19.バブル崩壊と戦争
当初、勇者達の計画は順調に進んでいた。それで、元々彼らは能天気な性質なものだから、かなり楽観的かつ呑気に構えていたりしたのだった。
“これで戦争は、防げた”とかなんとか。
いや、セルフリッジは別だったけども。
彼らの計画は大体こんなものだった。
まず、“闇の森の魔女”アンナ・アンリに“闇の木”の技術協力を受けてその特性を把握すると、それをどう活用するのかを決めて実験を行い、次に実際に小規模の運用を始めた。そして、ある程度の見通しが立った辺りで、わざと強力な新軍事兵器の存在と一緒にその情報をクロちゃんに流したのだ。
クロちゃんに情報を流せば、人間社会の軍事的優位が難なく魔王達に伝わるから。
ティナがごく自然に…… とは程遠い感じで、クロちゃんにいかにもわざとらしくそれを伝えたのだけど、ほら、クロちゃんはあんな感じだから、それを疑いもせずに魔王達に報告してくれたのだ。
「今日は重要な報告があります」
と、クロちゃんは言う。目の前には魔法通信の時に生じる紫色の濃い霧のようなものがあって、そこから返信が来る。
『ほぅ。辛抱強くお前にスパイをさせていた甲斐があったな。それで、それはどんな情報だ?』
相手はいつも通りの彼みたい。
「軍事に関する情報です」
そうクロちゃんが答えると、彼は喜びの声を上げた。
『何! 極秘情報ではないか!』
それを聞いてクロちゃんは「極秘情報とは言っていないけれども」とそう言ったけど、例によってそれは小さ過ぎて相手には聞こえていなかった。
ティナはこんな事を彼に言っていたのだ。
「最近ね、人間達の軍事兵器も凄く強力になっているのよ。ちょっと前とは、雲泥の差。もし、魔王達と戦争になっても、今ならわたし達以外の普通の兵士達だけで充分に対抗できるでしょうね。
でも勘違いしないでね、クロちゃん。その軍事兵器は使う為にあるのじゃないの。むしろ、使わない為にあるの。ほら、強力な兵器があるって分かっていたら、魔王達だって戦争をしようとは思わないでしょう? つまり戦争を未然に防ぐ為にあるのね。
だけど、それを上手く魔王達に伝えられないと意味がないのだけど。
なんとか、ならないかしらねぇ?」
それを聞いたクロちゃんは、“ティナの役に立てるのなら”と、それを魔王達に報告することにしたのだ。
クロちゃんがいかに人間達の軍事兵器が強力かを説明し終えると、相手は困惑した声を上げた。
『それは、本当か?』
「本当です」
自信満々。
実際に見てはいないけれども、ティナが言うのだから本当だろう。
……なんて、クロちゃんは思っている。
『しかし、それらを使うのには魔力が必要なのではないか? 人間社会には、魔石があまりないと聞く』
そんな相手の言葉に対し、クロちゃんは気楽な感じで「あ、それも大丈夫みたいです」と答えた。
これもティナが言っていたのだけど。
「“闇の木”というものがあって、それを使えば光を魔力に変えられるのだそうです。だから魔石はなくても大丈夫なのだって」
そのクロちゃんの説明に相手は慌てる。
『なにぃ? それは本当か?』
「本当です」
やっぱり、自信満々。
実際に見てはいないけれども、ティナが言うのだから本当だろう。
……なんて、やっぱりクロちゃんは思っている。
それから、直ぐに相手の苦悩する声が聞こえて来た。
『ううむ…… 何という事だ。これは戦略の見直しが必要かもしれん』
「必要です」と、クロちゃん。
なんか、軽い。
それからしばらく苦悩した後で、相手はこんな事を訊いて来た。
『……ところで、今日のティナの下着の色は何色だ?』
「分かりません」
『なにぃ それは本当か?』
「本当です。今日はティナは隠れて着替えました」
『本当に?』
「本当に」
……なんて、感じ。
魔王達はそれで怖気づき、以前にあったイケイケムードも消えかけていた。組織力の問題さえ克服できれば、戦闘能力では圧倒的優位に立っていると思っていたのに、いつの間にかそれがなくなっていて、しかも魔石がなくても人間社会は何にも困らない。
つまりは人間達に対して彼らが持っていた強みが、一気になくなって、逆に“食糧”という弱点を抱えてしまったというそんな状態になっていたのだから、それも無理はない。
そこで勇者達は駄目押しとばかりに、“闇の木”の普及をし始めた。そうなれば、魔石の輸入は減る。クロちゃんを通して魔王達に伝えた情報の信憑性が増すって訳。これで戦争をするなんて馬鹿な計画は中止にしてくれると、だからそう勇者達は思っていたのだ。
ところがどっこい、話はそう思い通りには進まなかったのだった。
勇者達は魔石の輸入を減らすにしても、段階を踏んで徐々に減らしていくつもりだった。大きなインパクトを相手に与えるのは、色々な意味でよろしくない。魔物達の経済にダメージを与え過ぎると、自棄になった連中が何をし始めるか分かったもんじゃないから。
けれど、そのほんの少しの魔石輸入削減だけでも、勇者達の予想に反して、魔物達の経済に大ダメージを与えてしまったのだった。
原因はシロアキの仕組んだバブル経済、その崩壊だった。
魔物社会では、それまで魔石会社の株価は相変わらずに上昇をし続けていた訳だけど、実績の伸びはそれほどでもない。つまり、その高い株価に見合った実力を、魔石会社が持っているとは思えなかったのだ。
そして、そんないくら金融経済に不慣れな魔物達でも、これは不安になるでしょってなところで、人間社会は魔石の輸入を減らしてしまったのだった。業績が伸びるどころか、むしろ悪化してしまった。元々、幻想で膨らんでいただけの経済だから、その不安の急速な増殖と膨張は止めようもなかった。彼らは金融経済の知識なんてほとんど持っちゃいないから、どう対策を執れば良いのかも分からないし。
それで実に呆気なく、彼らのバブル経済は、その狂喜と共に簡単に弾けて消し飛んでしまったのだった。
株価急落。金融恐慌。経済社会は麻痺状態。
魔王とその側近達は、しばらくは放心していたらしい。
彼らは財産のほとんどを、株につぎ込んでいたのだ。しかも、バブル経済の崩壊によって混乱した経済の所為で、彼らの配下の魔物達は不満だらけになっていた。
良くなっていた暮らしが一気に悪化、むしろ経済成長前よりも苦しくなっちゃった。食糧調達はどうするんだ? わずかな食糧を巡っての争いが起きたりなんだり。もちろん、魔王に対して文句を言う者も数多くいる。
「こんな事態になって、一体、どうするつもりだ?」
「人間共の口車に乗って、うっかり貨幣経済なんかを導入するから……」
「あんなに浮かれまくって、まったく間抜け過ぎる!」
そんな事を口々に。
そして、ただでさえショックを受けている状態のところにそんな追い打ちをかけられたものだから、ある時に遂に魔王は“プッツン”してしまったのだった。
「こーなった原因は、全て人間共にある! 攻め込んで、侵略し、略奪の限りを尽くしてくれる!
そして、我々の富を取り戻すのだ!」
つまり、魔王は“戦争”を宣言してしまったのである。
シロアキ以外は、誰も彼らを騙してはいないし富を搾取してもいないのだけど、頭に血がのぼったまま戻って来ない状態の魔王にそんな理屈は通じない。ある程度は既に食糧を備蓄していた事も悪かった。戦争ができないこともなかったから。
もちろん、このまま戦争を始めれば、多分、魔王達は負ける。少し戦争が長期化すれば、食糧の確保が難しくなる上に、相手は以前とは比べものにならないくらい強くなっているらしいから。
だけど、繰り返すけど、頭に血がのぼったまま戻って来ない状態の魔王にそんな理屈は通じない。
「我らが魔王軍の力をもって、人間社会をねじ伏せてくれる!」
――魔王はそうして、人間社会への侵攻を開始してしまったのだった。
――。
……その時、クロちゃんはとても困っていた。
何でか知らないけども、お城に出勤していたはずのティナが自分の部屋にやって来て「お願い、魔王達と話したいの。通信して」とそうお願いをして来たからだ。
え? あの通信、バレてたの?
なんて、彼はちょっとはビックリしたけれど、なんでか、それほど気にしなかった。
クロちゃんとしては、大好きなティナからのお願いだから、そりゃあ聞いてあげたいのだけども、ちょっとばかり問題が。通信してしまったなら、魔王達に自分のスパイがバレたことがバレてしまう。そうなったら、どうなってしまうか分かったもんじゃない。
しかも、ティナだけじゃなく、他の勇者パーティの面々もそこにやって来ていたのだった。彼の嫌いな勇者キークも、もちろん。それで思わず、クロちゃんは勇者キークを睨みつけてしまったのだけど。
「悪いが、緊急事態だ。手段を選んでいる暇はないぞ。もし、言う事を聞かないってのなら拷問する」
スネイルが淡々とした口調でそう言った。冷めた感じが逆に怖い。
「ちょっと止めてよね。そんな事をしなくても、クロちゃんはちゃんと協力してくれるから」
それを聞いて、ティナがクロちゃんを守るようにして抱きしめる。それが嬉しくて、顔を赤くするクロちゃん。まぁ、黒いから分からないんだけど。
ただし、それを見て、なんとなくキャサリンは察したらしかった。
「ティナ。逆効果だから、それ止めなさい」
と、言う。
そして、そう言い終えてから、どうも彼女は先にクロちゃんがキークを睨んでいたのを思い出したらしかった。更に、それで何かを思い付いたらしい。口を開く。
「あのね、クロちゃん。さっきスネイルも言っていたけど、今は緊急事態なの。魔王軍が、こっちに攻め込んで来ている。まだ、遠くだけど、いずれ近くまでやって来るわ。だから、それまでに通信を結んで、連中を説得しなくちゃならない。
もしも、協力してくれないって言うなら、ティナにキークを抱きしめてもらうけど、それで良い?」
「そんなんで、効果あるの?!」
と、それを聞いて全員がツッコミを入れる。ただし、クロちゃんはそれに大きく目を見開き、丸くしていた。反応ありまくり。なんか効果あるっぽい。
そして、続けてティナは顔を赤くしつつ「本当にやらせるつもり?」となんか嬉しそうに抗議をし、キークは「いつでも、僕はオッケェだよ!」と何だか乗り気で、ゴウは「羨ましいな」とそんな事を言う
そして、そのちょっとの間の後で「分かった。やる」と本当にクロちゃんは頷いたのだった。ただ、いつも通りの小声だったけど。
「え?」と、それにキャサリン。よく聞こえなかったから。
「……多分、これ、やるって言ってるのよ」とクロちゃんに慣れているティナが説明すると再びクロちゃんは頷いた。
それを見て、「まさか、本気で効果があるとはな」と、呆れてスネイルが。
何にせよ、それで通信が結ばれる事になったのだった。
クロちゃんが魔法通信を使うと、魔物達側から直ぐに反応があった。恐らく彼らとしても緊迫した状況だからだろう。紫色の濃い霧のようなものの向こう側から声が響く。
『なんだ、何かあったのか?』
ただし、それはいつもとは違う相手だった。勇者達には分かる訳もないけれど、魔王城でそれを受けたのは、なんとあのコンドルだったのだ。
……なんか、大丈夫なの?って感じだけど。
スネイルが言う。
「ああ、あった。それはあんたらの方がよく知っているだろう? オレは、勇者パーティの一人、賢者のスネイルだ。まさか、いきなり同盟を破棄して攻め込んでくるとはな。ふざけるなって感じだ」
そのスネイルの言葉で、コンドルは状況を直ぐに察したようだった。
『……なるほど。スパイがバレたか。あいつは拷問でも受けたか? 簡単に大人しく従うとは』
“ティナがキークを抱きしめる”と、脅されただけだけど。
スネイルが続けた。
「単刀直入に言うぞ? 進軍を今直ぐに止めろ。今の状況で、お前らに勝機があると思うのか? 断っておくが、もしオレらが勝ったら皆殺しにする。一方的に同盟を破棄したんだ。それくらいの覚悟はあるよな?
逆に進軍を止めるって言うなら、経済的に援助してやってもいい。それにだ。協力し合った方が、お互いにとって何倍も利益があるってのは貿易を通してよく分かっただろう? 魔石輸入の規模は縮小するが、魔石以外でも何か取引を始めれば良い」
情を交えない現実主義的な提案だったけれど、飴と鞭を使ったそれは中々に効果を発揮しそうに思えた。ところが、それを聞くなりコンドルはこんな事を言って来るのだった。
『進軍を止めて欲しいのは、むしろこっちの方だ! ワタシだって、むざむざ殺されたくはないわい!』
その声には悲壮な雰囲気がこもっていた。なんか、可哀想。
「どういう事?」と、それにキャサリン。直ぐにコンドルから返答がある。
『簡単に言うと、魔王様はプッツンされてしまったのだ! ワタシが“今戦争をしたら下手すれば殺されます”と忠告をしてもまるで無駄で、怒り狂って出撃されてしまった!』
それを聞いて頬を引きつらせながら、ティナが言う。
「つまり、説得できないって事?」
キャサリンが続ける。
「それどころか、魔王城にいないんでしょ? 説得のしようがないじゃない」
重い沈黙が流れる。ところが、そこでキークが何でもないような口調でこんな事を言うのだった。
「なら、僕らで説得しに行けば良いのじゃないの?」
一同はそれを聞いて、「うんな、馬鹿な」とそう返す。スネイルが諭すように続けた。
「だから、既に説得には失敗しているんだよ、勇者。聞く耳持たずの状態だって、さっき向こうの魔物が言っていただろ?」
しかし、それでもキークは納得しない。
「でも、それって、僕らが経済援助をするって話をまだ伝えていない時だよね? そう言ったら、また違うのじゃない?」
それにティナが言う。
「だから、聞く耳持たずなんでしょ? そもそも話の通じる相手じゃないのよ……」
が、しかし、そうティナが言い終えると、コンドルがこんな事を言うのだった。
『いや、そうでもないかもしれんぞ……
魔王様は、あれで他の者の言葉に耳を傾けてくれるタイプなのだ。冷静になりさえすれば、意外に戦争を思い止まってくれるかもしれん。今なら時間も経って頭が冷えているだろうしな。それに実は小心者だし、単純でチョロイ一面もあるし、ちょっと話に乗せると直ぐにその気になるし……』
「なんか、後半、本音がだだ漏れって感じだけども……」
と、それにキャサリンが言った。
「とにかく、説得できる可能性は充分にあるって事ね?」
ゴウが続ける。
「しかし、説得しようにも魔王の居場所が分からんぞ。行く手段もないし」
ところが、それを聞くとスネイルがこんな事を言うのだった。
「いや、魔王の居場所を知る手段がない事もない、かもしれないぞ……」




