(前編)君が勇者だ!
事態急変! どうして、こんなことになったのかわからない。
天に昇るのは二つの太陽。足元は赤銅色の焦土。遠くには荒廃した大地。
木々の間からは図鑑にすら載っていない未知の生物の姿が見え、奇妙な鳴き声が響いてくる。
何故、俺がこんな別世界にきてしまったのか。
全ての始まりは二十分前に遡る。
何の変哲もない退屈な学園生活を終えて、俺は帰途に就いていた。帰宅してからの予定を、何気なく構築しながら。
――あのゲームつまんねぇから売るか。ああ、そういえば夜に新番組やるんだっけ。音楽でも聴きながら放送時間まで待つかな。
目標のない怠惰な毎日。そんな自分に劣等感を抱きつつも漠然と過ごす。
だからといって、夢をつかもうとしても到底無理だし、ましてや疲れたり、悩みに耐え続けるなんてごめんだ。人生は積み重ねるレンガと似たようなもの。変わりなく安穏と繰り返して、暮らし続けていくのが一番楽。
それが俺なりの最高の結論であり、哲学だった。
そんな高校生の俺に、運命を変える転機が訪れたのは、まさに波瀾の幕開けだったのである。
学園生活の疲れを払うように大きく伸びをし、深呼吸をする。何事もない一日に感謝し、家に向かう最後の角を左折した。その時だ。
突然、視界が真っ白になり、距離感どころか前後左右がわからなくなった。
最初は雷が近くに落ちたと思い、次にお迎えがきたと年甲斐もなく本気で覚悟した。
ところが今度は震動と鼓膜を貫く轟音が、俺を正気に戻す。
「うごっほ! ごほっ……げほっ……」
舞いあがった大量の砂煙を、思いっきり気管に吸いこんで噎せた。
「けたぜ……よ……」
砂煙の中に誰かいると認知したのは、男の声が俺の咳に混じって聞こえたからだった。
風が砂煙を吹き飛ばして、轟音の元凶を明らかにしていく。
両目に入った塵を手で擦り落として開けた視界には、声をかけられる覚えすらない、面識がない男がいた。
年は二十歳ちょっとといったところだろうか。
精悍な面持ちからは強い意志が感じられ、鍛えあげられた屈強な体格は驚嘆に値する。
だが、俺が目を奪われた理由は、そこではない。男の容姿が普通じゃないことにあった。
背中には美しい装飾の鞘に収められた背丈程ある大剣を。両腕には金色の光沢を輝き放つ籠手をつけている。右頬には一筋の傷。短髪をあげた額には薄汚れた真紅のバンダナ。
再プレイしようとしていたRPGファンタジーゲームの主人公がまさにそこに出現したのだ。
――仮装行列か、撮影か?
だが、現実にこんな局面は有り得ない。周囲を見回してカメラを探すが、それらしき物も影もない。
状況を把握仕切れずに困惑する俺と、男の目の焦点があった。
すると、主人公もどきが子供のような、無邪気な笑顔を浮かべる。
「ようやく見つけたぞ。勇者よ!」
唐突もなく男は、気合い十分な大声で理解し難いことを叫んだ。
指を差された俺は思わず振り返るが、背後に人影はなく、この場にいるのは俺と男だけ。
俺は動かない。男も微動だにしない。時間と静寂が無駄に流れ、
「なに、ボーとしてんだ。お前だよ。お前。未来の勇者! 風巻颯流」
なんの縁か、男が俺の名前を正確に名指しした。
「なんで俺の名前を?」
驚かないわけがない。奇妙な出で立ち。関係者と思われたら迷惑この上ない。
心当たりのない相手を前に記憶と相談し、誰だか結論づけようとする。
そんな俺の動揺を知ってか知らずか。
「詳しい説明は後だ。早速、出発するぞ」
言うよりはやく、男は俺の右手を手荒につかむと、背中の大剣を引き抜いて虚空にかざした。
光の反射で剣の白刃が輝きを発した途端、刃が南国の海の色、ロシアンブルーに変わり、生き物のように動く水に変貌していた。
驚く俺の腕を強くつかんだまま、男は剣に語りかけるように叫ぶ。
「廻る歯車、運命は流転。混沌の闇を切り裂き、天の道を架けろ!」
脳全体を揺さぶられるような甲高い金属音が響くと、更に眼前で目を疑う光景が展開された。
剣の切っ先の何もない空間が歪み、意志を持ったように波紋を立てる。波立った空間ははじめの野球ボールほどの大きさから、扉ほどの大きさに一気に肥大した。男には一片の迷いもない。
「行くぞ、颯流。目は閉じとけ」
強引な指示とともに波間立つ未知の空間へ、奴は俺を連れて飛びこんだのだ。
――それから二十分が経つ。
「わっけわかんねえよ。いきなりっ! どこなんだ。ここは?」
当惑、混乱した俺が正気を取り戻した時にぶつけたのは、男への罵声だった。
俺の迫力に驚いたのか呆れたのか、男はその場しのぎの笑みを浮かべて後頭部を掻く。
「どこなんだって言われてもなぁー。簡単に説明すると、ここは天球界。君のいた世界と対になる場所だ」
「やっぱりここは違う世界なのか……?」
天に昇るのは二つの太陽。足元は赤銅色の焦土。遠くには荒廃した大地。
木々の間には、図鑑にすら載っていない未知の生物の姿が見え、奇妙な鳴き声が響いてくる。
現実世界とはかけ離れた景色を一周一望し、俺は愕然とした。
「そう、さっきも言ったように、君はこの世界の勇者なんだ……今は見習いだけど」
男は既に原形に戻った剣の切っ先を、俺の鼻先に突きつけると、不敵な笑みを浮かべながら鞘に収めた。
「この剣は流転剣といって空間、時間を行き来できる。俺は未来の勇者に託されたんだ。君が立派な勇者になるように鍛錬し、この世界のことを知るために学ばせろと」
「んな理屈はいいよ。どうして俺なんだ。とにかく帰してくれ!」
「どうして俺なんだって言われてもなあ……じきにわかるとしか答えられないし」
俺の質問に男は適切な答えを示さず、当惑するばかり。
対し、俺の怒りは爆発寸前だ。
新番組を期待してたのに見遅れそうだ。
ゲームも売るつもりだったのに、無駄な時間を費やしたせいで、明日に見送り。はじめはこの舞台に驚いたが、冷静さを取り戻した今は、厄介事はごめんという思いだけ。
俺が簡単に言い包められる相手と思っていたのだろうが、そうはいかない。
さすがに強気で自信あり気だった男も息を吐き、しばし感慨に浸っていた。
だが、それも一瞬で懐を探り出すと、古びた手帳を取り出す。かなり年期の入っている物らしく、表面はボロボロだ。
その数ページ目を開いた男は、
「おかしいな……記録と少し違うぞ。風巻颯流、十六歳高校生。退屈な毎日に嫌気がさし、現実逃避中。実際は現実に有り得ない冒険に憧れている。しかし、現実は成績オール三、趣味・特技・特になしの平凡人間」
俺の詳細を調べ切っているのか、一気に読み尽くした。
「どこまで調べあげてんだよ、お前はストーカーか。別にいいだろ平凡な生き方してたって。現実は、それが普通なんだよ。諦めが大事ってこともあるだろ」
全ての苛立ちと怒りを俺は隠さず、男に吐き捨ててぶつけた。
「えっ?」
その瞬間だった。男が視界から突然消え、風が舞いあがる。
次に額に衝撃を感じると、俺は数メートル後方に弾き飛ばされた。
「いってえー……なにが一体」
二転三転して、ようやく腰をあげると、視界に消えたはずの男がいた。男は直立不動。ただ右手の人差し指を突き出した体勢で。
「まあ、何を言っても俺はやめる気はないけどな」
額に走る激痛と信じ難い現実に困惑する俺。
――デコピン? それだけでこいつ、俺をすっ飛ばしたのか?
そして、当然だとも言いたげに、余裕の笑みを浮かべる男。
動揺し座りこんだまま身動きひとつしない俺に、男が歩み寄ってくる。
「人生はいろいろだ。挑戦し諦める。体を壊しても夢を求める。どれが正しいかなんて答えはないよ。だが、お前さんの人生は質が違う。ここは対なす世界と言ったよな。勇者になることを拒否すれば、それこそ大好きな日常も終わるんだ」
「ハハハ……」
現実味のない運命に巻かれ、身動きできない自分に苦笑いするしかない。
誰でもいいから平凡でつまらないこの世界から、解脱させてくれと大願したことがある。成就した今だから言える。実際は簡単じゃない。
苦悩、不安、精進に尽くす。そんな苦労の日々が絶えず続くことになるのだから。
「……逃げられないのか」
「言ったろ。空間、時間を行き来した俺だ。君が間違いなく勇者なんだ。それに飽き飽きなんだろう? 取り柄のない自分に……駄目な自分をぶち壊すチャンスが、今なら目の前にあるんだぞ」
思い起こしたのは、過去の自分の姿だった。
努力してこなかった訳じゃない。むしろ頑張ることに意義を感じて時間を費やし、体を痛めても苦労や努力で生甲斐を求めた頃があったんだ。
中学三年間。陸上部に所属し、他の奴らが帰宅した後も休日も走り、それこそ練習に魂を注ぎこんだ。
だけど一番になった試しはなく、俺は悲観し現実に打ちのめされた。
人は才能で価値が決まり、努力など言葉だけの飾りで無意味な行為だと。自分を責め、体を痛め、努力して疲れるのを嫌った。
現実からの逃避。それは、自分を慰める言い訳と知りながら。
「おっ」
立ちあがった俺を見て、先程までの雰囲気とは違うと察知したのだろう。
男が笑みを浮かべつつ、愉快そうな声をあげる。
「嬉しいぞ、颯流。どうやらわかってくれたようだな。何事も一歩、踏み出すのが大切ということに」
「おい、俺はマジだぞ。これで大嘘だったら、ぶっ飛ばす」
冗談まじりで笑い飛ばす男に指差し一喝し、駄目な自分を壊す第一歩を踏みしめる。
「いい顔になったじゃないか」
俺の心境の変化と、臨戦体勢に入ったのを確認の上で、男が右手を前に突き出した。暗黙の了解が、俺たちの間で交わされる。
男が台地を蹴り、俺に一直線に向かってきた。
気を抜いていた先程とは違う。今度は瞳をそらさず正面から受けて立つ。
「まずはこれを避ける修行だ。大嘘だったら、ぶっ飛ばすなどと言わず、反撃してきても構わないぞ」
男の遠慮なしのデコピン攻撃が、二撃目として繰り出される。
「あがっ」
同じ額に同じ速度、同じ威力で衝撃がくるが、今度は地面にしっかり足を置いて踏みとどまる。
片開きの視界に霞む男の影を追って右拳を突き出すが、寸分の差で躱されてしまった。
「くそっ」
デコピンは見えていた。回避仕切れず、一撃加えられなかった悔しさに歯噛みする。
何年ぶりだろうか? 悔恨の情に打ちのめされるのは。
「いやはや、見込みはあるぞ。二回目で反撃したのは意外だな」
男が動く。今までで一番の速度。
「ふぐっ」
追撃の三撃目を額にくらう。いや微かに前より痛みは少ない。炸裂寸前で体を反らして、直撃を逃れるのに成功したのだ。
見えなかった男の姿が、はっきりとつかめるようになってきた。確かな手応えに忘れかけた興奮と、達成の喜びが混同して夢中になる。
「さっさとこないと、こっちからも行くぜ」
男が攻めてくるよりはやく、俺は動いた。やり返しやられる。
そして、そんな男と俺のやり取りは、深夜まで続いていた。




