ブラインドフェイス社
東京の北西部。
いにしえと現代が同居し調和する、水に囲まれた旧 宿場町。
渡し舟という奥の手はあるにせよ、橋を渡らなければアクセスがむずかしい。
ゆえに一部の住人は・・「北千住は、東京のニューヨークである」・・と誇らしげに口にする。
そこから少しばかり外れた、昭和のたたずまいを残す路地の多い下町に、
ベンチャー企業『(株)ブラインド・フェイス』(通称BF社)は、
五階建ての雑居ビルのワンフロアを借りきって、事業を営んでいた。
この地域には、細い道をへだてて、二つの私鉄駅が存在する。
なぜか駅名はまるで違う。共通する文字すらない。
静かなる戦闘オーラを漂わせ、ツノ突き合わせるように存在していた。
『ブラインド・フェイス』の業務内容は、
大手メーカーからコンビニ、ファミレス、100円ショップ・・
・・果ては個人の依頼まで、
新商品や新メニューの企画・開発およびアイデアの具現化を請け負う。
社員の数は社長をふくめ五人。少数 精鋭 体制をとっていた。
逆に、アウトソーシング部門は多人数をかかえ、充実していた。
モニターから寄せられるさまざまなアイデアからチョイス・セレクト。
ニーズのありそうなユニークかつニッチなアイデアを商品化して、
ネットショップやアンテナショップで販売。
売り上げからロイヤリティーを支払う方式を採用している。
モニター(市井の発明家)の上位20%は、
小遣い銭を大幅に上回る金額をかせぎ出していた。
希少ながら、本当にイケる!と踏んだモノは、
社長の独自判断で企業に売りこんだ。
ヒット商品が出て、家のローンを一挙に完済した伝説のモニターも存在する。
BF社の製品を認知してもらうため、
日本で一番旧いといわれる浅草駅のレトロな地下街には、
自社開発のアイデア商品を置く、小さなアンテナショップを出店していた。
ショップの入り口では、
ケンペレン男爵考案のトルコ人を模した
チェス指し人形(1/2スケール・レプリカ)が、
ユーモラスな表情でお客を迎え入れていた。
現在のところ、業績は右肩上がり、
赤丸急上昇中の優良ベンチャーである。
B・F社の名を一躍高めたのが ━ 「食べられるガム」 ━ のメガヒットだ。
みなさんも一度は口にしたことがあるはず。
そう、一大ブームを巻き起こした ━ 『プラマナ』 ━ である。
ストリート名で「ABガム」または「キャラメルガム」とよばれている。
チョコレートの老舗である『江戸屋製菓』が、
チューインガムのガリバー『ロッタ』の牙城を切り崩そうと、
メンツをかなぐりすてて、
莫大な報酬とオプション付きでB・F社に依頼してきたものである。
結果、このバクチは 「吉」 と出た。
いまさら説明するのも野暮だが・・
新型ガム『プラマナ』は、タブレット・タイプである。
AガムとBガムの二種類に分かれている。
Aガムはごく普通のチューインガムで、
チクルや酢酸ビニールとは異なる原料を使用(詳細は企業秘密)。
噛み飽きたらBガムを口に入れ、Aガムと混ぜ合わせるように噛む。
すると・・「あら、不思議?」・・双方のガムが化学反応を起こし、
キャラメル状に変化を遂げて、食べられるようになるのだ。
画期的! ミラクル! ガムの新しい地平を開いた!
数多の賛辞が、食べられるガム『プラマナ』に寄せられた。
━ 『プラマナ』しようよ☆ ━
このキャッチフレーズは、
人気女性アイドル 笹森 汐 を起用したCMの効果もあって、
その年の流行語大賞に選出された。
『江戸屋製菓』の株価は上昇し、企業 価値は復活した。
依頼主の開発部長は重役へ出世をはたした。
江戸屋のもくろみは大きな成功を収めたのだ。
B・F社の名前もまた、業界内に広く浸透したのであった。
この商品の根本となるアイデアを生みだしたのは、
大卒四年目の26歳、
B・F社の若きエース ━ 開発担当の鴈保 である。
感情は豊かだが、表情にはさほど起伏のない人物だ。
鴈保の奇想 天外なアイデアを具体的な形にするのが、
戸井 五月 の役割である、
プロデューサー兼開発者と言ったポジションだ。
鴈保より十歳ほど年長で、社交性にもすぐれ、
ベンチャー企業『ブラインド・フェイス』社の精神的な支柱でもある。
ヒット商品のほぼ七割が 鴈保&戸井 コンビから生み出されていた。
盛夏が過ぎ去り、残暑も弱まりつつある季節の変わり目。
なんとなく気だるい・・午前9時。
八等身を誇る事務員の 宗像のり子 が、
ファッションモデルみたいな歩調で、
しゃなりしゃなり 各デスクに飲み物を置いてまわる。
窓ごしに外の景色をながめている女社長には、
大型の黒いマグカップとよく冷えたミネラルウォーターのペットボトルを。
戸井はシュガーレスのホットコーヒー。
鴈保は緑茶ホット。
欠勤者には・・腹痛誘発 請け合い・・
シャーベット一歩手前まで冷えたドデカミンボトルとストローを。
社長は背を向けたままだまってうなずき、
戸井は紳士的な態度で礼を言ってくれた。
ところが、鴈保ときたら、のり子を完全無視。
CDウォークマンで『原子心母』を聴きながら(mp3の音が嫌いだった)、
コミック本を呼んでいた。
まいどのことではあるが・・のり子は可愛らしく眉をひそめ、
唇をかみ、円らな瞳から「コンチクショウ光線」を放射する。
社長の 神崎 竜子 は立ちあがって、社員の方をふり向いた。
「きょうは、とてもだいじな話があります」
胸を張りキリッとした口調で言うと、各デスクを見まわす。
とたん・・眉間にシワを寄せた。
「六人部さんは、また欠勤なの?
かならず出社するようにと、ラインを入れたのに」
こめかみをヒクつかせる。
デスクの引き出しから胃薬(顆粒)を取り出し、
マグカップになみなみとミネラルウォーターをそそいで、服用した。
六人部さんとは、菓子等についているオマケ考案の鬼才だ。
一方、 日本でも指折りの腕前を誇るフィギュア・マスターでもある。
「一人 海洋堂」の異名を持つ。
社長以外は、敬意を込めて・・「六人部師」・・と呼ぶ。
そうとうな変人で会社には年に数度しか出勤しない。
在宅社員ではないのだが、どーゆーわけか、それがまかり通っていた。
ドデカミンを好み、一日に2リットル以上は飲む。
オマケ部門は彼が一人で担っている現実と、
三顧の礼をもって竜子社長がB・F社に迎え入れた経緯もあり、
めったなことで口出しはできなかった。
六戸部師が製作する美少女フィギュアは、
オークションで一体十万円以上の値がつく。
一本 独鈷でも充分やっていける人物であった。
どんな交渉をしたのか不明だが、
難攻不落と思われた六人部は、正式にB・F社の一員になったのだ。
社長の手腕に社員全員は驚かされた。
押しの強さ、引きのたくみさ、
魔術のような交渉力は彼女の独壇場だ。
美人であることも・・
・・交渉事を有利に運ぶ要素(切り札)となっている。
であるからこそ三十歳のときに独立して、
自ら立ち上げた「B・F社」を、
小規模ながらも優良企業に育て上げることができたのだ。
六戸部の加入によって、
食玩部門は、B・F社の強力な柱となったことは言うまでもない。
アンテナショップの一番人気は、
師製作のフィギュアであることもつけ加えておこう。
「しかたがない。六人部さん抜きで話を進めます」
言葉を切ると、表情を180°転換させた。
「みんな!ついにガムの最大手である『ロッタ』が、うちに頭をさげてきたわ。
依頼の内容は ━ 新食感のガム。
開発の期限は二年。
条件は破格。
予算もかつてないほど膨大。
ロッタの開発 部門も全面協力することを確約してくれた。
例の『プラマナ』のメガヒットで『江戸屋製菓』に大きく水をあけられてしまったからね。
追い打ちをかけるように[タバコのポイ捨て]の次は・・
・・[ガムの噛みポイ]をたたけとばかり、ある政党がのろしを上げた。
噂によると、どうも江戸屋サイドがロッタに次なるダメージをあたえるべく、
多額の政治献金をして、ロビー活動を依頼したらしいのよ。
メディアも政党の主張を妥当と判断、
テレビではニュース番組が特集を組み、ネットや週刊誌も尻馬に乗った。
ついには大新聞の社説にも、
[ガムの噛みポイ!をこのまま放置しておいてよいのか?]という記事が載る始末。
おまけに江戸屋が新しく立ち上げた洗剤 部門が、
絶妙のタイミングで『業務用ガム取り液』を発売。
好評を博し、世論を味方につけてしまう要領の良さ。
ガムの老舗にとっては、弱り目にたたり目。
ロッタの開発部長と広報部長は過疎地に飛ばされた。
後任の開発部長は就任するや、
早速、わがB・F社に白羽の矢を立てた。
上役や周囲を説得して白紙 委任状を取りつけ、
背水の陣を敷き、今回の契約に臨んだというわけ。
新任の部長には崖っぷちの迫力がみなぎっていた。
クライアントは本気よ!うちにとっても千載 一遇のチャンス!」
社長は強いブレスで歯切れよろしく、一気にまくしたてた。
各社員の反応をうかがう。
ある人物に視線が止まる。すると、またもや眉間にシワを寄せた。
「鴈保くん!いまの話、聞いてたかな?」
呼ばれた当人は、ヘッドフォンを耳に当て、プログレを聴き、
『巨人の星』<消える魔球 編>を真剣に読んでいた。
デスクの上には、ホルダーに立てかけられたCDケース。
ジャケットのホルスタイン牛が開発のエースを見つめていた。
「鴈保くーん?」
竜子社長の片眉がつり上がる。
彼女をつつむ空気が一変した。
事務員の宗像のり子が、両手をにぎりしめ、かたずをのむ。
「このやろー、GANBO!
ヒトが話している時は、しゃんと聞かんかい!しゃんと!」
社長は半分ほど水の入ったマグカップをすばやく手に取ると、
相手の顔めがけて投げつけた。
手加減などない。
マグは正確な軌道をえがき、標的の顔面にぶっとんで行った。
背後のカベに当たり、凄さまじい音を立て、粉々に砕け散った。
紙一重でよけた鴈保は、
特にあわてたようすもなく、コミック本を静かに閉じ、
ヘッドフォンをはずした。
「ロッタリーのカニバーガーは旨いよね」いつもと変わりない口調、表情である。
のり子はプっとふきだした。
戸井は見慣れた光景にやれやれといったポーズだ。
竜子社長はうなるように鼻をならした。
チェンジオブペース。
気を取りなおすと、社員一同に問いかける。
「なにか質問はありませんか?」
のり子がためらいがちに、手を上げた。
「あのォー、よろしいでしょうか?」
「どうぞ、宗像さん」
ひじ掛け椅子に腰をおろし、じまんの長い美脚を組んで、鷹揚に応える社長。
「新規 取引先との契約内容は、わかりました。
好条件だということも。
私が知りたいのは、勝算の方です。
食べられるガムの『プラマナ』は・・ある意味・・離れ業。
ガムの可能性の終着点だと思うんです。
ガムの鉱脈を掘りつくしたってゆーか。
『プラマナ』から、さほど期間もおかずに、
<新食感のガム>の開発が、はたして可能でしょーか?
失敗したときのリスクヘッジは?
なにか秘策でもあるんですか?」
久しぶりにお目にかかります。
さて、誰も気にしていないクイズの解答をば。
「聖林」プロダクションの読みは「ひいらぎ」でした。
ちょっとした頓智でございます。
おあとがよろしいようで。