ハイドラの狂人16
マタブマは、血だらけになり這って逃げるバールクゥァンを、執拗にトライデントで刺し続ける。
マタブマの反則だ。
シーアナンジンを突いている。
しかし、敢えて形態移行をしなかった格下戦士の自己責任は厳しく追及される。
名目上格下の戦士 バールクゥアンの。
マタブマに向き合い、平伏す(降参)ことでこの試合を終わらせることができる。
しかし、バールクゥァンはそれをしない。
そればかりか這ってしきりに観客席の方へ向かって来ている。
バールクゥァンの身体にはほどんど体液が残っていない。
出血が酷すぎる。
バールクゥァンは目が見えていない。
「バール!。放棄せよ!。」
マジウが叫ぶ。
バールクゥアンはマジウの声を聞きマジウや私達の方に向き直した。
なぜ行司が1人しかいないのか?。
この状況では試合を止めなければならない。
行司はしきりに笛を吹き軍配を斜めに振っている。
マタブマの反則を制止している。
たった1人の行司にそれを止めるチカラは無い。
大観衆は静まり返っている。
殆どの者はあまりの残酷さに直視できないでいる。
かつてここまで凄惨な場面が大闘技にあったろうか?。
マタブマは止まらない。
行司にはどうすることもできない。
バールクゥアンは泣いている。
目から血の涙を流し。
!?
ま、まさか...。
これは...。
バールクゥァンが逃げたり反則負けをしたら失点を取られるばかりではない。
同日中にマジウは敵ダルカンと敵アンティカ マタブマ と戦わなくてはならない。
マジウは南西方アンティカ ウルエンハとの激闘を制したばかりだ。
バールクゥアンは這いつくばりながら必死にゲートの方を向く。
やはりもう目が見えない。
こちらとは違う方向を向いている。
片手を空に掲げた。
「父様!。」
子供の叫び声だ!。
二階だ。
バールの、バールクゥアンの息子のリクだ。
手摺に乗り出している。
危ない。
乗り出し過ぎだ。
バールクゥアンの妻アルエンティもいる。
アルエンティは震えている。
必死に自分のベールで幼な子達の目を隠している。
双子の男の子と女の子。
母にぎゅっとしがみついている。
父の悲惨な姿を見せないようにしている。
「父様ぁっ!。」
リクの悲痛な叫びが反響する。
バールには声は届いていない。
もはやバールクゥアンは耳も聞こえない。
「バール。入るぞ。良いな!。」
マジウの声も悲痛だ。
入ってしまえば北軍は失格...。
私はマジゥを制した。
力の限り止めるつもりだ。
バールのここまでの命がけの戦いが無になる。
それだけでは無い。
北軍は失格だ。
全ての戦士の努力が水の泡。
そして、マジゥは史上初の自軍を失格させた不名誉なアンティカとして名を残す。
バールはそれだけは絶対に望んではいない。
ヒドゥイーン戦士の誇りにかけて。
自軍の将の名誉に傷つけるなど。
決して望んではいない。
バールは油断した。
バールはもっと慎重で無くてはならなかった。
痛恨の油断...。
最悪の事態を想定していなかった。
軍を支える者として。
!!
バールクゥアンの掲げたその手から金色の粉が風に舞う。
こ、これをマジゥに見せたかったのだ...。
バールは。
こ、これは...。
「マトゥバ。分かったか?。」
マジウが私を睨みつける。
低く唸るような声。
...魔器の粉。
...ドーーーーーーーーーーーーーーーーーーン...
マジウが覇気を発した。
マジウを引き止めていた北方の戦士全員そして、私も例外無く覇気に弾き飛ばされる。
私は闘技場と観客席を仕切っている石の壁に激突した。
シカムのイプシロンを纏うマジウの覇気。
マジウは空高く飛び上がりそして、大闘技場に着地した。バールクゥアンとマタブマの間に割って入った。
マジウは重い。
マジウの足は地面にめり込んだ。
レンガから出来たこの赤土が煙のように噴き上がる。
マジウは三叉槍の刃先を掴んだ。
魔器を素手で...。
一体何を...。
バールクゥアンは勘付いたのだろう。
またマジウのいつもの無鉄砲な行動に。
必死に身体をよじっている。
呻き声が聞こえる。
バールクゥアンは、必死だ。
この三叉槍がトリダルタンならマジウも戦士としての生命を奪われる。
それともマジウは自分をハイドゥクだとでも思っているのか?。
マジウが叫ぶ。
「私を刺してみよ!。」
マジウは、マタブマのトライデントを...いや、トリダルタンを更に強く握り締める。
マジウは魔器トリダルタンをへし折るつもりだ。
「あ...ぅ...ぁ。」
バールクゥアンは必死に声を出そうとしている。
バールの目は真っ白だ。
これは確実にネスクの毒!。
間違い無い。
バールの身体は毒に分解され始めている。
首長会はこれでも証拠が無いというのか?。
オルテガの時は僅か一突きだった。
バールクゥアンは何十回も突き刺さされている。
マジウが強く掴みトリダルタンは大きくしなる。
鈍い黄土色の塗装がパラパラと剥がれ始め、中から目も眩むような黄金が見える。
おぉぉ...
大観衆はどよめいた。
やはりトリダルタン。
三種の魔器。
4人の行司が飛び出して来た。
4人は笛を吹く。軍配はマジウに向け振られた。
従行司達だ。
主 行司だけマタブマの反則を示している。
従行司2人の反対で審議。
従行司3人で決定は覆る。
大観衆はどよめいている。
マジウの手からもまた血が噴き出した。
血が止まらない。
ネスクの毒に侵されている。
マタブマは笑っている。
魔器であることが証明されればバールクゥアンでは無くマタブマの敗北となる。
禁じ手負けだ。
試合の当初から無効になるためマジウの場外からの指示も闘技場への立ち入りも不問となる。
マジウは闘技場に膝を着いた。
毒が浸透している。
何ということだ。
何という無謀さ。
マジゥも魔器の毒牙にかかってしまった。
マタブマは笑う。
...ゴワッガッガッガッガッガッガッ...
...ゴガガッガッガッガッガッ...
その勝利の咆哮は静まり返った大闘技場に響き渡っている。
一体何のつもりだ。
マジゥ アンティカよ。
無思慮にもほどがある。
マジウの手はトリダルタンの刃先を掴みながらも、だらんと垂れ下がった。
もはやマジゥにも握る力はないはずだ。
トリダルタンの毒は全ての物を粉々に分解する。
伝説の花ネスクの毒を常に纏う。
ジニリウムよりも硬い黄金の金属でできている。
マタブマは、ゆっくりとトリダルタンを引いた。
!?
力のないはずのマジウの手からトリダルタンは離れない。
マタブマは慌てている。
まるで万力に固定されたかの様に動かない。
マジウの手から噴き出していた血や体液は、突然止まった。
ネスクの毒を乗り越えた?。
マタブマが必死にトリダルタンを引く。
が、まったく動かない。
マジウの元に引きずられはじめた。
「マタブマ!。俺を刺せと言ったのだ!。」
マジウは言った。
静まり返った大闘技場の隅々までその唸りは届いた。
怒り狂ったその目はマタブマを捉えて離さなかった。
「父様...。どうして...。どうして...。」
リクが泣いている。
リクにはバールクゥアンしか見えていない。
父の言いつけの通りどんなに辛くても席から父の姿を見ている。
マタブマが怯み慌てている。
動揺して自らがトリダルタンの刃先を触りかけ慌てて手を離してした。
マジウは立ち上がった。
そして、血だらけの手でトリダルタンの刃先を握ったままマタブマに近寄った。
マタブマは、後ずさる。
マジウは一体何を...。
マジウはマタブマを刺し殺すつもりか?。
オルテガとマタブマの闘技では、トリダルタンと暴きながら何者かが隠蔽した。
トリダルタンは闇へと消えマタブマの咎は不問とされた。
マタブマの反則を咎め、ひいては、そのようなアンティカを擁立した責任をセティ一族に取らせるためにも、トリダルタンは、マジウが自ら確保し...
何!?
マジウはトリダルタンを地面に叩きつけた。
一体どういうつもりだ...。
これではバールクゥアンはオルテガの二の舞ではないか...
マタブマはトリダルタンを拾い構えた。
マジウはマタブマに向かい歩いて行った。
「父様ーー!。父様ーー!。」
リクの声はもう完全にしゃがれている。
リクは諦めない。
滝のように流れる涙を必死で拭いながら、父バールクゥアンを呼んでいる。
バールクゥアンにはもう息子の声は届かない。
まずい...。
マジウはマタブマを殺すかもしれない。
バールクゥアンが犬死になってしまう。
マジウの気性は激しい。
あの色白で華奢な姿のどこにあの怪力と激しい気性を持ち合わせているのか...。
マジアはマジウのこの気性に不安を抱いている。
マジウほど戦士や人々に愛されたアンティカは他にいない。
そして天性の才能を持ち神にも愛されていると言われる。
しかし...。
最近のマジアはマジウと距離を置いている。
母は違えどかつてあれほど仲の良かった兄弟。
マジアがマジウの人気と才能を妬んでいるという者がいる。
そうではない。
マジアはマジウのこの気性にある種の狂気を感じている。
私と同じように。
「父様ーーっ!。」
リクは父が逝ってしまわぬように必死で呼び止める。
辛かろうに。
東ゲートから男が入って来た。
バラドだ。
セティの征天大剛のバラドだ。
すでに、5人の行司は闘技の終わりを告げ、4人の従行司は北方のアンティカによる禁じ手負けを宣言している。
「父様ー!。」
リクは、声が出なくなった。
バールクゥアンはまだ息がある。
うごめいている。
マジウはなぜ魔器を確保しない?
マジウは激昂マタブマもバラドも殺してしまうかもしれない。
「わざわざ反則を犯すとは。ダルカンの命がけの戦いを総大将自らドブに捨てるとは。笑。その三叉槍を魔器とでも言いたいのか?。貴様は。」
卑怯な男だ。
バラドという男は。
「全ての判事や行司がおまえ達や首長達の息がかかっている。黒を白と言う。もはやこれが魔器であろうが何であろうが関係はない。私は、私の信じる方法でバールの思いを遂げてやる。」
「ほう、弱小ダルカンの思いをか。笑。」
ま、まずい...挑発に乗るなマジウ。
「バラドよ。おまえ達1人残らず制裁を与える。死の制裁を。おまえ達セティ一族をこの世から消し去ってやる。ダルカンとおまえの操り人形が苦しんで死ぬ姿をその腐った目にしかと焼き付けるが良い。」
「小僧が...。生意気な。」
「孤独な老犬よ。怯えて生きるが良い。貴様はもう終わりだ。」
マジウはそう言うとバラドとマタブマに背を向けた。
闘技場で背中を向けるのは侮辱行為だ。
マジウはバールクゥアンの元に歩いて来た。
自分よりも大きなダルカンラキティカをそっと抱き上げた。
バールクゥアンはマジウであることに気づいた。
バールクゥアンは泣いている。
また必死に何かを伝えようとしている。
とっくに生命は尽きているのに。
「もう良い。分かっている。」
危ない!。
リクが転落した。
私は受け止めた。
リクは泣いている。
「父様が...父様が...。なぜ誰も助けてくれなかったの?...なぜ誰も父様を助けてくれなかったのですか?。うぅぅう...。」
リクはうなされているように泣いている。




