ハイドラの狂人10
空高く絹雲が広がっている。
闘技場に似た純白にレンガ色の模様を纏った鳥達が飛んでいる。
ゴード島を縦断する川コーライから飛んで来ている。
ここハイドラ最大の武闘場ヒルマ殿の大闘技場では、青空の下12万人の人々が、今から始まる試合を固唾を飲んで待っている。
全ての観客席に、白い大きな石の椅子が用意されている。
だが、座っている者は一人もいない。
観客は皆立ち上がって待っている。
静まり返ったスタジアムに、時折人の咳払いが反響する。
静寂を破り、南側の大きなゲートがゆっくりと横に滑り始める。
...ゴゴゴゴ...
群衆のどよめきが、地鳴りのように響く。
オルテガが口を開く。
「トラフィン、サンザ。これから始まるのは、北方と北東方の武舞。良く見ておきなさい。恐らく、観客として見るのはこれが最期になるだろう。ハイドラの武闘は世界的に有名だ。」
灰色の軍団が続々と入場する。
歌を歌いながら入ってくる。
足の運びも規則正しく、時折地面を踏み鳴らす。
「おぉ。北東方が先になった...。」
一段下の斜め前に立っている男が、興奮を隠しきれず呟いた。
トラフィンは、オルテガの方を向いた。
「兵団戦では、後から出る軍が優勢、つまり強いということだよ。」
オルテガは、トラフィンに説明してやった。
サンザは、自分からトラフィンに亀のヤマダさんをせがんだ。
「随分と大勢の人達が...小さき人も...。」
「一軍総勢85名。北東方は主にセティ家の者達だ。トラフィン。サンザ。君たちとあまり年齢が変わらない者もいる。」
「ワシ達と変わらないと...。」
「そうだ。笑。モルフィン様もお出になる。」
「モル兄様が!?。」
トラフィンは思わず叫んだ。
サンザも声を上げた。
「うわぁわわ!。」
「そうだ。笑。」
「こ、この灰色の軍団のどこかに、モル兄様の勇姿が...。」
「いや、この後だ。笑。」
「あと...。待ち遠しい。ワシはモル兄様を見つけられるだろうか...。」
「大丈夫。絶対に。笑。」
「絶対?。ですか。このように大きな人が沢山おられるのに...。」
「私が保証する。絶対に見つけられる。笑。」
大闘技場に入場してくる者達は、益々体格が大きくなる。
「見なさい、イブラデ達が入って来る。」
体格が大きく、如何にも屈強そうな兵達が入って来た。
若くも見えるが、明らかに一般の人達とは違う。
灰色の戦闘服に身を包んでいる。
「イブラデとは...。オルテガ兄様いったい?。」
イブラデ達は、それまでの戦士の倍の大きさがある。
灰色の鷲ジャバザワザの羽根の冠を着けている。
灰色の羽根は光の角度により、青、緑、赤に輝く。構造色だ。
戦士はそれぞれ体型は全く異なるが、その筋肉の隆起から、究極までに鍛え抜かれていることが分かる。
「上位24人に選ばれた北東方の屈強な戦士達だ。見なさいあの身体。それぞれが傑出した戦士。」
群衆は歓声をあげ叫び始めた。先に配置についた者達は、足を踏み鳴らし歌っている。
歓声がより一層高まった。歌も最高潮に高まり始めた。
「な、何と、大きな人達だろうか...。」
トラフィンは思わず呟いた。
続いて、更に屈強な戦士達が入場し始めた。
「ラキティカ達だ。」
八人のその巨大な戦士達は、皆、背中に銀色の金属の翼をつけている。
それぞれに、大刀、大根棒、大槍、弓、鎖鎌、大双剣、大鉈、大薙刀を持ち、悠然と大闘技に入って来る。
最期の二人は取り分け大きい。
「あの二人はダルカン ラキティカだよ。総大将の露払い。副総大将達だ。」
二体のダルカンラキティカは、頭に灰色の縄を巻いている。
物凄い迫力だ。
左のダルカンラキティカは、山のように縦にも横にも大きく、もう一人は、まるで巨人だ。
10m以上の大きさがある。
筋肉はこれ以上ないほど隆起している。
歓声は正に最高潮に達した。
「ハイヨー!。」
巨人の方のダルカンラキティカが叫んだ。
「ハッ!ハッ!ハッ!。」
灰色の軍団は地面を踏みしめながら声を合わせ叫んだ。
遥か遠くの山々にこだまする。
「イヤハーー!。」
山のようなダルカンラキティカが叫んだ。
「オッ!オッ!オッ!。」
灰色の軍団は再び呼応して叫んだ。
そして、84人の隊列は、真ん中が割れた。
一斉に踊りも歌も止まった。
微かに風が舞う音が聞こえる。
「おぉ。」
人々が呻いた。
「見なさい。総大将だ。北東方のアンティカだ。北東方 アンティカ マタブマだ。」
オルテガは少し緊迫した声で囁いた。
ダルカンラキティカより更に大きな戦士が、割れた隊列の間を歩いて来た。
色は黒く、思わず息を呑むほど眼光が鋭い。
大きいばかりではなく、更に鍛え抜かれた身体をしている。
手には笏を持っている。
アンティカは、叫んだ。
大闘技の東西南北にある高い塔の上に向かって。
塔の上には、それぞれ、龍、不死鳥、虎、熊の巨大な彫刻が彫られている。
太陽は丁度熊の上にある。
「ディルカーナ、デスカーラ、イル、ヌ、アルカンダ!。」
直後に、灰色の兵団は復唱した。
「ディルカーナ、デスカーラ、イル、ヌ、アルカンダ!。」
「アッハーム、ブランザ、バワン、ヒルバーダタ!。」
「アッハーム、ブランザ、バワン、ヒルバーダタ!。」
...ドンドンドンドンドンドン...
...ドンドンドンドンドンドン...
太鼓の音が響き渡る。
北東方総勢85名の壮絶な舞が終わった。
12万の大観衆は完全に呑まれた。
「何と凄い...。」
その迫力にトラフィンは、茫然と呟いた。
「いよいよだ。北方だ。君の兄様の北方はもっと凄いぞ。笑。驚いて、気を失うなよ。」
「誰かと思えば、負け犬が。」
いつの間にか、白髪の巨人が、オルテガ達の前に立っている。
巨人は、白い長い髭を蓄えた老人だ。
しかし、銀の龍の刺繍が施された豪華なマントから、傷だらけの凄まじいほどに筋肉の隆起した肩が見えている。
身なりからして、とても高貴な者だ。
「おい!。大男!。しゃがめ!。見えないぞ!。次は北方の軍だ!。」
「そうだ!。そうだ!。」
「邪魔だぞ!。」
観衆は口々に叫んだ。
老人は、ゆっくりと振り返り、観衆を睨みつけた。
「ひっ...。」
辺りは静まり返った。
「征天大剛...様...」
「御三家の征天大剛様が...」
「セティ...。」
サンザは、亀のヤマダさんを見ながら呟いた。
オルテガは、下を向き拳を握りしめている。
オルテガは、震えていた。
辺りは、征天大剛の突然の出現に、どよめきが、広がっていった。
巨大な老人は、ゆっくりとオルテガの前に歩いて来た。
「オルテガ。ここはおまえのような負け犬の来る場所ではない。」
トラフィンは慌てた。
この立派な身なりの老人は、なぜオルテガ兄様のような立派な方を侮辱するのだろうと。
サンザは途端に青ざめガタガタと震え始めた。
「おまえに聞いているのだ。オルテガ。貴様のような役立たずの卑怯者がなぜここにいる?。」
オルテガは、唇を噛み締めている。
顔が赤くなっている。
「オルテガ兄様は、オルテガ兄様は、役立たずでも卑怯者でもありませぬ!。」
トラフィンは顔を真っ赤にして老人に言い返した。
トラフィンはぶるぶると震え今にも泣き出しそうだ。
「トラフィン。良いんだ。トラフィン。」
オルテガは嚙み殺すように言った。
「何だ。この小僧は。」
老人は、オルテガを睨みつけた。
「この子はデフィン様モルフィン様の弟君となられるお方。」
「こいつが?。デフィンはまだしもモルフィン?。あのような非力なアンティカ。このような汚い餓鬼を我がセティ家になどととんでもないことよ。」
「一体どういうことです。バラド様。いやセティの大剛様。」
「おまえに答える義務など無い。」
老人はオルテガの頭を足げにした。
「お、お、オルテガ兄様は、腰抜けや、負け犬などでは無い!。」
トラフィンは、真っ赤になって怒った。
身体は震え涙が溢れている。
「オルテガ?。」
「オルテガがここにいるのか?。」
人々はどよめいた。
トラフィンは、征天大剛の足を両手で掴み必死にオルテガの頭上から離そうとした。
「汚い餓鬼め。貴様のような乞食、我がセティの門をくぐることなど無いわ!。」
老人は、トラフィンを蹴り飛ばそうとした。
「大剛様、お待ちください!。」
オルテガは、両腕でがっちりとセティの征天大剛の足を掴んだ。
「貴様!。」
セティ一一族の征天大剛 バラドはオルテガに拳を振り下ろそうとした。
辺りは騒然とし悲鳴が聞こえる。
「待たれよ。」
声が聞こえる。
「セティの征天大剛ともあろう者が、子供や無抵抗な者に乱暴か?。事と次第によってはただでは済まぬぞ。」
後ろには、同じく白髪の老人が立っていた。
「何だと?。スサ。この落ちぶれた御三家の面汚しが。」
その老人とバラドは睨み合った。
「オルテガは立派な勇者じゃ。貴様こそ恥を知れ。」
「おぉ...。」
人々は再びどよめいた。
「今度はキドーの征天大剛がっ!。汗」
「キドー一族のスサだ!。スサ様だ!。」
二人は一触即発の様相だ。
「見ろ!。オルテガだ!。」
「本当だ!。オルテガ!。」
「勇者オルテガだ!。」
「オルテガ様ーー!。」
観衆達は口々にオルテガ名前を呼んだ。
...オルテガ!...オルテガ!...オルテガ!...オルテガ様!...
やがて、観衆達の大合唱が始まった。
「見るが良い。おまえ達が如何に隠蔽しようと100万の目は誤魔化せない。この声を聞け!。人々の声を!。」
キドー一族 征天大剛 スサは言い放った。
...オルテガ...オルテガ...オルテガ...オルテガ...オルテガ...オルテガ...オルテガ...オルテガ...オルテガ...
観衆は声の限りオルテガの名前を呼んでいる。
「クズどもめ!。」
バラドはマントを翻し去った。
「あの人は...。」
トラフィンは、去っていくその老人を睨みつけている。
「あのお方は、セティ家の首長様。ハイドラの戦士の中でも、セティ家、キドー 家、プラシバ(メルエム)家は、強力な戦士を輩出する名門。今のハイドゥクはかつてのプラシバ家のアンティカだ。」
「あの様な人がなぜ人の上に立てるのですか?。」
トラフィンは怒りが収まらない。
オルテガは立ち上がりキドーの征天大剛の元に行こうとした。
キドーのスサは、オルテガに手を上げ制して北にあるキドーの席に向かい歩いて行った。
...ファーーーーーーーーーーーーーーー...
...ファーーーーーーーーーーーーーーー...
...ファーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー...
ミドルホーンが鳴り響く。
「北方だ!。」
「来たぞ。」
灰色の軍団の対面のゲートが開いた。
...ゴゴゴ...
ミドルフォーンは鳴り止み、静かに白い民族衣装に青の帯、青い頭冠をつけた軍団が入って来る。
整然と、灰色の軍団のような軍楽も、武闘の舞も、歌も無く。
イブラデ、ラキティカの区別無く、流れるように所定の位置についた。
しかし、逆に大観衆からはため息が漏れた。
トラフィンは、キョロキョロと辺りを見回した。
「ハイヤー!。」
最後尾の二人の大きな戦士の内の一人が、吠えた。
「ハッ!。ハッ!。」
...ザッ...
84名の戦士は、一糸乱れず、同時に腰を落とし、虎の構えに体勢を変えた。
体型、身体の大きさ、年齢も全く違うのに、完全にシンクロし、1ミリのずれも無い。
「おぉぉ...。」
観衆のどよめきが高まる。
「アイヤーーーーーーー!。」
「ウォ!。ウォ!。」
...ズザ...
今度は龍の構えに。全く乱れが無い
「あの方が総大将...。」
「いや、違う。彼は、北方 ダルカン ラキティカ バールクゥァンだ。左副総大将だ。この後の闘いに出る。この後、敵の総大将マタブマと闘う。もし、それに勝てば、今年も南方と北方の決戦となる。バールクゥァンは強い。マタブマに勝ち目はないと言われている。」
「あの様な、立派なお強そうな方の上に、まだ総大将様が...オルテガ兄様!。モル兄様は?。モルフィン兄様は何処に?!。」
「うう...ああー。うう。」
サンザとモルフィンが見つからないと言っている。
「問題はマタブマが、正々の闘いをするか...だが...。」
オルテガは、熱にうなされるかの様に、呟いている。もう、意識は大闘技場にしか無いようだ。
「総大将なんぞより、モル兄様は一体どこに...。お怪我でもされたのだろうか...。汗。」
トラフィンの声は上ずっている。
オルテガの耳には届いていない。
今度は、右、左の両方のダルカンラキティカが、両方の拳を天に突き上げ、声を発した。
「アイヤーーー!。ハイヤーーーーーーー!。ハイヤーーーーーーーーーーーーー!。アーーーーーーーイ!。」
84名の戦士は、一糸乱れず、一瞬で二手に分かれた。
...ズサザ...
ゲートから、一人の若者が現れた。
若者は笏を持っている。
12万の大観衆はどよめいた。
確かに鍛え抜かれた身体はしている。
常人とは比べ物にならないほど大きい。
が、ラキティカに比べても細く小さいのだ。
何よりも幼くすら見える。
大観衆のどよめきは渦のように広がった。
「な、何と...。」
「少年ではないか...。」
「あれが、マジゥアンティカ...。」
「何とも華奢な...」
どよめきは、益々激しくなり、収まらない。
そう。
トラフィンとサンザが待ち焦がれていた、兄は、北軍の総大将だったのだ。
「モル兄様!。」
「うわあぁぁ!。ああー!。あうーあ!。」
トラフィンもサンザも、堪らず立ち上がり叫んだ。
12万の大観衆がモルフィンを一斉に見る。
しかし、笏を持ったその若者が歩き出すと大観衆は水を打ったように静かになった。
その華奢な身体からは、凄まじいほどの威圧感が漲っている。
その圧力に圧倒され、誰もがアンティカの力を、その場で揺るぎないものとして思い知った。
アンティカは、笏を地面に振り下ろし、声を上げた。
「イルナム。ディルカーナ、デスカーラ、デス、ヌ、アルカンダ。」
その身体から想像できないほど、声は大きく鋭い。
84の兵士は一斉に歌い始めた。
...イルナム!...ディルカーナ!...デス!...カーラ!...デス!...ヌ!..アルカンダ!...
まるで混声合唱のように、そして、念仏のように、複雑で不思議な和音だ。
「イルナム!ディルカーナ!デス!カーラ!デス!ヌ!アルカンダ!。」
...ハッ!...ハッ!ハッ!...ハッ!...ハッ!...ハッ!...ハッ!ハッ!...
84人の戦士は、また、一糸乱れず8つの型に体勢を変えた。
熊の型だ。
大観衆からは再びどよめきが。
「あ、あの若さであそこまで登りつめるとは...。」
「普通ではあり得ないことだ。」
「あの強者達を束ねるとは...。」
「何と凄まじい...。」
「流石ハイドゥク直系のお子。」
再び、アンティカが声を上げた。
「アッハーム!ブランザ!マスヌ!シルバ!シャクティ!。」
若いアンティカの声は、鋭く、威厳に満ちている。
...アッハーム...ブランザ...マスヌ...シルバ...シャクティ...
戦士の歌が和音となり、山々をこだまする。
力強い歌声だ。
「アッハーム!。ブランザ!。マスヌ!。シルバ!。シャクティ!。」
物悲しさ、そして希望を感じられる、どこか懐かしい響きだ。
...オッ!...オッ!...オッ!...オッ!...オッ!...オッ!...オッ!...オッ!...
84人の戦士は、また、一糸乱れず8つの型に体勢を変えた。
今度は、不死鳥の型。
「アイーーヤーーー!。」
「ハイーーヤーーー!。」
二人のダルカンラキティカが、長く大きな和声を歌い上げ、武闘の終わりを告げた。
観衆は大歓声を上げた。
大闘技が、大きく揺れ、大気はその歓声で真っ白になった。
そして、北方の戦士達84名は、飛び跳ね歓喜した。
...ワーー...キャー...ワーーー...オーー...ウオーー...ワーー...キャーー...ワーーー...ワーー...キャーー...ワーーー...ウオオーー...ワーー...ウオーー...ワーーー...ワーー...キャー...ワーーー...オーー...ウオーー...ワーー...キャーー...ワーーー...ワーー...キャーー...ワーーー...ウオオーー...ワーー...ウオーー...ワーーー...ワーー...キャー...ワーーー...オーー...ウオーー...ワーー...キャーー...ワーーー...ワーー...キャーー...ワーーー...ウオオーー...ワーー...ウオーー...ワーーー...
「見なさい。戦士達が歓喜に沸いている。こんな光景がかつてあったろうか?。あんなに団結した兵団を。あんなに歓喜に沸いた兵団を。あの方はあんなに慕われている。あれが、あれが、君たちの兄、マジゥアンティカだ!。」
オルテガは、興奮し叫んだ。
マジゥアンティカは、歓喜して二手に分かれた仲間の真ん中を、悠然と歩いた。
マジゥアンティカは、中央線を越え敵将マタブマの真正面に立った。
異例なことだ。
異例な光景に、大闘技場の大群衆は、水を打ったように静まり返った。
そして、大闘技場はどよめいた。
「おのれ、モルフィン!。貴様何のつもりか!。」
マタブマはモルフィンを睨みつけた。
モルフィンはマタブマの目を見返し言った。
「マタブマよ。サムラ アンティカの無念と苦しみ、その身に受け、思い知るが良い。」
マジゥアンティカのその強い声は、静まり返った大闘技場に響き渡った。




