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トリスタンの皇帝  作者: Jota(イオタ)
52/364

アユム3

トニーは、看護用ロボット リカオンの汚れをもくもくと落としている。


リカオンは女性型ロボットだ。毎年この時期は、リカオンの修理が殺到する。期末だからだ。


トニーは、いつものように、汚れを丁寧に落とし、ネジの一つに至るまで、綺麗に洗浄している。


今日は、いつものようにリカオンに話しかけたりはしない。それどころか、少し荒々しい。


リカオンには、上級アンドロイドのような感受性や思考力はない。


そして、低級アンドロイドのように、スーパーコンピュータによる集中制御も無い。


ただ、インプットされた入力通りに行動するだけ。入力データは、数年に一回アップデートされる。


リカオンは、髪や黒目の無いマネキン様の単なるロボット。しかし、曲線が美しく、ボディも柔らかい。女の色気をとても強く感じさせる。


主には、荒々しい下層市民の作業現場や、病院に配置される。


リカオンは、恥じらう動作が569パターン記録されている。


受け応えパターンも12万種類プログラムされている。


特筆すべきは...女性生殖器のような部品が取り付けられていて、その感度はかなり高く設定されている。リカオンは、酔っ払いに組み伏せられ、はけ口になることが良くある。抑圧の強い下層市民社会において、性犯罪の防止の役割を担っている。


荒くれて、飲んだくれる作業者達は、女を感じるリカオンの助言には良く従う。


プロのアンドロイド調整士のトニーにはリカオンは、単に忠実に良く働くだけの機械にしか見えない。


にも関わらず、人に接するように、丁寧に優しく接している。


「兄ちゃん?出かけてくるね。」


アユムは、作業場を兼ねた広い土間に降りながら、トニーに声をかけた。


...ドダン...


トニーは返事をしない。そればかりか、リカオンの腕を洗浄桶に荒々しく投げる。


トニーは機嫌が悪い。


トニーがアユムにこんな態度を取るのは珍しい。


「兄ちゃん...。兄ちゃん?。」


...ドダン...


次の腕を洗浄桶に。


「...。」


アユムは、トニーがこんなに怒っているのを初めて見た。


「兄ちゃん。ごめんね?。」


...サー...サー...サーーー...


汚れを落とすスプレーの音が響く。


トニーは気がつかない振りをして、また別のリカオンの腕を拭き始める。


...ガダン...


アユムは、哀しそうにうつむくと、ガラス横開き玄関の戸を締め出て行った。


「こぉーーれっ!。壊れちゃうよう!。」


ビアッカは、出て行ったアユムに向かって声をかけた。


トニーは、ビアッカの方を向きもせず、また別のリカオンの汚れをブラシで落としている。


トニーの作業は、びっくりするほど丁寧だ。


「ちょっとトニー。何日話してやってないの?。アユムが可哀想だよ...。」


...サーサーサー...


...キュッキュッキュッ...


トニーは、一瞬手を止めた。


でもすぐに、何も無かった様に、今度はリカオンの足を拭き始める。


「あんな分からずや、どうなっても知らねぇ。」


「いいの?。そんなこと言って。アユムに何かあったら1番オロオロするのおまえじゃないの...。」


トニーは、やっと腕を止め、ビアッカの方を向いた。


「婆さんが、甘やかすから、あんな意気地なしになってしまうんだ。」


トニーは、汗を拭い言った。


リカオンを拭いていた雑巾で...。


「アユムには、アユムなりの考えがあるんだから。それは尊重してやらなきゃ。」


「せっかくのチャンスを、みすみす棒に振るような奴は、知らねぇよ!。」


「あんた、アユムはね、ルコントより兄ちゃんと婆ちゃんと一緒にいたいって...。僕がいなくなったら、兄ちゃんと婆ちゃんが心配だからって、そう言ってたんだよ?。アユムだってルコントのチームでやりたいに決まってるだろ?。簡単にできないじゃないの。私たちは。」


トニーはそわそわし始めた。


「心配って...。」


「だって考えてごらん。あんたも辛かったろうけど、アユムはあの時小学生だったんだよ?。」


「そ、そうだけど...。」


「アユム、昨日からご飯食べてないよ。もういい加減にしないと病気になっちゃうよ。いいのかい?。」


「...。」


トニーは、また汗を拭いた。何回も何回も。


暑くもないのに、汗が噴き出している。


「アユムのことが大事なら、話をちゃんと聞いてやったら?。トニー。アユを安心させて背中押してやるの方が、兄ちゃんの役割だよ。」


「そ、そ、そんなこたぁ、わ、分かってる!。」


トニーは、素っ頓狂な声を上げ、しきりに汗を拭っている。


心配でたまらなくなって来たようだ。


「ところで、ちょっとトニーあんた、やだ、何やってんの?。」


「な、な、何だよ?。」


「それ、それ雑巾だよ?。笑。顔汚れちゃってるよ?。」


...ガダン...


...タンタンタン...


トニーは突然立ち上がった。


一瞬だけ雑巾を見て、作業桶の縁に投げた。


椅子が倒れそうになる...。


「婆さん!。アユムを探してくる!。」


...ガララララララ...


トニーは、曇ガラスの扉を横に開くと、裸足のまま走って外へ出た。


...ダンダン...


ビアッカは素足で慌てて土間に降り叫んだ。


「ちょ、ちょっと!。おまえ、靴履かないと!。ちょーっと!。靴、靴!。け、け、怪我!怪我するよ!。」


「あ、あぁ!。そうだ!。」


トニーは、素足のまま走って戻って来た。


...ズザズッ...


トニーは、慌てて靴に足を入れ慌てて走って行った。


...ドンドンダッタッタッタッ...


「ちょっとトニー!。トニー!。それあたしのっ!。トニー!。あたしのだよっ!。」


トニーは、赤い靴を履いて行ってしまった。


「ホントおっちょこちょいなんだから...。不器用だねー。お父さんに似てるよ。笑。あんな格好で行っちゃったよ。笑。ホントおばか。笑。」


ビアッカは、少し嬉しそうに呟いた。


-----------------------------------


土曜日の昼前。


2つの日の光が柔らかい。


リニア列車の陸橋を照らし、斜めに交差している陸車道に影を落としている。


陸車道は、高さが低く、リニアの陸橋まで3mも無い。


歩道から40m下の階層に、ルコントの競技場が見渡せる。


子供達の声が、少し遅れて反響しながら聞こえてくる。


土曜日のこの時間はユルダームジュニアが練習をしている。


カルマン州立のルコントチームのジュニアだ。


錆びた緑色の手摺に、腕を載せその上にほっぺたを載せて、もたれかかっている少年がいる。


「兄ちゃん。ごめんねごめんねー♩。」


少年は、消しゴムでできたヒーローに話しかけている。


バイブルを持ってメガネをかけた大男を模った消しゴム...。


...キーーーッ...


自転車の止まる音がする。


「アユム!。」


アユムは、振り返った。


アユムと同い年くらいの少年が立っている。


少年は少し背が高く色黒だ。


細身で手足が長く、髪の毛は少し縮れている。


「おう!ムウ!。」


ムウは、自転車を引いて近づいてきた。


「ここだと思ったよ!。」


「ははは。」


「あれ?兄ちゃんとまた喧嘩したの?。」


「何で分かった?。」


「ほら、バーソロミュークマ•マン。」


ムウは、アユムが手に持っている、消しゴムのキャラクターを見て言った。


「わら。勝手に兄ちゃんにすな!笑。」


「バレとるよ?。」


「じゃ、おまえの姉ちゃん、イワンコフ•マン。」


「笑。に、似てる!。」


ムウは笑いが止まらなくなった。


アユムも自分でウケて笑った。


「姉ちゃん、ブチ切れる!笑。マジで。ウケる。ワハハハ!。腹いてぇ!。」


ムウは、笑いが止まらなかった。


アユムは嬉しそうに、両手をグーにして、思いっきり伸びをした。


「んーー!。」


「また、見てんの?。」


「ん?。何が?。」


「何がて、ユルダームよ。」


「んーー。んーんん。笑」


「うんこ?。」


「笑。何でだよ?。笑。そう。ユルウンコ。」


「汚ねぇ。笑。ガキか?。笑」


「笑。おまえが言って来たんだろ?。」


「今日試合だって。」


「え?。」


「練習試合。」


「何が?。」


「もー。ユルダームがだよ。」


「え?そうなんだ...。」


「今教えに行こうとしてたし。」


「マジで?ありがとう。優しー。」


「ういーっ!。」


「ういーっ!。」


アユムとムウはハイタッチした。


「一緒に見ようぜ。」


「見よう見よう!。」


「あんま長くはいれないけど...。俺今日ちょっとオカンの土曜市手伝わなくちゃいけねーんだよ。めんどくせえ。」


「がんば!。」


「軽っ。笑。」


ムウは、背中向きに、両膝を手摺にかけ空を見上げた。


「あ。相手チーム来たん。」


ムウは振り返った。


「ビエンタじゃん。」


「え?。ビエンタって、ネオヤマトの?。すげぇ。」


「全国大会5連覇中...。でも、3等市民以下だけだよ。多分。」


「そうなんだ...。でも、すごいね。」


...カッ...カッ...カッ...


遠くで、靴の鳴る音がする。


「え!?。」


ムウは、陸橋あたりから、坂を登って走ってくる男を見ている。


男は、短パンに白いティーシャツ。

なぜか少しヒールのある赤い小さな靴を突っかけて走って来る。


男は骨太で首から汚れたタオルをかけている。


「公式練習始まったんー。」


アユムが言う。


「んん?。」


ムウが目を細めて男を見る。


男は、ムウ達に気づいたようだ。


男は、膝に両手をつき肩で息をしている。


男は、ムウに手を上げた。


(あ!。バーソロミュークマ•マンだ!汗。)


ムウは、アユムに分からないように、アユムを指差しトニーに合図を送った。


(ここにいるよ!。ここ!。ここ!。)


トニーは、坂を下った遠くで、もう一回手を上げ、両手を合わせ、手を縦に振りながら、また来た方向に走って行った。


...カッカッカッ...


トニーは、アユムと血の繋がった兄弟なのに、身体つきがゴツい。


トニーは、がに股で走って行った。


(んん?。なんだったんだ??笑。あの格好。笑。)


「なぁ、始まったって。」


「ん?あ、あぁ。」


「あれ、何がニヤニヤしてんの?。」


「いやいや...。」


ムウは、笑いを堪えていた。


「何か、大人と子供みたいだよ。」


「フフフフ。そうだな。」


「いきなり得点された...。」


トニーの身体は、笑いをガマンして揺れている。


「は!?。何笑ってんのおまえ?。病気?。あれ、あいつ凄い!。5番。」


「あ、どっち?。ビエンタ?。はははは!。」


「な、何?。何?。なに1人で笑ってんの?。いや、ユルダームたけど。」


「はっはっは!。ウケ...。あ、はは。ブルースだよ?。あ、っはっはっ。」


「何?。バカじゃん。あっ、惜しい。」


「スゲェだろ?。あいつ。笑。でも、見てろ。」


「あっ、パス通らない。」


「そう。」


「あっ、あれ、また取られた。ここロングパスじゃね?。」


「まだ、ムリだよ。リトルだから。」


「あ、行ったけど...。」


「決めるぜ。ブルース。」


「無理でしょ、あの体勢から。てか友達?。」


「いや、見てろ。まあな。」


「え?。友達なの?。」


アユムは手摺から起き上がりムウを見た。ムウはアユムの目を見ず相変わらずニヤニヤしていた。


「あぁ。」


「なんだ。変な奴。」


「ほら!。見ろ。」


「え?!。す、凄え。」


「なっ!?。」


「うん。あ、また来た。」


「今度も...。」


「ナイス!凄え。」


「凄えだろ?。」


「あいつだけ、ユルダームの5番だけ別格。てか、友達?。あ、友達か...。」


「そうなんだよ。ブルースは、ビエンタの一軍と比較してもダントツだぜ!。多分。」


「だよな。凄えもん。何歳?。」


「タメだよ。友達だもん。」


「年違う友達いないのかよー、ウェイ〜。」


アユムは、ムウの腹をグーで軽く殴った。ムウは無視して続けた。


「無視かよ...。」


「でも、ブルースはビエンタには入れない。」


「等級?。」


「いや。あいつは2等市民だよ。」


「じゃ、何で?。」


「あいつの父さんは、等級落ちした上に越境居住罪で捕まった。」


「え!。何で等級落ち?。」


「いや、イザナミのバグでポイントが0になっていたって。」


「そんな...。でも、分かるじゃん?。」


「それが...今もそのまま。警察が処刑したから...って。犯罪者の子供はビエンタに入れない規則あるから...。」


「それ酷くね?。」


...ワーーーーーーーーーーーーーーーー...


グラウンドから歓声が上がった。


「見ろよ。ブルースがまた得点した。」


「ホントだ...。でも、苦しそう。」


遠目で見ても、立ち止まり、膝に手をつき、ブルースは苦しそうだ。


スコア:ユルダーム14-36ビエンタ


「ユルダームの点、全部ブルースが1人でキープして、決めてる。」


「そうだね...。ホント凄い。」


「ビエンタは、ジュニアの控えって言ったって、三年後にはプロになる奴ばかり。それを、全く触らせないって凄えよ。やっぱり。」


「ユルダームのコンビ全部ボール取られてる。パスが甘いし、遅いね。」


「あれ、ユルダームの一軍だよ。ユルダームの一軍は、この辺りでは負け無し。」


「うそ?。パスなんか山なりだよ、あれじゃ...。」


ムウは、呆れたというような様子で、ため息をついてアユムを見る。


「無理!。プロみたいには行かないよ。まだジュニアだし...。ビエンタ相手に。」


「え?。通せるよ、あんなに時間あるのに...。」


アユムは驚いている。


「いや無理でしよ、それに、あんな距離プロだってロングパス飛ばせないよ。ユルダームは、良く頑張ってるよ。そんなこと出来る奴いない。」


「あんな距離って?。飛ぶでしよ?。普通に。」


「いや、無理だって!。無理。笑。」


「できるよ!。」


「誰が?。そりゃプラトーとかパッキオとかじゃなきゃ、無理でしょ。絶対。」


何となく、今日のムウは言い張ってくる。


「そうなんだ。」


アユムは、言い争う気は無い。


「もし、出来る奴いたら、そんなんプラトーを超える天才だよ。笑。いないよ。そんな奴。」


なんか今日のムウ嫌な感じ。


「そう。」


アユムは、ムウから身体ごとそむいた。


「そんな奴もしいたら、ブルースが泣いて喜ぶよ。ブルースはプロでも得点王になれるさ。笑。いたらだけどさ。笑」


ムウは、笑った。何か、挑発するような感じに聞こえる。


「そう...。」


アユムは、あからさまに不機嫌になった。


ムウは、また、背中越しに両肘を手摺に乗せて空を見上げながら、横目でアユムをチラチラ見てくる。


ブルースは、体力の限界だ。ブルースは、ビエンタのディフェンスを抜けなくなった。ユルダームは何回もボールを取られた。


「酷えな...。ビエンタの相手になってねぇよ。笑」


アユムは、一瞬鋭い目つきでムウを睨んだ。


ブルースは、ビエンタのディフェンスの反則で何回も倒れた。


ブルースは、動きが悪くなり、何回もタックルで倒された。


スコア:ユルダーム38-178ビエンタ


ブルースは、グラウンドを拳で殴っている。


試合は淡々と続き、点差はどんどん開いていく。


ブルースは、味方チームに何か叫んでいる。


小突いたり。


突き飛ばしたりし始めた。


「そうだった...。ブルースは、天才だけど、ルコント中は、問題児なんだよなー。」


アユムは、我慢しきれずに言った。


「ムウには分からないよ!。」


「え?。アユムわかるの?。へえー。笑」


ムウは、おどけてみせた。


2人の間の空気は、険悪になった。


こいつマジむかつく!。


試合はハーフタイムになった。


「あ、そうだ。そういえば、1人だけいたっけなぁー...!笑。」


ムウは、唐突に大声を出した。


アユムは、聞こえないふりをしていた。


ムウは、鼻をほじるふりをした。


「あはは、いたわ。俺の親友に。スゲェ天才が。でも、あいつは、意気地なしだからなー!。」


ムウが、チラ見する。


アユムは、髪の毛を触った。


何か耳を塞ぐのを誤魔化したようにも見えた。


「残念だなぁー。スゲェ、キックやパス出せるのに。凄えロングシュートあるのに。プラトーより凄いのに。残念だなー!。マジで。笑。」


アユムは、身動き1つしなくなった。


(ロングシュートって...。)


「おい。アユム!。」


ムウは言う。


アユムは、ビクッとして、恐る恐るムウを見た。


「そろそろ行くよ!母ちゃん待ってっから。」


アユムは頷いた。


ムウは、自転車の方向を変え、アユムの後ろを通り過ぎた。


通り過ぎる、間際に、アユムに小声で囁いた。


「おまえなら出来るぜ!。アユム。」


!?


アユムは、目でしばらくムウを追った。


ホイッスルが鳴り、後半が始まった。


アユムは、すぐ、グラウンドを見た。


ブルースは、勇ましかった。


でも、もう限界だ...。


「おーーーい!。」


遠くでムウの声がする。


アユムは、ムウの方を見た。


ムウは、自転車に跨りこっちを見ている。


「出来るよーー!。アユムーーー!。おまえならー!。出来るーー絶対!。」


変だな...。


どうしちゃったんだろ。


俺。


グランドが歪んで、滲んで、良く見えないよ...。

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