選んだ天ぷらは、妹が揚げたものでした
買い物袋は俺が全て持ち、真里の機嫌を取りながら帰宅した。玄関に着く頃にはほとぼりが冷めてくれたが、真里だから許してくれたのだと思うと頭が上がらない。
「ただいま」
「お邪魔します」
2人で家の中に入ると、階段をパタパタと下りてくる足音が聞こえた。
「にぃ、おかえり。真里ねぇも、おかえり」
感情の起伏に乏しい声音で出迎えてくれたのは、三悠だ。
「真里ねぇ、今日の夜ご飯は、何?」
「天ぷらよ」
「天ぷら……、まだ作ったこと無い。作り方、教えて」
「いいわよー。自炊もできないお兄ちゃんみたいにならないように、たくさん練習しましょうね」
「ん」
俺はわざわざ蔑まれなければならなかったのかと疑問を抱かざるを得ない。
三悠はいつでもテンションが低いが、やる気や情熱が無いわけではない。低燃費な性分と表すのが近いだろうか。
天ぷら調理への期待が高まっているのか、半眼の奥ではキラキラと楽しそうに気持ちを高鳴らせている。早く早くと急かす小さな手で、真里の制服の袖口をちょこんと摘まんでいた。
真里は三悠の頭に手をポンと置き、ショートボブの灰髪をそっと撫でつける。
「はいはい、分かったからまずは着替えさせてね。三悠ちゃんもまずは着替えましょう」
「らじゃー」
三悠は返事をしたと同時に、玄関で中学の制服を脱ぎ始める。
「まっ、待って! 部屋に行ってから脱ぎましょう! 悠一が見てるわ! いくら兄妹でもそれはダメ! あぁ! あぁーっ!」
1人騒ぎ立てる真里を無視し、買い物袋を持ったまま台所へ向かった。
******
母親に食材を手渡すと、晴れて俺の役割は終了した。あとは晩飯ができるまで時間を潰すだけだ。
俺は押し入れの戸を開け、段ボール箱を引きずり出す。中には幼少期から遊び倒してきた玩具などが入っている。
不要な物を捨てて手持ち品を整理するべく、無くても困らないと判断した物を次々と取り出していく。するとその中にあった、1枚の紙に目が止まった。
「なんだ?」
拾い上げ、4つ折りにされたそれを丁寧に開く。
『しょうらいのゆめ。6年1組 灯賀真里』
現れたのは、小学生の頃に書いた作文だった。
『わたしは将来、すてきなおよめさんになりたいです。大好きな人に、いろんなご飯を作ってあげたいです。』
拙い文字で書かれた思いは、幼い頃の真里の夢。
『ご飯が美味しいと、みんなが幸せになれるってお母さんが言ってました。お母さんのご飯は美味しいです。お父さんにいっぱいお弁当を作ったから、お父さんになってくれたって言ってました。』
クラスで発表し合ったであろう時の記憶は全然残っていないが、小学生の真里がこの文章を読み上げる姿は容易に想像できた。
『ご飯を美味しいって言ってくれる人とけっこんしたいです。』
幼いながらもすでに綴っていた、今の真里を形作っている確かな気持ち。
偶発的にとはいえ一方的に真里の心を覗いてしまい、俺の中に何だかよく分からない気持ちが込み上がってくる。
この気持ちは何だろうか。判然としないが、この作文はどうするべきだろう。
作文を
☆元の場所へ戻す 80%
机に置く 20%
「……いや、真里も今さら小学生の時の作文なんて掘り起こされたくないだろうし、これは戻しておこう」
段ボール箱の中へ静かに戻す。
俺が読んだと知られたくもないので、このことはずっと黙っていようと誓った。
あらかた整理し終えた頃に、三悠が部屋の扉を開ける。
「にぃ、そろそろできる」
「分かった、すぐに行く」
2人で階段を下りてリビングへ行くと、テーブルの上に多くの器が並べられていた。先ほど購入した食材で作られた天ぷらが盛り付けられている。
「悠一、あんたも配膳くらいはできるでしょ。茶碗とか持っていってちょうだい」
「へいへい」
真里にあごで使われ、盆にごはんや味噌汁を乗せて運んだ。箸休めの副菜も配り終えたところで父親が帰宅し、5人が椅子に座りテーブルを囲む。
「いただきます」
食事開始の挨拶を父親に続いて4人で唱和する。各々が箸を伸ばし、お好みで天つゆや塩をつけて口に運ぶ。
「うん、旨い」
自然と感想が漏れでた。塩を微量まぶしたエビ天は衣がサクサクしており、身はプリッと弾力がありつつも柔らかい。
「でしょう。なんてったって、揚げ加減が絶妙なんだから。味わって食べなさい」
真里はドヤ顔でふふんと鼻を鳴らしている。今食べたのは真里が揚げたものらしい。
そこでふと、先ほど見つけた作文を思い出した。幼少期の真里は、美味しい料理を作れるようになりたいと願っていた。その先にある、幸せな家庭像を夢見ているが故の願望だ。
たまにこうやって真里の作る料理を食べるが、すでにその願いを叶えられるだけの腕前になっていると感じる。それは幼い時から現在まで、努力を怠らなかった努力の結晶。
ここは1つ、真里の思いに応えるべきではないだろうか。
ーーしょうらいのゆめ。6年1組 灯賀真里ーー
……いや、一方的に心を覗いてしまい多少の罪悪感もある。恥ずかしがりそうな過去の話は掘り返すべきではないと、先ほど誓ったばかりだ。
結局俺は、考えたことを口にしなかった。
気持ちを誤魔化すように味噌汁をズズッとすすり、再びエビ天を箸で掴み取り皿に乗せる。
「あっ」
すると、三悠が小さな声を出した。
「どうした」
「それ、あまり上手くできなかったやつ。エビは、難しかった」
失敗して多少は落ち込んでいるのか、半開きの瞳がさらに閉じられている。声も元気が無い。
「それはわたしが食べる。にぃは、別なの食べて」
俺の取り皿へ三悠が箸を伸ばす。失敗作を食べられたくないらしい。
けれど俺は、三悠よりも先にエビ天を箸で掴んで口に運んだ。
「!」
驚く三悠をよそに咀嚼する。
確かに先ほど真里が揚げたものを食べた時と違い、食感に大きな差があった。衣はサクサク感がまったく無くペタリとしており、噛む度に油が染み出してくる。
「にぃ、美味しくない、でしょ……?」
「正直……微妙だ」
嘘を言って褒めたところで三悠は納得はしない。ここは素直な感想が得策だ。
「油の温度が低いって、真里ねぇが、言ってた」
「食材によって適温は変わってくるのよ。他の天ぷらは上手く揚げられただけに、あたしも油断してたわ」
真里も若干申し訳なさそうな声で監督不足を明かす。
俺は三悠の頭にポンと手を乗せる。
「なぁ三悠、始めっからいろいろできる女の子も素敵だけど、失敗を乗り越えて成長する女の子も素敵なんだぞ。失敗を知っていれば、成功した時に成長したんだなって喜べるじゃないか。お兄ちゃん的には、そっちのほうが楽しみだ」
頭を撫でると、指の間から細い髪がサラサラと流れた。三悠の表情もだんだんといつもの半眼に戻ってくる。
「にぃは、おんなたらし?」
「人聞きの悪いことを言うな。せいぜい、妹たらしだ」
「うん、たらされちゃう」
三悠は俺の手に両手を添える。
「ありがと」
触れ合った肌はとても暖かく、柔らかな笑みは心をもっと暖かくさせた。