鍛冶屋の何でもない日 sideサクラ
朝御主人様が起床されたのを確認した私は御主人様が用意してくれた部屋を出る。私のようなモノは睡眠を必要としないが御主人様が気にされる為睡眠という嗜好品を楽しむようになった。それでも御主人様が目覚める気配を感じれるように意識の何割かを残してはいますが。
「さて、これで良いですかね。」
私は洗面所の鏡で身支度を整える。御主人様の眼前に無様な姿を晒すなどあり得ない。最近はこの髪型を気に入っていただけているようなのでサイドに垂らす。
「今日は…私の日ですね。」
食事当番は交代制で今日は私の担当の日です。正直、御主人様に作っていただくのは大変心苦しいのですが断固として譲ってくれません。…まぁ御主人様の手作りを食べる機会は素晴らしいのですが。私の作ったもので御主人様が作られる、この感覚も中々乙なものです。と悦に入っていると御主人様がやって来られました。
「あぁ、おはようサクラ。」
御主人様は珍しい黒髪黒目の男性です。年齢は聞いていませんが少しお顔が幼く見えますね。しかしその目は冷たさと深い思慮を感じさせ見つめられると、少し…ゾクゾクします。
「おはようございます、御主人様。既に朝食の用意はできております。」
私は御主人様にそう伝える。御主人様はありがとうと言い私の作った料理を食べてくれる。あぁ、体が震えますね。
「御主人様、本日は如何されますか?。」
御主人様が食べ終わったのを見た私は紅茶を淹れ、差し出してから尋ねる。確か急ぎの仕事は入ってなかった筈ですが確認を怠ることはしません。
「そうですね、ここ暫くもう1つの鍛治依頼が来ないですからね。通常の鍛治は終えてしまいました。」
御主人様がどこか憂いを帯びた口調で言う。御主人様は暇がお嫌いだ。何とかしたいものですが…。
「…おや?…これは…。サクラどうやらお客様のようです。果たしてこの場所まで来ることが出来ますかね?。」
御主人様が森の外に人の気配を認めたようです。私は森の中の事しかわかりませんが…どうですかね?。果たして御主人様の暇を潰すに足る人でしょうか?。
「一応用意はしておきます。」
「そうですね、お願いします。…さて是非とも辿り着いて頂きたいものです。私暇は余り好みませんので。」
御主人様はそう言うと目を閉じ自分の世界に入られる。私は…尋ね人が御主人様に相応しいか確認しに向かうことにします。
どうやらお客様が森に足を踏み入れたようです。森の前でブツブツと言って中々入ってこなかったので怖気付いたかと思いましたが取り敢えずは合格ですね。
「…ごくっ。…なんだこの悪寒は⁉︎…」
どうやらお客様は森の下級精霊や魔物に気圧されたようですね。…その時点でかなり望みは薄くなりました。
「…だ、ダメだ。…俺は…こんな森に入れない。…死にたくない。生きたい…そうだ、何も此処だけが手段な訳じゃない。」
まるで自分に言い聞かせるように言い訳をするお客…いや、もうその資格はないですね。ただの男。ただの一歩森に足を踏み入れただけで壊れるような覚悟など無意味です。相応しくない。
『…期待ハズレですね。御主人様のお眼鏡に叶うものではない。』
『命を賭しても叶えたい願いのあるものだけが御主人様の玩具になり得る。』
『お前にはその資格がカケラも見えない。大精霊である私が命じる。立ち去れ。』
私と御主人様の聖域に足を踏み入れる資格があるのは最低限御主人様の玩具になることが出来る人です。それすら満たさない人は要りません。殺しますよ?。
「おや、残念ながら客人はお帰りのようですねぇ。いやー、まったく…残念だ。」
男が森の前から走り去ったことを感知した御主人様が残念そうに呟く。その顔はまるで好物を取り上げられた子供のようです。…申し訳ないですが…その、いじらしく、とても素晴らしい表情です。
「サクラ、申し訳ないですが来客はキャンセルになりました。」
「かしこまりました、御主人様。それではこの後どうされますか?。」
「そうですね、1日に何度も来客の機会があるとも思えません。少し工房に籠ることにします。あとは頼みましたよ。」
その言葉の後御主人様は私の額にキスをします。その時に流れ込んでくる御主人様の魔力を感じ…更なる忠誠を誓います。
「…畏まりました。私の…私だけの御主人様。」
「それではサクラ、おやすみ。」
「はい、御主人様。」
その後特に何もないまま1日が終わる。でも御主人様と過ごした日々は1日たりとも忘れる事はありません。幾年の年月を過ごした私の退屈な時間を彩った存在。私に意味を教えてくれた人。
「ふふ、今日はあの時の御主人様の顔を思い出しながら眠るとしましょうか。」
あの男が去った時の物欲しそうな顔を思い出し微笑んでしまう。…明日は御主人様が朝食を作られる日です。まぁその前に身支度を整えるのですが。