ララ5
ハイドラの最高峰の一つ、ロコウの山塔には、ジーナン(ナジマの足掛け)と言われる平地が不規則にある。幾つものジーナン(ナジマの足掛け)によって、山塔は、頂上に向けて細くなっていく。
太古には、ジーナンは、ヒドゥイーンの16部族の内、最も小さいアミ族の住処だった。
しかし、現在、タントやルカイなど海洋系の種族もジーナンに住んでいる。
美しい女神にも、鳳凰にも、蝶にも似た、戦闘神ナジマは、1億3000万年に一度生まれ変わるという。
そして、ナジマの幼虫は、ジーナンに足をかけ山塔を登り、幻の頂上でサナギになる。
許された者は、幻の頂上にいる戦闘神と対峙することができるという。
キドー一族の総本山は、中域のセクトル(25番目の)ジーナンにある。大きさは数十万人収容できる競技場と同じ大きさだ。
その二つ下には、ロコウ最大のジーナン セメタム(23番目の)がある。セメタムには、最大の山岳都市セメティームハイドラがある。
セクトルやセメタムは、他のジーナンと同じように、山塔の外側を緩やかに繋いだ外環道で上下のジーナンと繋がっている。
中域以下の外環道は、多数の荷車が、同時にすれ違うことが出来るほど広く緩やかだ。
しかし、山守マヌーカ達と、キドー一族の者達に限っては、崖を伝わりジーナンの間を行き来する。
キドーの者は修行者として、山守は急ぐために。
急ぐ一般の者達は、コヌタという綿毛虫を繋いだゴンドラで地上まで降りる。
「ヤーシュイ!。」
トラフィンは掛け声をかけ、硬いウロコのある側面を下に、リューイを持ち上げた。
まるで張りぼてを持ち上げるように軽やかに。
山のような巨大魚は、透明なクレーンで吊り上げられるかのごとく、ゆっくりと浮き上がった。
「おぉ...。」
あまりの迫力にスサもカルラも唸った。
「オヤジ殿、お袋殿、それでは、行って参る。ララよ。お主も来ぬか?。」
ララは頷いた。
「そうじゃ。ララも行きなさい。タンジアの魚市は、ハイドラでは最も大きな規模じゃ。」
「そうだ。ララ。お魚を買って来てちょうだい。今日は、久しぶりにプスマケにしましょう。」
「ほほぅ。プスマケか...。久しぶりじゃのう。笑。」
スサは嬉しそうに笑った。
プスマケは、タンジアの郷土料理。
魚貝や、野菜をふんだんに使った大鍋スープのことだ。
鱗や腸を取った魚が丸ごと入れる。
「ん?。それでは、リューイも鍋に入れるとするか。はっはっはっ。」
トラフィンは、リューイを持ち上げたまま言った。
「ほほほ。笑。トラならやりかねませんね。大きすぎて入りませんよ。」
「冗談じゃ。ここまで大きな魚は食っても上手くはなかろう。」
「漁師達は、食べると言いだすかもしれんな?。」
「確かに、そうかもしれません。トラ。リューイを返してやりたいのなら、漁師達には見せない方が良いかもしれません。」
「うむ。下に降りるまでに考えるとしよう。いささか野蛮ではあるが、頑なに食べてはいけないものでは無し、はたまた漁師達もワシが返すといえば、無理にとは言わぬであろう。はっはっはっ。」
トラフィンは、笑いながら足を踏み出した。
...ズドーーーーン...
地面が一歩歩く度に、揺れる。
トラフィンは、思い出したように立ち止まった。
「ララは後で来るのか?。」
トラフィンは念を押した。
ララは、微笑みながらもう一度頷いた。
「ひと段落したら、コヌタでゆっくりと降りてくるが良い。ワシがタンジアの市ユナタイを案内する。」
トラフィンは、穏やかに言った。
...ドウン...
トラフィンの身体から、破裂音が響く。
ユッサユッサと大きく地面が揺れる。
「ト、トラ。な、何をやっておるのじゃ。」
...キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー...
ジェットタービンのような音が高まり、トラフィンは、ゆっくりと、巨大化しはじめる。
リューイの半分近い大きさになった。
黄金の金属の身体。
目からは青い光を放っている。
トラフィンのエネルギー系は、主がメロウで、従がシカムだ。
目の光はシカムの波長。
リューイよりも小さいながら、トラフィンの腕は万力のようにリューイを固定した。
カルラも驚きを隠せない。
カルラは、トラフィンの元に行こうとするララを止めた。
「トラ!。忘れたか!。ここではマジトゥにはならぬの約束ではないか!。」
スサは今までには無い強い口調だ。
トラフィンが、人の心に話しかける。
『....親父殿。....親父殿はアブドーラを恐れているのであろう?。...』
大きな兵曹の肉声は、もはや怪獣の咆哮と変わりない。
言葉を発していても、聞き取れる人間はいない。
その代わり、ハイドラの自然兵曹は、特殊なコミュニケーションが取れる。
「な?...。」
スサが言葉に詰まっている。
『...親父殿。いつまでも、隠し通すことなどできぬ。既にサラディナにはアマルの動きがある。...』
「な、何と...。い、いや、トラ!。おまえは、ワシの、征天大剛の言いつけを守っておれば良いのだ!。ワシとて知らぬ訳ではない!。」
『...オヤジ殿らしくないではないか。ワシがなぜリューイを狩ったか分かっておるだろう。...』
「お、おまえ、まさか...。」
『...例え、マジア、マジウの2人が、父ハイドゥクを越えようと、それで盤石ではない。今アマル帝国こそ、最大の隆盛期を迎えている。...』
「トラよ、それでも構わぬ!。ワシの命令を聞け!。」
『...征天大剛の言いつけなら守ろう。しかし、父としてのオヤジ殿の言いつけであれば聞くことは出来ない。アンティカを賜った時より、ワシは息子である前に、そして、キドー一門である前に、ヒドゥイーンの守護者となるべき男。...』
「トラフィン!。悪いことは言わぬ。ハイドゥクの座は、デフィンとモルフィンに譲るのじゃ。競ってはならない。」
『...オヤジ殿。元よりワシは競う気はない。マジトゥ アンティカとして、兄二人の露を払うだけじゃ。...』
「おまえは、十分に尽くして来たではないか。おまえは、十分に苦しんで来たではないか。サンザのことも、何もかも。よりによって露払いなど...。」
スサの言葉は弱々しくなって行く。
『...我が父、征天大剛スサよ。すまぬ。...』
「待て...。トラフィン、待ってくれ。」
...ズドーーーーーーーーーーン...
...ドドーーーーーーーーーーーーーーーーン...
トラフィンは、ゆっくりとそしてしっかりと、セクトルジーナンの大地を踏みしめ歩いて行く。
「トラフィンは、トラは..タンジアを立つ前には必ず、バイキールの悪魔を倒すと言っていた。去る前に、タンジアの人々を、漁師達を、永い悪夢から救うと...。」
...ズドーーーーーーーン...
...ドドーーーーーーーーーーーン...
「こんなに早くとは...。こんなに早くこの日が来るとは...。」
カルラはスサに声を掛けようとした。
しかし、カルラにもかけるべき言葉は無かった。
ララは、雲に続く山塔を見ている。
顔からも、微笑みは消えている。
ララは何かを考えている。
そして、前掛けを畳み、城へ戻って行った。
「ワシも老いぼれてしもうた...。」
「そんなこと...。そんなことありませんよ。」
...ゴォーーーーーーーーーーーーーー...
遠くで、低く大きな獣の咆哮が響く。
...わーーーーー...
...わーー...
そして、子供たちの声が...。
「帰ってきたようじゃ...。」
「おや。ほほほ。寂しい思いをしている暇もありませんね。さて、私もマジトゥに戻ります。」
「そうじゃな。笑。わんぱくどもが帰ってきた。」
...ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー...
巨大な獣が、セクトルジーナンと上のセレッタジーナンの中腹にある、山の緑の斜面から、かけ降りて来る。
ヒドゥイーンタイガーだ。背中に子供を3人乗せている。
平均的なヒドウィーンタイガーより大分大きい。
10メートル以上ある。
象より巨大だ。
用心深く、獰猛で用心深いヒドウィーンタイガーが、人に懐くのは珍しい。
「ハル!。行けぇ!。」
「ハルジャンプっ!。」
...ゴォーーーーーーーーーーーーー...
ヒドゥイーンタイガーは嬉しそうに応え、思いっきりジャンプする。
「ははははは!。すごーい。ははは!。」
...ダッ...
ヒドゥイーンタイガーは、スサ達のいる、大水郭城の鍛錬場に着地する。
子供達は、振り落とされそうになりながらも、手綱をしっかり握って持ち堪えている。
「キャハハハッ!。」
「はははは!。」
と、1番後ろの小さな男の子が振り落とされる。
...ザァーーーーーーーーーーーーッ...
男の子は、受身を取って地面を滑る。
「待ってーーー!。待って頂戴ーーー!。」
斜面の上の方から大きな声がする。
男が転がりながら落ちて来る。
小さな男の子は、擦りむいた自分の傷を少し見て、笑い初めた。
「ははは!。はははは!。」
ヒドゥイーンタイガーから、先頭の1番大きな男の子と、後ろの女の子は、落ちた小さな子を見て指をさして笑った。
「はははは!。」
「凄かったー!。ちょー楽しい!。」
女の子が言った。
「メルテ!。大丈夫かー?!。はははは!。」
「もう一回やりたい!。はははは!。ハル最高!。」
...ゴゴォーーーーーーーーーーーーーーー...
ヒドゥイーンタイガーは嬉しそうに吠える。
「あれ?。門が?。ねぇサビオ兄ちゃん!。門が無いよ?。」
「いいよ後で。それよりネフィ!。もう一回行くぞ!。」
「うん!笑。」
スサの顔が歪んだ。
カルラがスサを強くつねっているようだ。
スサが大声で叫んだ。
「コーーラ。バカ者ーーーっ!。」
声は山に響くほどの大きさだ。
ヒドゥイーンタイガーも、子供たちも一瞬で固まった。
スサは続けて叫ぶ。
「サビオ!。ネフィ!。お前たち何をやっとるーーー!。」
スサの顔がまた歪んだ。
スサは怒鳴った。
「無茶をしてケガでもしたらどうするのじゃあーーー!。」
サビオもネフィも慌てて転げるようにハルから飛び降りた。
「メルテ!。ハル!。おまえ達もじゃ!。」
3人は、直立不動になった。
ハルは急に大人しくなった。
鼻を鳴らすと、寝そべり弱々しくスサを見る。
カルラはコホンと咳をした。
「お前たち。この様子じゃ鍛錬も勉強もちゃんとしておらんな?。」
「オヤジ殿ちゃんとやりましたよ?。」
サビオが不満そうに言う。
「バカ者。オヤジ殿などと10年早いわ!。トラの真似をしおって。」
「兄様とは8歳しか離れておりませぬ!。」
「何じゃと?。このチビ助が。」
「あーー。何でこんな目に会わなきゃなんないの?。」
「丁度良いくねくねに聞いてみるか。」
「父様!。ネフィは先生のことをくねくねって呼ぶの絶対にダメだと思いますっ!。」
「何を言っとる。もう少し女の子らしくせんか!。」
「何で女の子らしくしないといけないんですかー?。女の子らしくって何ですかー?。」
「このチビが。小生意気なことを。何でもじゃ!。なんでも!。女の子らしくは女の子らしくじゃ。」
「ぜんぜんわかんない!。」
「もう何でこんな悲惨な目に...。」
「おいくねくね!。」
「まぁ失礼ね!。何よジジイ!。」
「オヤジ殿!。」
メルテが口を開いた。
「兄様がサビオ兄様が今日は祈日だから何もしなくて良い日だって言いました!。」
「ば、バカ...。」
サビオは、メルテの口を慌てて塞いだ。
「この子たち。ぜんぜん言うこと聞いてくれなくて...。もう泣きたいわ...。」
「ほうれ見ろ!。この悪ガキどもが!。」
「まぁまぁそんなに叱ったら可哀想ですよ。ねぇ。楽しかったのなら良いではないですか。今日の夜はプスマケにしますよ。」
「ええ!。プスマケ!。」
「やったー!。」
「プスマケ!。プスマケ!。」
「キヨタ先生もどうですか?。」
「あらー...。申し訳ないですぅ。私なんか。でも、頂きます!。」
「ほほほ。」
ネフィとメルテは、カルラに抱きつこうとした。
「お前たち!。騙されるな!。黒幕は母様だ!。オヤジ殿はその黒幕に操られ...。」
ネフィとメルテは、怪訝な顔をする。
...ゴン...
「イテっ!。」
「いい加減にせんか。チビ助どもが。危険過ぎることは止め約束を守り勉学に勤しめ。全部お前たちのためではないか。」
「うぜっ。」
「ほう。そうか...。母様...。残念じゃな...。この子たちは、プスマケは嫌いなようじゃ...。今日は中止じゃな。」
サビオが初めて激しく動揺している。
「ええーーー!?。悪いのは兄様なんだから、兄様だけにしましょうよ?父様。」
ネフィが言った。
「やだぁ。プスマケ食べたい。」
メルテが泣き始める。
「おやおや。泣かなくても大丈夫よ。ちゃんと今日のお勉強や稽古をしたらお許しくださるわよ。きっと。ねぇ父様。」
カルラは、スサに言う。
「ふむそうじゃ。ちょうどキヨタもおることじゃ。」
「ちょうどってどういう事?。爺さんが私に勉強見ろと言ったんじゃない!。全く。」
「仕方がない。やってやるとするか。」
「何じゃと?。」
ネフィとメルテはサビオを睨んだ。
「仲間割れ早っ!。笑。」
キヨタは笑っている。
ヒドゥイーン族は多夫多妻制度で、通常女は数人の夫の子を我が子として大切に育てる。兄弟といえども片方の親か、両方の親が違う場合がある。
母親中心とした家族を形成し、父親達は、別に暮らす。
幾つかの家族が共に暮らし、子供達は、半分以上の時間は家庭で過ごすが、残りの半分は、ヒドゥイーン族独自のマラツと言う養育施設で寝泊まりをして育てられる。
男もまた、数人の妻の家庭を回り、それぞれの妻と子供達の生活の見守る。
多夫多妻の制度は、アマル人やアトラ人がヒドゥイーンを蔑視する要因の一つと言われる。動物のようだと。
歴史的虐殺や侵略は、ハイドラが世界一アルマダイ鉱脈を持っていること、そして、多夫多妻制度への嫌悪感が生み出したものとされている。
アトラや、アマルには、等級社会の弊害として、孤児、みなしごが1億人いると言われる。
このことは、マフィア、臓器売買、無等級奴隷など様々な大きな社会問題を生み出している。
それに対しハイドラには孤児はいないとされている。
....
城の方から足音がする。
ララだ。
ララは、3年前初めてここに来た時にカルラから譲り受けた着物を着ている。
光の加減で色の変わるララのカリビアンブルーの瞳や、暖かい時には赤く輝く耳の希少石を太陽が照らしている。
ララの白い肌や、美しい薄紫の髪を引き立てるために。
ララは、化粧をしている。
紅は唇からは紅がはみ出していたが。
「あら。」
カルラはララに気がついた。
「あ!。ララ姐。どしたの?。」
サビオが言う。
「わぁ、ララ姐様綺麗...。」
ネフィがため息まじりに言う。
「ララちゃん。べっぴんさんべっぴんさん。」
メルテは小躍りして喜んでいる。
「うむ...綺麗じゃな。」
「まるで人魚姫様のようね。美しい。」
キヨタは感動しているようだ。
カルラは、自分の赤い髪飾りを、ララの紫の髪に挿してやった。
「ありがとう。いつも着てくれて。とても綺麗よ。ララちゃん。」
カルラは、自分着ている部族大母の民族衣装でララのはみ出した紅を拭いてやった。
一年前にはぶかぶかだったカルラの衣装は、すらっと背の伸びた今のララに良く似合っている。
?
ララは持って来た花をカルラの髪につけた。
どこかで摘んで来たのだろう。
「まぁ...ありがとう。」
...ドスーーーン...
...ドスーーーン...
下の方で地面が揺れ地面を踏みしめる音がする。
トラフィンは、外環道を周り下の方まで下山している。




