15.エネルギーの輸入
「――で、ティナの所にいるあの黒い魔物はどんな感じなの?」
と、キャサリンがそう尋ねた。そこは王城の資料室で、唐突にそう言われたスネイルは「何が“で”なんだよ?」とそう逆に訊き返す。
「いや、今、不意に何となく思い出したのよね。監視するとか言っていたじゃない。あの…… なんだっけ? クロちゃんだったっけ?」
それは二人で何が面白い資料がないかと暇潰しに資料室をあさっている最中のことで、だからその時の彼女の質問には何の脈略もなかったりしたのだった。
「相変わらずだな、お前は」とスネイルは呆れながら言う。
「いいから、答えなさいよ」
肩を竦めると、スネイルは淡々とこんな説明をした。
「結論から言うと、ティナの所のクロちゃんは、ただの居候だな。内通とかなんだとか、スパイっぽいことをやる気もさらさらないみたいだ。ただ単純に、ティナの家でぬくぬくと暮らしたいだけ」
「根拠は?」
「あのクロちゃんは、魔王と通じているみたいなんだけどな……」
その言葉にキャサリンはわずかに表情を変化させた。淡白な口調で問い詰めるように言う。
「大問題じゃないの、それ?」
しかし、スネイルは動じない。
「最後まで、話は聞けよ。クロちゃんはティナの所にいる為の言い訳で“スパイ活動”っぽい風に見せてはいるが、実質、当たり障りのない事しか伝えていない」
「確かなの?」
「魔法で通信しているのがだだ漏れで、全て傍受できているんだが、今のところ、そんな感じだよ。あいつ、声が小さいから聞き取り難いんだけどさ」
それにキャサリンは「ふーん」と返す。それから疑わしそうな目つきでこう問いかける。
「こっちが騙されているって可能性は?」
「ないと思う。そんな気配はまったく感じられない。ま、魔王と通じているってだけでこっちとしては脅威だから、監視は今まで通りに続けるけどな」
スネイルがそう言い終えると、キャサリンはやる気のなさそうな感じで「ま、信用するけどさ。しっかりやってよ。ワタシ、騙し合いで負けるのは大嫌いなんだから」なんて言って来る。
それを聞いてスネイルは“こーゆう人種も珍しいよな”なんて思ったりしていたのだった。
――そして、とある暗黒街のとある小さな金融会社にも、スネイルの言う“こーゆう人種”の一人がいたりしたのだけど。
「――はっ やっぱり墓穴を掘ったか、役人ども。関わっていなくて正解だったぜ」
金融会社のオフィスの一室。楽しそうに新聞を眺めながら、シロアキがそんな事を言った。その新聞の記事には、一面で「公共事業“収賄”容疑の役人達。一斉逮捕」の見出しが躍っていた。
「あの勇者達に真っ向から対抗しようってのがそもそも根本から間違っているんだよ。リスクが高過ぎる。公共事業の規模を大きくしたいのだったら、もっと安全な他の手段があったのにさ」
反対側の席の斜め右に座っていたアカハルが、それを聞いて「どんな?」と尋ねた。因みにシロアキの後の席に座っているクロナツは、関心がないのかその話を聞いていない。彼は暴力沙汰が専門だから、そういった権謀術数な話題には興味がないのかもしれない。このオフィスで唯一女性のフユは、何らかの書類仕事をやっていて、やっぱり聞いていなかった。
「道路の拡充に勇者達が二の足を踏んでいるのは、自動車のエネルギー源の魔石が足らないからだろう? なら、その魔石を補ってやれば良いだけの話じゃないか」
シロアキのその説明を聞くと、アカハルは訝しげな表情を浮かべた。
「でも、魔石はないんだろう? ないものはどーにもならないよ」
「はっ」とそれを聞いてシロアキは笑う。
「それがあるから言っているんだよ」
そして、そう続けると新聞をひっくり返して他の記事を指差した。
「“魔石を盗みに、魔王領に行った者達、現在行方不明”」
アカハルは、シロアキが指差した記事のタイトルをそう読み上げた。
「これが?」
「だから、そのまんまだよ。勇者領にはなくても、魔王領には魔石がたんとあるって話だ。だから、盗みに入って魔物に殺される馬鹿がいる」
それを聞くと、アカハルは首を傾げた。
「いや、そりゃ分かっているけど、結局手に入らないのだったら同じだろう? どーにもならないよ」
その言葉にシロアキはいかにも馬鹿にしたような顔を浮かべた。
「どうして、手に入らないって決めつけているんだよ、お前は?」
「盗む手段があるっての?」
「違うよ」
にやりとシロアキは笑う。
「真っ当な取引で、手に入れれば良いんだよ。つまり、輸入するんだな。魔王領から、魔石をさ」
それを聞いてアカハルは固まる。何か面倒そうなことをシロアキが企んでいるのを察したからだった。シロアキはいかにも悪そうな表情を浮かべると、こう続けた。
「あの役人どもは邪魔だったんだ。絶対にこっちの儲けを掠め取ろうとして来るからな。一掃されたってんなら、今がチャンスかもしれない。そろそろボクらも動き始めるか……」
そしてそれから、彼の後の席でつまらなそうにしていたクロナツに声をかけた。
「おい、クロナツ」
「なんだよ?」
「暴れる準備は良いか? 久しぶりに、お前にも役に立ってもらうぞ」
そのシロアキの言葉にクロナツは「あ? 何を言ってるんだ、お前は?」とそう気に食わなそうな感じで返事をした。
“あ~あ、何をやる気なんだか”
と、それを聞いて、その時アカハルは思っていた。彼はできる限り関わりたくはないみたい。ま、関わるのはほぼ避けられないのだろうけど。
日中。ティナが王城に仕事に出掛けた後の彼女の自宅、ある一室で、ブーンと音が鳴っていた。魔法が使われている。暗く濃い紫の霧のようなものが浮かび、クロちゃんがたった一人でそこに向かって喋っていた。
「はい。昨日の晩御飯はお肉と野菜の炒め物でした。ティナの料理はシンプルだけど、美味しいです」
彼にしては精一杯の大きな声で。
相手側から、こんな返答がある。
『いや、そんな情報をもらっても何の役にも立たんのだ。もっと、有用な情報はないのか?』
クロちゃんはそう言われて、慌ててこう返す。
「有用な情報? はい。あります。今日のティナの下着の色は、青と白のシマシマでした」
相手側はその返答に怒る。
『お前は、どんな情報を集めているのだ! 人間の女の下着の色など、我々はちょっとしか興味がない!』
つまり、ちょっとは興味があるみたい。しばらく後で相手はこう続けた。
『分かった。今日はもういい。つまり、大して重要な情報は入手できなかったのだな。お前が人間社会の中枢にいるというのは、大変に貴重な事なのだ。これからに期待している。次こそは、もっと重要な情報を集めて来い』
早々に相手が諦めたのは、長く秘匿通信を続ける事のリスクを警戒したことももちろんあったのだけど、それ以上にクロちゃんが魔王の所にいた頃も大体そんな感じだったことの方が大きかった。焦って成果を求めても、こいつの場合は無理だろう、と思われている。
……因みに、クロちゃんは“ティナの下着の色は重要な情報”と本気でそう思っているのだけど。
通信が切れると、クロちゃんは「ふぅ」とため息をもらした。
「やれやれ、面倒臭いったらありゃしない。大きな声出すのも疲れるし。でも、何か言わないと何をされるか分かったもんじゃないし。いっそのこと、全部ティナに打ち明けて、亡命でもしちゃおうかな。もう半分くらいは、亡命しているようなもんだけど……」
やっぱり心の中で呟けばいい事を、口に出している。もっとも、いつも通り小声だったし、それ以前に、そもそも彼は部屋に一人だったから、何の問題もないのだけれど。
彼はそれからしばらくは部屋でボーっとしていた。しかし、カーテンの隙間から差し込んで来る光が妙に明るいのを見ると、不意にこんな事を言ったのだった。
「今日は久しぶりに散歩にでも出かけようかな?」
好い天気だから、散歩が気持ちいいかもしれないと思ったのだ。
クロちゃんは部屋の中にずっと居ても平気な性質なのだけど、むしろその方が安心していれらる性質なのだけど、それでも偶には外に出たいと思う時もあるみたい。部屋の中には遊ぶ道具とかもあまりないし。
それで彼は服を厚めに着込んで自分が魔物であることは分からないようにすると、それから外出をしたのだった。人間に化けることもできるけれど、疲れるから止めておいた。ティナの自宅の近くの治安はいい。一応彼女は国の要人だから、それも当然なのだけど、だから彼は自宅付近を何の警戒も抱かずに歩き回る事ができた…… はずなのだけど、その日だけはちょっとばかりいつもと違っていたのだった。
ある曲がり角を曲がった時だった。突然、そこでクロちゃんは物凄い力で引っ張られたのだ。しかもそのまま厚い布地の袋の中に放り込まれてしまう。もちろん、助けを求めようと叫んだのだけど、ホラ、彼は声がとても小さいものだから、それは袋の壁を超えるほどには響かなかったのだった。
もがき暴れたけどまったく無駄で、しばらく進むとクロちゃんは、何処かに乱暴に放り投げられてしまった。袋の口がほどけたので、慌てて顔を出してみると、そこは見知らぬ何処かの部屋の中で、そして何故か数人の子供達に囲まれていた。
「なんで?」
クロちゃんは首を傾げる。大人の悪人の姿を彼は想像していたからだ。
「ずっと張っていたのだけどさ、ようやく外に出て来てくれて助かったよ。引きこもりにも困ったもんだ。なぁ、クロちゃんよ」
寒色系の色が似合いそうな感じのいかにも悪賢そうな子供がそう言った。妙に大人びた喋り方をすると、彼はそれを聞いてそう思う。
もちろん、その子の正体はシロアキだ。
「声が小さいとは聞いていたが、本当に叫び声すら上げないんだな。口をふさぐ手間が省けて良かったぜ」
それに続けて凶悪そうな顔をした子供がそんな事を言った。黒い上着と白いズボンを履いていて、見下したような目をしている。ちょっとと言うか、かなり怖い。
これはクロナツ。
「あまり怖がらせないであげて。とても臆病な子なのでしょう?」
そう続けたのは小さな女の子で、とても優しそうだった。人間は、女の方が大体は優しいもんなのかな?とそれで彼はそう思う。
この女の子は、フユだ。
後一人、彼らの背後にも子供がいたが、その子は何も言わなかった。気弱そうな目で、その様子を見守っている。
一応書いておくと、これはアカハル。
それからシロアキが口を開いた。
「単刀直入に言おう。お前はスパイをしているだろう? それをあのティナって女にバラされたくなかったら、ボクらに協力しろ」
それにクロちゃんは驚く。
「協力? どうして子供が、ボクにそんなことを要求してくるの?」
そう言ったけど、いつも通り小声だったからそれは彼らの耳には届いていない。ただ、シロアキはなんとなく察したのかこう言った。
「断っておくが、ボクらは子供のような姿をしているだけで、本当は大人だ。成人している。君にボクらの仕事を少しばっかり手伝って欲しいんだよ」
クロちゃんはその言葉にやや驚いた。
「大人なの? 本当? ボクに手伝える仕事だったら構わないけれど、何をすれば良いのかを教えてよ」
書くのも面倒くさくなってきたけれど、その言葉は小声だから聞こえていない。それで、
「何とか言えよ」
と、勘違いをしたクロナツが凄む。それをクロちゃんの性質を見抜いているシロアキがフォローした。
「いや、これ、多分なんか言ってるんだよ。さっきも言った通り、こいつは極端に声が小さいんだ」
そのまま続ける。
「いいか? 無理して大きな声は出さないでいい。もしもオーケーなら頷け。拒否するなら首を横に振る。いいな?」
それにクロちゃんは大きく頷いた。それを見てシロアキは説明を始める。
「よっし。じゃ、説明するぞ。この話はお前にとっても良い話だ。魔王達にとって有益な提案をしようっていう、まぁ、ビジネスの話だよ。
安心しろ。お前はただ単にボクらと魔王を繋いでくれるだけで良いから。それでお前はスパイとして魔王達の役に立てるだろう? しかも、別に機密情報とかを流そうってワケじゃないから、お前の大好きなティナも傷つかない。
どうだ? ノーリスクで、リターンがある。断る理由がないだろう?」
その提案にクロちゃんは戸惑っていた。首を横にも振らないし、頷きもしない。どう捉えたものか分からないでいるのだ。
「オイ! どーなんだよ!?」
その彼の様子に苛立ったクロナツが、襟元を強く掴んで脅す。だけど、フユが直ぐにそれを止めた。
「お兄ちゃん。だから、怖がらせないで。こんなに怯えているじゃない。却って何も答えられなくなっちゃう」
そして今度は彼女が彼に向かって続ける。
「大丈夫よ。あなたを傷つけようって言うんじゃないから。この人達はあまり良い人達ではないけれど、その点だけは安心して」
何も応えなかったけれど、やや彼がフユによってほだされているのが分かった。
その光景を後ろから見ながら、アカハルはこんなような事を思う。
脅しなだめすかす。シロアキとクロナツとフユのそれぞれが、それぞれの役割を果たして合わさり、なんだかそんな感じになっているっぽい。もっとも、シロアキ以外は意図している訳ではなさそうだけど。
“なんだかなー”
アカハルは、そう心の中で呟く。クロちゃんがシロアキの提案を受け入れるのも時間の問題のように彼には思えた。
――で、その、しばらく後。
「おっし。じゃ、魔王達の所へ繋いでもらおうか。ただし、いきなり繋げるなよ。お前の通信魔法は国によって傍受されているからな。おい、アカハル。来いよ。お前の出番だ」
そうシロアキが言った。まぁ、少しだけ時間はかかったけれど、なんだかんだで彼らはクロちゃんの説得に成功したのだ。そして、彼らがクロちゃんと接触できる機会は少ないので、ちょっと忙しないのだけれど、今直ぐに魔王達と通信しようとしているのだった。
「あれ、疲れるから嫌なんだよなぁ」
そんな事を言いながら、アカハルが前に出て来る。シロアキが説明した。
「こいつはな。特殊な情報収集能力を持っている。それを利用して、国の傍受網を掻い潜って魔王と繋げるって感じだ」
ちょうどその説明が終わると同時に、アカハルはクロちゃんの背中に手を当てた。それだけで彼がわずかに怯えたのが分かる。
“この子、ちょっと僕に似ているところがあるなぁ”
と、それでアカハルはそう思った。それから「いくよ。君も通信魔法を使って」と言うと目を瞑る。
しばらく後、ブーンという音と共に、クロちゃんの目の前に濃い紫色の霧のようなものが現れた。向こう側の声が聞こえて来る。
『どうしてだ?! どうして、人間共は食糧増産に成功していると言うのに、我々にはできないのだー!』
魔王の苦悩している声。
なんか、随分と経っているけれど、相変わらず魔王達は、食糧増産に成功しなくて悩んでいるみたい。
「どうやら通信が通っているみたいだな……」
と、それを聞いてシロアキが言った。ちょっとばかり“なんだこれ?”って思っていたけれど。
―――。
『なるほど。お前らは、人間共の商人だというのだな』
そう魔王が言った。
またまた、ちょっとばかり時間はかかったけれど、シロアキ達は魔王達にようやく事情を分からせられたのだった。
“……疲れた”
と、珍しくバラバラなタイプのシロアキ達四人が同じ事を思う。
魔王は言った。
『しかし、我が領土の魔石を、人間共にくれてやるという話には納得ができんな。何故、そんな事をしなくてはならない? 馬鹿馬鹿しい』
シロアキはそれにこう返す。
「いえ、くれてやるのではありません。取引をするのです。対等な取引を。魔石の替わりに、こちらからは、食糧品をあなたの国に渡します」
『同じ事だ。我が国の魔石で、お前らが助かるというのなら、な』
それを聞いてもシロアキは少しも動じなかった。予想していた言葉だったのかもしれない。淡々と返す。
「果たして、そうでしょうか?」
『何?』
「考えてもみてください。もしも、魔王領からの魔石に頼って、人間社会が発展・機能するようになったのなら、人間社会は魔王様に依存するようになります。つまり、魔王様達を失う訳にはいかなくなってしまうのです。そうして、経済的に優位に立てば、様々な圧力を人間社会にかける事が可能になるでしょう。もちろん、軍事的にも優位に立てる……」
食糧品を人間社会から輸入して依存すれば、魔王達も同じ立場になるのだけど、それはシロアキは言わなかった。そしてシロアキの思惑通り、魔王はその言葉に気を良くしたようなのだった。
『なるほど。それは少々面白い考えだな……』
なーんて言う。
“チョロイ”とシロアキは思う。それから続けた。
「では、契約成立という事で。近日中に取引の準備を始めます」
すっかりと上機嫌になった魔王は、それに『イイナ! イイナ! 悪は急げだ! こちらもできる限り早く準備をしよう!』などとそう返したのだった。
それを聞いて、普段はバラバラなシロアキ達四人が“なんか、間抜けな魔王だな”なんてまた同時に思っていたりした。
――何にせよ、そうして人間社会に、魔王達からの魔石輸入が始まったのだった。




