悪夢と、その使い道
一話です。
目が覚める。
奇妙な夢を見ていた。
今の僕、エルフとは種族。人間として、野球に人生を全てかけていた。
それは、たしかに僕の視点ではあったが、確実に僕ではなかった。
まるで、別の人の中に、入り込んだだけのような…
そして、最後…僕…否、ノボルという男は、野球で命を落とした。
体に冷や汗が走るのを感じた。
怖い。
自分ではない。ではないが。
死の瞬間を擬似体験した。
悪夢だ。
「ショウ〜、いつまで寝ているの〜?ルーちゃん来ちゃうよ〜?」
母さんの声が階段の下から聞こえてくる。
こういう時に母さんの声は安心させてくれる。
寝汗でビショビショの服を着替え、階段を降りる。
リビングに行くと、情報紙を読んでいる父さんがいた。
その対面の席に座ると、父さんの情報紙の一面が目に入ってきた。
どうやら、エルフィスガーディアンズが昨日の試合、4番のホームランでサヨナラ勝ちを決めたみたいだ。
ルーのやつがうるさくなりそうだ。
「ショウ〜、ちょっと運ぶの手伝って〜」
母さんが僕を呼ぶ声が聞こえる。
「はーい、母さん。今行きますよっと…」
今日の朝ごはんは…普通のパンと…炒り卵、薄焼き肉か。
「ほい、父さん」
「ん…ありがとう」
僕が食卓に食事を並べると、父さんは情報紙を置いた。
「じゃあ、母さん。食べようか」
「はい。じゃあ…いただきます」
いただきます。
ちょうど食べ終わった頃、家の扉が叩かれた。
「ほら、ルーちゃん来たみたいよ」
はいよっと。
玄関の扉を開けると、ニコニコと笑うルーがいた。
「ショウ!きのう!きのうの試合見た!?すっごかったよね!四番のアルトさんの超超特大サヨナラホームラン!」
ルーは興奮冷めやらぬ様子で、こちらにずずいと迫ってくる。
「……見てないよ」
ルーはむーとその頬を膨らませ、抗議の目を向けてくる。
「………いつも見てって言ってるのに」
「しょうがないだろ、僕はあまり野球観戦はしなくて…」
「……もう。じゃあ、いこ?野球、しよう!そして、ゆくゆくは二人でプロになるんだ!」
ルーは僕の腕をグッと掴んで引っ張る。
「はぁ、分かったよ…じゃあ…ちょっと準備してくるから」
「40秒ね!」
「無茶…」
こうして、ルーと野球をやるのはかれこれ2ヶ月になるだろうか。最近ようやく、右手で投げることに慣れてきた。
夢の中の世界では、左で投げる人達がいたが、普通、野球はみんな右手で投げる。
というか、左利きというものが、10000分の1くらいの確率なのだ。
野球をやるのに、左手でやることは弊害が多い。
一塁へと投げるのに、体を半回転させなければいけない。
だから、内野は一塁以外できない。
内野は華だ。
その時点で、多くの左利きは右利きになるか、野球をしないかの二択を迫られる。まぁ、多くのと言えるほど左利きはいないのだが。
捕手もそうだ。盗塁を刺すのに、左利きだと、殆どの打者が右打席に入るために、打者が邪魔になる。
それに、ランナーへのタッチも遅れてしまう。
だからこそ、野球選手で、左利きは全くいないと言っていい。
唯一のいいところは一塁に近い左打席に立てることだが…
立とうと思えば右利きにも立てるし、どっちにしろ、目立たない外野にしかなれないのだ。
夢の世界では打者と投手が花形であったが、こっち、現実は内野手が花形なのだ。
だから、ルーはああいうが、僕は最初から諦めている。
ルーの夢のために、付き合ってるだけ。
「じゃあ、いくよー!ショウ!」
ルーは、大きく振りかぶり、足を大きくあげる。
「いっくよー!!」
「ぅあ」
恐怖が体を襲ってくる。
もし、あれが当たったら…夢のように頭に当たったら…?
「ひぇ…」
頭を…頭を隠さなきゃ…!
「ちょっと…ショウ!?どうしたの!?そんな構えじゃボールが見えないでしょ!?」
怖い…怖いッ…死ぬのは嫌だッ………
「へっ!?どうしたのショウ!?」
死ぬのは嫌だ…嫌だッ……!
「ショウ!ショウったら!」
パァンという大きな音がした。
その音で、悪夢から覚める。
「どうしたの!?大丈夫!?」
ルーは心配したような顔で覗き込んできていた。
「い、いや…大丈夫…大丈夫。さ、さぁ。もう一回…」
「そんな状態のショウにできるわけないじゃない!どうしたの…?昨日まで、そんなに怖がっていなかったじゃない…」
「………うん」
心当たりは、あの悪夢。
夢の中の、僕。或いは、別人。
それが、野球で、打席に入り、投手のボールが当たり、死んだ。
夢とはいえ、体験した。
今からでも思い出せるほど、くっきりとした夢。
見た目も、年齢も、種族も。もしくは、世界ごと違うものなのに。
どうして、こんなに震えが止まらないのだろうか。
「ショウ…もしかして、怖いの…?もしかして…なにか、あった?」
ルーはこちらを心配そうに見る。
「本当に大丈夫だから。それより、そんなに言うなら、僕が投手やるよ」
「…本当に?大丈夫なの…?野球…いやだ?」
「そんなこと、ないから。大丈夫、だから」
だから。そんな、辛そうな顔をしないで。
ルーのそんな顔、見たくはないから。
「さ、やろうか。ルー。僕が投げるから、ボール、頂戴」
「う、うん…」
ルーと距離を取りながら、ふと思いついた。
僕が夢で見た投手、左で投げてたな。
…しかし、その投手のボールで、僕…ノボルと呼ばれていた男は死んだ。
もしかしたら、僕が当ててしまって、ルーを…?
そんなことはない。そんなことはないはず。
僕如きの球で、体が丈夫なルーが…。
でも、僕やルーみたいにエルフというものは、他の獣人だったり、ドレイクだったり、オーク、オーガよりは体が脆い。
当たりどころが悪かったら…
そう思うと、投げられなかった。
「ちょっと、ショウ?何してんの…?」
ルーがこちらを怪訝な顔をして見てくる。
まずい、投げなかったらまた心配される。
もしかしたら、嫌われてしまうかも。
そんなの、嫌だ。
ボールの縫い目が、丁度、人差し指と中指の腹にあるように。
そして、その二本の指は指一本くらい離す。
そのボールの反対側に親指がくるようにもち、握りは深すぎないように。
そして、ルーが右にいるようにして、立つ。
「ちょっと…ショウ?」
しっかり動きを一度止めて、右足を思い切りあげる。
「ショウってば」
右足を大きくルーの方向へ踏み出しながら、体全体の連動を意識する。
お尻から、ルーの方向に行くように。
「それだと、左手で投げることに…」
左腕を大きく伸ばす。
腕の角度は、真上ではなく、左上に。
ボールを離すのは、体の前で。
腕を鞭のように動かして。
人差し指と中指で、ボールを、弾くような、擦るような、叩くような。それを最大限の力で。
思い切り、投げ抜く。
「あぁもう…本当に左で…っ」
自然と、左足が地面を擦り、大きく、上に上がる。
「うわわわっ!?」
左足が丁度、右足の真横に来た時には、ルーの体は倒れていた。
「………ルー?」
ルーが、倒れたまま、動かない。
まさか。いや、そんなはず。
夢中になって投げたためか、20秒くらい記憶が飛んでいる。
だから、もしかしたら、ルーに当たって。
それで…
「ルー!?ルーッ!?大丈夫ッ!?」
気がついたら僕はルーに駆け寄っていた。
ぱっと見、目立った外傷がないように見えるが、素人の僕が判断してはいけない。
「ルーッ!?」
大声で呼びかけても、ルーは大の字で、目を瞑ったまま、動かない。
まさか、そんな。
僕が…ルーを…?
「あははは…ショウ!すごいよショウ!」
「嫌だ、嫌だ…ルー…しんじゃ。いや、だ」
嫌だ。嫌だ。ずっと、僕を引っ張ってくれた、少しガサツだけど、明るい、そんな幼馴染。ルーがいなかったら、僕は…きっと。
ルーがいなくなったら、僕は…
「…おーい。ショウ…?」
あぁ、そうなのか。僕は、ルーのことが好きなんだ。どうしようもなく。
綺麗な金色の髪も。
その透き通るような声も。
エメラルドのような緑色の目も。
僕を連れ出してくれたあの手も。
全部、全部好きなんだ。
「ショウ〜?ちょっと〜?聞いてる〜?」
なんで早く気づかなかったんだ。
ルーがいなくなってから、気づいた。
もっと早くに伝えていれば…こんなに後悔しなかったのに。
なら、せめて。ここで言おう。
ルーへの愛を。
「………ショウ〜?いい加減無視してると、私、怒るよ?」
「ルー…あい、してる…」
僕は涙ながらに伝えた。
もう帰ってこないかもしれない、最愛の人へと、愛を。
「は?」
冷たい声と冷たい視線が、一気に僕の涙を引っ込ませた。
「……なんだって?ショウ。私を?なんだって?」
「ルー…?い、生きてたの…?」
「勝手に殺さないでくれる?私、のけぞっただけよ」
「そ、そうだったんだ…よかった…」
「ショウ、二つ、言いたいことがあるんだけど」
ルーはこちらを、真剣な目で見つめてくる。
「な、なに」
「一つは、あの左投げ。これからずっと続けていけば、プロでも通用するかもしれない。左投げは、過去にほっとんど事例がないもの。それに、ボールがすごく浮き上がってくるような、その。伸びてくるような。すごいボールだった。フォームも見たことないものだし」
「あ、ありがとう…それで、二つ目は…?」
「どこで、どうやって。その技術を得たの?」
「ゔ、いや。それは…」
話していいことなのだろうか。
僕がみた、悪夢のことを。
鼻で笑われるかもしれない。
冗談だと思われるかもしれない。
でもルーはそんなことしないんじゃないか。
ルーは、きっと、真剣に聞いてくれる。
いや。絶対真剣に聞いてくれる。
「………笑わないで、聞いてくれる?」
「……ショウの話、私が真剣に聞かないわけないじゃない。だって私たち、大切な。パートナーなのだから」
ルーは咲き誇る花のような笑顔を僕に向けた。
あぁ。好きだ。
ありがとうございました