鍛冶屋の何でもない日
とある森の中。外界から隔絶されたその場所に不釣り合いな人工物。時たま鉄を打つような甲高い音が響く。そこに訪れる者は一様の目的を持つ。
果たして訪れる者を待つものとは…。
「御主人様、本日は如何されますか?。」
桃色の髪をサイドテールにした少女が目の前の豪華な椅子に座る黒髪の青年に恭しく尋ねる。
「そうですね、ここ暫くもう1つの鍛治依頼が来ないですからね。通常の鍛治は終えてしまいました。」
尋ねられた青年はその手に持つカップに入った紅茶を眺めながら憂いたように呟く。
「…おや?…これは…。サクラどうやらお客様のようです。果たしてこの場所まで来ることが出来ますかね。」
「一応用意はしておきます。」
「そうですね、お願いします。さて…是非とも辿り着いて頂きたいものです。…私暇は余り好みませんので。」
「…こんな森の奥に…本当にあるのか?。」
目の前に青々と茂る森。それを仰ぎ見るのは1人の青年。華美な服というわけでは無いが所々に意匠が凝らされた服を身に纏っていることからある程度の身分にあることが分かる。
「…死海の森。方向を見失う森で中には精霊や高位階の魔物も多数いると聞く。…だが…」
「行かねばならぬ。私がラインハルト家の当主なのだ。一族の為にあの男を殺す力を得ねば…。」
決意を込めた言葉を吐いた後森に一歩足を踏み入れる。
『ザワザワ…ウオォォォォオーー‼︎』
その途端森がざわめき始め獣の雄叫びが聞こえる。
「…ごくっ。なんだ…この悪寒は!。…」
足を踏み入れた途端に現れた圧倒的な存在感。森自体から放たれたようにも思えるそれはこの青年の覚悟を容易く砕く。
「…だ、ダメだ。俺は…こんな森に入れない。…死にたくない。生きたい…そうだ、何も此処だけが手段なわけではない。」
先程固めた覚悟が嘘のように怖気付く青年。なにかと言い訳を振りかざし後ずさる。
『…期待外れですね。御主人様のお眼鏡に叶うものではない。』
青年の耳に風音に混じり声が聞こえる。その声に青年は腰を抜かし尻餅をつく。女の様なその声は更に続ける。
『命を賭しても叶えたい願いがあるものだけが御主人様の玩具に成り得る。』
『お前にはその資格がカケラも見えない。大精霊である私が命じる。立ち去れ』
「…ひっ⁉︎…う、うわぁぁぁぁぁ…‼︎。」
青年は叫び声をあげ森に背を向け走り出す。聞こえた何かを振り払うかのように後ろを振り返らずに駆け続ける。そして森から青年の姿は見えなくなった。
「おや、残念ながら客人はお帰りのようですねぇ。いやー、全く…残念だ。」
相変わらず豪華な椅子に座り紅茶を啜りながら黒髪の青年が言う。
「サクラ、申し訳ないですが来客はキャンセルになりました。」
「かしこまりました、御主人様。それではこの後どうされますか?。」
「そうですね、1日に何度も来客の機会があるとも思えません。少し工房に籠ることにします。あとは頼みましたよ。」
青年はそう言うとサクラと言われた少女のおデコにキスをして立ち去る。
「…畏まりました。私の…私だけの御主人様。」
少女の呟きは誰にも聞こえることはなかった。