第1話・亡国の少女
小雨が降る森の中は空気が冷えていた。
外套で体を包みながら、少女は森を進む。
時折、後ろを気にしつつもただ前へと歩いていく。
「寒い……」
小さく漏れる声と共に白い息が洩れる。
森に入ったのが昼過ぎ、日が落ちる前には街道に出たいという思いを少女―シェリルは抱いていた。
追ってを巻くために森へと入り、一応街道に出られるはずの方向へと進んでいたつもりだったのだがなかなか街道に出られる気配がない。
「もしかして、迷ったのかしら……」
小さく呼吸をつきながら雨で濡らさないようにしながら地図を取り出す。
アートラスト地方全域が描かれた地図を見ながら自分が街道から入ったと思う場所と進む方向、街道にぶつかるだろう場所を確認する。
広大な森を中心に南側から東へ回り込むように街道があり北側へと続いている。街道の東側を川が流れ更にはアーストラスト地方最大のクイーンズマウンテンと呼ばれる山があった。
シェリルは南側から東側へ抜けるように森を進んでいる。
「地図の縮尺が正確じゃないから分からないわね……」
地図の不正確さに嘆きながらシェリルは地図をしまうと前へと進んだ。
異変に気が付いたのは川の音が聞こえてきてからだった。
川は街道の東側にあり、一部街道と沿うようにして流れているのだ。
つまり街道が近いわけだ。
だからだろうか、わずかに自分を伺う気配を感じたのである。
「まさか先回りされていた?」
考えを見抜かれていた。
悔しそうに拳を握りながら辺りに注意を払う。
地の利を活かせばまだ何とかなるかもしれない。
シェリルは覚悟を決めると外套から頭を出した。視界を良くするためである。
外套からはまるで金の糸のようなブロンドのロングヘア―が現れた。
少女から大人へと変わろうとする容姿は男女ともに魅了するような綺麗さと可愛らしさを兼ねそろえていた。
シェリルが動きを止めると、彼女が感じていた気配も一緒に動きを止める。
やはりシェリルを追っていた気配だったようだ。
大木を背にして周囲を探ると複数の気配を察知する。
「“大気に宿りし風の精霊達よ、我、シェリル・ファスティク・アレストラクスが名のもとに命じる”」
シェリルが精霊魔法の詠唱をするのと気配が動くのは同時だった。
黒い衣に身を纏った者たちが森の陰から突如現れると、鋭い短剣を抜き放ちシェリルに襲い掛かる。
木の太い枝を蹴り、反動で獣のように素早くシェリルとの距離を縮めて来た。
「“我が意志に従い刃となりて立ち塞がる敵を討て!” ファウ・レ・ラステータ!」
黒い衣の者たちの短剣の刃が届くと思われた瞬間に、シェリルが魔法を発動させる。
耳を突くような空気を切り裂く音が辺りに響くのと黒い衣の者たちの人とも思えぬ悲鳴が森に響き渡たった。
重たく地面に落ちる音が複数。
生臭い血の匂いが辺りを漂い始めるとシェリルは辛そうに顔をゆがめた。
(これでもう何人目? 一体何人の血を見れば終わるの?)
一人の遺体に近づくと、目を開けながら絶命している男の元で屈む。
見開いた瞼を優しく手で閉じると、両手を胸の上で組むように乗せた。
全員の遺体に同じようにすると、手を組んで遺体の前に跪く。
「ごめんなさい……。どうか安らかに」
シェリルは静かに祈りをささげるのだった。
シェリル・ファスティク・アレストラクス。
彼女はアレストラクス王国ファスティク公爵領、アギレス・ファスティク・アレストラクス公爵の長女にして王位継承権第八位の娘だった。
この日より一月前、アレストラクス王国はクーデターによって王都が陥落。
国王は暗殺。第一王子は逃走中に襲撃にあり落命。第二王子は王都に残った親衛隊と共に反撃に出るも十倍以上の戦力に倒れた。
次に狙われたのは公爵家。
ファスティク公爵と長男も王軍として早い時期から反乱軍と戦ったが戦死した。シェリルは王族の血を絶やさぬために何人かの護衛と王国軍が集結しつつあるレストラクスト侯爵領へと向かう最中であった。
だが護衛は全滅。
単身でシェリルはレストラクスト侯爵領へ向かっていたのだった。