8.回転魔法
「結論だけ言うと、わたしはこの人のことをとても気に入りました」
アンナ・アンリが嬉しそうにそう言った。
「そりゃ、見れば分かるけど」とティナ。相変わらずにアンナはセルフリッジに抱きついたままだったから。ティナは頬を引きつらせて、向かいの席に座っている彼女らを眺めながら居心地が悪そうにしている。それからこう続けた。
「取り敢えず、セルフリッジさんから離れて普通に話さない?」
「駄目です」
「駄目なんだ」
それから、仕方ないと思ったのかどうかは分からないのだけど、そのままの体勢でセルフリッジが口を開いた。
「アンナさん。あの、では、僕らの頼みは受け入れてくれるのでしょうか?」
それを聞くと、急にアンナは真面目な表情になる。それから彼女は少しだけ彼から身を離すとこう言った。
「いえ、それとこれとは別問題です」
それにセルフリッジは、残念そうな顔を見せたのだが、それから直ぐに彼女はこう続けたのだった。
「ですが、取り敢えず、ちゃんと話を聞こうとは思います。詳しい事情を聞かせてくださいな」
ティナは呆れた表情でこう言う。
「そういや、あんた、話をちゃんと聞こうともしていなかったものね……」
それからセルフリッジはアンナに何をどう困っているのか詳しく事情を説明し始めたのだった。それを聞き終えると、彼女はこう言う。
「なるほど。話は分かりました。つまり、このままでは難民の為の食糧が不足してしまうのですね。で、食糧生産技術に使える魔法技術を何かわたしに教えて欲しいと」
「はい。その通りです」
それから少し考えると、彼女はこう言った。
「そういう事情なら、協力しないこともありません。ただし、条件がいくつかあります」
「何でしょう?」
「まず、わたしが教える技術は必要最低限のものに止めるということ。人間に必要以上に技術を与えると何をするか分かりませんから。それと、わたしが技術協力をしたという話も伏せておいてください」
それにセルフリッジはやや悲しそうな表情を見せた。「何故でしょう?」と問う。それでは相変わらず彼女は嫌われたままになってしまうから。
「人間は甘えられると思うと、際限がないからですよ。それで勝手に失敗をする。わたしは今までに何度もそんな経験をしてきました。わたしはだから人間にはあまり関わりたくないんです」
「はぁ」
それにセルフリッジは複雑な顔をした。アンナもやはり複雑な顔になる。それから直ぐに気を取り直すようにアンナは口を開いた。
「それと、まだ条件があります。ご存知の通り、わたしは人間をあまり信用していません。信用しているのはセルフリッジさんだけです。だから、技術を教えるのはセルフリッジさんだけにします。いいですね?」
「はい。分かりました。つまり、僕が直接あなたに会って、教えてもらえば良いのですよね?」
それにアンナはにっこりと笑う。
「その通りです」
傍らでそれを聞いていたティナは、そのやり取りに呆れていた。
“それって、ただ単に彼に会う口実が欲しいってだけじゃないの?”
なんて思っていたから。
話がまとまった後も、アンナはセルフリッジにべったりだった。むしろ、心置きなく甘えられると、それまで以上に抱きつきまくっているような気さえする。ティナはそんな二人と一緒にいるものだから、そりゃもう居心地が悪いったらありゃしない。しばらくは部屋の外に出ていたが、いつまでも闇の森の魔女の屋敷にいる訳にもいかないし、放っておいたらアンナはいつまででもセルフリッジにべったりしていそうだったので、仕方なく部屋の中に戻って、そろそろ帰る旨を伝えたのだった。
自分一人で帰ってやろうかと本気で考えもしたのだけど。
ティナは素直にアンナが彼を帰すかどうか心配したが、流石にそこは200年以上生きているだけあって分別があるようで、「名残惜しいですが」とあっさりとそれを認めた。あるいはセルフリッジを困らせたくなかっただけかもしれないが。
「本当を言えば、都まで送りたいところですが、わたしはこの森をあまり長く離れる訳にはいかないので」
そう言ってから、彼女はティナをじっと見る。そして、
「帰り道。もしかして、セルフリッジさんとあなたは二人きりですか……」
と、そんな事を言う。従者がもう一人いるので二人きりという訳でもないけれど、それをティナが言う前にアンナは再び口を開いた。
「まぁ、大丈夫ですかね。あなたは、あの勇者の坊や一筋でしょうから」
それを聞いて、ティナは顔を赤くした。
「何よ、それは? なんで、そうなるの?」
無視してアンナは続ける。
「いい加減、子供のような愛情表現を改めないと、くっつくものもくっつきませんよ?」
「ほっといてよ」
そう言ったティナの顔は、さっきよりももっと赤かった。
それからティナはセルフリッジと帰路についた。闇の森の道を歩いている。今思い返してもあの闇の森の魔女のセルフリッジへの惚れっぷりは異常だった。振り返ったら、まだたくさんのハートマークが空に昇っていくのが見えそうだ。そしてだからこそティナには不思議だった。
“あの女、いやにあっさりとセルフリッジさんを帰したわよね……”
それからこう呟くように言う。
「ねぇ、セルフリッジさん。これから、あなたはどんな魔法技術を教えてもらうのか、まずはそこからあの魔女と話し合いをする訳でしょう? 何度かここを行き来する事になるかもしれない。時間がかかるわ。そんなことをしていて、食糧の増産に間に合うのかしら? ちょっと不安なのだけど」
ところが、それをセルフリッジはあまり心配していないようなのだった。澄ました顔でこう返す。
「それは彼女の事ですから、何か考えがあるのではないですか? 手紙を高速で届ける魔法とか、伝えたい言葉を飛ばす魔法とか、相手が魔法使いではなくても通信できる何らかの魔法を、彼女なら持っていそうです」
それは確かにセルフリッジの言う通りだった。恐らく、そんな便利な魔法を闇の森の魔女は持っているだろう。だけど、あの女が彼に会うチャンスをそんな魔法に頼って潰すようにも思えない。
それで、ティナはその時から悪い予感を感じていたのだった。
――で。
王城の会議室。いつもの勇者パーティのメンバーが集まっている。ただ、今回はその他にも参加者がいた。
キャサリンが口を開く。
「って訳で、いつものようにこれから会議を開くのだけど、何故か、今回は部外者がいるわ」
それにこんな声が上がる。
「当たり前です。あなた達だけでは、どうせボケ倒してグダグダになって話が前に進まないんですから。セルフリッジさんが参加した方が良いに決まっています」
そう。この会議には、セルフリッジが参加しているのだった。
キャサリンはそれに頷いた。
「うん。それは別に良いわ。と言うか、正式にセルフリッジさんは相談役として国で雇ったし、セルフリッジさんの提案で話が進んだ段階で既に今回のプロジェクトの重要メンバーになっちゃってるし……
でも、他にも部外者がいるでしょう? ねぇ、闇の森の魔女さん?」
そう。先ほどの声の主。何故か、この席にはアンナ・アンリもいたのだった。それに不服そうにアンナはこう返す。
「当然です。あなた達だけでは、セルフリッジさんに迷惑をかけるのは目に見えているんですから。わたしが一緒にいて彼をサポートします」
ティナがそれに引きつった顔で抗議するように言う。
「いやいやいや…… あなたが技術協力してくれる訳だし、百歩譲ってそれを認めるにしてもまだおかしな点があるでしょう?」
「どんな点ですか?」
「なんで、あなたは会議を始めようかって時に、セルフリッジさんに抱きついているのよ!」
そう。アンナ・アンリは会議を始めようかというその席上で、平気でセルフリッジに抱きついていたりしたのだった。もう、べったりと。
困った顔で、セルフリッジが言う。
「あの……、アンナさんの席も用意しましょうか?」
「それには及びませんわ。わたしは、このままで充分です」
そのやり取りに「はぁ」とティナはため息を漏らす。やっぱり、自分の悪い予感が的中してしまった。闇の森の魔女は、瞬間移動の魔法も持っていたのだ。著しく魔力を消費するけども、その気になれば闇の森から王城までワープするくらいならできる。当初から、彼女は食糧増産計画に参加…… という名目でセルフリッジに会いに来るつもりでいたに決まっている。だから、闇の森であっさりとセルフリッジと別れたのだ。
「そんなに不満があるのなら、あなたも勇者の坊やに抱きついて会議すれば良いじゃないですか」
そのティナの態度を見て、アンナはそんな事を言う。
「バカ言ってるんじゃないわよ!」
と、顔を真っ赤にしてティナ。
「ふふ。僕に抱きつきたいのかい? さぁ、遠慮せずにおいで、ティナ」
と、両手を広げる勇者キーク。
「あんたも何を言ってるのよ?!」
それを受け、“拳固でグリグリ”で、ティナはキークにツッコミを入れた。
「イデデデ! やめて、ティナ! お前の力でそれはやばいって、だから」
はい。ここまでの流れ、テンプレ。
いつもの事だからか、それとも関心がないのかアンナはそのやり取りを無視して、口を開いた。
「前にも言いましたが、“闇の森”はそんなに長い間空けられません。短い貴重な時間を使うのですから、当然、セルフリッジさんへ甘えるの込みで、この会議には参加します」
キャサリンが無表情でそれに返す。
「何が“当然”なのか分からないけど、まぁ、このままだと会議が始まりもしないから、黙認するわよ。ちゃっちゃと始めましょう」
「イデデデ!」
横では相変わらずに、勇者キークがティナから“拳固でグリグリ”されていた。が、キャサリンは無視して続ける。
「今回は、“闇の森の魔女”アンナ・アンリがどんな魔法技術を国に提供してくれるのかが決まったそうなのでその報告と、これからの計画について話し合うわ。
まずは、どんな魔法技術を提供してくれるのか、ちょうど闇の森の魔女本人がいるから自ら発表してもらいましょうか」
それを受けると、アンナ・アンリは更に強くギュッとセルフリッジに抱きしめてから「ここにいるセルフリッジさんと、密室でゆっくり話し合った結果……」とそう前置きをしつつ言った。
その前置きはいらんと思うけど。
「あなた達に提供する魔法技術は、“物を回転させる魔法”に決まりました」
それに「何?」と声を上げたのは会議になると存在感がかなり薄れるゴウだった。
「たった、それだけか? 魔法で物を回転させるくらい、ここにいるほとんどの者にもできるだろう? 俺にはできんが」
するとそれにアンナは首を横に振った。
「いえ、この魔法のポイントは、誰にでもそれが可能というところです。子供でも、農夫でも、それこそ犬でも。スイッチさえオンにできるのなら、誰でも回転させる事ができるのですね」
「イデデデデ! 本当に痛い!」
そこで勇者キークが、そう一際大きく悲鳴を上げた。見ると、キークを“拳固でグリグリ”しているティナの目が血走っている。鼻息も荒い。フンスッ、フンスッ。恐らくは当初の照れ隠しの目的を忘れて、本気でキークを“拳固でグリグリ”することに愉悦を感じ始めている。……いつもの事なのだけど。
「ちょっと、キークうるさい」
と、キャサリンが言う。酷い。
「あの…… 止めなくて良いのですか?」
セルフリッジが、流石に見るに見かねてそう言った。スネイルが淡々と返す。
「うちの勇者は、黙らせておいたが方が会議がスムーズに進むから、このままでもいい気がするな」
「でも、うるさいわよ。悲鳴が」とキャサリン。
かなり酷い。
その流れに歯向かうように、勇者キークが必死に声を出す。
「でも……、イデデ… “回転魔法”って、ティナやめて。イデ…… たったそれだけで食糧増産が可能なの? もっと、他の魔法も教えてくれた方が……」
ティナがそれに続ける。もちろん、“拳固でグリグリ”しながら。
「あ~、わたしもそれは思った。ケチケチしないで、もっとドーンッと役に立つ魔法を教えなさいな」
アンナはそれに淡々と答えた。
「甘いです、そこのバカップル。ただ単に回転させるだけの事が、どれだけ強力なのかをまったく分かっていません。断っておきますが、わたしは人間に教えるのには強力過ぎるって思っているくらいなんですからね」
ティナがそれに照れながら返す。
「バ…… カップルってなによ。カップルって……」
顔、真っ赤。でもって、“拳固でグリグリ”はもちろんやめない。モジモジしながら。むしろ強くなる。「イデデデデ!」と勇者キークが悲鳴を上げた。
それに「あ、反応するのそこなんだ」とキャサリンがツッコミを。
そこでスネイルが口を開いた。
「まぁ、確かに回転魔法は強力だな。水や風がなくても水車や風車と同じ事ができるし、車輪だって自動的に回せる。応用すれば、耕運機だって作れる…… な。もしかして、馬車の代わりも作れるかもしれないぞ」
それを聞くと、セルフリッジがうんうんと頷きながら言った。
「その通りです。実は、“回転魔法”さえあれば、そういった道具を作れる技術者達には既に当たりがついていましてね」
彼はようやくティナがキークを“拳固でグリグリ”しながら進む会議に慣れたようだった。
慣れちゃいけない気もするけど。
「……あの、ところで、そろそろ、その拳固をやめませんか?」
あ、そうでもなかったみたい。
そのセルフリッジの説明を受けて、スネイルが口を開いた。
「話は分かった。その“回転魔法”を原動力にして動く機械をつくって、それで農地を増やし、食糧増産を行う計画なんだな。反対はないが、意見はある。機械の製造について一つ提案させてくれ」
「なんでしょう?」
「道具の製造の仕事、できる限り避難民達にやってもらおう」
それを聞いてセルフリッジは「なるほど」とそう言った。
「このままこの社会で生き続ける以上、彼らにだって仕事が必要という事ですか」
「そう。ただの支援ってだけじゃ、支援する方もされる方もどちらももたない。だから、仕事を与えてやる必要があるんだよ。経済の仕組み的にも、精神的にも、な」
セルフリッジは頷く。
「分かりました。その方向で、話を進めていきましょう」
そこでキークが悲鳴を上げた。
「イタイー! ティナ、ちょっと今回しつこ過ぎない?」
照れが入っている部分、いつもよりもちょっと長いよう。
キャサリンが冷淡に言う。
「真面目に終わろうとしていた会議の流れが台無しね」
そして、最後に、何故か出番のほとんどなかったゴウがVサインをしてその会議は終わったのだった。
――随分と久しぶりに魔王城。
「魔王様。数少ない社会性に優れた魔物であるワーラットを集め、組織した例のあの軍隊ですが」
そう魔王の部下コンドルが言う。鳥のような顔をした例のやつね(覚えてないかもしれないけれど、なんか、そんなのがいた)。
随分と久しぶりなので、少しおさらいすると、魔物達には社会性が皆無で、だから、軍も組織できなかった。勇者達と同盟を結んでいる間でその弱点を克服しようと、魔王達はまずは軍を組織するところから始めたのだ。
「うむ」と応える魔王。
「経過はどうだ?」
「はい。まったく駄目です。軍として活動している態になっていません。以前、報告した通りですね」
間。
魔王が口を開く。
「原因はなんだ? 何故、解決しようとしない?」
「それも以前に報告した通りです」
「……なんだっけ?」
半分くらい、コンドルは怒っているようだった。言う。
「だから、食糧が足らないんですよ! 軍隊として活動させようにも食糧が足らないもんだから、まったく活動できないんです!」
いや、半分くらいというか、完全に怒っているかもしれない。魔王は誤魔化すようにこう言った。
「原因が分かっているのなら、どうして解決しようとない!?」
いや、誤魔化すようにというか、完全に誤魔化しているかもしれない。
「それもあなたが“もう少し様子を見よう、気合いと根性でなんとかなるかもしれない”って、そう言ったのでしょうがぁ!」
「そうだっけ?」
「そうですよ!」
間。
また、魔王が口を開いた。
「で、それを解決するには、どうすれば良いのだ?」
コンドルは頷くとこう答える。
「はい。全員を軍に従事させるのは不可能ですので、何割かを食糧生産に当てれば良いのではないかと。その連中が、ワーラット達の全員の食糧を生産してくれれば、残りは軍役に従事できます」
「なるほど。では、半分を食糧調達に当てて、残り半分で軍を組織しよう」
間。
疑いの目で、コンドルは魔王を見つめている。
「そんなざっくりな決め方で大丈夫ですか? 本当にそんな割合で上手くいくのでしょうかね? 食糧調達担当が足らなかったら、どうするのです?」
魔王はガッツポーズを取るとこう言った。
「大丈夫だ。きっと、気合いと根性でなんとかなる!」
なんか、魔王は気合いと根性が好きなみたいだった。案外、ゴウと気が合うかもしれない。
「国民は国家の為に犠牲になるものだ。多少の無理くらい何の問題もない!」
最後に、魔王は無駄に気合いを入れて、そんな事を言ったりしていた。ワーラット達にとっては、非常に迷惑な話だろうけど。