新食感
竜子社長は、近頃の若い子の言葉づかいはなっとらん!と思った。
そこをグッとこらえる。
「ねえ、宗像さん。
逆に質問するけど、
なぜ?・・『ガムの鉱脈を掘り尽くした』・・と結論づけるのかしら?
根拠はどこにあるのかな?」
「エポックメイキングな製品は、そうそう出ないと考えるのが、
常識的な読みとゆーか、見解ではないでしょーか。
失礼ですが・・社長はいささか楽観的すぎます」
「のり子の言う通りだぜ。
格言にもあるように、二匹目のドジョウなんてめったにいないよ。
どーせ社長は、オレたちに丸投げなんだから」
鴈保は言い、戸井へ視線パスした。
戸井は答えずにだまっている。プレッシャーの重さを量っていた。
ロッタとの契約話は寝耳に水だ!
社長は重要な取り引きを、独断 専行で決めてしまうことが間々ある。
やり手だけに突っ走ってしまうのだ。
今回の契約にかんしては、
少なくとも、ひとこと相談があってしかるべきだった。
のり子の危惧は正しい。
鴈保の担う負担があまりに重すぎる。
彼は「打ち出の小槌」ではない。
戸井の懸念を察知した竜子社長は、
見映えの好い姿勢をさらにととのえ、
社員一同に安心感を与えようと、表情から険を取りのぞいてゆく。
経営者になってからこっち、
親しい友人たちから「ずいぶん表情がキツくなったね」と、
しばしば言われるようになっていた。
ふだんよりもテンポを落とした口調で、
「鴈保くんや宗像さんの言いぶんにも一理あります。
わたくしも、契約をまとめるにあたって正直同じことを考えました。
しかし迷いはなかった。
勝算があるのか?と問われれば、答えはイエスです。
具体的な策は、なにひとつありません。
ですが・・わたくしの直感がささやくのです。
必ずウマくいくと。
わがB・F社は現在上昇 気流にあり、
こういうときは一見 不可能なことでも、
成功の頂きにたどり着いてしまうものなのです。不思議とね。
すぐれたミュージシャンをイメージしてみてもらえば、理解しやすいかしら。
偉大なアルバムが生み出されるときは、続けざまに出るでしょう。
わが社は、いま、ちょうどそういう時期にさしかかっています。
十年後には、わたくしのカンの正しさが証明されているはずです。
みんな、もっと自信を持っていいんじゃないかな。
食べられるガム『プラマナ』が[Rubbersoul/ラバーソウル]なら、
つぎはとうぜん[Revolver/リボルバー]でしょう」
「一発屋もいるぜ!
メガヒットが生涯ただ一作だけという。
うちがそうじゃないとは言い切れないだろう?」
いつものタメ口でまぜっ返す鴈保。
のり子は、社長の自信に満ちた言葉と、鴈保の言い分のはざまで揺れる。
戸井は うで組みして、
ロッタとの契約の行く末をリアルに熟慮していた。表情はきびしい。
社長の楽観的な見解と、
三人の社員の常識的な見通しが拮抗した。
つぎの瞬間、
竜子社長の表情の奥から、別人のように優しい「菩薩顔」が顕われた。
そして、彼女の内面から、やわらかな光が放射される。
光は・・社員一同をつつみ込むように照らした。
かたい空気は、みるみる、ほぐれてゆく。
「みんな、社訓をもう一度心にきざんで!」
社長が凛々しいポーズで、額を指さした。
ブラインド・フェイス社の魂が、墨書きされている。
━ のるか そるか ━
いつしか竜子社長の思いに、一同がシンクロしていった。
柔和な視線で社長を見つめる、のり子。
うで組みをほどいた戸井は、おだやかにタバコをくゆらせていた。
鴈保は思う。
「いつもこの手で、社長に丸めこまれちまう。
理屈を超えた、リーダーの資質をそなえていやがる。
詐欺師になっても、頭角をあらわすに違いないぜ」
竜子社長は、開発のエースの視線をとらえ、がっちり結びつけた。
ごくりとツバを飲みこむ鴈保。
「ミスターGANBO!あなたに自由 手腕と潤沢な経費をあたえます。
法にふれない範囲なら、好きなことをしてもらってけっこう。
なんとしても『プラマナ』を超える、
<新食感のガム>の設計アイデアを生み出してちょうだい。
それだけに専念して。
ほかのことは一切 考えなくてよろしい。
締め切りも、あえて設けません。
納期さえ守ってくれればネ。わかっているでしょう?」
社長は意味ありげな表情でピリオドを打ち、視線を切った。
鴈保は肩をすくめて、小さく息を吐いた。
のり子は、開発のエースを見つめた。
わが社のニワトリはもうひとつ<金のタマゴ>を産み落とせるのだろうか?
鴈保の頭脳から生まれたヒット商品はいくつかある。
しかし・・メガのつくヒットは食べられるガム 『プラマナ』 が初めてだった。
戸井は、生みの苦しみというものが実感できるがゆえに、
果てしない気分であった。
新商品開発とは、ある種の発明であり、マニュアルが存在しない世界であり、
無から有を生み出す行為に、かぎりなく近い力業なのである。
鴈保は、過去の商品を現在風に、
リ・アレンジして提供する方法論を認めつつも、
(本音は、二流のアイデアとして軽蔑)
禁じ手と位置づけ、一線を画していた。
リバイバルではない、
純度の高いオリジナル(コロンブスのタマゴ)を求めていたのだ。
失投 待ちではなく、ウイニングショット狙い。
言うまでもなく、制約の縛りはキツくなる。
半年が過ぎた。
鴈保は、まったく会社に姿を見せなかった。見事にナシのつぶて。
その間も、BF社はフル稼働していた。
企業から小口の依頼は絶えることなく、そのための会合。
モニターから寄せられたアイデアの選別、製品化の検討。
新商品のクレーム処理など、
竜子社長は八面六臂の活躍であった。
忙しさをねじ伏せる活力源はアルコール。酒量は増加していく一方だった。
マウス・スプレーは、いまや欠かせないアイテムになっていた。
今朝も、ふらふらしながら二重 映しになる風景と相まみえて出社した。
深呼吸を二~三度して、キリッとした表情をこしらえると、ドアを開く。
「おはようございます!」
朝のあいさつをすませ、つかつか社長用のデスクに向かう。
のり子が用意してくれた冷水を、灰色の大型マグカップにそそぐ。
胃薬を口にふくみゴブゴブ流し込んだ。
横目で、戸井を見る。
なにやらムズカシそうな顔でPCモニターをのぞき込んでいた。
マイナス信号をキャッチ。
素早い動作で立ち上がり、彼のデスクへ駆け寄る。
(社長心得その1~負の芽は、伸びきる前に摘み取れ!)
「戸井さん、問題 発生?」
「いやなに。『プラマナ』の伸長 反応をどうにかできないのかという、
まいどまいどの江戸屋さんからの御要望。
消費者から、一定の割合で、クレームが届くので、
ご親切に転送してきてくれたってワケ。
ちなみに、売り上げは好調だそうです」
竜子社長は漆黒のロングヘアーへ片手をつっ込み、
ポリポリ頭をかく。そして、シブい表情をしてみせた。
「こればっかりは、食べられるガム『プラマナ』の特性だから、どうにもねえ。
このあいだも、会議の席で口が酸っぱくなるほど説明してきたんだけど・・」
「ユーザーは神様だから。
クレームには、および腰にならざるをえない。
メーカーの宿命というやつでしょう」
『プラマナ』を噛み噛みしながら、割ってはいるのり子。
「たしかに、ABガムは味もいいしィ、発想も飛びぬけているけどォ、
Bガムと混ざって食べられるように変化するときのォ、
生き物のように[ぷにゅーん]と[一本 伸びする]反応には正直とまどう。
その後[すぐに収縮するにせよ]です。
ヒトによってはグロテスクに感じる向きもあると思うな」
「あのね、生まれつきの性格が変えられないように、
食べられるガムの特性も変えられないものなのよ。
それが、個性なんだから」竜子社長が応戦する
「変えられなくても、改善は、
あるていど可能だと思います!」ピシャリと、のり子。
「そうだな。のりちゃんの言うとおりだ。
善処するさ。江戸屋の開発部に顔を出してくる」
「さすがは戸井さん、話がわかる。
小さな改良の積みかさねは、製品生き残りの秘訣だと、
歴史が証明していますもの(もぐもぐ)」のり子はBガムを口に放りこんだ。
戸井が出かけたあとの、静かな事務所内。
社長とのり子は、それぞれのデスクについて、
プリントアウトされた書類の束を査読していた。
モニターから寄せられた新製品の企画書や提案書だ。
そこから、一歩踏み込んだ試作品なんかもデスクに積まれていた。
静寂をうちやぶるように、けたたましい声をあげて、のり子が笑った。
手のひらに乗せたおもちゃを提示して見せる。
「キャハハハ。社長、これおもしろーい!
<ぷかぷかクジラ>
製品化したらちょっとした利益を見込めそーう」
クジラをかたどった、10センチ大のプラスチック人形を手のひらに乗せて、
上司に見せた。
クジラの背穴に、細いセルロイド製のタバコをさしこんで火をつける。
すると、◎ケムリの 輪っか◎ が、ぷかぷか上がるのだ。
両サイドには取りはずし可能な浮き具がついており、水陸両用である。
こちらへ顔を向けたメガネスタイルの社長(書類を読むときはメガネをかける)。
彼女はクジラを見るや、否定形、はげしく首をふった。
「だめだめ。スモーキング・モンキーのいただきじゃないの。
実用新案にもなりゃしない。
◎輪っかケムリ◎ を出すタバコの方の発明ならいざ知らず。
そんなものは役立たず」
「特許系とは無縁かもしれない、
大きな利益も期待薄でしょううけど、
ガチャガチャ販売なら、口コミで火がつけば、広がっていきそうな予感アリ」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
いまの時代、火を使う商品は敬遠される。
結果、子供の購買層は排除されてしまう。
それ以外の年齢層を取りこめるかといえば、ムズカシイな」
「『ヒット作というのは常識の外から出てくる』・・社長の口癖じゃないですか」
「あなたが、どうしてもというのなら。
全責任を負う覚悟で、
プロジェクトを推進してもらってもけっこうよ。
そこまでの価値があるかな、この<ぷかぷかクジラ>に?」
「きっぱり取り下げまーす」宣誓ポーズでのり子(責任を負うのはヤだ!)。
「えーと、こっちはイケそう!
うまくいけば莫大な利益を上げると思われます」
「なに?」と社長。
「炭酸入り缶コーヒー」
「却下!」ニベもない。即否定であった。
「これこそ人類の待ちのぞんでいる飲料ではないでしょうか?」
「禁断の果実ね。
毎年、どこかのメーカーが挑戦しては討ち死にしている。
リーマン予想なみの難物。手を出さない方が賢明だわ」
「鴈保さんが本気出したら、
果実をもぎ取れそうな気がする。
焚きつけてみようかな!」
「あのね、彼は現在のところ新触感のガムで手いっぱい。
よけいなことはしないでちょうだい。ただ一点に集中していてほしいの」
「ところで・・
鴈保さん恒例の・・
むちゃな要求は・・いまのところなしですか?」