メメント・モリ
初投稿です。つたない文章ですが、読んでいただけると幸いです。
高校二年に進級したばかりの頃、転入生がやってきた。都会から来たその転入生は夏が始まったというのに冬のような装いをしていた。漆黒の美しい髪を持ち、淡い緑色の瞳をした少し変わった雰囲気の少女だった。
「はじめまして。ボクは清水川翡翠。ボクは高校卒業までには死ぬ予定だから最長でも二年弱の間だけだけどよろしく」
転入生が投げた爆弾が教室の空気を破壊した。自己紹介前はワクワクドキドキしていたクラスメイトたちも清水川の言葉で凍り付いていた。
これが冗談っぽい口調であったならば、流せたかもしれないが清水川は本気で言っていることが態度や口調から誰もが理解した。それが余計に清水川翡翠という人間をクラスから浮いたものにした。
それでも田舎の学校だからか転校生というものが珍しいらしく、強メンタルなクラスメイトは清水川に話しかけ、清水川も普通に受け答えをした。最初のインパクトこそ異質だったが、話してみると意外に良い奴だった。普通に笑うし、普通に怒る。少なくとも転入初日に行われたあの自己紹介の印象とはかけ離れた普通の奴だった。
一学年一クラスしかないど田舎の高校だったおかげか清水川はすぐに馴染んだ。俺はとりわけ仲良くなったわけではなかったが多分なんだかんだでこの不思議な転入生を受け入れていた。
そして、夏休みが訪れた。この年の夏を俺は未だに思い出す。不思議な転入生と過ごしたたった一ヶ月の思い出を。
***
「あつい……ものすごくあつい…」
長い黒色の髪を後ろで結った、季節感のない長袖のパーカーを着た少女がか細い声をあげました。転入生の清水川翡翠。俺にとっては少し話すだけのクラスメイト。
その少女と俺は学校に来ていました。夏休みだというのに何故こんなことをと思ったが、クラスで飼育している兎の面倒を交代で見ることに決まったからだ。
二人一組で毎日世話するために赴いているわけなのだが、俺は何故か清水川とペアを組まされた。
「暑いならパーカーを脱げばいいだろ?」
「個人的に半袖キャラは好きじゃないんだよなぁ」
そう言ってテキパキと飼育小屋の清掃をする。清水川は必要以上に人に近づかない。俺も適度に人と距離を置くタイプなので清水川と一緒にいるのは心地いい。お互いに何処か線を引いて、当たり障りのない会話をする。その生温い空気が妙に落ち着く。価値観は合わないが。
「清水川は本気で死ぬ気なのか?」
「死ぬよ」
「そう」
何度目かわからないがいつもと同じ質問を投げかけた。帰ってくるのはいつも通りの短い返答だった。兎に餌をやりながら、清水川は俺に質問をしてきた。
「西園寺くん。君は君が生きている理由を知っているかい?」
「知らない」
「意味があると思うかい?」
「意味はある。絶対に価値のないものなんてない」
「君とは分かり合える気がしないなぁ」
清水川はボヤいた。でも、それは俺のセリフだ。俺と清水川では命に対する考え方や価値観が全く合わない。
「清水川、実は病気で余命一年とかではないんだよな?」
「違うよ。君は漫画読みすぎだね。ボクはねぇ自殺するの。だから、これは最後の思い出づくり」
俺は自殺とか嫌いだ。尊い命を自分から捨てる行為に嫌悪感を覚える。
「ボクは満たされたら死ぬんだ。死ぬんだったら最後の思い出くらい幸せで溢れたものがいい」
そう語る清水川の表情は穏やかな笑顔で、とても、死にたいと宣う奴がするような顔とは思えなかった。だから余計に俺は清水川が歪に見えた。
「君は霧宮梓を知っているかい?」
「知らない。有名人?」
「違うな。だが、この街の出身と聞いた。だからボクはこの街に来たんだ。あの人が好きだったこの場所を一度見ておきたかったんだよ」
霧宮梓。どことなく聞き覚えがある気がしたが、それがどこだったかわからなかった。
「では、ボクは寄るところがあるから先に帰るよ」
いつのまにか作業を終わらせて、帰る準備すらも済ませていた。口と手を両方同時に動かせる器用な奴らしい。俺は対して器用ではないので途中から作業を止めていた。
お陰で飼育小屋の鍵を返しに行くはめになった。まあ、どうせこの後図書室に寄る予定だし構わないのだが。
俺はさっさと残りの仕事を終わらせて飼育小屋を後にした。来た時よりも日差しが強い。どこぞのパーカー少女が熱中症で倒れてないか心配になったが気にしないことにした。
どう考えてもこのクソみたいに暑い夏に長袖を着る方が悪い。
戸締りを確認して、靴を履き替え職員室に向かう。職員室の中は空調が効いていて火照った身体を冷やす。その冷たさが心地いい。鍵を返して、図書室の鍵を借りる。
夏休み中は図書委員もしくは先生が鍵を開けているので、図書委員の俺はこうして、自分の気分の乗った時に図書室を開けることができる。随分と役得だと思う。
階段を登って四階まで行く。四階の隅の教室。鍵を開けると生温い空気が流れてきた。その空気を不快に思いながら、慣れた手つきで空調を入れる。効き始めるまでしばらくかかりそうだ。
なんとなくさっきの清水川の言葉が気になり、図書室に置かれたノートパソコンで調べてみた。霧宮梓という名前の人物を。
「なんだ……これ…」
数年前、病院で飛び降り自殺をした少女の名前が霧宮梓だった。この村の近くの病院で自殺した霧宮梓という少女は清水川の言うようにこの村出身だった。何故自殺したのかは不明だが、ネット上の噂では殺されたのではないかとも実しやかに囁かれていた。
「ほんとわけわからん……」
おそらく清水川はこの霧宮という名前の人物と知り合いだったのだろう。でないと、あんな言い方はしない、『あの人の好きだった街』。どこで知り合ったのか、どういう関係なのか聞いてみようと思う。俺は久し振りに他人に興味を持った。
「聞く前に予想を立ててみようか」
探偵気分で調べようとしていたら、ひょっこりと見知った顔が突然出現した。
「なんの予想?」
短く切りそろえられた茶髪を揺らしながらソイツは尋ねてきた。
「突然現れるのはやめろ。心臓に悪い」
「驚かせるには突然現れないとでしょ?」
「何故驚かせる必要がある……」
幼馴染の、といってもクラスメイトの大半は幼馴染なのだが、鈴咲はいつもこんな風にニコニコ笑顔を引っさげて驚かせにくる。
そして、平然と人の踏み込まれたくない部分にまで踏み入ってくる。お節介でお人良し。この村はそんな奴ばかりだ。だからこそ、コイツらとは違う空気を纏う転入生に興味を持ったのかもしれない。
俺は駄目元で鈴咲に聞いてみた。
「霧宮梓って知ってるか?」
「知ってるよ!彼方くんの亡くなったお姉さんでしょ!」
彼方くんというのは俺らのクラスメイトの時雨彼方のことだ。
「苗字が違うだろ……」
「確か離婚してたはずだよ。なんか不幸なことが色々と重なって結局分かれて暮らすことになったって昔彼方くんが言ってたよ」
そうだったっけと首をかしげる。すると、鈴咲は呆れたような表情を作った。
「相変わらず、人に興味を示さないね。それだから君は孤立する」
「俺はお前らみたいな無神経と違って他人のそういう込み入った事情には触れないようにしているんだよ」
鈴咲は俺が不機嫌になったのを察して話題を変えてきた。
「それで、何の予想をするの?」
俺は仕方なく事情を話し始めた。
「___というわけで清水川は霧宮梓のことを知っていた。たぶん清水川は霧宮梓の自殺について何か知っているはずなんだ」
「?梓さんは自殺したの?」
「ネットにはそう書いてあった。地方の新聞には隅っこにだけど少しだけ書いてあったから間違いなく彼女は自殺した」
俺の言葉にポカーンと間抜けに口を開ける鈴咲。
「自殺した少女と自殺志願者の少女。二人の間に何があったのか少し興味がある」
「なんというか意外だよぉ。誰にも興味を示さない、誰にも近づかない君がねぇ」
そうか、そうかと何度も頷く鈴咲に俺はイラってした。
「じゃあさ、私も協力してしんぜよう!」
「やめろ!お前と関わるとロクなことがない」
叫ぶと体力を使う。もともと体力の少ない俺はコイツのテンションについていけない。もうどうでもいいや。俺は諦めて静かに読書を始めた。というかもともとは本を読むために来たんだった。
***
あの日から数日後、俺と鈴咲は時雨彼方の家に来ていた。築百年くらいの古い日本家屋で、かなり大きい家だ。来ていたというよりも、俺は鈴咲に連行されてここにいる。さしずめ鈴咲が探偵なら俺はそれに振り回される哀れな助手くんだ。
「僕の記憶にある限りでは死んだ姉さんの話をする父さんは一度も清水川翡翠の名前を口にしていないよ。ただ、入院していた当時、『ヒーくん』って男の子とあともう一人、仲の良かった子がいたとは聞いた」
そう言って彼方は一枚の写真を見せてくれた。高校生くらいの少女が霧宮梓で、隣にいる手足に包帯を巻かれて片目も包帯で隠れている傷だらけの男の子が『ヒーくん』なのだろう。
男にしては少し長めの髪は老人のように白かった。包帯は薄ぼんやりと血が滲んで、紅かった。
「父さんに聞いた姉さんの話でははヒーくんは僕と同い年だっていってた。でも、清水川は『ヒーくん』ではないと思うよ。だって清水川は女だよ」
「そうだな。それに写真の子は白髪だが、清水川は黒髪だ。正反対もいいところだ」
「もう一人については僕は何も知らない」
迷探偵鈴咲は考える。そして、勢いよく叫んだ。
「わからない!」
それは知ってた。鈴咲は基本的に脳筋だ。考えるよりも行動するタイプの人間だ。そんな奴がまともな頭脳労働をするわけがない。そして、たどり着く先は結局決まっている。
「ヒスイくんに聞きに行こう!GOGO、LETS GO!」
そういうわけで、彼方も巻き込まれて清水川を探すことになった。色々と諦めた表情の彼方の顔が印象的だった。
俺たち二人の手を引く鈴咲は適当に突っ走り、突然止まった。そして、俺たちの方へ振り向き、首を傾げながら言った。
「ヒスイくんどこにいるかわかる?」
「知らん!」
「鈴咲さん少しは考えて行動してください……」
俺たち二人は揃って大きなため息を吐いた。
***
白色ばかりの味気ない部屋、鼻孔をくすぐる消毒液の匂い。入院してしばらく経つが未だに慣れない。『あの場所』がもう存在しないことや、施設に入れられること全部が全部ボクにとっては夢物語のようだ。
キツネかタヌキに化かされているのではとも本気で考えたりもした。けど、何度も目を覚ましてもボクのいる場所は真っ白な病院の一室で、この心臓は同じリズムで鼓動を刻んでいる。
「おはよー!ヒーくん」
相部屋だったこの部屋には先住民がいた。それは高校生くらいの女の人だった。ボクがいうのもなんなんだが、かなり変わった人だ。
「おは…よう、ございます……。梓さん」
どもりながらも、なんとかそう返した。この毎日のように行われる挨拶にも慣れない。
朝の『おはよう』昼の『こんにちは』夜の『こんばんは』寝る前の『おやすみなさい』。どの言葉もあの場所にはなかった。優しい笑顔もあの場所には存在しない。心の傷が開く。目に見える怪我はもう殆ど痛みを感じないけれど、何度繰り返しても心はいつも痛い。
「ゴメンねヒーくん。私には君と同じ年の弟がいるんだけど、両親が離婚して会えなくなってね、弟と同じ年の子を見るとついつい構いたくなるの。だから、君にもあの子にも本当に申し訳ないと思っているんだよ」
この人はボクがコミュニケーションを極端に取りたがらないのを理解している。それでも、構う。そういうところがボクには理解できない。気づかないフリをすればいいのに。そうすればなんの罪悪感を持つことなく振り回せる。『あの人たち』みたいに。
ボクはたぶん人形のような能面だったと思う。なんの感情も込められていない平坦な声で言った。
「別に構いませんよ。一つ聞いていいですか?あの子ってどんな人ですか?」
「君とは正反対の価値観を持った子だよ」
「そうですか……」
「うん、ヒーくん。ごめん」
謝られたって心の傷が癒えるわけでもない。この傷は生きてる以上癒えることなく深くなる。そして、いつかこの傷はボクの心臓を止める。『ゴメンね』の意味すら知らないこのボクは人よりも早くにこの傷に殺されるのだろう。
「ゴメンねヒーくん」
だから、なんでその言葉を使うの?意味わからないよ。なんでそんな顔をするの?今にも泣き出しそうな、辛そうな顔を。これじゃあ、ボクが悪いみたいだ。人との関わり方を知らない欠陥品のこのボクが。
「ヒーくんはやっぱり私と似てる」
似てないよ。誰かに愛されて育った貴方と誰にも愛されなかったボクとでは似るはずもない。
「メメント・モリって言葉を知っている?」
「知らない」
「『死を忘れることなかれ』って意味のラテン語だよ。この平和な世の中を生きている人は死を忘れてるんだ。明日が来るのが当たり前で、未来に夢を見るのが普通。でも、本当は違うんだよ。私も君も、笑顔で当たり前のように生きている誰かも、ひょっとしたら明日にはいないかもしれない。大事な誰かが明日もいっしょにいてくれるとは限らない。そんな不安定な世界で生きていることを私たちは忘れてはいけないんだよ」
何当たり前のことを言ってるんだろう?生きているものはいずれ死ぬ。それはわかりきったことだ。忘れるはずはない。少なくともボクはそうだ。物心ついた時にはすでに死に囚われていた。
「ボクは死を忘れない。忘れることができない。生きている限り明日死ぬかもしれない恐怖を胸に生きていくしかない」
「やっぱり君も死に囚われている。死ぬことに希望を持っている。だから、私はね死ぬの」
その顔がどこまでも記憶に焼き付いて離れない。梓さんの顔はひどく綺麗だった。言葉を失ってしまうほどに、ボクが始めて綺麗だと思った光景だった。
「頼みがあるの、同類の君にしか頼めない。ねぇ、私のことを殺して––」
***
ボクはそっと分厚い日記帳に触れた。歪なラテン語でメメント・モリと書かれた霧宮梓の日記。それと霧宮梓が生前よく読んでいた一冊の本。表紙に棺桶と十字架が描かれたボロボロの本。
「ほんと貴方は自由だ。だからボクは貴方が嫌いだったよ。ボクは最後に貴方とは違う道を選ぶから。霧宮梓」
彼女の墓の前で決別を告げる。それがボクの出した答えだった。彼女が空の向こうで嗤っている気がした。本当にムカつく。
「犯人は……オマエだー!」
「うわぁ!」
突然、背後から突進をくらい倒れる。その衝撃で手や足の傷が開いた。じんわりと血が流れ出ていくような感覚がする。悟られないように服の下の包帯を確認すると血が滲んで赤く染まっていた。
(よかった。今日着てきたのが黒色のパーカーで。白だったら確実にバレてた)
別に痛いくはないけど、傷だらけの汚い腕を晒したくないと思った。だから、無表情を顔に引っ付けて突き飛ばした犯人を見据えた。
「犯人とはいったい何のことですか?鈴咲さん」
立ち上がりながら問いかける。すると、鈴咲さんは八重歯を覗かせて得意げな表情になる。俗に言うドヤ顔だ。
この顔を見た瞬間、この人から事情を聞くことを諦めて、後方の二人に視線で訴えかけた。申し訳なさそうに頭を下げられた。何と言うか、かわいそうに見えた。
ボクと後ろの巻き添いくんたちが視線だけで意思疎通を図っていると、鈴咲さんが大きな声を上げる。
「霧宮梓を自殺に見せかけて殺した犯人だよ!」
人の質問にちゃんと答えることはできたようだ。でも、この答えはボクの地雷を踏み抜いた。
「それがボクだと、貴方は考えたんですね。たしかにボクは霧宮梓と知り合いですよ。でも、彼女が死ぬより前、たまたま同じ病院に入院していたってだけです。それに彼女が死ぬよりも前にボクは退院しましたから犯人にはなり得ないよ。それから––––」
纏う空気を変える。声を低くして言葉を紡ぐ。
「勝手な憶測で人の傷に触れるな!」
この言葉を吐き出すと同時に三人から離れようとする。けれど鈴咲の後ろにいた二人のうち一人が口を開いた。西園寺ではない方、時雨という名前の話したことすらない物静かなクラスメイトの声を初めて聞いた。
「君が『ヒーくん』なの?」
「そうだよ。霧宮梓にはそう呼ばれていたよ。霧宮梓の弟くん」
そして、今度こそお墓を後にした。
***
俺は珍しく困っていた。大抵のことはある程度器用にこなせる俺は困ることは人よりも少ない。人間関係は器用にこなせないが……。
現在俺を困らせている原因はクラスメイトで幼馴染の鈴咲だ。空気を読まず、人の触れられたくない部分に突撃することの多い馬鹿だが、今回清水川がやったように明確な拒絶をされるのは初めてだった。
俺は清水川は悪くないと思うのだが、鈴咲は泣きじゃくっていた。
「泣くな、鬱陶しい」
俺は鈴咲の頭を軽く叩いた。正直言ってイラついてます。
「人には触れて欲しくないことがある。必ずってわけではないけど。でも、今回は確実にオマエが悪い。そうでなくともいきなり犯人扱いはまずいだろ……」
「ごめんなさい……」
泣きながら謝った。けど、それが余計に俺をイラつかせる。
「俺にじゃないだろ。今回オマエが怒らせたのは誰だ?清水川だろ?だったら謝りに行け!さっきまでの行動力はどこに行った!」
「う〜、付いてきて……」
よっぽど清水川の剣幕が怖かったのだろう。たしかに傍観者の俺ですら恐怖を感じた。あの状態の清水川に話しかけれた時雨はある意味すごいと思う。今は勇気を使い果たしたのか震え上がっていた。
「付いて行くから、だからちゃんと清水川に謝れ。その後霧宮梓について聞いてみよう」
「彼方くんもついてきて……」
「わかった。僕も姉さんについて聞きたいし」
そして俺たちはまたこりもせずに清水川に突っかかりに行った。たぶん人形のような冷たい目でさっきみたいに睨むのだろう。
***
河原で黄昏る清水川の姿を発見した。一切感情のこもっていない瞳で空を見上げていた。
鈴咲は清水川に全速力で駆け寄り、墓でのくだりと同じように背後から追突した。そして、物の見事に清水川を吹っ飛ばし川に落とした。
俺と時雨が急いで駆けつけると、清水川の周りの水がほんのりと赤色に染まっていた。よく見るとその赤色は清水川の足や腕から出ていた。
血だった。
「あー、ちょー痛い…」
川に尻餅をついたまま、清水川は感情のこもらない声でそう言った。まるで痛いなんて思っていないみたいだ。それが気味悪く感じた。
「よかったね、ここが日本で。もしアマゾンとかだったらボクはピラニアに食べられて死んじゃてたよ。よかったね、殺人犯にならなくて。十字架を背負わなくて」
「ご、ごめんなさい!」
「別に謝らなくていいよ。大方霧宮梓について知りたいんだろ。だから懲りずにまたきた。本当にいい加減にしろよ!人の心に土足で踏み入るな!」
物凄い剣幕だ。正直言ってさっきよりも怖い。
「西園寺くんも、なんでこの無神経な人に話しちゃったかなぁ?」
「スマン」
「これじゃあ君に話した意味がないだろ……。君は痛みを知る人だから表面的にしか関わらないだろうと思って話したんだ」
俺一人ならたしかに表面上しか関わらないな。下手に深入りして傷つきたくないから。
「この傷は隠したかったけどもういいや。これ以上追突されるのも嫌だし、話すよ。霧宮梓のこと。そのかわり、ボクが目的を果たすのを手伝ってもらうよ」
俺たちは静かに頷いた。そして、清水川の後ろに並んで歩いた。
***
連れてこられたのは清水川の家だった。清水川はアパートに一人で暮らしていて物の少ない殺風景な部屋だった。ずぶ濡れの清水川が取り敢えず着替えている間俺たちは沈黙を保ちながら正座していた。
そして、暫くののち清水川が二つの本を持ってやってきた。パーカー姿ではなく半袖だった。しかし、肌の殆どは包帯で覆われていて、とても痛々しかった。
「ボクがこの街にきた本当の目的は霧宮梓の自殺、その共犯者を探すためだ」
座った清水川が最初に発した言葉に俺たちは絶句した。共犯者という言い方にも違和感を感じる。
「最初から話すよ。結構長くなるけど静かに聞いてくれ。特に鈴咲さん」
しっかり釘をさすことを忘れない清水川だった。
***
当時ボクは入院していたんだ。その時同室だったのが霧宮梓。その頃ボクは両親の虐待によるストレスで髪の色が老人みたいに白くなっててさ、気味が悪いって言われてた。
でも、同室だった高校生くらいの変わり者の女の人、梓さんはとにかくボクに構った。ボクと同い年の弟がいてその子とボクを重ねて見ていたらしい。
梓さんについて話す前に昔のボクについて話すよ。その方がたぶんいいと思うから。何故入院したのか簡単に話しておく。
当時のボクは今のボクとはかなり違っていた。名前も清水川翡翠ではなかったし、家族は死んだ兄の影をボクに重ねて男として育てられていたから正直、その時は家族の望んだ役を演じるただの人形だった。人間って呼べるほど感情はなかった。命令通りに、両親の望むままに動かし人形、それが当時のボク。
でも、ボクは欠陥品だからよく間違えた。その度に殴られた、蹴られた、生きることに希望を見出せずいつか来る死をまだかまだかと待ちわびながら死んだように生きていた。たぶん当時のボクは死にたい以外の感情はなかったんだと思うよ。
そんな時ある日突然交通事故で両親が死んだんだ。それで家にやってきた親戚が傷だらけのボクを見つけて病院に入れた。
当時のボクは緋牙北斗って呼ばれていた。北斗っていうのは死んだ会ったことのない兄の名前だ。翡翠って名前は梓さんと別れたあとに知ったよ。
『ヒーくん』ってのは緋牙っていう苗字の方から取ったらしい。
「苦労してたんだなぁ」
そうでもないよ。痛みはそのうち慣れる。ボクは特にそれがひどくて今でも殆ど痛みを感じない。だから、傷が開いても気づかないことが多いんだ。血を流しすぎて貧血でよく倒れるし。本当に今更だよ。
「だからさっきも痛がっているように見えなかったのか」
そうだよ。だいぶ脱線したから戻すよ。
梓さんはよく『メメント・モリ』て言葉を使った。意味はラテン語で『死を忘れることなかれ』。梓さんもボクと同じで死に囚われていた。
あの人は元々死にたがりだよ。だからあの人が死んだって聞かされた時、別段なんとも思わなかった。それどころか、やっぱりかって思ったね。けれどね、梓さんは一人で屋上から飛び降りれるほど元気ではなかったよ。少なくともボクが入院していた時はそうだった。だから、梓さんは探していたんだ。自分を殺してくれる人を。その候補の一人がボクだった。
ヒドイ人だろ。梓さんは死ねればなんでもよかったんだ。だから、子供でも人を殺せるような方法も考えてた。
この本は当時梓さんがよく読んでいたモノだよ。自分を殺す方法をこれを見てよく考え込んでいた。
「自殺……手引?なんで姉さんがそんなものを……。なんで清水川さんがそれを?」
ボクはこの本と梓さんが書いていた日記を託されたんだ。『私の同類である君にこれを託そう』って笑顔で手渡された。その時に、『後は君の好きなようにそれを扱えばいい。でも、本気で死にたいと思ったら一度読んでみるといい』そう言われた。
「読んだの?姉さんの日記」
読んだよ。だからここにいる。
そうだ、忘れるところだったよ。
あの人から彼方くんに言伝を頼まれていたんだ。『ごめんね』だってさ。たった一言だけ。
「なんで?姉さんは僕のこと嫌いだったのに謝るの?」
梓さんは君のことを嫌ってなかったよ。でも、あの人は難しい病気で現代の医学では治らないって宣告されていた。だから、君が不用意に傷つかないように距離を置いていたんだ。それが最善だと信じてね。
もし、ボクの話を疑うなら日記を読んでみるといい。そこには梓さんの本音が刻まれている。
少なくともボクはそう感じた。
それと一緒にこの日記では死ぬ方法を真剣に考察していたことがわかる。日に日に思い通りに動かなくなっていく体でどうやって死のうかってさ。結局殺してもらうって結論を出したけど。
梓さんは入院費や医療費が家族を苦しめていることを知っていた。それが原因で両親が喧嘩していることも、両親が隠していた自分の余命のことも。
だから、いなくなろうとしていた。梓さんのお願いをボクは断ったけど、その代わりに託されたのが日記だ。ボクは思いを託されたんだと思っている。
***
清水川は一息ついた。さすがに一気に話すと疲れるのだろう。話す時の口ぶりからあまりいい思い出でなかったことがわかる。
「『君が生きている意味はあるのかい?』。一度質問したことがあるよね。これは梓さんがボクによくした質問だ。ボクは一度もこの問いに答えれたことがない。ボクは自分の命に価値を見出せなかった。だから、価値があると思った梓さんを殺そうとは思えなかった。たとえ、本人が望もうとも……」
「やっぱり、価値観が違うな」
「うん、違う。でも、君はボクらと違う意味で死に囚われているよ」
清水川は俺も価値観が違うが同類だと言う。けれど、俺は死に囚われている自覚はなかった。
「まあ、今はこの話よりも……」
「涙腺崩壊しているバカ二人をどうにかした方がいいよな」
清水川と一緒に視線を移す。今までは気づかないふりをしていたがある程度話が落ち着いたところで落ち着かせようとは思っていた。でないとフローリングが涙で水浸しになる。
鈴咲なんて清水川の過去話で泣いていた。両親に溺愛されて育った鈴咲は清水川の境遇を想像して泣いた。本当に逞しい想像力ですね。
時雨は姉の『ごめんね』で泣いた。清水川ほどではないにしろ、コイツの幼少期も悲惨そうだからな。姉は死んでるし、両親は離婚している。
「西園寺くん。そういえばボクは人の慰め方を知りません」
顔に『どうしよう?』と書いてある。わかりやすくオロオロしていて、人形を自称していたとは思えないほど感情豊かだ。俺は思わず笑ってしまった。
「楽しいことでも話せばいいんじゃね?」
「楽しいこと?………そうだ!みんなでお祭りに行きませんか?確か今日でしたよね!」
「そうだな。神社の祭りは今日だ」
「ボク祭りとか初めてなんですよ。死ぬ前のいい思い出になる」
祭りという単語にテンションを上げた二人だが、『死ぬ前』という単語でテンションを落とした。プラマイゼロだった。
「それならそろそろ始まるから行こう。オマエらもいい加減に泣き止め。過去ばかり振り返っても後ろ暗いだけだろ!それに、メメント・モリにはもう一つ意味がある。『今を楽しめ』って意味がな!清水川と霧宮梓、二人を思って泣くぐらいなら楽しく今を生きた方が二人のためになるだろ!」
「たしかに、梓さんだったら『楽しめ』って言いそう。あの人は死にたがりだったけど、たしかにその一瞬一瞬を大切に生きた人だから」
俺の適当な言葉に清水川が同意した。二人は驚いたように顔を見合わせ、鈴咲はいつものヘニャリとした笑顔を作った。
「今を、祭りを楽しもう!」
「僕も楽しむ」
こうして、俺らは四人で祭りを楽しむのとになった。
***
夏祭り。いろんな出店がある。金魚すくいやりんご飴、綿菓子、焼きそば、イカ焼き、射的。
清水川は本当に初めてなのだろう。子供のように目を輝かせていた。
「すごい。初めてだ。こんなに楽しいものだったんだな。これてよかった」
「来年もまた来ればいいだろ?卒業まで、だろ?」
「いいや、ボクはねそろそろ死のうと思ってるんだ」
昼間と同じような長袖のパーカーを羽織った清水川は楽しそうにそう言った。笑っていた。
「君はお節介だね。目的だった犯人の目星はついたし、この街の人は優しいからこれ以上いたら生きていたいって思ってしまう」
「生きたいって思うのの何が悪いんだよ」
「別に悪くはないよ。でも、ボクは決めたんだ。死ぬってさ」
りんご飴を齧りながら清水川は人気の少ないところめがけて歩き続ける。
「ボクは梓さんの願いを聞いた人に聞きたいことがあったんだ。『十字架を背負って生きるのは辛いか』ってさ」
「まだ、目的を達成してないだろ……」
「人の死ってさ、ナイフか十字架なんだ」
完全に人かいない場所につくと清水川は振り返って俺を見据えた。
「ボクにとっては梓さんの死はナイフだった。いずれ治る傷だった。十字架ってのはその人の命の重みを背負って生き続けていくことだと思うんだ」
祭りの喧騒が随分と遠くに聞こえる。
「君だよね。梓さんの共犯は。そして、後悔している。だから、生きることに執着しているし、一人にこだわる」
そう言われて、バラバラだったピースが全てハマったような不思議な感覚がした。
「そうか、あの人がそうなんだ。俺はあの日頼まれたんだ。そして、車椅子を押して屋上に行った。景色が見たいからってさ。フェンスの近くまで移動させて、あの場所フェンスがそこまで高くなかったから」
「筋力のないあの人でも超えれたってわけか………。問題はその場所に行くまでだから、何も知らない優しい君を利用したんだね」
あの日帰ろうとしたら空から人か降ってきて、それがつい数分前に一緒にいたお姉さんだったことに恐怖した。あの場所に連れて行ったことが悪かったんだろうか?もしかしたら俺を恨んでるんじゃないか?とか考えて。怖くてどうしょうもなくて、その人が死ぬきっかけを作ってしまったから、どれだけつらくても生きて行かなくちゃって思った。
それを自己防衛精神が無理矢理に忘れさせていた。ただ生きて行かないといけないって思いだけを残して。
「ボクは梓さんの日記を君に託すよ。君は十字架を背負う必要はない。あの人はたぶんそう言うよ」
「清水川は本当に死ぬのか?」
「死ぬよ」
本当に俺よりもオマエの方が数倍優しいだろ。質問するためではなくて十字架の重みから救うためにこの村にきたんだから。
「じゃあね。楽しかったよ、梓さんの共犯者くん」
そう言って清水川は姿を消した。数日後に清水川は遺体で見つかった。
***
二度目に訪れた清水川の家。清水川の住んでいたアパートの一室には三冊の本が残されているだけで他には何もなかった。
一冊は自殺の手引、霧宮梓の愛読書。二冊目はメメント・モリ、清水川に託された霧宮梓の日記。最後の一つは清水川翡翠の遺書だった。
『これを誰かが読んでいるということはボクは死んだのだろう。
霧宮梓みたいに人に頼ることなく自害して見せた。目的通りに死ねた。ボクはこの命に満足している。
ボクは両親の死後、孤児院に入れられたから悲しむ人も殆どいない。この村の人は優しいから悲しむ人がいるかもしれないが、すぐに忘れる。誰にも十字架を背負わせないで死ねた。本当によかった。
もし、これ以上なにかを望むとしたらどうかボクという人間がいたことを忘れて欲しい。それから、死を忘れることなく今という尊い瞬間を大事にしてほしい。
自ら死を望んだボクに言えたセリフでないことはわかっているけど、そのくらいしかボクに残せる言葉はない。
ほんとはもっと居たかったけど、サヨナラ』
綺麗な字で綴られたその遺書を読んだ。そして、俺は清水川翡翠の墓の前に立って言った。
「忘れてやらないよ。俺と正反対のオマエのことなんか」
風が不機嫌そうに木の葉を揺らした。
「俺も時雨も鈴咲も今を楽しんで生きているぞ。だから、俺が死んでそっちに行ったらアイツらの馬鹿話たくさん聞かせてやるよ」
そう言って墓を後にする。風が後ろから強く吹いた。『気長に待ってるよ』。清水川がそう言っている気がした。
読んでくださりありがとうございます!