いつか、どこかに、絶対わたしの居場所を作って見せるわ。わたしの土魔法の力で。それを見つける。わたしが見つける。
だって、せっかくの魔法の力なんだもの。無駄にして腐らすなんて勿体ないじゃない。
「お父さん、お帰りなさい」
「お、ライナか。ちょうど良かった。ちょっとここに座れ」
「え、なーに、お父さん」
「おまえは、来年12歳になるな」
「そーよ。なによ、いまさら」
「つまり、今年で村の学校は出ねばならん」
「そうよねー」
「でだ。おまえはどうするんだ?」
「どうって?」
「おまえは何も考えておらんのか? 12歳と言えば世間では大人の入口だ。村の者なら、12歳になれば働きに出る。貴族や裕福な家の子なら、王都のセルティア王立学院を受験する。そして、うちのような騎士の子なら、やはり王立学院を受験するか、ウルバンのように領都に出て騎士団の見習い学校に入るか。おまえには兄がいるので、騎士になることは出来ないのだが。あとは、どこかの家に嫁に行くための修行をしながら、家を手伝うか。それとも侯爵家に侍女として入って、結婚相手を見つけるか」
「騎士団にも入らないし、お嫁になんかもっと行かないわ」
「しかし、ライナ」
「だって、だって、王立学院は受験で落ちたら、それでお終い。お金も凄く掛かるって聞くし。騎士団は、わたしの魔法なんかいらないでしょ。だったら、わたしの居場所なんてないじゃない。それはお父さんも分かってるわよね。だからわたしは、自分で魔法の修行をするっ。この侯爵領でわたしの魔法が必要ないって言うなら、ここを出てほかの場所に行くわ」
「この家を出るだとぉ、ライナっ」
「わたしは、わたしは、自分で見つけるのよっ」
ライナは大粒の涙を流しならそう大声で叫ぶと、父の前から逃げるように駆け出し、自分の部屋に飛び込んだ。
「お父さん、ごめんなさい。でも、わたしは……」ベッドの枕に顔をこれでもかと押しつけ、ライナはいつまで声を押し殺して泣き続けるのだった。
本編の「時空渡りクロニクル」をお読みいただいている方にはお馴染みの、陽気な魔法の達人ライナさんの少女時代の物語。
作者も書いていて、これまで語られることのなかったライナさん魔法少女時代が、少しずつ分かって来ました。
あと何話か続く予定ですので、引き続きお読みいただけますと幸いです。