プロローグ 小さな約束
厳めしい相貌が微笑む。
案じてくれるな、と前置いて、男はしわがれ声を震わせた。
「カイアケィントで――あの聖堂の遺る街で待っていておくれ。俺は必ず、そなたのもとへと帰ってくる」
愛する者の腕の中で、巫女は逡巡する。
女としての直感が彼女にささやきかけるのだ。
――この手を離してはいけない。
決して、あの言葉にほだされてはならない。
実現するかどうか分からない未来など、朝露よりも儚い幻に過ぎないではないか、と。
「ずるい殿御」
けれど、それでも――。
押し寄せる不安の波に翻弄されながら、巫女はうつむくことさえできなかった。
――信じてほしい。
見上げた視線の先で、男に残された左目がそう告げている気がしたから。
「約束、ですからね」
やわらかな頬を伝う涙。
それを右手の人差し指ですくい取った男は、握り拳を作り、おずおずと小指を立てる。
「指切り、げんまん」
「嘘ついたら針千本呑ぉます……!」
「指切った」
たおやかな手が武骨な手の求めに応じ、すがるように、むさぼるように、互いに互いの指を絡め合う。
そうして、子供じみた呪文のうちに精一杯の願いを込めて、小さな約束は交わされた。
戦いに赴く者と、それを送り出す者。
涼やかな風が吹き渡る草原で、満ちて欠けることのない月だけが、一塊となった二つの影を見守っていた。