宜張による初愛依観察日記 5
✕月△日
翔士の後追いは健在だ。司凉の行くところ、どこにでもついて行こうとする。転んで怪我をすると面倒なので、あの司凉が一応歩く速度を加減するようになった。
こういう気遣いができるようになったとは、お兄ちゃん、嬉しいぞ。(司凉は、俺からすれば年若の依人だ)
そういや先月も、司凉に追いつこうとして、転けていたしな。あの時は、顔から地面に突っ込んでいて、見ていて流石に焦った。
「びえええええん」
司凉が慌てて翔士を抱き起こすと、翔士は鼻の下に見事な擦り傷を作っていた。
もう一度言う。鼻の先ではない、鼻の下だ。まるで鼻血でも出ているみたいに、鼻の下の皮膚が赤く擦り剝けていた。
「どういう転び方をすれば、鼻の下を擦りむくんだ?」
俺も同感だったが、首を捻る前にまず、泣いてる翔士をあやしてやれと俺は思った。
と、後をついていた翔士が、自分で袴の裾を踏んずけて勝手に転がった。司凉が驚いて抱き上げたが、今回は怪我はしていないようだ。
大きな手で両脇を抱え上げられた翔士は、とても嬉しそうだ。足をぶらんとさせた状態で、犬の子のように抱き上げられた翔士は、大好きな祝主に向かって一生懸命短い手を伸ばす。
「しりょー、しりょー」
その胸に抱きつきたくて、じたばたと暴れる愛依をまじまじと見つめて、
「ふん、ぶさいくだな」と、容赦ない一言を司凉が言い放った。
ぶさいく……?
容姿の可愛らしい翔士は、未だかつて、ぶさいくなどという言葉を掛けられたことがなかった。なので、ちっちゃい頭でこれは誉め言葉なのだと理解した。
「うん!しりょーも、ぶっさいく!」
思い切り大声で返したら、途端にむっとした司凉が、犬の子のように翔士を俺に放り投げてきた。
本気で腹が立ったらしい。
宙を飛んできた翔士を、俺は慌てて抱きとめた。
「あぶねえじゃないか!」
文句を言ったが、既に司凉は数歩先を歩いている。
一方の翔士は放り投げられたことが嬉しいらしく、きゃっきゃっと笑っていた。
「お空飛んだー、もう一回!」
お前、祝主が本気でへそを曲げているのに気付いてる?
✕月△日
翔士がしゃっくりをしていた。
ひっく、ひっくと言ってるので、「止めてやろうか?」と声を掛けた。
「どーするの?」と聞くので、「ものすごく驚くと止まることがあるから、俺が脅かしてやろう」と言ったら、「おれ、へーき」と言って逃げて行った。
しばらくして、妓撫が首を傾げながらやって来た。
「翔士がそこで、ドキッドキッて一人で叫んでるんだけど、何してるんだろ」
自分で自分を驚かそうとしたらしい。発想は面白いが、全く効き目はないな。
✕月△日
司凉が胡坐をかくと、当たり前のように翔士は膝に座りに行く。
太腿の上にだれーと上半身を乗っけてみたり、お腹の辺りに鼻先を突っ込んだり、仰向けで寝っ転がって司凉の手の動きを目で追ったりと忙しい。
茶器に手を伸ばそうとしていた司凉が、ふと気付いて翔士に声を掛ける。
「おい、座ってろ」
うっかり動き回られると、茶をこぼしかねない。
「うん」
翔士は司凉の言う事には絶対服従だ。
すぐに起き上がると、ちんまりと司凉の膝に座り直した。
その時翔士の袖がちょっと捲れて、見事な歯形が露わになる。
「おい、その歯形は何だ」
聞かれて翔士は、自分の左腕を見た。
「ちおんに噛み付かれた」
智穏とは、近所に住む三つ上のガキである。
「蹴ったら、噛み付かれた」
「…何で蹴ったんだ?」
「ちおんが気持ちよさそうに歌を歌ってたんだ。二回も!」
「…それで?」
「うるさかったから、蹴った」
……翔士はすぐに手が出るお年頃だった。
「手は出すな。口ならどう言ってもいいが、むやみに手を出すんじゃない」
そばで聞いていた俺は感心した。珍しく躾けらしいことを司凉が口にしたからだ。
「ふうん」と翔士は司凉を見上げた。
「口で言うのならいいの?じゃあ、ちおんのこと、ちんちんって言っていい?」
司凉は茶を噴き出した。
✕月△日
翔士は最近、祝主と言う言葉を覚えた。そして、それが自分と司凉の特別な関係を指し示すものだということを知って、興奮している。
「しりょーはね、しょーしのはふいぬし」
ぴたっと司凉の体に張り付いて、翔士は何度もその言葉を繰り返す。
「しりょーは、しょーしだけのはふいぬし」
だけの、というところが特に翔士の気に入っている。
今日はたまたま佑楽が泉恕に遊びに来た。嬉しそうに佑楽に寄り添う架耶を見て、「うらくが、かやのはふいぬし?」と翔士が聞く。
「ああ」と佑楽が頷くと、翔士は今度は俺と妓撫の方を見た。
「じゃあ、ぎちょーがきぶのはふいぬしなの?」
「冗談じゃねえ!」
「冗談じゃないわ!」
俺たちの声が重なった。
俺はここぞとばかりに、自分の祝主の自慢をしてやった。
「俺の祝主はな、宮の信頼も厚く、側近くで眠りを見届ける役目を授かったほどの依人だぞ。有能な上に、それは優しくてきれいなんだ!」
言葉では言い尽くせぬほど、俺は沙羽を慕っている。沙羽のことを語らせたら、一日では足りないくらいだ。
翔士は俺の言葉を繰り返した。
「やさしくて、きれいなはふいぬし?」
「そうだ」
側で聞いていた妓撫が、横から割り込んできた。
「あたしの成唯だって、すごいのよ。
依人の中で一番偉いのが、葵翳っていう依人で、成唯はその補佐役に選ばれているの。
依人筆頭補佐っていう大切なお役目よ!」
翔士はこてんと首を傾げた。
「よいうどひっとうほさ?」
「そうよ」
妓撫は重々しく頷いた。
「覚えておきなさい、翔士。貴方の祝主だって、成唯の言うことは絶対聞かなきゃいけないんだから!」
翔士は、目をみはった。
「せいいは、よいうどひっとうほさ」
そしてぶつぶつと呟いた。
「だからしりょーは、せいいの言うことは絶対きかなきゃいけないんだ…」
何故か翔士のその呟きが、暫く俺の耳元から離れなかった。
初愛依の特有の可愛らしさを、楽しんでもらえたら嬉しいです。
翔士の転生後の名前は珠玲です。他の外伝や珠玲君のお話を、いつか書けたらいいなと思っています。




