声を出せない同級生
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丘の上に校舎を構える御崎高校は、時間ごとに様々な風が吹き抜けていく。近くにある大きな湖からは涼やかに、活気溢れる町からは暖かに。そして昼休みの今は、森から優しい空気がやってくる。
「ねぇ、今日は中庭でお昼ごはんを食べない?」
午前の授業が終わったタイミングで、真里が弁当箱を片手に持って歩み寄ってきた。
「あぁ。ようやく雪も溶けたし、久々に外で食べるか」
俺は頷いて立ち上がる。するとその時、教室の扉が開いて女性徒が声をかけてきた。
「真里ー! 一緒にごはん食べよー!」
扉の近くに立つ女性徒は2人いて、真里を昼食へ誘い出そうとしているようだ。
真里の友達だろうか。2人の顔くらいは知っているが、俺はべつに友達というわけではない。
「ど、どうしようか……」
真里は戸惑いがちな視線を向けて来る。全員の望みを叶えるだけならば、全員で一緒に食べればいいだけだ。けれど女性徒の2人は、友達でもない異性の俺はお呼びではないだろう。
となると、女性徒の誘いを断らせて真里と昼飯を食べるか、俺が身を引くかのどちらかとなる。
さて、どうしようか。
中庭へ
真里と行く 25%
☆1人で行く 75%
「俺はいいから、あちらさんを優先させてやれ」
女性徒に気を遣い、俺は身を引く旨を伝えた。
真里は多少悩みながらも、しぶしぶ承諾する。
「分かったわ。じゃあ、明日は必ず一緒に食べるわよ! 絶対だからね! 約束したからね!」
一方的な約束を取り付け、教室の入り口付近で待っていた女性徒2人のもとへと駆けて行った。
3人が雑談を交わしながら廊下へと消えていくのを見送り、鞄から弁当箱を掴み出して立ち上がる。
「青空の下で食べる昼飯なら、1人でも旨いから申し分無い」
廊下に出て、真里達が消えていった方向とは逆の向きへと歩き出した。
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生徒用玄関の入り口の反対側には、中庭へと出ていけるガラス戸がある。
上履きを下駄箱に入れて替わりに外靴を取り出し、ガラス戸を開けて外靴を履く。
「絶好の外飯日和だな」
日差しは春の陽気そのままの暖かさを降り注ぎ、木々の優しい空気が頬を撫でる。
勉強で疲れた頭が癒されていく。これだけでも足を運ぶ価値があるというものだ。
中庭には木陰やベンチがいくつもあり、複数人が集まっても場所の取り合いになることはほとんど無い。
俺はゆっくりと歩きながら、中心に一際大きくそびえ立つ桜の木へと近付いた。
「よいせっと」
木に背中を預けて座り込む。あぐらを書いた足の上で弁当箱を広げると、そよと風が吹いて桜の花びらが弁当に彩られた。
「風流溢れるこってまぁ、俺にはもったいねぇな」
両手を合わせ、いただきますと心中で唱える。まずは何から食べようかと考えながら箸を手にしていると、1羽の鳥が膝に降り立った。
なんだなんだ、ずいぶんと優しげな光景だな。
などと悠長に構えていると、鳥は弁当箱の中からミニトマトを器用についばんで飛び立った。
「うぉいマジかよ!」
突然の窃盗に驚いて立ち上がる。反射的に、鳥を追いかけようとした。落ち着いて考えれば飛び立った鳥に追いすがるなんて無謀にも等しいが、一瞬の出来事ではそんなことを考えている余裕も無い。
そして鳥ははるか上空へと飛び立ってしまう……かと思いきや、桜の木を半周しただけで追いかけっこが終わる。俺の目には、鳥と不思議な光景を映し出されていた。
桜の木のちょうど反対側に位置するそこには、1人の少女がいる。
先ほど座り込んだ時には気が付かなかったが、おそらくはずっとここに座っていたのだろう。木にすっぽりと隠れてしまうほどの華奢な体は、美しく整えられた正座で風景に溶け込んでいた。
鳥が少女の太ももに降り立ち、ミニトマトを譲り渡すかのように弁当箱へポトリと置いた。少女はミニトマトに視線を注いだ後、唐突に現れた俺にゆっくりと顔を向ける。
「ーーーー」
無言で向けられる意思の強そうな瞳は、何かを見通すように俺をじっと見つめていた。肌は木陰にいても分かるほど、陶磁器のように白く華麗。けれど1部だけその肌を隠すように、首に白いだけのシンプルなスカーフが巻かれている。もちろん制服の一部にネッカチーフなどというパーツは無い。
少女は俺の観察を終えたのか目線を外し、制服のポケットから手帳を取り出してボールペンを走らせ、
『ミニトマトはあなたの?』
と書いて流麗な字を見せてきた。
「……あぁ、そうだ」
突然の筆談に面食らってしまい反応が遅れたが、何とか声を絞り出して返答した。
少女は小さく嘆息をつき、再び手帳に何事かを書く。書き終わると、鳥に見せつけるようにかざした。
『人のものを盗ったらダメ』
そんな言葉を鳥に見せたところで理解できるのだろうか?
などと疑問を思い浮かべている俺には構わず、指先で責めるように鳥のクチバシをつついた。
続いて俺に、左手で手帳をかざす。
『ごめんなさい』
右手は少女の弁当箱へもたらされたミニトマトをつまみ、返すという意思表示のもとに手帳の隣辺りまで持ち上げられた。
「べつにきみが悪い訳じゃないんだから、謝る必要は無いさ」
俺は優しく笑いかけ、不必要な責任を抱いている少女からミニトマトを受け取る。
そして、1つの提案を持ちかけた。
「なぁ、一緒に昼飯を食わないか?」
『よろこんで』
少女は先ほどから表情の変化がほとんど見られないため、とてもじゃないが喜んでいる風には見えない。けれどすぐさま文字を書き出し、昼食の同席を受け入れてくれた。
隣に座った俺に手帳をかざしてくる。
『私は、池みぞれ。あなたは?』
「俺は坂衣悠一。クラスは違うけど、同じ2年だよ」
『私を知っているの?』
「知ってるってほどは知らないかな。けれどまぁ……その……」
そこまで言いかけて言葉に詰まってしまった。
この少女……池みぞれは、声を出さずに筆談で会話をするという話が有名だ。けれどその理由は定かではない。
ミステリアスな雰囲気と見目麗しさが合わさり、校内ではちょっとした有名人となっている。とは言え、そんな事情をつまびらかに語っていいのだろうか。
明らかに会話に不自由な筆談を行っているのに、その理由までは伝わっていない。それはつまり、池が情報を意図的に伏せている証拠だ。
理由を述べたところで困らせてしまうだけだろう。
だが池だって、筆談自体の物珍しさは自覚しているに違いない。ならば逆に、ここで触れないほうが不自然なのか……?
どうしよう。どうすればいい。知っている理由を語るため、
俺は筆談に
☆触れる 80%
触れない 20%
「筆談する生徒なんてのは、少なくとも池1人しか知らない。名前を知っている人は結構いると思うぞ」
『そう』
「まぁ、有名ってのも良し悪しはあるよな。とりあえず、細かいことはお互いに気にしないでいいだろ。俺は筆談の理由を無理に聞き出そうとは思わないし、池も俺に対して筆談で何かを思い煩う必要も無い」
『分かった』
「そうと決まれば飯だ飯。じゃあ改めまして、いただきます」
俺が両手を顔の前で合わせて昼食再開の合図をすると、池も両手を合わせてこくりと頷いた。
通常であれば会話を弾ませながら食事を楽しむものだが、池はボールペンと手帳を持たなければ言葉を伝えられない。今は弁当箱と箸で両手が塞がれているため、会話などできそうになかった。
俺も言葉を紡げない池に合わせ、無言で咀嚼を続ける。
するとご飯を半分ほど食べた池が、弁当箱と箸をそっと置いた。
『会話が無いと、楽しくないでしょう? ごめんなさい』
ゆっくりとかざしてした手帳には、そう書かれている。顔も少しばかりうつむき気味だ。
「いきなりどうした。楽しくないなんて言ってないだろ」
『でも、楽しそうな表情もしてない』
それは図星だった。
けして池との食事を嫌だと思っているわけではないが、会話が無ければ表情筋が動く機会が無い。俺は無言の無表情で昼飯を食べ進めていた。
けれど本当に、マイナス面の感情は一切抱いていない。どうすればこの気持ちを伝えられるだろうか。
俺は頭を回し、心に点在する気持ちを1つずつ拾い上げる。
「あーっとなー……、確かに楽しそうな表情はしてなかったかもしれん。けど、嫌なら嫌な顔をする。そもそも筆談のことは知っていたんだから、会話を求めてたんなら一緒に食ってない」
『なら、どうして誘ってくれたの?』
「そりゃあたまたま偶然と言うか、運命のいたずらと言うか、鳥のいたずらと言うかってところだな。だけどべつに、理由が無かったら誘っちゃダメってこともないだろ」
『そうね』
「それに池だって、よろこんでって返事をくれた時はほとんど無表情だったぞ」
『そ』
池は自身の無表情を指摘され、ボールペンの動きが止まった。かろうじて『そ』と書いた後、ゆっくりと時間をかけて『それは』と続ける。けれど以降の文章はいつまでも書かれなかった。
「なら、本当は喜んでなかったのか?」
『そんなことない』
たたみかけるように問いかけると、今度は間髪入れずに否定する。
「ほらな。たぶんだけど、声を出さないと表情の変化が少なくなるんだよ。池を見てたら分かる」
例えば「楽しい!」と表現する時も、友達と面と向かって会話をしていたら表情も楽しそうに変化する。けれど同じ内容をメールでやり取りすると、無表情で文字を入力するものだ。
声を出すかどうかは、表情の変化に大きな影響を与える。
「むしろ、俺が池を不安にさせたならすまなかった。会話しながらじゃないと飯を食べちゃいけないなんて決まりは無い。もう1回訊くけど、一緒に昼飯を食わないか?」
先ほどと同じ問いかけ。けれどお互いに少しだけ、わだかまりが解消されている。
池は手帳をペラリとめくり、丁寧に気持ちを書き出していく。
『よろこんで』
先ほどと同じ返事で、先ほどと同じ無表情。けれど俺を見つめるつぶらな瞳は、嬉しそうに煌めいている気がした。