17.バブル経済
自動車の普及によって、経済成長が起こった…… なんて、前回で説明した訳だけれども、それはその直接的な影響だけによってもたらされたものではなかったりしたのだった。自動車が普及した事で、自動車とはまったく関係のない分野の技術力まで上がっていたのだ。
なんでか?
一見は不思議に思えるかもしれないけれど、これは不思議でも何でもない。自動車が普及すれば移動距離が増える。移動距離が増えると、当たり前だけど情報の交換量も増える。情報の交換量が増えれば、有用な情報も活かし易くなるし、その情報に刺激を受けて、新たな発想が生まれるなんて事も起こり易くなる。そうなれば、新たな技術だって誕生し易い。
例えば、どっかの誰かがとても役に立つ道具の設計図を書いたとしよう。でも、それを実現させる為の素材がない。既知の素材では、その条件に合わないのだね。仮にそんな素材を他の誰かが開発していたとしても、それを設計者が知り得ないのだったら結果は同じ。その道具は作り出せない。ところがどっこい、情報交換が活発化していて、その素材の存在を設計者が知る事ができたなら、その道具は実際に現実世界に誕生する。
まぁ、情報交換が活発化すれば、こんなような事が起こり易くなるのだ。
因みに、都市部で発明品の多くが創られる傾向にあるのは偶然ではなくて、人口の多い都市は、こんな感じで情報と情報を結びつけるインターフェースの役割を果たしてくれるからだったりする。
ただし、ただ単に技術力が上がっただけでは、その技術力を社会が活かす事はできない。誰かがその技術力を活かす為に資金提供……つまり“投資”をし、産業として成長させなくては、やっぱりそれは埋もれたままになってしまう。そして、その“投資”を行う役割を担った業界こそが、金融業界だったりする。
金融会社は成長しそうな分野に投資をする。目論見通り、その分野が成長すれば、その見返りとして利益を得られるって感じ。もちろん逆にその目論見が外れて、投資先が衰退したり、思ったよりも成長しなかったりすれば利益は得られないどころか、損してしまう場合だってあるのだけど。
そして、その目論見が途方もない規模で外れまくって、投資額が実体経済の何十何百何千何万或いはそれ以上ってな莫大なものになってしてしまう現象を“バブル経済”と呼ぶ……
まぁ、正確に言うと、“何かを買って、それを売る事で儲ける”って行為には、全てバブル経済が発生する危険性があるのだけど、混乱を招くかもしれないから、ここでは説明をしないでおく。
「なんで、そんな事になっちゃうの?」
――と、勇者キークが質問をした。
前回の続き。オリバー・セルフリッジの例の講義っぽい何かの時間。バブル経済の説明を彼がし終えた後の事。
ま、キークじゃなくても、普通は不思議に思うよね。
セルフリッジは、そのキークの質問を受けるとゆっくりと頷いた。
「はい。とっても理不尽に思えますよね。どうしてそんな馬鹿げた規模の投資を、大勢の人間達がしてしまうのか。常識的には考えられない。
でも、これはむしろ大勢の人間達が関わるからこそ発生してしまうものなのですよ」
「大勢の人間が関わるからこそ?」
「はい。これは群集心理の一種なんですがね」
そう言ってから、セルフリッジは少し考えるような動作をした後で続けた。
「まず、普通のケースを考えましょうか。仮にキークさんが1万Gで売っていたとします」
なんだか、セルフリッジまでキークを商品として説明する案を採用したみたい。ノリに毒されたのかも。
「その段階で、既に普通じゃないけどね」とそれにキャサリンがツッコミを入れた。セルフリッジは構わず続ける。
「1万Gなら、多くの人がキークさんを欲しがるでしょう」
「いや、オレは欲しがらないけどな」とそれにスネイル。
「ここでは、欲しがるとしてください」とセルフリッジ。
ボケがあると話が前に進まないね。セルフリッジは説明を続けた。
「ですが、キークさんの価格が10万G、或いは100万Gなんてなったとしたら、欲しがる人は減るでしょう。そんな大金は出せませんから」
キャサリンが軽く頷きながら「それでも欲しいって思うのは、ティナくらいのものね」なんて言うと、ティナが「ここでわたしを出して来るな!」とそれにツッコミを。そこにアンナ・アンリが、「もしそれが、セルフリッジさんなら、わたしが買いますと」と重ねる。
本当に話が前に進まない。
キークを例え話として採用したからかも。
困った表情を浮かべつつ、セルフリッジは続けた。
「ですが、もし仮にキークさん自身ではなく、キークさんを売る事によって儲けを出す為にキークさんを買いたいと皆が思っていたとしたら、どうです? どんどんと値上がりしているのを観ても、更なる値上がりを期待して、買うかもしれないでしょう?」
それを聞いてスネイルが言った。
「なるほど。確かに勇者なんぞオレは少しも欲しくはないが、転売して儲けられるっていうのなら買うかもな。しかも、値上がりし続けているって言うのなら、安心して積極的に買うかもしれない」
セルフリッジはそれに大きく頷いた。
「はい。その通りです。そんな風に皆が思ってしまったら、価格が上がっても需要は減るどころか、むしろ増えてしまうのですね。そして、需要が増えれば価格は上がり、価格が上がれば、またまた需要が上がる…… 以降は、この繰り返しで、価格がとんでもない規模にまで膨らんでしまうのです」
ティナがそれに続けて言う。
「そして、それがバブル経済って訳ね。実体を離れてそんな風に膨らんじゃうものだから、いつかは必ず崩壊するんだ」
それにキャサリンが「お、キークを例に出したから、今回は理解が速いわね、ティナ」なんて言った。
「なんで、そーなるのよ!」
と、ティナは返したけれど、ほんのちょっとだけ“……そうかもしれない”なんて彼女は思ったいたりしたりした。
セルフリッジが続ける。
「このバブル経済が発生すると、真面目に働く人が少なくなったり、崩壊した後で大損害を被る人がいたりと、色々と社会が不安定になるのです。だから、予防策を打っておくべきだと僕は思うのです。
今は、様々な新技術が登場しているお蔭で投資が過熱してもいますからね」
それを聞いて、キークが尋ねる。
「ふむ、ふむ。バブル経済を予防しなくちゃならないのは分かったけど、具体的にはどうするの?」
すると、セルフリッジは自信たっぷりな口調で言った。
「はい。それにはとてもシンプルで、しかも効果的な手段があるのです。これからそれを説明しますね……」
オリバー・セルフリッジが提示した“バブル経済予防策”は簡単に言ってしまえば、“バブル経済対策特別税法”という法律を設けるといったものだった。具体的には、ある分野の何かが、実体とはかけ離れた額で取引をされるようになったのなら、それを“バブル経済”と認定し、以降はその売買によって発生した利益に特別に税金を課するってなことをやる。
この法律は“バブル経済認定”しても、もちろん価格の上昇を抑制する効果があるのだけど、それだけではなく、何かの取引価格が上昇してきた時に「“バブル経済”と認定されるのではないか?」という不安を煽る事でバブル経済の発生を抑制できるといった効果もある。
つまり、実際に適応されなくても、ただただ存在しているだけでこの法律は効果を発揮するって事だ。行政側にとっても非常に楽だし、厳しい監視も必要ないので、これは実はとても重要なポイントだったりする。
そして、どうやらこの法律には実際にその効果があったらしかった。施行されるや否や、バブル経済が懸念されていた分野の取引が抑制されたのだ……
「やっぱり、勇者側についている奴らの中に、経済の事をよく分かっているのがいやがるな」
新聞記事を読みながら、そうシロアキが呟いた。呟いたと言っても、独り言じゃない。恐らくは仲間に聞かせる為の発言だ。近くに座っていたアカハルは、それを分かっているからか「なんの事?」とそう問いかける。
「“バブル経済対策特別税”だよ。今日の新聞に書いてある。経済が混乱するのを恐れて、勇者達がバブル経済に対して予め対策を打ってきやがった」
それを聞くと、アカハルは眉を少しだけ歪めてからこう言う。
「それ、まずいのじゃない? もしも、魔王達がそれを真似したら……」
少し考えると、シロアキはこう返す。
「いや、ま、大丈夫だろう。あの魔王達にこれが理解できるとはとても思えない。貨幣経済や金融市場を成立できたのだって、奇跡的だったんだ」
そう。魔王達はなんとかかんとかすったもんだの後で、どうにかこうにか貨幣経済及びに金融市場を魔物社会に誕生させられたのだ。それにはどうやら彼らが軍隊を組織した時のノウハウが役に立ったらしい。
魔王は魔物達に支配力を持っている。その支配力を直接使って、魔物達の行動を制御するのではなく、社会性を持った一部の魔物達に指揮権を与え、彼らに直接の指示は任せたのだった。そうする事で、本来は社会性を持たない魔物達にも疑似的な社会性を持たせられたらしい。そして、それによって貨幣経済や金融経済の体制を整えたのだ。
もちろん、そうして誕生した貨幣経済や金融市場はとても拙いものではあった。人間社会のように高度に発達してはいない。しかし、それでもそれは貨幣経済で金融市場だった。だからちゃんと、金融経済特有の現象も発生する。そして、そこにシロアキはある仕掛けをしていたのだった。
「――バブルを発生させて、金を儲けるボクの計画に支障はないさ」
シロアキはアカハルに向けてそんな事を言った。そう。彼は魔物社会にバブル経済を発生させ、それによって金を儲けるつもりでいたのだ。
シロアキはにやりと笑う。
「ボクの“仕掛け”は、今のところは順調に進んでいるよ。何の問題もない」
ここでちょっとばかり彼がやった“仕掛け”を説明しよう。経済に疎い人には、ちょっとあれかもしれないけれど、直ぐに終わるんで、大丈夫(なにが?)。
まず、彼は魔王領の魔石会社の株を少し多く買って株価を引き上げた。そして、その上で魔石をいつもよりも多く買い付けた。すると当然、魔石会社の業績は上がる事になる。これで魔石会社は株価の上昇に見合った業績を上げたように見える訳だ。多く魔石を買った分でシロアキは損を出していたが、それは必要経費みたいなもんだ。そしてそれから、シロアキは再び魔石会社の株を買ったのだ。今までの実績でそれを信頼した魔物達は、「株が上がった」とそれに騙されて、魔石会社の株を買い始めてしまったのだった。今のところ、順調に株価は上がっている。しかも、異様な勢いで。
つまり、バブル経済の兆候が現れているってことだ。
因みに、ぶっちゃけ、シロアキがやった操作は詐欺行為だ。法整備の整っていない魔王社会では犯罪にはならないかもだけど。
「このまま株価が上がり続けて、そろそろ良いだろうって辺りで売り抜ける。そうすれば、またたんまりと稼げるって寸法だ。魔物達が必死に働いて貯めた富を、ボクらが奪い取ってやろうじゃないか」
悪そうに顔を歪ませながら、シロアキはそう言った。それを聞きながら、アカハルは“こいつが敵じゃなくて良かったなぁ、本当に”などと呑気に思っていた。
罠に嵌められる魔物達は、堪ったもんじゃないだろうけど。
……そんな頃、シロアキがそんな罠を張っているなど夢にも思っていない魔王達、その幹部の一人が、上機嫌でティナの自宅にいるあの黒い魔物のクロちゃんと魔法通信をしていた。
『最近は、経済も絶好調でな。魔石会社の株も急上昇しているし、それに引きずられて他の会社の株も上がっているのだ』
機嫌良く、彼はそんな話をクロちゃんに聞かせていた。株が急上昇しているというのは、一見は明るいニュースに思えるけども、本当はとても不安な現象である事を、彼はまったく知らないようだった。
「はぁ」と、それが何の事なのか分からないクロちゃんはそう返す。よく分からないけど、多分、相手が喜んでいるから良い事なのだろうとそう思って。
『ところで、今回、通信したのは他でもない。そろそろ我々の軍備が整っているのだが、人間共にそれを警戒している様子がないかを知りたいのだ。もし警戒されれば、軍を支えている食糧の輸出をストップされてしまうかもしれないからな』
それを聞いてクロちゃんはまた「はぁ」とそう言った。それからこう続ける。
「今のところ、人間共に、魔王様達が軍備を整えている事に警戒している気配はありません。多分、知らないと思います。ですが、良いのですか?」
『何がだ?』
クロちゃんは少し迷ってからこう答えた。
「今は警戒されていなくても、戦争になれば絶対に食糧の輸出をストップされてしまうでしょう? そうしたら、軍隊は維持できないのじゃありませんか?」
それを聞くと、魔物の幹部はしばらく止まった。そしてそれから、
『アッアッア、アー』
と、そう叫ぶ。
『なんてことだ! 失念していた。そうか。そうなのだ! 戦争に入ってからの食糧問題をなんとかしないと、戦争なんかできないのだ! これはまずい! その為の対策を急遽立てなければ!』
なんだか、ようやくその事に気が付いたみたい。
それを聞いてクロちゃんはこう口にした。
「もしかしたら、しまったのかも。ごめん、ティナ。言っちゃいけない事を言っちゃったかもしれない」
いつも通り、声が小さ過ぎて、相手には聞こえていなかったけれど。
それから、しばらく苦悩した後で、ようやく落ち着いたその魔物の幹部は不意にこんな事を訊いて来た。
『……ところで、今日のティナの下着の色は何色だ?』
やっぱり、少しは興味があったみたい。
「白です」
と、それにそうクロちゃんは答えた。




