祝主は、恩赦を受ける
次期宗主に継嗣となる男児が生まれ、蟄居謹慎を命じられていた司凉にようやく恩赦が下されたのは、罪に服して十年後の事だった。
その間、宮の祝は年を追うごとに弱まり、結界を守る依人らは、今は綻びかけた封じ目を繋ぎ合わせるのが精いっぱいというぎりぎりの状態まで追い詰められていた。
気は澱み、悪意はたやすく念となり、怨みを呑んだ骸がそこかしこで成仏できずに鬼となった。
封殺に赴く依人らはすでに限界まで疲労しきっており、司凉には結界封じだけでなく、格付けとして前線で戦っていくことが切実に求められていた。
そうした中で、次期宗主である徐栄に無事、嫡男となる男児が生まれ、晴れて司凉が表舞台に呼び戻される事になったのである。
蟄居を食らっていた間は、任務以外はずっと別邸に籠る日々を送っていた司凉だが、閉じこもっていたここ十年の間に、威の都は随分と変わってきていた。
人々は鬼に怯えて恐々と日々を送っており、あれほど賑わっていた都の活気もいつしか失われていた。
その様子を小高い丘から眺め下ろし、司凉は何の感慨もなく、地場に澱む漠とした妖気を見つめていた。
つい先ほど、邑に迷い込んだはぐれ鬼を一匹封じ、心地よい疲れが全身を包んでいた。
背後から草を踏み分ける柔らかな音が近付いてくる。気配から同胞の誰かだと知り、司凉は警戒を解いて、足音が近づいてくるのを待った。
「お前がなかなか本殿に顔を向けないと、宗主が嘆いていたぞ」
どっかりと肩を並べてくる成唯に、司凉は形ばかり薄い笑みを唇に張り付かせた。
「依人に生まれた者が宗家と距離を置くのはごく自然のことだろう。俺は別に不義理をしているつもりはないが」
「俺の目にもそう見えるが、生憎あいつにその理屈は通用せん」
宗主、覇麝には愛する母を自ら鬼に追いやってしまったという、悔やんでも悔やみきれない傷がある。
しかもその騒動さえなければ、初愛依の惨殺というあの悲劇は防げたかもしれないのだ。
覇麝の悔恨は深かった。
同胞を私怨で殺害した弟を、宗主として蟄居させた後、恩赦の口実となる慶事が長く宗家を訪れず、一番の焦慮を抱いていたのは、あるいは覇麝だったかもしれない。
「処分を望んだのは俺だし、ここまで長引いたことにも何の感慨も覚えないのだが。
困ったものだ。
どうやら兄上は見当違いの負い目を俺に抱いているようだ」
他人事のように淡々とそう言葉を紡ぐ司凉に、
「そこまでわかっているなら、もっと顔を見せてやれ」
成唯も苦笑を禁じ得ない。
「自分はともかく、お前が他の依人とも距離を置いているようなのが気になるんだろう」
「人と喋るのが煩わしいだけだ。人並みには人生を楽しんでいるつもりだが」
「楽しむ、ねえ…」
とてもそうは見えないが…と心に呟いてから、ああそうだ、と成唯はふと思い出した。
「そう言えばお前、微乃とよりを戻したんだってな」
からかうように話題を振ってやると、司凉は考え込むように首を傾げた。
「微乃と?」
「違うのか?」
聞き違いだったかと、思わず成唯が首を捻るのへ、
「いや。ただ、微乃とだけよりを戻したわけではないしな」
真顔で司凉はそう返し、成唯を一気に脱力させた。
「お前なぁ」
そういえば司凉は元々こういう奴だった。
翔士の一件ですっかり失念していたが、元来、来る者は拒まず、去る者は追わず、付き合いは極力薄く、が信条の男だったのだ。
そう思った時、今まで何度も口にしようとしてできなかった言葉が、すっと口を突いて出た。
「なぁ、司凉。宮が目覚められたら、お前も早く新しい愛依を作ってもらえ」
眼下に広がる都の風景を見つめたまま、成唯は続けた。
「翔士を忘れろとは言わん。ただ俺たちには、どうしても愛依が必要だ。お前にとってもけじめをつけるいい時期じゃないのか」
成唯の言葉に、司凉はしばらく無言でいた。僅かに日が翳り、草むらの緑が深くなった。
「宮が目覚めれば、封じの仕事も少なくなる。今作らずとも、別段不自由はしないだろう」
「お前には、翔士に代わる愛依が必要だ。それが分からぬと言うなら、何度でも言ってやる」
畳みかけるように言うと、成唯を見返す切れ長の瞳に、その瞬間、苛烈とも言うべき光が走った。
司凉にとって翔士はまだ過去ではなかった。
成唯が妓撫の事を唯一の愛依として愛し、執着するように、司凉にとってはあの愛依こそが、魂を分けた唯一の存在だった。
代わりなどいないし、持ちたくもない。
それがわかっていて、残酷な選択を平然と突き付けてくる成唯に、司凉は一瞬、憎しみが沸き起こるのを止められなかった。
司凉は荒ぶる感情のままに成唯を睨み返したが、成唯は揺るがなかった。
いつか誰かが言ってやらねばならない言葉だった。もう翔士が死んで十年以上が経つのだ。
あの頑是ない子を成唯もどんなにか愛していたが、それでもその死は過去の事として受け入れなければならなかった。
やがて成唯から視線を逸らせた司凉は、呟くように言葉を落とした。
「愛依は鬱陶しいし、はっきり言って俺はもう二度と持ちたくない」
諦念と自嘲のこもった眼差しが、その瞬間、薄れゆく面影を捉えようとするように遠い虚空へと向けられた。
「だが、宮もそれを望まれると言うなら」
あの無残を身に留めたいなら、人としての心を全て封じてしまえばいい。自分が何を望むかでなく、宮が何を望まれるかだ。
それならば、きっと自分は生きていけるだろう。
駆け付けた陣に広がっていた噎せかえるような血の匂いを、司凉は思い出していた。
自分はあの日間に合わなかった。夢であればいいと、どんなに願った事だろう。
「俺は宮の意向に従う」
次が最終話です。
長い間、お付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
次回は少し長い話になりなすが、一気に最後までいきたいと思います。




