二十四時間と数秒の物語
「ねえ、圭人にいはなんで顔を隠しているの?」
台所からそう俺に問いかける声が聞こえてきた。彼女は一人暮らしをする俺の家によく料理を作りに押し入ってくる親戚の女の子だ。今日も夕飯を作りに来ていた。
その声によって俺はゲームをやる手を止めた。そのおかげでゲームのキャラはダメージを受けて危機的な状況へと陥ってしまった。だが、すぐに素早くリジェネを行い、戦線を保った。
「……朱莉、そんなことよりそんなに毎日俺の家に来なくたっていいんだぞ」
「え、だって私が作らないと圭人にい絶対宅配ピザしか食べないじゃん」
朱莉は俺が質問を流したことを不満げにしながらも、俺を想って作る料理の手を休めなかった。なんというか、俺からしたら世話好きな妹的な存在だった。
俺は朱莉が言うように顔を隠していた。具体的に言うと前髪を伸ばすことで自分の顔を見えなくしていた。これだとほかのものと違ってこちらから外を見ること自体はたいして困らなかった。そして顔を隠しているのにはあるが理由あった。それを俺は朱莉に打ち明かすことができていなかった。
「できたよ、今日はねー、圭人にいが好きなハンバーグだよ」
「お、うまそうじゃん」
ゲームの一時中断し、席に着いた。テーブルの上にはおいしそうなハンバーグが湯気を立てて、俺の食欲を刺激した。その欲求に従い、ナイフとフォークを手に取った。が、次の瞬間ハンバーグは逃げ出していた。
「圭人にい、そろそろなんで顔隠してるのか教えてよ」
「それで教えないとしないとしたらハンバーグは」
俺が冗談めかした口調で、朱莉の顔の方へ視線を向けた。すると朱莉の真剣なまなざしにその言葉は引っ込んでしまった。その朱莉の顔は俺にいろいろなことを考えさせた。
朱莉は無理やりだったが、俺の事を想い、いろいろ気遣ってくれた。時には一緒にゲームをしたり、テレビを見たりした。もちろん朱莉は俺に隠し事をしていなかった。それに比べて俺は、あったばかりの時から素っ気ない態度で、朱莉が言ってほしいようなことを言ってやれたこともない。そして、俺は朱莉に素顔を見せたことさえない。これは最低なことだろう。
ああ、そのことはわかっていた。わかっていたが、できなかった。だが、そろそろ潮時ではないのか?朱莉ならいいんじゃないか?
第一今の朱莉の顔を見てまだ聞いていない振り、冗談でお茶を濁す、そんなことはできなかった。
ああ、そうだな、そろそろいいだろう。
「なんてね、どうぞ、召し上がれ、圭人にい」
俺が口を開けた時、朱莉は根負けしていた。その言葉は冗談めかしていたが、俺は朱莉の表情が少し寂しそうだったことを見逃さなかった。
「ああ、いただきます」
俺は言うべき言葉を失った口でそう言うので精いっぱいだった。
朱莉が帰った後、俺は洗面台の前の自分を睨んでいた。その日のハンバーグは何だが味気なかった。朱莉もそのことを気にしてか、いつもより明るくしていたが、それが逆に苦しかった。
俺は右手ではさみ持ち、前髪にあてた。
「いつぶりかな、この顔を見るのは」
俺は右手に力を込めた。はさみは俺の隠れ蓑を剝がし、中身を露にさせた。もうずっと隠してきたそれと再び邂逅した俺はなぜかその口から笑いが零れた。
「あはは、はは、ははははは」
やってしまった、もうそ(・)れ(・)から俺を守るものはない。これで朱莉に嫌われれば、もう終わりだろう。朱莉は明日も来ると言っていた。ああ、俺は自分のやったことが怖くて、それで笑っているんだ。人は自分がやってしまったことが怖いと、笑ってしまうのか。
「ははは、……はぁ」
腹を括って切ったはずの前髪に息を吐き、はさみを置いた。
「今日はもう寝よう」
――
次の日夕方、朱莉は昨日と同じ時間に俺の部屋に訪れた。合鍵は渡してあったから、俺が朱莉と会うのはリビングとなる。
今日起きたらもうお昼だった。なんだかとても長い夢を見ていたようだが、思い出せなかった。だけど、その夢がいい夢でないことは起きた後の顔を見たらすぐに分かった。そしてそれで見えたそ(・)れ(・)は嫌な思い出を呼び起こした。
「圭人にい、生きてるー?」
「生きてる生きてるー」
朱莉のいつもの挨拶にゲームを始めながら答えた。足音が近づいてくる。
「圭人にい、今日は……、圭人にい?」
「あ、ああ、なんだ?」
俺はタイトル画面になったゲームを横に置き、朱莉の方を向いた。
朱莉の目は恐怖が宿り、その表情はこわばり、すぐに拒絶の声が飛んでくる、そう思っていた。だが、実際は全く違った。その目に映っていたのは驚愕と、困惑と、そして喜びだった。
「え、圭人にい、どうしたのその髪? え、ほんとに圭人にいなの⁉」
「朱莉は、これが怖くは、ないのか?」
俺は青い左眼、そしてその周りの火傷痕を抑えながら朱莉に問いを投げかけた。もちろん俺の右眼は普通の黒目である。先天性の虹彩異色症で左目だけが青色だった。そしてその周りの火傷痕、これはその目が原因で兄たちから受けたいじめによるものだった。これのせいで俺はどこに行っても訝し気な目で見られてきた。だから俺は髪を飛ばし、それを隠していた。
朱莉は不安げにしていた俺の手を取り、俺の左目をじっくりと眺めた。その手は温かく、俺の手を熱が包み込んでいった。
「私が圭人にいの事を怖がるわけないじゃん」
その一言がすべてを破壊した。俺が抱いていた不安感も恐怖感も、その何もかもを。
いつも俺を見てくれていたその目は今も私をじっと見据えていた。そして、安心と喜びと安堵を与えてくれた。
「どうして急にそんなこと聞いてきたの?」
「それは、お前は隠し事もしないで接して来ていたのに、ずっと隠し続けることができなくなったからかな」
不思議そうにした朱莉に俺は昨日のあの決意の理由を述べた。秘密を打ち明けた後で見る世界は色鮮やかで、澄んだ音をしていた。まるで生まれ変わったかのようだった。
「私だって、隠してることぐらいあるんだけどなぁ」
「え?」
「圭人にいが好き」
「え、なんだって?」
朱莉は何かを言うとそのまま台所まで駆けて行ってしまった。だが、追いかけてもう一度その言葉を聞こうとは思わなかった。聞こえなかったそのセリフがどんなものかはわからないが、隠していることであればそれを言ってもらえる程な人間になってから聞き出してやらなければいけないと思ったからだ。
「あ、圭人にい」
「ん?」
「かっこいいよ」
その言葉に思わず顔を背けた。すると時計が目に入った。時計は昨日朱莉から問いかけられた時間から数秒だけ進んでいた。
書いたはいいけど、出せなくなった作品。そのままデータの山に埋もれるのもあれだったので。