声無き気持ち
受付に戻り、池が達成記念の景品が入った小包みを受け取った。ひとまずは休息をしようと提案し、近くにあった長椅子に座る。
「いやぁ……、クリアできるとは思わなかったなぁ……。最後はマジで賭けだった」
スライディングして通過できる隙間があったから良かったが、もう少し狭かったら通り抜けられなかった。咄嗟の判断で勝利した自分を褒めてやりたい。
だが、褒めるならやはり池だ。平均台ではトラブルが起きたが、それまでの走力や知識は圧倒的だった。特に、クイズを瞬時に答えたのは時間に大きな余裕を作れただろう。
「紆余曲折あったが、景品を貰えて良かったな。お疲れさん」
隣に座る池と勝利を分かち合うべく顔を向ける。ところが、池は少しばかり顔を伏せていた。
「ーーーー」
透明な視線を自身の足に向けている。いつもの無表情ではなく、何となく落ち込んだ横顔に見えた。
「池?」
不思議に思って問いかけると、ハッと体を微動させてこちらに振り向く。
『お疲れさま』
短く返事を書くと、続いて多くの言葉を書き連ねた。
『私が頑張れば大丈夫などと言っていたのに』『結局はあなたに助けてもらった』『ありがとう。それと、ごめんなさい』
3ページに渡る文章を、池がゆっくりとめくり進める。
「俺だってやる気はあったし、体も動かせて楽しかったよ。謝る必要なんて無い」
『自信満々に宣言して、足を踏み外した』『私は自分が恥ずかしい』
「いくら得意分野でも、たまに失敗する時くらいあるだろ。そんなに自分を責めるなよ」
『今後の戒めとする』
「……そっか」
こんな時、俺は何をしてやればいいのか分からない。例えば相手が妹の三悠ならば、頭を撫でるくらいはしたかもしれない。
けれど池は同い年の女子高生で、あらゆる面で俺より優秀だ。能力的に劣る俺が何かを言ったって効果は薄いだろう。
『今日は、いきなり無理を言ってごめんなさい』『そろそろ帰りましょう』
どうにも池は俺に遠慮しているというか、気を遣っているように感じる。
「あぁ、そうだな」
だから、このまま一緒にいるよりも、早く帰宅して別れたほうがいいと判断して同意した。
鞄を持って立ち上がり、池も立ち上がる。
しかし次の瞬間、池はくずおれるように再び椅子に座った。
「池!?」
座り方が明らかに普通ではなかった。不安感が胸を掻き立てる。
「……!」
池がわずかに顔を歪めた。その表情が痛みを堪える時のものだと察する。
「お前……! やっぱりどっか怪我をしたんじゃないのか?!」
イベントが終わってからは無表情で普段通りにしていたが、その直前までは平均台をゆっくりとしか歩けていなかった。ならば、無理をして平静を装っていたとしか考えられない。
『なんともな』
池は否定の言葉を書いていたが、途中で痛みが走ったのかボールペンを落として右手を足に添えようとした。
「くっ……、セクハラかもだが許せ!」
俺はすぐにしゃがみ込み、池が右手を添えようとしたのであろう右足のジャージを捲る。
少し筋肉質だが細くて白い足。しかしくるぶしの辺りだけが、赤みを帯びていた。
「ほらみろ! 打撲してたんじゃないか!」
怒りを乗せた口調で池を責める。
「ちょっと待ってろ! 冷却材を買ってくる!」
池は何かを書こうとしていたが、まずは手当てが優先だと判断してその場を立ち去った。
運動場ということもあり、受付横にはスポーツ用品などの売店がある。
その中から冷却シートを選び、購入してすぐに戻った。
「とりあえず、ジャージの裾を捲ってろ。話はそれからだ」
有無を言わさずに指示を出し、晒け出された右足のくるぶしに冷却シートを丁寧に貼る。応急措置程度でしかないが、今はこれぐらいしかできることがない。
ひとまずはこれで大丈夫だろう。
「何で黙ってたんだよ」
少しだけ眉根を寄せ、視線で非を責めた。
『この程度は、軽傷だから』
「軽傷でも伝えてくれたってよかっただろ」
『あなたに、不要な心配をさせたくなかった』
「その結果こうやって心配されてるんだから、逆効果だったな」
「ーーーー」
反論すると、池は何も返せなくなったのかボールペンを止める。
「なぁ、池。どうにもお前は俺に変な気の遣い方をしてるよな」
『それは』
池は3文字だけ書き、言葉を続けるか迷った素振りを見せた。一瞬だけ俺の顔に視線を向け、まぶたを少し伏せて文字を書く。
『それは、ただでさえ迷惑をかけているから』
「……は?」
書かれた言葉の意味が分からず、疑問の声を上げてしまった。
『私は、筆談でしか話せない』『会話が煩わしいでしょう?』
迷った末に表された思い。それは、声を出せない者にしか分からない悩みだった。
確かに筆談は、声での会話に比べると一段とめんどくさい。時間はかかるし、少しでも離れていると読めない。本人も大変かもしれないが、付き合う人間も大変だ。
池はずっと、その不便さを気にしていたのだろう。それが抱えていた遠慮か。
「筆談は面倒だ。それは誤魔化しようもない事実ではある。けどな、俺はべつに嫌だともなんとも思っちゃいない」
『どうして』
「理由を訊かれると困る。だが筆談なんてのは、池みぞれという人物を構成する1つの側面でしかない。俺は筆談に付き合ってるんじゃなくて、筆談をする池みぞれに付き合ってるんだ」
『?』
池は言葉の意味が分からないと、クエスチョンマークを書くと同時に首を傾げた。
「池はおとなしくて、無言を気にしなくても済んで、容姿端麗で目にも優しい。筆談が面倒だからと言って、池を嫌うなんてそんなおかしな話は無い」
一緒に昼飯を食うようになってまだ1週間ほどの仲でしかないため、知っていることは多くない。
それでも、人間としてとても好感を持てる相手だと思っている。それと同時に、筆談1つで気を遣われるのは納得がいかない。
「煩わしいかもしれない。面倒かもしれない。けれど、そんなどうでもいいことで気を遣うな。池に気を遣われると、逆にどうすればいいんだろうと俺が気を病むぞ」
真っ直ぐに池の瞳を見つめて告げた。池は少し困惑気味に、迷うように何度かボールペンを手帳に当てた後に、言葉を書く。
『それは、理不尽』
「理不尽はお互い様だ。だから、いいんだよ。お互いに帳消しで丁度いいじゃないか」
池の胸中にわだかまっていた煩悶を否定した。これで本当に、ようやく同じ位置に立てたのだと思える。
「ーーーー」
こちらを見返してくる視線には、先ほどまでの戸惑いはもう無い。陶磁器のようないつもの無表情に戻っている。
そして、手帳に視線を落とすと短い言葉を書いた。
『嬉しい』
ありがとうという感謝でも、ごめんなさいという謝意でもない。池が心から紡いだのだと分かる、純粋な気持ち。
「おう、俺も嬉しいよ」
俺の気持ちが伝わってくれたのだと分かり、同じ言葉を返す。
無表情で透明な瞳の友達は、同意を返したその一瞬だけは暖かく微笑んでいるように見えた。




