16.通貨と経済発展
王城。会議室。いつもの勇者パーティメンバー。因みにアンナ・アンリも今回は出席している。珍しく、普通に席に座って。それは説明をするオリバー・セルフリッジの迷惑にならないようにという配慮からで、まぁ、つまりは久しぶりに、セルフリッジによる講義のようなものがそこで行われていたのだった。
「その昔、人間社会で取引は物々交換によって行われていました。ですが、これは非常に効率が悪いものだったんです。そして、その取引の効率を良くする為に発生したものが、通貨であるとも言えるんですよ」
彼がそう言い終えると、キークとゴウとティナの三人は顔を見合わせた。その様子に“分かってねーな、こいつら”と、そう判断したのか、スネイルが乾いた表情で言う。
「例えばだ。ゴウがキークを所有していたとしようか? でもって、当然、ティナはキークが欲しい訳だが……」
それを聞き「何それ?」と、ティナとキークが二人同時にツッコミを。それからティナが「どうして、“当然、ティナはキークが欲しい訳だが……”なのよ?」と続け、キークは「僕、物扱い?」と続けた。
「真面目に聞け」と、それにスネイル。
「真面目に説明して」とそれにティナとキーク。その二人の訴えをスルーして、スネイルは続けた。
「ティナがゴウに対して、“キークが欲しい”と言っても、普通はタダではそれに応じない。まぁ、物がキークだから、或いはタダで応じるかもしれないが、そこは目を瞑ってくれ」
「もっと、他にも色々と目を瞑らなくちゃならないところがありそうなんだけど!?」
ティナとキークがまた異口同音に言った。やっぱりそれをスルーしてスネイルは続ける。
「普通の取引なら、ゴウはティナに対して、こう言うだろう。
“キークをやる代わりに、何かを他の物をくれ”
ここで、もし仮にティナが何かゴウの欲しがる物を持っていたなら話は早い。それを交換してお終いだ。ただし、キークよりもそれが大事じゃなかったらって前提だがな。ところが、現実社会では、そんなに都合良くいくことは稀なんだよ。
つまり、“ゴウにとっていらない物とティナにとって欲しい物”、その反対に“ゴウにとって欲しい物とティナにとっていらない物”、それらがちょうど、マッチングしなくちゃ物々交換ってのは成り立たないんだが、それはなかなか難しいって話だ。現実だと、ここに量の問題も加わるしな」
そこまでを聞いてゴウは「フ」と笑った。
「俺はそう簡単には勇者さんを手放さんぞ」
「変なボケを、1テンポ遅れて繰り出さないでよ」
と、それにキャサリンがツッコミを入れた。まるで、そのボケがなかったかのように、オリバー・セルフリッジが口を開く。
「はい、スネイルさん。説明ありがとうございました。そんな感じで、物々交換は効率が悪いものなんですが、媒介物を入れる事で、この効率を上げる事が可能なんですよ。
例えば、ゴウさんはAが欲しくてBがいらないとします。ティナさんはAはいらないけど、別にBは欲しくない。この場合、取引は成立しませんが、仮に誰でも欲しがってたくさん流通しているCがあったとすると、事情が違ってくるんです。
ゴウさんはBをCと交換する。Cはたくさん流通していますからね、交換するのは容易なんです。そして、そのCをティナさんの持っているAと交換する。ティナさんが別にCを欲しくないとしても、そのCを誰かが持っている自分の欲しい物と交換すれば、自分の欲しい物を手に入れられますから、それでも問題ないんです」
勇者キークが言う。
「ふむ。この場合、その誰でも欲しがるっていう人気のある“C”は僕の事じゃないんだね?」
折角、キークの存在を例え話から排除したのにと思いながら、セルフリッジは返した。
「はぁ、キークさんは、たくさんは流通できませんからね」
困っている。
「当たり前です。誰でも欲しがるといったら、セルフリッジさんくらいのものです」
そこで、それまでは我慢して隣の席で大人しく話を聞いていたアンナ・アンリがそう言いつつ、セルフリッジに抱きついた。
「はぁ、僕はそんなに人気はないですよ?」
と、それに彼は真面目に返す。彼女はそれに嬉しそうにしながら、
「はい。他の人達の見る目がなくって良かったです」
なんて返す。
話が前に進まない。なんか言ってる事が矛盾しているし。
それを見かねてか、仕方ないといった様子でキャサリンが言った。
「まぁ、話は分かったわよ。つまり、その誰でも欲しがって、たくさん流通している“C”が現実社会では“通貨”だって事ね?」
セルフリッジは大きく頷く。
「はい。その通りです。
その昔は、誰でも欲しがってたくさん流通できるって条件を満たす食べ物とか、金属とかが通貨のような役割を果たしていたのですが、耐久性や品質の安定性の問題があって、徐々にそれらは国が定める“通貨”へと姿を変えていきました。
媒介物としての機能を充分に果たすような都合の良い物なんてないですから、“ならば、作ってやれ”と決して消費されず、取引にだけしか使われないのに価値がある物を、社会の側から定めてしまったのですね。つまりはそれが“通貨”の正体です。
通貨の登場により、取引は活発化し、社会は様々な恩恵に与ったのですが、それはただそれだけでは収まりませんでした。通貨は更に独自に発達を遂げ、様々な性質や役割を帯びるようにもなっていったのです……」
……さて、さて。
こんな講義っぽいことを、オリバー・セルフリッジがやっているのには理由があった。このところ好景気で、経済が絶好調なのだ。こう聞くと、「良い事じゃんか。何か問題でもあるの?」なーんて思う人もいるかもしれない。それはもちろんそうなのだけど、経済が絶好調の状態というのは実は中々にコントロールが難しくて、厄介でもあったりするのだ。
だから、勇者達は貨幣経済の基礎を学ぼうと、セルフリッジから講義っぽいものを受けていたりしたのだ。
社会の景気が良くなったのには、もちろん切っ掛けがあった。ある民間会社が、魔王領から魔石の輸入を開始し、それによって人間社会は経済成長の為のエネルギー源を手に入れてしまった事だ。
エネルギー源を手に入れれば、自動車の普及が可能になる。となれば、当然、足踏みしていた道路建設も再開する。自動車の普及は、様々な分野に生産性の向上をもたらし、それによって余った労働力がまた道路建設やその他の公共事業、または民間の新生産物の生産の為に用いられ、以降はその繰り返しの好循環。そうして、それらに纏わる通貨の循環が発生するのだけど、それはそのまま経済の成長を意味する。
勇者達も含めた国の人間達は、“魔王領からの魔石の輸入が始まった”というその事実に吃驚仰天した。まさか、魔王達から何かを輸入する者が現れるなど思っていなかったから。それ以前に魔物と取引するという発想がそもそもなかったのかもしれない(いや、領土の交渉はしたけれども)。しかも、相手は一応は同盟国で、調べてみても法律的にはどうやらそれはセーフみたいだった。それで「止める訳にもいかないし、どうしよう?」なんて思っていたら、いつの間にかにすっかりと“魔王領からの魔石輸入”は、人間社会の高度経済成長を支える原動力となってしまっていたのだった。
魔石の輸入をし始めたのは、とある流通企業だったのだけど、どうやらそこは持ちかけられた話に応じただけで、魔王達との契約をまとめたのは、暗黒街を根城にする小さな金融会社らしかった。因みにその金融会社は、その流通企業に出資して、現在は親会社の地位となっている。つまりは、堂々とした黒幕。
どうやってその金融会社が、魔王達と交渉して取引を成立させたのかはまったく不明だった。それを不気味に思いもしたが、犯罪を行っている気配もなく、勇者達にはその会社を放置するしか手段がなかった。もっとも、スネイルは監視をし始めたようだったけれども。
人間社会にも、“魔石の貿易”は多大な影響を及ぼしていた訳だけど、当然の事ながら、それは魔物社会にも大きな影響を与えていた。しかも人間社会以上に。彼らにとって“魔石の輸出”は、文字通りの意味で、彼らの社会に“経済”を誕生させていたのだ。
――魔王城。
「久しぶりの出番です!」
と、コンドルが叫んだ。続ける。
「魔王様は、前回声だけとはいえ羨ましくも出演を果たしました。しかし、何故か、今まで、ほとんどセットで出演していたワタシの出番がなかった! はっきり言って裏切られた思いです!」
「何を言っているのだ、お前は?」
と、魔王がそうツッコミを入れる。玉座に座ったままで、呆れた様子で。
コンドルはなんだか絶叫しているようだけど、この話が始まって以来、およそ初めて魔王達には明るい雰囲気が流れていた。
「それでどうなのだ? 我らが軍隊の様子は?」
その魔王の問いを受けると、態度を急変させて、非常に畏まった様子でコンドルは答える。
「はい。非常に順調です。人間共から輸入した食糧のお蔭で、組織化に成功しています。しかも日々、訓練を重ね、新たな戦略を生みだし、強力に進化してもいます」
もしかしたら、忘れている人もいるかもしれないけれど、魔王達は魔石を輸出して、その代わりに食糧を輸入していたりする。その食糧を利用して、魔王達は魔物の中で珍しく社会性が高いワーラットを中心に軍隊を組織しているのだ。
その返答に魔王は満足そうに頷く。
「うむ。そうか、そうか。愚かな人間共め。まさか、自分達を倒す為の軍隊を、自分達で育てているとは夢にも思っていまい!」
しかし、彼ら魔王達は、自分達の軍隊が人間社会の食糧に支えられているとは夢にも思っていなかった。
「しかも、それで人間社会が経済発展すればするほど、我々の魔石なくしては成り立たないようになっていっていると来た! 自ら弱点を大きくしているようなものだ! そして、それに気が付いていない! なんと間抜けな連中だろう!」
でも、それは自分達も同じだと、まだ彼ら魔王達は気が付いていないようだった。
アーッハッハッハ!
と、魔王は笑う。笑い続ける。もう快笑。いや、怪笑。
アーッハッハッハ!
アーッハッハッハ!
アーッハッハッハ!
コンドルも一緒に笑っていたけれど、いつまで経っても笑い続けるものだから、しばらくが経ってから、彼はこう問いかけた。
「あの魔王様?」
「アーッハッハッハ! なんだ、コンドルよ?」
「実は魔石と引き換えに輸入している食糧が、かなり余っているのです」
「アーッハッハッハ! そうか。そうか。それがどうした?!」
「はい。どうせ、余っているのなら、他の魔物達にも配り、代わりに何か仕事をやさせてはと思うのですが、どうでしょう?」
魔王はそれに大きく頷く。
「アーッハッハッハ! なるほど。別にかまわん! かまわんぞ! 好きなようにしろ! アーッハッハッハ!」
「はい。では、そのようにいたします」
「アーッハッハッハ! うむ。そのようにしろ!」
……笑い声、ちょっと、うざい。
コンドルは、そう思っていた。口には出さなかったけれども。
コンドルも魔王も別に意図した訳ではなかったのだけれど、魔物社会に経済が誕生したのはこれが切っ掛けだった。
食糧を受け取って、仕事をし始めた魔物達は、驚くほど多様で優秀な道具を生みだしていったのだ。彼ら魔物は協業が苦手だけれども、個人の力としては驚くべき体力や魔力や能力を持っている。だから余暇さえあれば、個人の力だけで、様々な物を生みだせたのだ。魔王が関わらなければ、実は優秀な連中なのかもしれない。
もっとも、それでもそれら作り出された物々は、市場を流通するような事にはならなかったのだけど。
何故なら、彼ら魔物達の社会には“通貨”がなかったから。
「――そうです。それが“通貨”の効果です。もし、通貨を導入したのなら、魔王様達は更なる経済発展に成功するでしょう」
そう説明し終えたシロアキは、疲れてげんなりとしていた。それはそれまで、魔法による通信で、魔王達に必死に通貨の役割を説明していたからだった。表面上取り繕って、疲れていない振りをするのも辛い感じ。
『なるほど。通貨によって取引が増えれば、新たに強力な武具も誕生させられるのだな。それらを装備すれば、我らの軍隊はますます強靭になっていくな!』
魔王のそんな言葉に対し、「はい。その通りです」とシロアキは応える。魔王はようやく満足したらしく、
『ハハハ! では、早速、我らの国でもその“通貨”とやらを導入しよう!』
などと言ってその通信を切った。その瞬間、シロアキはソファの上に横になる。
「お疲れさん」
と、それを見てアカハルが言った。因みに彼はいつもはそんな労いの言葉は滅多に口にしない。
「そーなるのは、分かってるんだから、相談なんか受けなけりゃ良いだろうが。あの馬鹿共に経済を教えるなんざよ」
そう言ったのはクロナツだ。魔王達はどこかで人間社会で取引に用いられている“通貨”の存在を知り、それについてシロアキにレクチャーを求めて来たのだ。シロアキはぐったりとした様子のまま返す。
「そうもいかないだろうがよ。重要な取引相手だ」
その言葉を聞いて、今度はフユがこう尋ねた。
「でも、シロアキさんは、魔王達といつでも切れるように子会社を用意したって言っていたじゃない」
「ああ、そうだよ。魔王達は政情によっては、いつ取引ができなくなるか分からないリスクの大きな相手だ。そうなれば、大損害を被る。その為の対策は用意しておかなくちゃならない。だが、それとこれとは別問題だ。今はまだ奴らは重要な金づるだよ」
そう言いながら、シロアキはゆっくりと腕で自らの頭を支えるようにして枕にすると、不敵に笑ってこう言った。
「それに、奴らが貨幣経済を採用するんなら、もっと面白い事が起こるかもしれないぞ。そうなったら、また金稼ぎのチャンス到来だ」
アカハルが首を傾げつつこう尋ねる。
「面白い事って?」
「――バブル経済だよ」
「――バブル経済です」
と、オリバー・セルフリッジが言った。勇者パーティの面々を前にして。因みに、この章の冒頭の講義っぽいものの続きね、これ。抱きついているアンナ・アンリを、首にぶら下げながら(結局、迷惑をかけてる)彼は説明を続ける。
「通貨は実体経済を離れ、独自の動きをする場合もあります。金融経済というのは、通貨自体を商品にする分野ですが、バブル経済とはこの分野において最も憂慮するべき現象の一つです。
通貨は先にも述べた通り、取引に使われるだけのものです。だからこそ、実体がない。そしてだからこそ、実体を無視して巨大に膨れ上がれるのです。
そして、これが社会にとって、大きな脅威となるのです。だから、未然に防がなくてはなりません!」




