アユム3
トニーは、看護用ロボット リカオンの汚れをもくもくと落としている。
リカオンは女性型ロボットだ。毎年この時期は、リカオンの修理が殺到する。期末だからだ。
トニーは、いつものように、汚れを丁寧に落とし、ネジの一つに至るまで、綺麗に洗浄している。
今日は、いつものようにリカオンに話しかけたりはしない。それどころか、少し荒々しい。
リカオンには、上級アンドロイドのような感受性や思考力はない。
そして、低級アンドロイドのように、スーパーコンピュータによる集中制御も無い。
ただ、インプットされた入力通りに行動するだけ。入力データは、数年に一回アップデートされる。
リカオンは、髪や黒目の無いマネキン様の単なるロボット。しかし、曲線が美しく、ボディも柔らかい。女の色気をとても強く感じさせる。
主には、荒々しい下層市民の作業現場や、病院に配置される。
リカオンは、恥じらう動作が569パターン記録されている。
受け応えパターンも12万種類プログラムされている。
特筆すべきは...女性生殖器のような部品が取り付けられていて、その感度はかなり高く設定されている。リカオンは、酔っ払いに組み伏せられ、はけ口になることが良くある。抑圧の強い下層市民社会において、性犯罪の防止の役割を担っている。
荒くれて、飲んだくれる作業者達は、女を感じるリカオンの助言には良く従う。
プロのアンドロイド調整士のトニーにはリカオンは、単に忠実に良く働くだけの機械にしか見えない。
にも関わらず、人に接するように、丁寧に優しく接している。
「兄ちゃん?出かけてくるね。」
アユムは、作業場を兼ねた広い土間に降りながら、トニーに声をかけた。
...ドダン...
トニーは返事をしない。そればかりか、リカオンの腕を洗浄桶に荒々しく投げる。
トニーは機嫌が悪い。
トニーがアユムにこんな態度を取るのは珍しい。
「兄ちゃん...。兄ちゃん?。」
...ドダン...
次の腕を洗浄桶に。
「...。」
アユムは、トニーがこんなに怒っているのを初めて見た。
「兄ちゃん。ごめんね?。」
...サー...サー...サーーー...
汚れを落とすスプレーの音が響く。
トニーは気がつかない振りをして、また別のリカオンの腕を拭き始める。
...ガダン...
アユムは、哀しそうにうつむくと、ガラス横開き玄関の戸を締め出て行った。
「こぉーーれっ!。壊れちゃうよう!。」
ビアッカは、出て行ったアユムに向かって声をかけた。
トニーは、ビアッカの方を向きもせず、また別のリカオンの汚れをブラシで落としている。
トニーの作業は、びっくりするほど丁寧だ。
「ちょっとトニー。何日話してやってないの?。アユムが可哀想だよ...。」
...サーサーサー...
...キュッキュッキュッ...
トニーは、一瞬手を止めた。
でもすぐに、何も無かった様に、今度はリカオンの足を拭き始める。
「あんな分からずや、どうなっても知らねぇ。」
「いいの?。そんなこと言って。アユムに何かあったら1番オロオロするのおまえじゃないの...。」
トニーは、やっと腕を止め、ビアッカの方を向いた。
「婆さんが、甘やかすから、あんな意気地なしになってしまうんだ。」
トニーは、汗を拭い言った。
リカオンを拭いていた雑巾で...。
「アユムには、アユムなりの考えがあるんだから。それは尊重してやらなきゃ。」
「せっかくのチャンスを、みすみす棒に振るような奴は、知らねぇよ!。」
「あんた、アユムはね、ルコントより兄ちゃんと婆ちゃんと一緒にいたいって...。僕がいなくなったら、兄ちゃんと婆ちゃんが心配だからって、そう言ってたんだよ?。アユムだってルコントのチームでやりたいに決まってるだろ?。簡単にできないじゃないの。私たちは。」
トニーはそわそわし始めた。
「心配って...。」
「だって考えてごらん。あんたも辛かったろうけど、アユムはあの時小学生だったんだよ?。」
「そ、そうだけど...。」
「アユム、昨日からご飯食べてないよ。もういい加減にしないと病気になっちゃうよ。いいのかい?。」
「...。」
トニーは、また汗を拭いた。何回も何回も。
暑くもないのに、汗が噴き出している。
「アユムのことが大事なら、話をちゃんと聞いてやったら?。トニー。アユを安心させて背中押してやるの方が、兄ちゃんの役割だよ。」
「そ、そ、そんなこたぁ、わ、分かってる!。」
トニーは、素っ頓狂な声を上げ、しきりに汗を拭っている。
心配でたまらなくなって来たようだ。
「ところで、ちょっとトニーあんた、やだ、何やってんの?。」
「な、な、何だよ?。」
「それ、それ雑巾だよ?。笑。顔汚れちゃってるよ?。」
...ガダン...
...タンタンタン...
トニーは突然立ち上がった。
一瞬だけ雑巾を見て、作業桶の縁に投げた。
椅子が倒れそうになる...。
「婆さん!。アユムを探してくる!。」
...ガララララララ...
トニーは、曇ガラスの扉を横に開くと、裸足のまま走って外へ出た。
...ダンダン...
ビアッカは素足で慌てて土間に降り叫んだ。
「ちょ、ちょっと!。おまえ、靴履かないと!。ちょーっと!。靴、靴!。け、け、怪我!怪我するよ!。」
「あ、あぁ!。そうだ!。」
トニーは、素足のまま走って戻って来た。
...ズザズッ...
トニーは、慌てて靴に足を入れ慌てて走って行った。
...ドンドンダッタッタッタッ...
「ちょっとトニー!。トニー!。それあたしのっ!。トニー!。あたしのだよっ!。」
トニーは、赤い靴を履いて行ってしまった。
「ホントおっちょこちょいなんだから...。不器用だねー。お父さんに似てるよ。笑。あんな格好で行っちゃったよ。笑。ホントおばか。笑。」
ビアッカは、少し嬉しそうに呟いた。
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土曜日の昼前。
2つの日の光が柔らかい。
リニア列車の陸橋を照らし、斜めに交差している陸車道に影を落としている。
陸車道は、高さが低く、リニアの陸橋まで3mも無い。
歩道から40m下の階層に、ルコントの競技場が見渡せる。
子供達の声が、少し遅れて反響しながら聞こえてくる。
土曜日のこの時間はユルダームジュニアが練習をしている。
カルマン州立のルコントチームのジュニアだ。
錆びた緑色の手摺に、腕を載せその上にほっぺたを載せて、もたれかかっている少年がいる。
「兄ちゃん。ごめんねごめんねー♩。」
少年は、消しゴムでできたヒーローに話しかけている。
バイブルを持ってメガネをかけた大男を模った消しゴム...。
...キーーーッ...
自転車の止まる音がする。
「アユム!。」
アユムは、振り返った。
アユムと同い年くらいの少年が立っている。
少年は少し背が高く色黒だ。
細身で手足が長く、髪の毛は少し縮れている。
「おう!ムウ!。」
ムウは、自転車を引いて近づいてきた。
「ここだと思ったよ!。」
「ははは。」
「あれ?兄ちゃんとまた喧嘩したの?。」
「何で分かった?。」
「ほら、バーソロミュークマ•マン。」
ムウは、アユムが手に持っている、消しゴムのキャラクターを見て言った。
「わら。勝手に兄ちゃんにすな!笑。」
「バレとるよ?。」
「じゃ、おまえの姉ちゃん、イワンコフ•マン。」
「笑。に、似てる!。」
ムウは笑いが止まらなくなった。
アユムも自分でウケて笑った。
「姉ちゃん、ブチ切れる!笑。マジで。ウケる。ワハハハ!。腹いてぇ!。」
ムウは、笑いが止まらなかった。
アユムは嬉しそうに、両手をグーにして、思いっきり伸びをした。
「んーー!。」
「また、見てんの?。」
「ん?。何が?。」
「何がて、ユルダームよ。」
「んーー。んーんん。笑」
「うんこ?。」
「笑。何でだよ?。笑。そう。ユルウンコ。」
「汚ねぇ。笑。ガキか?。笑」
「笑。おまえが言って来たんだろ?。」
「今日試合だって。」
「え?。」
「練習試合。」
「何が?。」
「もー。ユルダームがだよ。」
「え?そうなんだ...。」
「今教えに行こうとしてたし。」
「マジで?ありがとう。優しー。」
「ういーっ!。」
「ういーっ!。」
アユムとムウはハイタッチした。
「一緒に見ようぜ。」
「見よう見よう!。」
「あんま長くはいれないけど...。俺今日ちょっとオカンの土曜市手伝わなくちゃいけねーんだよ。めんどくせえ。」
「がんば!。」
「軽っ。笑。」
ムウは、背中向きに、両膝を手摺にかけ空を見上げた。
「あ。相手チーム来たん。」
ムウは振り返った。
「ビエンタじゃん。」
「え?。ビエンタって、ネオヤマトの?。すげぇ。」
「全国大会5連覇中...。でも、3等市民以下だけだよ。多分。」
「そうなんだ...。でも、すごいね。」
...カッ...カッ...カッ...
遠くで、靴の鳴る音がする。
「え!?。」
ムウは、陸橋あたりから、坂を登って走ってくる男を見ている。
男は、短パンに白いティーシャツ。
なぜか少しヒールのある赤い小さな靴を突っかけて走って来る。
男は骨太で首から汚れたタオルをかけている。
「公式練習始まったんー。」
アユムが言う。
「んん?。」
ムウが目を細めて男を見る。
男は、ムウ達に気づいたようだ。
男は、膝に両手をつき肩で息をしている。
男は、ムウに手を上げた。
(あ!。バーソロミュークマ•マンだ!汗。)
ムウは、アユムに分からないように、アユムを指差しトニーに合図を送った。
(ここにいるよ!。ここ!。ここ!。)
トニーは、坂を下った遠くで、もう一回手を上げ、両手を合わせ、手を縦に振りながら、また来た方向に走って行った。
...カッカッカッ...
トニーは、アユムと血の繋がった兄弟なのに、身体つきがゴツい。
トニーは、がに股で走って行った。
(んん?。なんだったんだ??笑。あの格好。笑。)
「なぁ、始まったって。」
「ん?あ、あぁ。」
「あれ、何がニヤニヤしてんの?。」
「いやいや...。」
ムウは、笑いを堪えていた。
「何か、大人と子供みたいだよ。」
「フフフフ。そうだな。」
「いきなり得点された...。」
トニーの身体は、笑いをガマンして揺れている。
「は!?。何笑ってんのおまえ?。病気?。あれ、あいつ凄い!。5番。」
「あ、どっち?。ビエンタ?。はははは!。」
「な、何?。何?。なに1人で笑ってんの?。いや、ユルダームたけど。」
「はっはっは!。ウケ...。あ、はは。ブルースだよ?。あ、っはっはっ。」
「何?。バカじゃん。あっ、惜しい。」
「スゲェだろ?。あいつ。笑。でも、見てろ。」
「あっ、パス通らない。」
「そう。」
「あっ、あれ、また取られた。ここロングパスじゃね?。」
「まだ、ムリだよ。リトルだから。」
「あ、行ったけど...。」
「決めるぜ。ブルース。」
「無理でしょ、あの体勢から。てか友達?。」
「いや、見てろ。まあな。」
「え?。友達なの?。」
アユムは手摺から起き上がりムウを見た。ムウはアユムの目を見ず相変わらずニヤニヤしていた。
「あぁ。」
「なんだ。変な奴。」
「ほら!。見ろ。」
「え?!。す、凄え。」
「なっ!?。」
「うん。あ、また来た。」
「今度も...。」
「ナイス!凄え。」
「凄えだろ?。」
「あいつだけ、ユルダームの5番だけ別格。てか、友達?。あ、友達か...。」
「そうなんだよ。ブルースは、ビエンタの一軍と比較してもダントツだぜ!。多分。」
「だよな。凄えもん。何歳?。」
「タメだよ。友達だもん。」
「年違う友達いないのかよー、ウェイ〜。」
アユムは、ムウの腹をグーで軽く殴った。ムウは無視して続けた。
「無視かよ...。」
「でも、ブルースはビエンタには入れない。」
「等級?。」
「いや。あいつは2等市民だよ。」
「じゃ、何で?。」
「あいつの父さんは、等級落ちした上に越境居住罪で捕まった。」
「え!。何で等級落ち?。」
「いや、イザナミのバグでポイントが0になっていたって。」
「そんな...。でも、分かるじゃん?。」
「それが...今もそのまま。警察が処刑したから...って。犯罪者の子供はビエンタに入れない規則あるから...。」
「それ酷くね?。」
...ワーーーーーーーーーーーーーーーー...
グラウンドから歓声が上がった。
「見ろよ。ブルースがまた得点した。」
「ホントだ...。でも、苦しそう。」
遠目で見ても、立ち止まり、膝に手をつき、ブルースは苦しそうだ。
スコア:ユルダーム14-36ビエンタ
「ユルダームの点、全部ブルースが1人でキープして、決めてる。」
「そうだね...。ホント凄い。」
「ビエンタは、ジュニアの控えって言ったって、三年後にはプロになる奴ばかり。それを、全く触らせないって凄えよ。やっぱり。」
「ユルダームのコンビ全部ボール取られてる。パスが甘いし、遅いね。」
「あれ、ユルダームの一軍だよ。ユルダームの一軍は、この辺りでは負け無し。」
「うそ?。パスなんか山なりだよ、あれじゃ...。」
ムウは、呆れたというような様子で、ため息をついてアユムを見る。
「無理!。プロみたいには行かないよ。まだジュニアだし...。ビエンタ相手に。」
「え?。通せるよ、あんなに時間あるのに...。」
アユムは驚いている。
「いや無理でしよ、それに、あんな距離プロだってロングパス飛ばせないよ。ユルダームは、良く頑張ってるよ。そんなこと出来る奴いない。」
「あんな距離って?。飛ぶでしよ?。普通に。」
「いや、無理だって!。無理。笑。」
「できるよ!。」
「誰が?。そりゃプラトーとかパッキオとかじゃなきゃ、無理でしょ。絶対。」
何となく、今日のムウは言い張ってくる。
「そうなんだ。」
アユムは、言い争う気は無い。
「もし、出来る奴いたら、そんなんプラトーを超える天才だよ。笑。いないよ。そんな奴。」
なんか今日のムウ嫌な感じ。
「そう。」
アユムは、ムウから身体ごとそむいた。
「そんな奴もしいたら、ブルースが泣いて喜ぶよ。ブルースはプロでも得点王になれるさ。笑。いたらだけどさ。笑」
ムウは、笑った。何か、挑発するような感じに聞こえる。
「そう...。」
アユムは、あからさまに不機嫌になった。
ムウは、また、背中越しに両肘を手摺に乗せて空を見上げながら、横目でアユムをチラチラ見てくる。
ブルースは、体力の限界だ。ブルースは、ビエンタのディフェンスを抜けなくなった。ユルダームは何回もボールを取られた。
「酷えな...。ビエンタの相手になってねぇよ。笑」
アユムは、一瞬鋭い目つきでムウを睨んだ。
ブルースは、ビエンタのディフェンスの反則で何回も倒れた。
ブルースは、動きが悪くなり、何回もタックルで倒された。
スコア:ユルダーム38-178ビエンタ
ブルースは、グラウンドを拳で殴っている。
試合は淡々と続き、点差はどんどん開いていく。
ブルースは、味方チームに何か叫んでいる。
小突いたり。
突き飛ばしたりし始めた。
「そうだった...。ブルースは、天才だけど、ルコント中は、問題児なんだよなー。」
アユムは、我慢しきれずに言った。
「ムウには分からないよ!。」
「え?。アユムわかるの?。へえー。笑」
ムウは、おどけてみせた。
2人の間の空気は、険悪になった。
こいつマジむかつく!。
試合はハーフタイムになった。
「あ、そうだ。そういえば、1人だけいたっけなぁー...!笑。」
ムウは、唐突に大声を出した。
アユムは、聞こえないふりをしていた。
ムウは、鼻をほじるふりをした。
「あはは、いたわ。俺の親友に。スゲェ天才が。でも、あいつは、意気地なしだからなー!。」
ムウが、チラ見する。
アユムは、髪の毛を触った。
何か耳を塞ぐのを誤魔化したようにも見えた。
「残念だなぁー。スゲェ、キックやパス出せるのに。凄えロングシュートあるのに。プラトーより凄いのに。残念だなー!。マジで。笑。」
アユムは、身動き1つしなくなった。
(ロングシュートって...。)
「おい。アユム!。」
ムウは言う。
アユムは、ビクッとして、恐る恐るムウを見た。
「そろそろ行くよ!母ちゃん待ってっから。」
アユムは頷いた。
ムウは、自転車の方向を変え、アユムの後ろを通り過ぎた。
通り過ぎる、間際に、アユムに小声で囁いた。
「おまえなら出来るぜ!。アユム。」
!?
アユムは、目でしばらくムウを追った。
ホイッスルが鳴り、後半が始まった。
アユムは、すぐ、グラウンドを見た。
ブルースは、勇ましかった。
でも、もう限界だ...。
「おーーーい!。」
遠くでムウの声がする。
アユムは、ムウの方を見た。
ムウは、自転車に跨りこっちを見ている。
「出来るよーー!。アユムーーー!。おまえならー!。出来るーー絶対!。」
変だな...。
どうしちゃったんだろ。
俺。
グランドが歪んで、滲んで、良く見えないよ...。




