11.デモンストレーション
その日行われた自動車のデモンストレーションは、まるで、何かのお祭りのようだった。と言うよりも、実際にそれはお祭りだったのかもしれない。もっとも、神に祈るとかそういった宗教的な色彩はまったく帯びてはいなかったけれど。
「本当に大丈夫なのかしらね?」
ワタシは知らないわよ? とでも言いたげな口調でキャサリンがそう言った。
もしも大事故でも起こったら、大問題だ。自動車製造も道路の公共事業計画も白紙に戻りかねない。
勇者キークが自動車を運転するところを一目見ようと集まった人々で、その街道は予想以上に賑わっていた。車が通るスペースは、もちろん空けられてあるけれど、その大きな道の両端の歩道にはたくさんの人々が集まっている。ジュースやお菓子などの売り子が歩き、簡単な屋台が並び、お土産までが売られている。ここ最近、農地開拓成功以外の明るいニュースも娯楽もなかったからか、ここぞとばかりに人々はこのイベントを楽しんでいるようだった。
もちろん、人々の視線の先には自動車があった。馬もいないし御者もいない。本当にあれで車輪が回るのか? そんな好奇の目でそれは見られていた。
もしも、キークがトチ狂った運転をして、仮にこの人々の中に車で突っ込もうものなら大惨事は避けられない。
スネイルがキャサリンの言葉に投げやりな口調で返した。
「まぁ、大丈夫じゃないか? ティナもいるしさ」
そう言ってスネイルは、自動車の直ぐ近くを見やる。普通の人には見えないけども、彼の視線の先には魔道具“隠れ蓑”で姿を消したティナがいて、準備運動をしていた。姿を消したティナが、キークの運転する自動車と並走し、もしも事故を起こしそうになったら、それを未然で防ぐという計画だ。
……ま、つまり、勇者キークの自動車運転に対し、そこはかとなく皆は不安を感じているのだった。一応、真っ当に運転できるようになってはいるのだけど、あのキークだから何をするか分からない。こういう類の事に関しては、彼はとことん信用がないみたい。
「そうね。ティナなら、キークの変則的な動きにもついていきそうだしね。色々な意味で」
キャサリンが自分を安心させるようにそう言った。冗談抜きで、昔っからティナはキークの動きを捉えるのが上手いのだ。それが恋する乙女故の力なのか、単に動体視力に優れているからなのかは分からないけど。
……クロナワ地方で行われた農地開拓は順調に進んでいて、このままいけば後数ヶ月でジャガイモが収穫できそうだった。勇者達の目論見としては、その収穫したジャガイモの運搬に自動車を使うつもりでいた。それをもって利用実績とし、道路の公共事業へと繋げていきかたかったから。
それで勇者達は、その前に自動車のデモンストレーションを行って、その有用性を国民達にアピールしようと考えたのだ。この“自動車お披露目会”はそういった意図で企画したのだけど、予想以上の大騒ぎとなってしまい、多少、国関連の人間達はびびっていたりしたのだ。当のキーク本人は、平気そうにしていたけれど。
集まった人の数があまりに多過ぎるから、街道を進入禁止にしようかという案も出たのだが、それだとまるで「自動車は危険」と言っているようなものだと反対意見が出て、“無難に行きたいな”と、勇者パーティの面々は思わないでもなかったのだけど、お祭り状態の国民達に「進入禁止」なんて言ったら、怒りが爆発しそうだしで、結局はそのままそんんな多人数の中をキークが車で走ることに決まってしまったのだ。
「はぁ」
と、キャサリンがため息を漏らす。それと同時に、少し離れた別の場所でも同じ様にため息を漏らしている者がいた。
「はぁ」
……賑わっている人々の中で、フードを目深に被って俯いている怪しい人影。手には手袋、長袖、ズボンはもちろん長ズボン。できる限り肌が露出しないように気を付けている。冬でもないのに、そんな恰好なものだから、少しばかり目立たないでもなかったけれど、それほど気にしている人はいない。フードの中はとても暗く、その顔がどんなものなのかはまるで分からなかった。それは、フードの影に顔が隠れている事ばかりが原因ではなかった。
彼は顔が“暗い”のだ。フードの中では、闇がそのまま質量をもったかのように浮いている。
「本当は、人にも化けられるけど、魔力は節約しておきたいからね」
その彼はとても小さい誰からも聞き取れないような声でそう独り言を言った。続けて、「はぁ、騒がしいのって苦手」とも。顔を上げるとフードの闇の中に白くぼんやりと浮かぶ二つの光が見える。人間のものでは、いや、普通の生物のものではない目。
まぁ、つまり、彼は魔物なのだった。人型だから、そうして肌を隠しさえすれば人と見分けがつかないけれど。
それから彼はうずくまって膝を抱え、ブツブツと独り言を言い始めた。
「勇者に事故を起こさせろだなんて、こんな仕事をボクに振らなくても良いじゃないか。確かに僕は幻を操るのが上手いけども、人間も苦手だし、騒がしいのも苦手なんだから、まったく向いていないと思うのだよね。魔王様もコンドル様も命令するだけで自分ではまったく何もしないのだもの。大体、これって同盟の契約違反なのじゃないの? この格好は暑いし、歩くの疲れたし、もうちょっと寝ていたいし。ああ、早く帰りたい帰りたい帰りたい……」
恐らくは機密情報だろう内容を、思いっ切り口にしてしまっているけども、とても小さな声だったから問題はなさそうだった。まぁ、そもそも誰も彼のことを気にかけてはいなかったのだけど。
そうしてしばらく彼は一人でうずくまっていたのだが、やがて周囲にいる観衆が大きく声を上げたのを聞いて我に返った。
「勇者様がいらっしゃったぞー!」
「ついに自動車を動かしなさるんだぁ!」
観衆はそんな事を口々に言っていた。人混みが密すぎて、勇者の姿はまったく確認できなかったが、これだけ騒ぐからには恐らく車の近くに登場したのだろう。
「いけない。いけない。さっさと、用意しておいた場所に行かないと」
やはりとても小さな声でそう呟くと、彼はいそいそと歩き始めた。そして勇者が乗った車が通る予定になっている街道の一角を目指す。歩きながら、彼はふと気になって人混みの隙間を縫って進み、人混みの前の方に出た。魔法という訳でもないのだけど、何故か彼は存在感が薄くて、身体も小さいものだから、こういう事は得手なのだった。
人混みの前の方に出ると、それでようやく勇者の姿が見えた。車の近くに能天気そうな様子で立っている。実を言うと、彼は勇者を見た事がなかったのだ。
「へぇ。思っていたよりもずっと子供っぽい姿をしているのだな」
そう彼は独り言を言った。心の中だけで呟くだけで良いような事まで口にする。それはどうも彼のクセらしかった。もっとも、再三断っているように、声がとても小さいのであまり支障はないのだけど。むしろ、聞き取ることの方が難しそうだ。
勇者キークは物凄く明るい表情で手を振っていた。それに観衆が声援を送る。少し場が落ち着いて来ると、司会者らしき人物が、「ご存知の通り、この方が魔王国を圧倒した英雄であり、また、現国王であらせられる勇者キーク様です!」などとキークを紹介する。キークは「どうもー、勇者でっす!」なんてまるでお笑い芸人のような挨拶をした。
まだ司会者が何事かを言い続けていたけれど、そこで魔物の彼は観るのを止め、再び人混みの中を戻っていった。“用意しておいた場所”とやらに行かなくてはならないから。まぁ、そもそもそれほど関心もなかったのだけど。
やがて歩き続ける彼の視線の先に、誰も人がいないスペースが見え始めた。歩道の一角、道路に面したそこにだけ何故か人がいないのだ。もっとも、それがちゃんとスペースに見えているのは彼だけで、他の人間には人が並んでいるように見えている。つまり、幻術で創り出した人間達の幻で、彼はそこにスペースを確保しておいたのだ。
それを見て、彼はにやりと笑う。
「勇者に幻を見せるのを、邪魔をされたら嫌だもの」
と、彼は呟いた。例によって、とても小さな声で。
姿をさらしたまま幻術を使ったなら、流石に誰かに気が付かれてしまうかもしれないし、彼は人混みの中では集中ができない。だから、予め幻術の結界を張って、一人だけでいられる空間を確保しておいたのだ。
彼はその中にこっそりと侵入すると、他の人が誰も入って来ないそのスペースで、ホッと一息を付いた。
「あ~、安心する~」
などと彼にしては少しだけ大きな声で言う。後は自動車を運転してやって来た勇者に幻を見せて事故を起こさせるだけだ。この彼の幻術結界はまず誰にも見つからない。さっきも書いたけれども、魔法とかではなく、彼は物凄く存在感がなくて、それは彼の幻術にも影響を与えているようなのだ。何でなのかはまるで分からないのだけど……。
――と。
一方、勇者達のいるデモンストレーション会場。
自動車の機能説明や、今後の活用計画などの発表が終わると、ようやく勇者が自動車に乗り込む段になった。オープンカーのドアを開ける。はしゃいで飛び乗るなんて馬鹿な真似はしないでくれたようだと、それを見て少しスネイルは安心をした。揚々と自信たっぷりにキークは自動車の運転席に着いたけれど、スネイルやキャサリンは不安で仕方ないといった顔をしていた。むしろ、自信たっぷりの時の方がキークはよく失敗をするから。しかもよく分からない謎の失敗を。
「大丈夫かしらね?」とキャサリン。
「大丈夫だと思おう」とスネイル。
ゴウは何故か「フフフ。何が起こるか楽しみだわい」などと意味不明の笑みを浮かべていた。二人はそれを気にしない。スルー。彼もけっこうなボケキャラだし、呑気に漫才を繰り広げているような状況下でもないから。
ティナは姿を消したまま軽くスキップをしていた。楽しそうな表情だが、同時に緊張感も伝わってくる。気を抜いてはいない。今回の彼女は頼り甲斐ありそうだというのが、彼らにとっての数少ない良い材料だった。
やがて司会者が「では、勇者様。出発してください!」と言い、続けて「スタート!」と掛け声を上げる。キークはそれを受けて「オーケー!」とそう返すと、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。
すると、自動車はゆっくりと動き始めた。オープンカーだから、彼の表情がよく分かる。少しも動揺していない。しかも普通に自動車の車輪が回っている。二足歩行で走り出すなんて事はない。
“これなら大丈夫か?”
と、スネイルは思う。
「まだ、油断はできないわよ」
と、彼の心を読んでいるかのようにキャサリンが言った。
やがてキークの自動車は、速度を徐々に上げていった。興奮している所為か、心なし予定よりも速度が出ているようだったが、大きな問題はない。それに、姿を消しつつ並走しているティナは平気で付いていけている。流石の脚力。
「ここまでは順調。だが、問題はここからだ。事故が起こるったら、曲がり角ってのが定番だからな」
スネイルがそう呟いた。その言葉通り、もう直ぐ勇者キークの自動車が曲がる予定の角が近づいて来ていた。
しかし、そこで勇者キークは妙な違和感を感じたのだった。なんか変な気がする。視界がぼやけているような。
もちろん、それは先の魔物の彼が幻を創り出しているからだった。
……曲がり角よりも少し手前、そこに潜んでいる彼はにやりと表情を歪ませる。彼は微妙に光を屈折させて、勇者に実際の曲がり角よりも近くにそれを見せているのだ。大胆な幻術を使ったなら、直ぐにバレてきっと簡単に打ち破られてしまう。何しろ相手は勇者だから。でも、こういった気付かれ難い微妙な幻術ならばそもそもそれが幻術である事すら分からないから、きっと罠に落ちる。
そんな計画を彼は立てたのだ。
「まぁ、もっとも多少の違和感なら覚えるかもしれないけどね。でも、普通の人間はその程度の違和感は無視をしてしまうもんさ。理性の方が勝つから」
――そう。普通の人間ならば。
勇者キークの乗った自動車が、その場所にまで迫って来ている。しかもけっこうなスピードが出ている。幻に気付いた素振りはない。このままいけば、曲がるタイミングを間違えて、人混みに突っ込むはずだ。
――普通の人間なら。
だけど、魔物の彼は知らなかった。
勇者キークは“普通の人間”ではないことを。
キークは突然、こう叫んだ。
「なんか変だ! 勇者の勘!! ここだ! ここで曲がる!」
そしてキークは何故か、そこで思いっ切りハンドルを切ったのだった。
「へ?」
と、魔物の彼は言う。勇者キークの自動車が急に曲がり彼の目の前に迫って来た。しかもさっき言った通り、けっこうなスピードで。
普通の人間ならば、違和感に気付いて仮に慎重に行動するにしても車を停車させるだろう。誰もハンドルを切ろうなどとは考えない。そもそも幻を見ているキークには、そこに人混みがあるように見えているはずなのだし。
でも、勇者キークは普通ではなかった。考えよりも直感の赴くままに行動する。で、その結果がこれなのだけど。
「逃げ……」
魔物の彼がそう言いかけた時は既に手遅れだった。自動車は彼に激突していた。小さく体重の軽い彼の身体は、あっけなくぶっ飛んでいく。
「ギャフンッ!」と声を上げて。
並走していたティナが、それを見て叫ぶ。流石の彼女にもキークのこの常軌を逸した行動は予想外過ぎたようだった。対応し切れなかった。
「何をやっているのよ! キークゥゥ!」
魔物を跳ね飛ばした後で、ようやく彼女はキークの自動車の前に躍り出た。却ってそれがいけなかったかもしれない。そのままなら、キークは車を止められていたかもしれないのだ。だけど、突然に彼女が現れた事で彼は珍しく動揺してしまった。
「え? ティナ? どうして、目の前に現れちゃうの? 危ないって!」
悲鳴に近い声でそう叫んだ。しかも、走りは遅くならない。むしろ加速しているようにすら思える。
「呪符魔術“剛力”!」
ティナがそう叫ぶと、彼女の腕に巻かれた包帯のような呪符が、何倍にも膨れ上がってまるで筋骨隆々のゴリラのような腕となった。その腕で、ティナは迫って来たキークの自動車を受け止める。足で踏ん張ると、なんとか車の前進は止まった。
「わたし、この技嫌いなんだからね! 可愛くないから!」
などと彼女は呑気な台詞を言う。
しかも、それでもまだ自動車の前進する圧力は治まらない。それどころか、ティナを少しずつ押している。
観衆はその異変に戸惑い始めているようだった。何かのイベントだと思っている人間とトラブルだと思っている人間が半々くらい。しかし、トラブルだとするのなら、人が一人跳ねられている。これは大事件だ。
「ちょっと! キーク! ブレーキ! ブレーキを踏みなさいよ!」
怒りながら、ティナがそう言う。
「いや、やっているんだけど!」
踏み間違えてはいない。確かにキークは、ブレーキを踏んでいた。それでも車は進み続けている。つまり、
「つまり、普通の運転じゃなくて、魔力で直接車を操作しているんだよ! 勇者は! だけど、それに気付いていない。でもって、気が焦って、却って車を加速させている。きっと、お前を轢きそうなんで、珍しくパニックに陥っているんだよ!」
そこでいつの間にか近くに来ていたスネイルがそう叫んだ。ティナはそれを聞いて「それ、本当?」と言ってやや顔を赤らめる。
「今は、照れてる場合じゃねー!」
と、それにスネイルがツッコミを。しかし、ティナは意外に冷静だった。
“キークが直接、魔力で車を操っているってことは……”
ティナは言った。
「キーク!」
グッと車体を握り締める。それから彼女はこう叫んだ。
「これ以上やったら、あとで“拳固でグリグリ”の刑よぉぉぉ!!」
その瞬間、キークの身体と自動車全体が大きく竦み上がりつつ、後方に大きく跳ね、そして自動車は停止した。
フシュウ…
などと音を立てて。
なんとか助かったみたい。
その異様な光景に、観衆は言葉を失う。唖然としていた。そして徐々にこれはやはりイベントなどではなく、トラブルなのではないか?と思い始めていた。
……トラブルだとするのなら、人が一人跳ねられている。しかも跳ねたのは勇者だ。これはとんでもない不祥事だ。少しずつ観衆は怒りのを色を帯び始めていた。
「まずい……」とスネイルが呟く。額に手を当てている。彼は思っていた。こんなのどう誤魔化せばいいんだ?と。もちろん、ティナもキャサリンもゴウも、国関係者はほとんど全て顔を青くしていた。
「これ、いったい、どうなるの?」
そう言ってキャサリンはため息を漏らした。
ところがだ。観衆が文句を口にし始めようとしていたまさにその時だった。こんな声が突然聞こえて来たのだ。
「おい! こっちに来てみろ! 跳ねられたのは人じゃない。魔物だぞ!」
「なにぃ!!」
その声を聞いた人々が、魔物の周囲に集まって来る。
フードが取り払われて、そこに現れているのは、闇が浮かび上がったような顔の何か。生物にすら見えない。間違いなく魔物だった。まだ息はしているよう。
――という事は。
「勇者様が、自動車の力で魔物を倒したぞー!」
怒り出しそうだった観衆は、打って変わってそんな声を上げて大喜びをした。
スネイル他、勇者パーティのメンバー、もちろん国の関係者もそれを受けて目が点になっていた。
なんだかよく分からないけれど、つまりは、このデモンストレーション・イベントは大成功したという事らしかった。
自動車は、魔物を倒す為にあるものではないけれども。
「うむ。流石、勇者さんだな」
と、ゴウが満足げな表情でそう言った。
こいつもちょっと〆担当っぽいかもしれない。




