成唯の独り言
成唯が初めて、泉恕の初愛依を見に行った日の出来事を書いてみました。
前回の外伝の続きになります。
架耶に手を引かれてやって来たのは、四つの小さな男の子だった。
顔立ちは聞いていた通り、大層可愛らしい。
大きくくりっとした目をしていて、睫毛は長く、子どもらしくふっくらとした頬に、赤い珊瑚のような唇をしている。
やや色白の面を艶やかな黒髪が縁取っていて、まるで人形のように愛らしいのに、その子は真っ赤に目を泣き腫らしていて、ついでに鼻も赤かった。
随分長いこと、泣いていたようだ。
何でだ?と俺は首を傾げた。
この子が鬼に腕を齧られたのはもう三日も前の話だ。
普通なら、翌日か翌々日には御所に戻って来る筈の司凉が三晩も泉恕に泊まっているから、よほど怪我がひどいのかと心配して様子を見に来たのだが、見たところ体もすっかり元気そうだ。
齧られかけたという右腕にも、もう包帯は残っていない。
「何で泣いているんだ?」
隣にいる妓撫にこっそりと聞くと、妓撫は困ったように俺を見上げてきた。隣の宜張も苦笑いしている。
「司凉がね、怒っちゃったのよ」
妓撫がそっと耳打ちしてきたが、俺には意味がよくわからなかった。
「司凉…?そういや、あいつ、どこにいるんだ?」
御所にはまだ帰ってきていないのだから、まだこっちにいる筈だ。
司凉とは、御所で毎日のように顔を合わせているから、自分が泉恕に来たからといって、別に司凉が挨拶に来る必要はない。
来る必要はないのだが、依人全員がここに集まっているのだから、顔を出さない方が逆に不自然だった。
だが、俺が少し大きめな声でそう問いかけた途端、架耶と手を繋いで立っていたちんまい愛依が、急にぽろぽろと涙を零し始めた。
「え、え、え?」
何で翔士が泣き出すのかがわからなくて、俺は慌てて妓撫や宜張の顔を見た。
二人は、あちゃぁ…という顔をして俺を見ている。
俺の疑問に答えを返してくれたのは、泣き出し始めた愛依だった。
「しょーしのことがきらい、なんだって…!」
しゃくりあげながら、悲しくて悲しくて堪らないという風に、翔士は顎まで落ちた涙を手の甲で拭った。
「もうっもうっ、しょーしの顔も見たくないって…っ!しょうーし、しりょーのこと大好きなのに、会ってもくれない…っ!
しりょー、もう知らないって…。もう、しょうーしのこと、いらないって…っ!」
そのまま翔士は、うっわーんと手放しで泣き始めた。かわいい顔をくしゃくしゃにして、まるでもう、この世の終わりみたいに泣きじゃくっている。
ああ、それで目も鼻も赤いのか…とようやく俺は理解した。
うっかり結界を出て鬼に襲われたため、司凉によほど怒られたのだろう。
…怒られた、というのはこれで良くわかった。それはわかったのだが、今の言葉は何だ?と、俺は本気首を捻った。
顔を見たくないだの、もう知らないだの、要らないだの、まるで子供が癇癪を起したようなもの言いではないか。
あの司凉が、そんなことを言うか、と俺は混乱した頭で考える。
年こそ若いものの、司凉はすでに格付けとしての風格を持ち、力に溢れた優秀な依人として頭角を現している。
何事にも動じることはなく、情で判断を狂わせる事もない。
どちらかというと、生きている事が退屈とでも言いたげな眼差しで日々を送っているあの司凉が、たかだか四つの幼子にそんな大人げない言葉を吐くものなのだろうか。
どう反応していいかわからずに固まっている俺をよそに、宜張が慌てて翔士の所へ駆け寄ってやっていた。
「だからあれは口先だけのことで、司凉の本心じゃないって言っただろ?」
えぐえぐと泣く翔士の頭を乱暴に撫でてやり、宜張が困り切ったように翔士に言い諭していた。
隣にいる架耶も翔士の傍にしゃがみ込んで、一生懸命宥めてやろうとする。
「翔士はね、司凉のたった一人の、大事な愛依なの。要らない訳ないでしょう?」
二人は必死に翔士をあやしているが、ちんまい愛依が泣き止む気配はない。
「…おい、本当にそんなことを司凉が言ったのか?」
どうにも信じられなくて、妓撫に聞くと、妓撫は苦笑いしながら頷いた。
「怒り狂って、もう言いたい放題。
心配した分だけ、歯止めがきかなくなっちゃったみたい。ほんとに大人げないったら」
司凉が、怒り狂う…?
司凉が、誰かを心配する?
司凉が、大人げない…?
面妖な言葉を聞いた気がして、俺は今度こそ思考が凍り付いた。俺は幼い頃からの司凉をよく知っているが、妓撫の言う司凉とはまるで別人だ。
何をどう考えていいのか分からなくて顎の辺りを掻いていると、不意に宜張が俺を振り返った。
「成唯もなんか言ってやれよ。どうせ司凉は本気じゃないんだから」
苦り切った顔で宜張が俺にそう声を掛けてきた瞬間、びーびー泣いていた翔士が急に泣き止んだ。
俺や守役らが、えっ?と戸惑うように見つめる中、翔士は泣き腫らした目を俺に真っ直ぐに向けてくる。
「せい…い?」
その名を確かめるように呟いて、翔士は小さな声で俺に聞いてきた。
「よいうどひっとうほさの?」
まだ四つの幼子が、良く俺の役職名まで知っているなと俺は驚いた。
「ああ、そうだ。良く知っているな」
そう褒めてやった途端、ちんまい愛依がいきなり俺の方へ駆けてきた。そしてそのまま、どんとぶつかる勢いで俺の体にしがみつく。
「へ?」
俺はしがみついてきた小さな愛依を、慌てて抱きしめた。
紅葉のような手で俺の袍を強く握りしめ、縋り付くような目で翔士は俺を見上げてきた。
幼子特有の温かな体温が、袴越しに伝わってくる。
俺を見上げ、翔士はぶわっと涙を迸らせた。
「せいい、おねがい。しりょーに言ってやって…!しょーし、大事にしてって…っ!しょーしのこと、捨てないでって…!
しょーしのこと、いらなくしちゃ、めーなの…!
おねがい……っ!」
大きな目からぼろぼろと涙を零して必死に言い募る小さな愛依は、そりゃぁもう、心臓を鷲掴みにされるほどに愛らしかった。
元々顔立ちの可愛い子だけに、そのつぶらな瞳の破壊力は半端じゃない。
俺は胸がじーんときた。
幼子から頼られ、懐かれるのが、これほどに嬉しいものだとは思わなかった。もう何百年も、俺は子どもに甘えられた記憶がない。
…言っておくが、これは別に、俺の性格が悪いからだとか、見た目が怖そうだからというのでは決してない。
依人筆頭補佐なんかしていると、子どもと触れ合う機会がそもそもない。
それだけのことだ。
すっかり気を良くして、縋り付いて泣きじゃくる幼い子の頭をでれでれと撫でてやったところで、俺は不意に不穏な空気を感じ取った。主に俺の隣から。
おそるおそる隣の妓撫に目をやると、妓撫がすごい目で俺を睨んでいた。
「え、ええ?」
慌てて架耶や宜張の方を見やると、こちらもひどく苦々しい顔つきで俺の方を見つめていた。
ずっと傍にいる守役達を差し置いて、会ったばかりの俺を翔士が頼ったことが、よほど彼らの気に障ったようだ。
嫉妬と悔しさの混じった目が、俺の体に突き刺さる。
「えっと……」
俺は何も悪いことはしていない筈だが、三人の目は明らかに俺を責めていた。ぶっちゃけ、ものすごく居心地が悪い。
翔士の体を抱き寄せたまま、俺は必死に頭を働かせた。
えっと、要は、司凉だ。
あいつが愛依を泣かせたからこんなことになったのだ。
「司凉を連れて来…来てくれないか」
普通なら、来いというところだが、場の雰囲気に負けて、俺は言い直した。
「…わかった」
渋々といった様子で宜張が踵を返す。
立ち去り際、宜張が不満そうに呟くのが聞こえた。
何で成唯なんかに……!
おい、聞こえてるぞ、というか、架耶に妓撫、お前達までうんうんと頷くのは止めてくれ。
特に妓撫、お前、自分の祝主に対して、態度がぞんざい過ぎやしないか?
俺がここに来たのは、確かに翔士の様子が気にかかったからだが、お前に会いたかったというのもあるんだぞ。
四年ぶりにようやく自分の可愛い愛依に会えたっていうのに、こんな親の仇でも見るような目で睨まれるなんて…。
怒り狂っている妓撫から目を逸らし、俺はがっくりと肩を落とした。
宜張に連れてこられた司凉は、傍目には平素と変わらぬ、どこか物憂げで冷めた表情をしていた。
だが、俺の袴を必死に掴み、俺の体の陰に隠れるように顔だけ覗かせている自分の愛依に気付いた瞬間、その瞳に隠しようもない苛立ちが過ぎった。
「何か用でも?」
平静を装ってはいるが、司凉がいつになく感情を乱していることに俺は気付いた。
何に怒っている?と俺は瞳を眇めた。
司凉は俺の目だけを真っ直ぐに見つめ、翔士の方へは目を向けようともしない。
その様子に気付いた翔士が声を押し殺すように泣き始めても、頑なに視線を向けようとしなかった。
ふと思いついた俺は、司凉の目の前で、これ見よがしに翔士を抱き寄せてみた。
その途端、司凉は眦を険しくし、体からぶわりと怒気を立ち上らせた。
…そういうことか。
俺は思わず苦笑を噛み殺した。
司凉はこの愛依が可愛いのだ。そして、執着や独占欲も覚えている。
…ったく、俺にしがみついている愛依が気に食わないのなら、素直にそう口にしてやればいいものを。
まるで子供の喧嘩だな、と呆れ半分心に呟いたところで、俺は不意に、すべての顛末が分かった気がした。
子供じみていて当然だ。そもそも司凉にとっては、すべてが初めてだったのだから。
誰かを大切だと思うことも、その身を案じることも、あるいはその誰かに執着を覚えることも、司凉はずっと知らなかった。
そういった感情を司凉から引き摺り出したのは、目の前にいる、この無力で小さな愛依だ。
今まで経験した事のない感情の揺れに、司凉は心底、当惑したに違いない。
なのに当の愛依は、そんな司凉の戸惑いや葛藤などお構いなしに、立て続けに死にかけては司凉を慌てさせる。
司凉にしてみれば、堪ったものではなかっただろう。
今回は特に、翔士が不用意に結界の外に出てしまったことが原因だった。
感情のままにきつい言葉をぶつけてしまい、あの後、司凉は途方に暮れたのではないだろうか。
……だってこんな喧嘩まがいのこと、おそらく司凉は子どもの時分だってしたことはない。
守役らがとりなそうとすればするほど、感情の落としどころが分からずに苛立ちが増し、一方の翔士は嫌われたと思って、目を泣き腫らすほどに泣き続ける。
そんな愛依を放って泉恕を離れるなどできる訳がなく、だから司凉は御所に帰って来れなかった。
真相はおそらくそんな所だ。
俺は小さく吐息をついた。
となれば、俺がするべきことは決まっている。要は、司凉が折れざるを得ない状況にもっていけばいいのだ。
「そこに座れ」
顎をしゃくると、司凉は言われるままにどっかりとその場に胡坐をかいた。
「翔士、司凉の所へ行っていいぞ」
俺の袴を涙で濡らしていた翔士は、はっとしたように泣き濡れた顔を上げた。
「……しりょーのおひざにのっていい?」
「いいぞ。依人筆頭補佐の俺が許してやる」
司凉にも聞こえるように俺がそう言ってやると、翔士は我慢できなくなったように司凉の方へ駆けて行った。
そして不機嫌そうな祝主の顔をちらりと見やり、急いで胡坐の中に座り込む。
「おい」
思わずといった感じで声を上げた司凉に、翔士は気丈に言い返した。
「せいいがいいって言ったもん!
だからしょーしは、おひざに座るの!」
司凉が不機嫌丸出しで俺を睨んできたから、俺は黙って司凉の目を見返した。
これ以上意地を張るなと、呆れ半分その目を見つめてやると、司凉にもそれが伝わったのだろう。
どこか気まずそうに俺から目を逸らし、膝の上の翔士に向かって呟くように言葉を落とした。
「好きにしろ」
翔士がぱっと顔を明るくして、おそるおそる司凉の体に顔を寄せた。
司凉は抱き締めてはやらないものの、翔士を振り払うこともしない。
腿に乗り上げる形で、司凉の脇腹にしがみついた翔士が、成唯すげえ…というきらきらとした目をこっちに向けてきた。
…別に俺が許したから、司凉が態度を変えた訳じゃないんだがな。
俺がその場に胡坐をかくと、妓撫がほっとしたように俺の隣に座ってきた。翔士がようやく泣き止んだので、こっちの愛依も機嫌を直してくれたようだ。
架耶が翔士の傍らに膝をつき、「良かったわね」と声を掛けてやっている。
大好きな祝主の膝の上に戻れて、翔士はもう嬉しくて堪らないようだった。
さっきまで泣きじゃくっていたのが嘘のように、司凉の太腿の辺りにへちゃっと顔を埋めて頬をすりすりし、それから今度はお腹の辺りに鼻先を突っ込んでくんと匂いを嗅いだ。
丸まった翔士のお尻が跳ねるように揺れている。まるで飼い主に構って欲しくてじゃれている子犬のようだ。
それを見るともなしに眺めていると、不意に司凉が、あ…と声を漏らした。
「そう言えば、埋めの陣の張り直しはどうなった?」
司凉は、陣の張り直しを行う前日に泉恕に呼び出されていた。
翔士との一件が落ち着いた事で、今更ながらに思い出したのだろう。
「ああ、あれか…。微乃と羽前が中心となって済ませた」
この程度の調整なら、大した手間ではない。陣の張り直しも、誰一人怪我を負う事もなく順調に終了した。
その流れで、異形の出没や、ここ最近の結界の薄らぎなどについて話し合ううち、不意に宜張が「すまん」と頭を下げてきた。
「俺はずっとこっちで楽をさせてもらっているな。御所に戻ったら、いくらでもこき使ってくれ」
宜張は元々義侠心に強く、常に前線で戦うことを良しとするような奴だ。
同胞たちの様子を聞き、自分だけが安全なところで過ごしているようで気になったのだろう。
「気にするな。どうせ闇が濃くなるのは、もっと先の話だ。その時は存分に働いてもらう」
宮が隠れられて、まだ数年しか経っていない。薄まってきているとはいえ、まだ十分に宮の加護は地に残っていた。
「目覚められるのは、あと二十数年も先の話か…」
ぽつんと呟くように、宜張が言葉を落とした。
「陣の綻びが想定よりも早すぎる気がする。
葵翳はどう言っているんだ?」
残りの三人が心配そうに俺を窺ってきて、俺は小さく吐息を落とした。
「お前の思っている通りだ。…おそらく今回の隠れは、過去とは比較にならないほど厳しいものとなる」
ふっと五人の間に沈黙が訪れた。
妃咲の狂気で、隠れの時期を狂わせた宮は、万全の体制を不見に残しておくことができなかった。
埋めの陣にしても、前回の張り直しから僅か三年で緩みが出始めるなど、いくら隠れの時期とはいえ、あり得ない事態だった。
今はまだ、依人の方にも余力があった。けれどいつか、闇は確実に不見を覆っていく。
祝の消えた大地では、恐怖がたやすく念を呼び込み、怨嗟は凝り、異形を闇に生み出していくだろう。
そうなればもう、異形と人との消耗戦だ。
どれ程の犠牲が地にもたらされるか、想像すらつかない。
司凉がふと、その温もりを確かめるように、膝の上で丸まった小さな愛依の背中にゆっくりと手を這わせるのが見えた。
異形と闘うことを宿命づけられ、異形を誘う甘い気を、すでに身に纏ってしまった小さな愛依。
司凉の不安が手に取るように透けて見える。
俺から見ても、この幼い愛依は余りに無力で危うかった。
と、太腿の上に横顔を埋めていた愛依が小さな声で祝主を呼んだ。祝主に撫でてもらえたことで、許されたことを知ったからだろう。
「しりょー?」
呼ばれた司凉はしばらく無言だった。それから一つため息をつき、根負けしたように言葉を落とす。
「…なんだ」
「あのね…」
翔士は太腿に顔を埋めたまま、司凉の袴をぎゅっと握りしめた。
「しりょーはね、しょーしを捨てちゃいけないんだよ…」
俺は思わず笑みを零した。この愛依には、闇の時代云々より、祝主に好かれるかどうかが一番の関心事であるらしい。
「捨てるなって?」
司凉が呆れたように問い返すと、翔士はうん、と小さく言った。
「しりょーがしょーしを見てくれないと、しょーし、泣けちゃうの。
いっぱいいっぱい泣いて、しょーし、さびしくて死んじゃうから」
恋しさを隠そうともせず、一心に言い募ってくる愛依に、司凉は絶句している。
ああ、これは絆されるなぁと、俺はつくづくそう思った。
ここまで慕われたら、そりゃあ情も湧くだろう。
死なれかけたら、取り乱すに決まっている。
そのまま司凉の腿を枕にして、翔士は司凉の胡坐の中でふわりと小さなあくびをした。
言いたいことは全部言って、気もすんだのだろう。祝主の膝の上にようやく戻れた安心感も大きいようだ。
眠そうに目を擦り、それからもう一度小さくあくびをして、最後に翔士は、俺が聞き捨てならない一言をぽつりと呟いた。
「しりょーたちは今日も花札をするの?」
司凉が慌てたように翔士の口を塞いだが、俺はその言葉をしっかりと聞き取った。
「花札をする?今日も…?」
…何だ、その依人の血が騒ぐような甘美な響きは。
ん?と首をもたげかけた翔士の頭を撫で、司凉が慌てて寝かしつけようとしていた。
気のせいだろうか。これ以上、余計なことをしゃべられまいとする、奴の意図が透けて見える。
なので俺は、守役三人の顔を順繰りに見渡していった。
三人は悪事がばれたかのような、どこか後ろめたそうな顔で俺を窺っていた。
「きーぶ」
俺はにっこりと自分の愛依の名を呼んだ。
「お前たち、なんだか楽しい事をしているようだね。
祝主の俺にまさか隠し事はしないよなあ」
妓撫は思わず目を泳がせた。
「ほら、泉恕って何もないでしょう。だから暇つぶしに花札を楽しむことがあったような、なかったような…」
…あったんだな。
「ほう…。で、お前たちは何を賭けているんだ?」
こいつらが、単なる暇つぶしで花札なんかをやる訳がない。確信をもってそう聞いてやると、妓撫はついに観念したように肩を落とした。
「…獺桂よ」
俺は目を剥いた。
「獺桂だと?何で獺桂が、こんな田舎にあるんだ!」
「……鄙で暮らす俺たちを慰労して、宗家が樽ごと送って寄越したんだ」
仕方なさそうに答えたのは、宜張だった。
「そんな話、聞いてないぞ!」
「言う訳ないだろ!それじゃなくても、翔士の顔見たさに、同胞らがちょくちょく泉恕を訪れるんだ。こんなことを知られてみろ。あっという間に飲み尽くされる」
俺はこの瞬間、自分があくどい顔をしていることをはっきりと自覚した。
にやりと笑って四人の顔をゆっくり眺め渡し、お決まりの文句を口にした。
「どうやら俺にも口止めが必要だな」
その晩、俺たちは五人で花札に興じ、至福の一杯を見事せしめたのは、この俺だった。
考えれば、司凉と愛依の仲を取り持ってやったのは俺である訳だし、やはり善行をした者にはそれなりの報いが訪れるものなのだろう。
妓撫を腕に抱いて眠りながら、今日は充実した一日だったと俺は満足して心に呟いた。




