9.経済の発展にとって、ブラック企業は駄目って話
「絶対に、“国民は国家の為に犠牲になるものだ”などと思ってはいけません。そういった思想は社会を不幸にするだけでなく、社会全体を劣化させていきます。つまり、弱い方略なのですね」
オリバー・セルフリッジがそう語った。いつもの王城の会議室。相手は勇者パーティのメンバー達。アンナ・アンリはいなかった。ただし、今回は会議ではなかったのだけど。
ゴウがそれに文句を言うようにこう言った。
「社会を不幸にするというのは分かるが、社会全体が劣化していくというのは得心しないな」
セルフリッジは、少し微笑むとこう返す。
「簡単な理屈ですよ。そもそも国家などというものは存在していません。それは国民の集りですからね。その国民を犠牲にしてしまったのなら、当然、社会は劣化していきます。それに、他にも理由がありましてね」
「理由って?」と、ティナが質問する。今はキークの頭を拳固でグリグリしていない。少し反省してもいるみたい。流石に前回やり過ぎて、ややキークが怯えているようだったから。
「国民を奴隷同様に扱って、酷使すれば確かに生産性が上がるように思えます。ところが、それってつまりは、効率を上げるって芸がなくて労働者達に負担を押し付けているだけなんですよ。もちろん、そんな事では本当に成長なんてできるはずがありません。思考麻痺に陥って、工夫するモチベーションがなくなってしまえば、後は良くて停滞、下手すれば衰退していきます。例え短期的には、それで成長できたとしても」
スネイルがそこで言う。
「まぁ、あれだ。つまり、ブラック企業は駄目ってことだよ。労働資源に限りがあるからこそ、効率良くそれを使おうって発想が出てくる。無理矢理酷使して、労働資源を増やそうとかっていうのはバカのやる事なんだな」
セルフリッジがそれに頷いた。
「その通りです。今回、クロナワ地方の農地開拓に成功したのは、“労働者を酷使する”って発想を捨て、機械の開発による生産技術の向上を実現したからですよ」
……なんだかまるで講義をするような感じになってしまっているけども、実は今回は農地開拓が順調に進んでいるという経過の報告会だったりする。セルフリッジが元々、講義好きだからか、それとも勇者パーティの半分以上が経済を何にも分かっていないからか、いつの間にかの流れで、そんなことに。
因みに、クロナワ地方の農民達は、あっさりと農地開拓の依頼を引き受けてくれた。開拓した農地はもちろん彼らのモノになるし、国から耕運機の貸出が行われるという事ももちろんあったのだけど、それはそれだけではなく、前もって耕運機のデモンストレーションを見せていた事が大きかったようだった。
耕運機は好奇興味の対象になったし、刺激の少ない田舎では、娯楽としても迎え入れられたようなのだ。もっとも、使い続けるうちに彼らは耕運機のその威力を充分に思い知ったのだけど。何にせよ、そうして農地開拓は順調に進んでいるみたいだった。
「更に言うとですね。労働者に余暇を与えて、消費意欲を刺激する為には、やっぱり奴隷扱いは駄目なのですよ」
それにキークが「うん」と頷く。
「みんなも遊びたいものな。遊ばないと、不満が溜まってしまう」
「そーいう事じゃないでしょーが」とそれにキャサリン。
「そーいう事じゃないの?」とそれに続けてティナ。いかにも呆れたといった表情でキャサリンが返す。
「このバカップルが……。誰かが物を消費しないと…… つまり、何かを買わないと景気は良くならないでしょう? 時間を与えてやれば、みんな買うようになるじゃない」
「バ…… カップルって何よ。カップルって」と、それを聞いてやっぱりいつも通りにティナが照れる。真っ赤に。反射的にキークが少し距離を置く。拳固でグリグリ。このトラウマはしばらく消えないような気がしないでもない。
セルフリッジが困ったような顔をしながらこう言った。
「まぁ、労働者達の精神衛生のケアも重要ですが、今回はキャサリンさんの言う方が正解ですね」
と、一度切るとまた口を開いた。
「そもそも経済というのはですね、生産性の向上と、生産物の種類の増加、そしてその生産物消費の増加がセットで起こり、通貨の循環場所が増える事によって、はじめて成長するものなんですよ」
その説明によって、キークとゴウとティナの頭の上にクエッションマークが浮かんだ。「フフフ。まったく意味が分からんな」と自信たっぷりにゴウが言う。
「うーん。そうですねぇ……」とその様子を見てセルフリッジは少し考える。
「仮に世の中の人全員が農作物を作っていたなら、当たり前ですが、あなたの武器や防具は買えないでしょう?」
「当然だな。鍛冶屋がいないのだから」
「ところが、そこで生産性の向上が起こって少ない人数ででも全員分の農作物を作れるようになったとします。すると、全員で農作物を作る必要がなくなって、人手が余りますよね? そしてその人手で、武器や防具を作ればどうです?」
「ああ、なるほど。武器や防具が手に入るな」
「はい。もちろん、その為には誰かが武器や防具を買う必要があります。そうじゃないと市場を流通しませんから。そして誰かがそういったものを買えば、当然、その分だけ通貨が取引され、循環量が増えます。
これは、言い換えるのなら、武器や防具に対しての通貨の循環が増えるという事でもあります。農作物についても同様に通貨の循環がある訳ですが、武器や防具があった方が通貨の循環量は増えています。つまり、経済の成長とは“通貨の循環場所が増える事”とそう表現できるのですね」
そのセルフリッジの説明に、ティナは感心して声を上げる。
「ああ、なるほど。人手が余らなくちゃ、そもそも他の物は何も作れないんだ。だから経済は成長しない。生産効率が重要ってそういう話か」
それににっこりとセルフリッジは笑う。そしてこんな説明をした。
「はい。その通りです。そしてだから、労働者を奴隷扱いして、無理矢理に酷使する以外考えていなかったなら、その入り口にすら立てないという事になります。もし仮にそんな社会があったなら、きっと地獄でしょうね。成長は極めて難しいはずです」
――で、“もし仮に”ではなく、そんな社会が実は、現実にあったりしたのだった。まぁ、ご存知の通り……
「魔王様! 駄目です! このままでは、軍を組織するどころか、ワーラット共は飢え死にするか逃げ出してしまいます!」
魔王城。そうコンドルが魔王に向かって訴えた。
魔王は目を白黒させて「何故だ?」とそう尋ねる。そんな事はまったくの想定外だといった感じ。
コンドルは語る。
「ワーラットの半分を食糧生産担当にしましたが、それではまったく人数が足らなかったからですよ! 単純に、連中は二倍の食糧を探さなくてはならない訳ですが、“気合いと根性”ではどうかんばってもそんな事は不可能だったのです!」
ワーラット達に社会性があると言っても別に農業や牧畜を身に付けている訳じゃない。ぶっちゃけ、狩猟採集社会。それでは、とてもじゃないが二倍の食糧の調達はできない。魔王はそれを受けてこう言う。
「なんだと? では、もっと気合いを入れさせるんだ!」
「だから、気合いじゃ無理だったんですって!」
「なにー!」
なんか、すっげぇ間抜けな会話。
しばしの間。
「本当?」と魔王。
「本当です」とコンドル。
また、間。
魔王が口を開く。
「しかし、人間共は上手くやっているようではないか。どうやって奴らは、食糧を手に入れているのだ?」
コンドルは言い難そうにしながら、こんな説明をする。
「人間共は、農地というものを作ったり、動物達を飼ったりして、食糧を確保しているようです。食糧を探すのではなく、自ら作っているのですね」
「なるほど」とそれを聞くと魔王は言った。何故かにやりと笑っている。
「ならば、簡単な話。それと同じ方法を執れば良いではないか」
直ぐにコンドルは返す。
「ですが、問題があります」
「なんだ?」
「方法が分かりません」
「方法が分からない?」
「はい。まったく」
彼らの間に重い沈黙が流れた。
――勇者領。都市の近くにつくられている避難民達の村。正確には初めはただのキャンプだったものが、少しずつ整備され、村っぽくなっているだけのものなのだが、少なくとも“生活の場”という雰囲気はある。
スネイルがその村の工房を訪ねていた。彼らは耕運機や、その他の“回転魔法”を利用した機械を作っている。スネイルはその技術者達に話を聞くつもりでいるのだ。セルフリッジが報告した通り、農地開拓の経過は順調で、一見は何の問題もないように思えるけども、その先にまったく別の大きな問題が控えている事を、彼は見抜いていたから。
「よぉ、やっているかい?」
既に何度か訪ねた事があるのか、スネイルは気軽に技術者の一人にそう話しかけた。話しかけられた技術者は、畏まってこう返す。
「ああ、スネイル様ではないですか。お蔭様でよろしくやっております。まだ少し慣れない仕事ですし、依頼量も多いので、毎日が忙しくて大変ではありますが、これは嬉しい悲鳴というやつでして何の問題も……」
放っておくとそのまま永遠に話し続けそうだったので、スネイルはそこで割り込むようにしてこう質問した。
「“依頼量が多い”って、それはクロナワ地方からの依頼かい? まだ耕運機が足らなかったのかな?」
「いえ、別の地方からでして。ありがたい事に、機械の評判を聞きつけて、注文が色々な農家から来ているのですよ」
それを聞くと「はぁ、まぁ、普通はそうなるよなぁ」とスネイルは淡々と言った。ただし、敏感な者ならそこにある少しばかりの憂いを見逃さないだろう。実際、
「あの……、何か問題でも?」
技術者の一人がそう心配そうに尋ねた。
スネイルは首を横にゆったりと振る。
「いやいや、君らには何の問題もないよ。むしろ、よくやってくれている。感謝したいくらいさ。たださ……」
「ただ?」
「そうして、君らが作った機械が普及すればするほど、農業に人手がいらなくなるだろう?」
それを聞いた技術者は、キョトンとした顔になると言う。“思ってもいなかった”ってな表情。
「ああ、なるほど。確かにそれはそうかもしれませんねぇ」
と、そしてそう呟くように言った。
「うん」と頷くと、スネイルは続ける。
「するとな。農村にたくさんの失業者が出てきちまうんだよ。土地持っている豪農なんかにとっちゃ嬉しい事なんだろうが、雇われている連中は生活ができなくなる。これがちょっとばかり大問題でさ」
そのスネイルの説明に、技術者は慌てた。
「もしかして、おれらはやっちゃいけない事をやっちまってたって事ですかい?」
それに再びスネイルは首を横に振る。
「いんや、違う。さっきも言った通り、君らは見事に自分達の役割を果たしてくれている。その失業問題を解決するのは、国であるこっちの仕事だよ。ただ、その為に少しばかり相談に乗って欲しくってさ」
技術者はその言葉に何度も頷きながらこう言う。
「おお、おお、そういう事なら早く言ってくださいよ。何でも相談に乗りますから」
妙に嬉しそうだ。技術を評価された点だとか、命の恩人とも言える勇者パーティの一人から頼りにされたことだとかが嬉しかったのかもしれない。
それから技術者達は、「さ、さ、立ち話もなんですから」とスネイルを客室に招こうとする。ところが、そこでスネイルは妙な雰囲気に気が付いたのだった。技術者達の何名かに、見慣れない者がいる。その瞬間、彼は迷わず行動に出た。
「賢者の慧眼!」
と、彼は突然にそう叫んだのだ。両目が光る。なんだこりゃ?と書いている本人も思わないでもないけども、とにかく目が光ったのだ。そして、その光にある三名が照らされると、人の姿が消えてトカゲのような姿をした異形の者がそこに現れたのだった。間違いなく魔物、リザードマンだ。
技術者達がにわかにざわつく。
「なんだ、こいつらはぁ?!」
「人に化けてやがった!」
逃げようとする者、武器を探す者、捕まえようとする者。
その光景を見ながら、スネイルが淡々と言う。
「舐められたものだな。まさか、勇者パーティの賢者であるこのオレがよく立ち入るこの工房に忍び込もうなんて魔物がいるとは」
忘れている人も多いかもしれないけれど、彼は賢者ね。
「すいません。あいつらは最近雇った新参者で、生活に困っているって言うもんだから、つい……」
技術者の一人がそう謝罪をした。
「あ~、そういうの別に良いから」
と、呑気な口調でスネイルは応えると、それから真剣な表情を見せる。
「速度強化の魔法!」
そしてそう唱えると、次の瞬間には高速で移動し、リザードマンのうちの一人の尻尾を足で踏んづけていた。リザードマン達はもちろん、技術者達も誰一人としてそれを目で追うことはできなかった。
「こりゃ、かなわねぇ!」
そう悲鳴のような声を上げると、残りの二人のリザードマン達は大慌てで逃げようとする。スネイルはにやりと笑うとこう言う。
「逃がすか、バカ」
そして、手を動かし、空間にある何かを握るような動作をする。「空気の手」と彼はそう呟いた。するとその先にいるリザードマンは急に前に進まなくなった。足は動いているが、空回りしていて、身体は前に進んでいない。ちょうど、見えない手に尻尾を握られているように思える。反す動作でスネイルは、今度はもう一つの足で何かを踏むような動作をした。
「空気の足」と、そう言う。
すると、今度もその先にいるリザードマンは動かなくなった。尻尾を何かに踏まれているような感じだ。
それから自信たっぷりの口調で彼はこう言った。
「さて、さて。これで全員捕まえたぞ。一応、魔王達とは同盟関係があるから、この程度では一人も殺す訳にはいかないが、何をするつもりだったのかは話してもらう」
彼がそう言い終えると、その流れるようなあざやか手際と常人離れした戦闘力に、技術者達は喝采を送った。
「おお、凄い! 流石、勇者パーティの一人だ! 頼りになる!」
思った以上に受けたものだから、スネイルはそこでかなり良い気になった。忘れている人も多いとは思うけども、彼は元遊び人。調子に乗る時は乗るみたい。
「フフフ。まぁ、それほどでもあるけどね!」
そんな事を言って浮かれている。
フィーバー!
しかも、追い打ちとばかりに技術者達はそんな彼を口々に褒め称えた始めたのだった。
「本当に凄い! 今度、一つで良いから、その技を教えてください!」
「うちの娘をどうか嫁に!」
「近いうちに宴会をやりましょう!」
こいつらもけっこう調子の乗るタイプかもしれない。しかし、
「はっはっは!」
なーんてスネイルが上機嫌で笑っていると、不意に技術者の一人が不安そうに話しかけて来たのだった。
「あの…… スネイル様?」
「なーに?」とスネイル。
「リザードマン達、逃げてしまっているようですけども……」
それを聞いて、スネイルは“え?”と思う。マジで? 尻尾の感触は確かにまだあるのに。そこでリザードマン達の姿を確認しようとして、彼はギョッとなった。
そこにはリザードマン達の尻尾だけがあり、本体は何処かへと消えてしまっていたからだ。スネイルは叫ぶ。
「奴ら、尻尾を自切して逃げやがったぁぁ!!」
かなり、間抜け。
……数十分後。
「分かりました。どうも奴らは、作りかけの耕運機の一部とその設計書を盗んだようです。なくなっていますから。魔動力車輪部分と設計書が」
そんな報告を技術者の一人が上げて来た。それを聞いてスネイルは「はぁ」とため息を漏らす。
「やられたな。技術力を盗みに来ていたんだ、奴らは」
それから技術者達は彼に口々に謝って来た。
「すいません。これだけいながら、誰も奴らの逃亡に気が付かなかったなんて……」
スネイルはいつもの飄々とした感じを直ぐに取り戻すとこう言った。
「いや、いいよ。やられちまったもんは仕方ないし、オレも悪かったし。しかし、まいったな。魔王に追及しても知らぬ存ぜぬで通すよな絶対に。さて、どうするか……」
それを聞いて、技術者達は申し訳なさそうな顔を浮かべる。“責めるつもりはないのになぁ”なんてそれを見てスネイルはそう心の中で呟いた。しかし、そこでふと彼はこんな疑問を思ったのだった。
“……あれ? でも、魔王んっとこの連中って、そもそも農業なんかやってなかったよな? 耕運機の技術なんて盗んでどうするんだ?”
――でもって、魔王城。
コンドルが嬉しそうな声を上げて、こんな報告を魔王にした。
「魔王様! 朗報です! リザードマン達が見事にミッション・コンプリートです! 人間達が食糧生産量を向上させたという技術を盗んで来ました!」
魔王はその言葉に歓喜の声を上げる。
「なに? それは本当か?!」
「本当です!」
目の前にある何かを手で指し示しながら、コンドルが言う。
「それが、これになります!」
そこには、一つの車輪があった。
「おお! で、これが何なのだ?」
「はい。リザードマン達の説明によると、このスイッチを押すと……」
実際に、そこでコンドルはスイッチを押す。すると、カラカラと車輪が勝手に回り始めた。魔王は再び尋ねる。
「おお! で、これが何なのだ?」
コンドルは何も答えない。
もう一度、魔王が尋ねる。
「おお! で、これが何なのだ?」
コンドルは固まる。
しばらくの間。
ようやく彼は口を開いた。
「何なの…… でしょうね?」