ハイドラの狂人20
『...こちらへ来なさい。...』
低く唸るような回転音は一層低く大人しくなった。
「オルフェ様!。」
ジェー•ディーは慌ててハイドゥクに声をかけた。
『...案ずるな。...』
ハイドゥクは我が子に触れるため限界まで兵曹を落とした。
身体は3分の1程度に収縮し緑色の光の中に微かに人間のオルフェの顔が見える。
モニターの画面が接触不良を起こすように、オルフェの顔は時折消える。
『...さぁ、おいで。...』
ハイドゥクは、そっと右腕を双子達に差し出した。
緑色の光。
あの界面爆発の威力は凄まじい。
この神殿のあるジーナン毎に吹き飛ぶ。
『...爆発などしない。...』
ハイドゥクは言った。
限界まで兵曹を下げているのだ。
命の危険を冒しハイドゥクはただただ我が子に触れるため自ら断崖絶壁まで降りて来た。
『...おいで。...』
古く年老いた戦士の、息子への深い深い愛。
怖がりのサンザは、まるで仔犬のようにハイドゥクの手に触れる。
『...さあ、トラフィン。お前もおいで。私はもはや目でおまえ達を見ることが出来ない。五感でおまえ達を感じさせてくれぬか。...』
トラフィンも恐々とハイドゥクの手に触れる。
『...すまなかった。怖く辛い思いをさせた。すまなかった...。...』
ハイドゥクのオーラは緑色ではなく薄いオレンジ色に変わった。
ハイドゥクは心から安心をしている。
心から喜んでいる。
これ以上兵曹を落とせばハイドゥクはこの世から消える。
途轍も無い爆発と共に。
双子達はまだよく分かっていないのかもしれない。
言われるままハイドゥクの手の近くにいる。
ハイドゥクはただただ子供達に触れ見つめていいる。
可愛くて堪らない様子だ。
そのまま時間は過ぎて行った。
双子達も無心に父に触れている。
父に触れることに没頭している。
笑う訳でも怖がる訳でもない。
半分以上は好奇心だ。
頬っぺたをつけたり、寝転がったり、叩いたり。
大きなおもちゃに触れるように。
サンザはうとうとし始めた。
トラフィン止まりじっとハイドゥクを見ていた。
『...さあ戻りなさい。父はおまえ達の兄と話をせねばならない。...』
そう言うとそっと二人を私の方に押した。
おいで。
二人は、バタバタと走って戻ってきた。
『...ハイドラ軍より、戦死したアンティカ モーリタニアスに代わり陸軍の総帥の任命を言われている。シャガール族のモーリタニアスの後任ではあるが、デフィンにその任に着いてもらう。...』
「謹んでお受けします。」
モルフィンの顔は微かに引きつった。
シャガール族はアトラやアマル人ほどではないにせよ、水にはほとんど対応できない。
最も最初に陸に上がった部族だからだ。
歴代陸軍の総帥はシャガールの勇者がなると決まっている。
年齢的にも戦歴的にも仕方がない。
しかし、モルフィンには戦闘力があるだけに心穏やかではないはずだ。
寧ろ、ハイドゥクはモルフィンの真っ直ぐで引かない性質を憂慮したのではないか。
デフィンには海も空もある。
そして全てを統べる立場も。
シャガール族のモルフィンには陸が最も適している。
いや、陸しか無い。
『...大闘技で死んだ戦士が出たようだ。...』
緊張が走る。
やはりこの話題を避けて通ることが出来ない。
「わが北方ダルカンラキティカ バールクゥアンでございます。」
『...やはりそうか。おまえの口から聞くまでは何も信じるまいと思っていた。...』
「父上。モルフィンは...。」
デフィンがモルフィンを庇う。
昔からだ。
『...口出し無用。私はモルフィンいや、マジゥ アンティカに聞いている。...』
『...マジゥ アンティカよ。なぜバールクゥアンは、死んだのだ。...』
「北東方アンティカ マタブマの禁じ手に倒れました。マタブマは3種の魔器 トリダルタンを使い バールクゥアンの命を奪いました。かつて我が方のダルカン アンティカ〔※ 〕オルテガに対した時のように。」
〔※ダルカン アンティカ : 八方アンティカの古い呼び方。今はあまり使わない〕
『...モルフィンよ。マタブマが禁じ手を行った証拠はどこにあるのか。...』
「バールクゥアンの診断結果。及び、私が自ずから確認いたしました。」
『...なぜ奪った武器を捨てた?。...』
ハイドゥクは声を荒げた。
私は耳を疑った。
わが主君ハイドラの守護神が声を荒げたのだ。
「........それに一体何の価値があるのです?。かつて奪った武器は影で覆されました。首長会とバラドが暗躍しています。」
沈黙を破りモルフィンが反論する。
だ、ダメだ反論しては。
このハイドラにハイドゥクに逆らう者は1人もいない。
あのデフィンですら。
『...証明できなければそれは単なる憶測である。おまえはダルカンが命がけで死守した戦場をアンティカでありながら汚したそうではないか。...』
オルフェのこの口調はデフィンからも良く聞く。
「恐れながら...。」
モルフィンの目が座った。
「恐れながら......。オルテガの時、私が取り上げたトリダルタンがマタブマの手にあるのは何故です?。何故一度で裁くことが出来なかったのですか。二度目?。甘いのではありませんか。証拠、証明と、その間に私は何度受け入れねばならぬのです?。理不尽に死に行く我が方の勇者を。」
オルフェは応えなかった。
いや答えられなかった。
デフィンが口を開いた。
「なぜ北方だけに不可思議な事件が起きるのか。我がダルカンもマタブマと戦った。しかしこれまでこのような事件に遭った者はいない。」
恐らく、デフィンは父の面目を保とうとしている。
デフィンも分かっている。
「セティやマタブマとて全方位に不正を行うわけは無い。ここぞという時にやる。だから通用する。」
「それもまた推測。私は北方にその原因の一端があると言っているのだ。」
原因?。
それは違う。
なぜあなた方は理解しないです。
理解してやらないのです。
希望の扉は開かれているのに。
「それはどのような意味か。我が北方の戦士に付け込まれる隙があった言われるのか?。」
マジゥの瞳に激しい怒りの炎が灯る。
不条理な、上の2人の発言は、完全にモルフィンを逆上させた。
大変なことになってしまった。
こうなってはプライドの高いモルフィンは絶対に引かない。
モルフィン。
ここは耐え忍ぶべきだ...。
「北方の戦士は誠実過ぎる。正直過ぎるのだ。秩序正しき布陣は、規則正しい布陣は返って脆い。崩壊する時は容易い。簡単に壊滅してしまう。そんなこともお前は分からぬのか?。」
「分かっている。壊滅の危機があったとしても制御出来ない戦団よりは上。規則が読まれるのであれば、それぞれが変則に転じれば良いだけ。制御の出来ない戦団は限界を知らない戦団。限界を超えられぬ戦団。」
まずい。
これはマジアの南方の事を言っている。
「では己の考えを貫き不幸な戦士を生み出し続けるが良い。所詮人の作り出した物は自然、即ち神を超えることはできぬ。モルフィンよ。全てアンティカとしてお前の招いた事態。私は知らぬ。」
「神に勝てぬことは獣の道を進むことにあらず。私は獣の道は歩まない。神に近づくために道を選ぶ。それが人が人たる所以である。」
「なぜそれが獣の道だと言うのか?。神に近い選択がマタブマやセティへの復讐か?。セティ一族を皆殺しにすることか?。笑止。おまえの事だ。そのつもりだろう。おまえの正義感こそ狂気であり猛獣そのもの。」
あ、あまりの言いようだ...。
デフィン。
あなたの器はモルフィンを上回っているのかも知れない。
しかし私にとってもモルフィン発言が全て。
私のこの余命はマジゥに捧げる。
今この瞬間から私の主君はハイドゥクではない。
あなたでも無い。
マジウ アンティカ モルフィンだ。
『...モルフィン。おまえは天の力を持つ者。その潜在する力は私やデフィンを超える。しかし、おまえは、直感や感性そして感情に身を委ね過ぎる。おまえがこのまま大闘技を続ければ北東のダルカンや、マタブマを殺してしまうだろう。退け。...』
デフィンの顔が微かに曇った。
しかし、じ、辞退しろとは...。
「父上は私にバールクゥアンやオルテガの件を水に流せと言われるのか?。セティや首長達の策略に命を落とした戦友を忘れろと言われるのか?。ハイドゥクにも正当な理由無く戦士の意志を妨げることは出来ない。」
『...未来を見ろ。モルフィン。ハイドラの未来を。...』
「友を見殺しにして未来などない。これがハイドラの守護者とは。ハイドゥクとは。これから私はおまえを父とは思わぬ。デフィン。おまえはもはや私の兄ではない。俺はおまえ達の同胞でも無い。これからは敵だと思うが良い。」
!!
...。
ハイドゥクを、おまえなどと...。
デフィンを兄ではないと...。
モルフィンは席を立った。
これはハイドゥクに対する不敬に当たる。
追わねば。
「オルテガ。私の弟達を頼むぞ。」
モルフィンは清々しい笑顔で私を見る。
悲しいことに...。
モルフィンにはもはや全く迷いが無い。
後戻りは出来ない。
何もかも。
ジェー•ディーの制止を無視しモルフィンは去った。
大変なことになってしまった。
途方も無い事態に。




