調査員
「ところで・・
鴈保さん恒例の・・
むちゃな要求は・・いまのところなしですか?」
「いまのところね。
<食べられるガム>のときは参った。
『ディズニーランドを丸一日借り切ってくれなくちゃ、
このプロジェクトから、オレは降りる!』なんて、強硬にダダをこねやがって。
仕方がない、すったもんだのすえ、
なだめすかして<花やしきで>妥協してもらったわよ」
「そのくせ、ご当人は、三十分もいなかった。
ジェットコースターに乗っただけで、ご帰還。
最高級のゼイタク&わがまま。 発明家って王族ですよね。
結果、おこぼれとはいえ、楽しい時間をすごせてラッキーだった」
「私だって、もったいないから、
ぜんぶの乗り物とアトラクションと売店を制覇したわよ」
「売店で食べ放題のオプションつきが、
鴈保さんの出した交換 条件でした。
六人部師のたのしそうな顔も忘れられない。
引きこもりなのに、遊園地好きって、なんか面白い。
戸井さんはお化け屋敷がお気に召したようで、ご満悦でした」
「六人部さんは、自閉 傾向の強い人。
ただし、モサモサした外見とは裏腹で、仕事は早い。
しめ切りに遅れたこともほとんどない。
器用なタイプなんでしょうね。
しかし・・鴈保くんときたら。
ヤツは・・あつかいがムズカシイ。
思考に枠のない人とでもいうか。
境界線ギリギリ。
ほんとうに紙一重という人種だと思う。
かまえばヘソを曲げるし、放っとけば糸の切れた凧。
手綱さばきには大そう神経を使う。海のような気持ちで接するしかないわ」
のり子は顔をキラめかせると、
きびきびとした動作で、バッグからファイルを抜き、
社長のデスクの正面に立った。
「報告いたします」切れのある表情で簡潔に言葉を発した。
「鴈保氏のバイオリズムは目下、上向き傾向にあります。
発明モードに入っているか、
もしくは、それに近い状態だと推察されます」
宗像のり子 ━ そう彼女は、表向きはBF社の事務員。
裏の顔は ━ 調査員であった。
「根拠は?」
「性欲の亢進です。
日を開けず、夜な昼な、ピンクサロンに足をはこんでいます」
唇をまるく開き、頬をすぼめ、下を向くと、
リズミカルに顔を上下させた。
「バカもん!嫁入り前の娘のすることですか。
恥を知りなさい、恥を」
「これは、『プラマナ』開発時と同様の行動です。
発明の魂が入ると活動的になる、鴈保さんの特徴パターンであります」
「一理あるようね。ほかには?」
「やたらと牧場に通っています」
「それで?」
「牛を見ています」
「意味合いは?」
「不明です。ただただ、牛を見ています。マンガ喫茶にもよく行ってますね」
「ただただ、マンガを読んでいる?」
「ええ。『巨人の星』っていう昭和の作品です。
となりのブースから、椅子に乗って、こっそり覗いたところ、
マンガを読み、PCでAVを鑑賞、同時にパラダイス・テレビも見ていました。
ながらH族!ティッシュ消費量も相当です」
「若いからね、彼」社長は眉根を寄せた。
「まだまだ時間はあるし。待ちの一手で、気長にいきましょう」
「こちらからアプローチを仕掛けてみたらどうでしょうか?
鴈保さん、かなり入れ込んでいるみたいで、
すこし痩せたし、目の下に隈ができていました」
「よけいなことだけはしないで。痩せも、隈もまいどのこと。
新商品の開発っていうのは、底なし沼みたいなところがあるから。
高給取りの宿命よ」
「ねえ、叔母さま。鳴くまで待とうもアリだけど、
ときには、鳴かせてみようスピリットも必要です。
鴈保さんのマインドに刺激を与えて、ケミカルを起こさせる。
私にまかせていただけませんか?」
「公私 混同はつつしむべし!
会社では社長と呼びなさい!
それに、あなたの報告によれば、開発モードに足をふみ入れているのだから、
前回 同様、辛抱づよく待つべき。したがって、提案は却下します!」
「しかし、叔母・・社長。
ハッキリ言って、今回の<新触感のガム>のミッションはハードル高すぎ。
『プラマナ』のときと違って、鴈保さんの内面からSOSを感じる。
すこしだけ、心をほぐしてあげられたらなあっていう、
無私の気持ちから提案しているんです」
「ウソつきなさい!
鴈保くんにかこつけて、経費を引っぱり出すのが魂胆なんでしょう?
車のローン、三か月分滞っているそうね」
瞬間顔をしかめると、のり子は口を閉じ、
スマホに画像を立ち上げて、社長に見せた。
鴈保の近影を見た竜子は、メンソールタバコに火をつけ、
しばし宙を見つめる。
ふわっとケムリを吐きだすと、決断をくだした。
「わかったわ。許可します。
ただし、くれぐれも、彼の機嫌だけは損ねないでちょうだい。
もし粗相をしでかしたら『ぷかぷかクジラ・プロジェクト』の責任者よ」
ドライを装っていても、社員思いにかけては、人一倍なのである。
少しばかり肌寒くはあるが、春の日射しの明るい、ある日の午後。
ブラザー牧場の柵に寄りかかった鴈保は、
ロッタのチューインガムを噛み、
ホルスタイン牛が草を食むのをジッと見つめていた。
モシャモシャと草を食む牛。
クチャクチャ音を立ててガムを噛む鴈保。
人と牛。
目と目が合う。
言葉も意思も通じない。
お見合い状態。
変な間が生じた。
牛の方で、お見合いを嫌ったのか・・「モォー!」とひと鳴きした。
牛の真髄。みごとな鳴きっぷりだった。
ふたたび、われに返ったように草を食む牛 ━ モシャモシャ。
飽かずに見つめる鴈保 ━ クチャクチャ。
鴈保の背後に忍び寄る八頭身の影。
「ワッ!」両手で背中にアタック。
「んガくく!」気管支にガムをつまらせ、目を白黒させる鴈保。
八頭身の人物は、動作にターボをかけ、
背後から鴈保のみぞおちへ両手を回し、「ハアーッ!」気合いを入れ、
彼の身体を持ち上げると同時にグイ! ━ コブシを押しこんだ。
ガムは鴈保の口からポトリと落ちた。
「ゴメンなさい?大丈夫?」
「バカたれ!ガムの開発者がガムをのどに詰まらせてくたばったら、
シャレにもならんぜ」
「怒る気力があれば、後遺症はナシと見た」笑顔をみせるのり子。
「なにしに来たんだ?スパイ活動か?」
「人聞きの悪いこといわないで。たまたま通りかかっただけ」
「バレる嘘をつくとは、図星だな?とっとと帰りな」
「いまのは冗談。
まっとうな用事で来たのよ。
私に<新触感のガム>のアイデアが浮かんじゃってさー。
ビギナーズラックかもしれない。
それを開発のエースに聞いてもらいたくって」
かたくなな鴈保の表情が少しばかりほぐれた。
「ほーう、言ってごらんよ。参考意見ぐらいにはなるかもしれない」
「ここは寒いな。牧場のカフェで、
コーヒーにソフトクリームといきましょう」
レザーのコートを着ているのり子のスカートは短く、ひざ小僧が見えていた。