第3話 正しい人生
算数なんて最初は一たす一だったはずなのにいつからこんな小難しい話になったんだ・・・
数学の講義中。セランは一時間近く頭を抱え込んでいた。セランは学業という学業はたいてい苦手である。よくある「体育はできる」タイプでもない。むしろ科目の中で一番苦手である。
一方当麻は、学業優秀ながらサボり癖のあるタイプの学生であった。具体的に言えば、定期テストはパッとしないが、模試に強いタイプである。
しかしながら二人が仲良くしているのは、二人とも部活動をせず、放課後はただしゃべるだけしゃべり、親や学校の目を盗んでゲーセンに行くような関係であるためである。どことなく雰囲気が似ている二人組であった。
勉強なんて努力すればだれにでもできるというのは勉強したことのないものの言い分である。
古くは戦後から、大学教育まで進むとなると相当な名家の出でなければ不可能であった。もちろん比較的裕福な家庭の子供が食費を削り、家庭教師のアルバイトをしながら大学に通うというケースもあったにはあったが、そういった学生は栄養失調で倒れることもあったという。一方現代では、有名小学校に入学するために幼稚園児のための塾があり、有名中学に入るための小学生向けの塾があり、子どもたちは狭い勉強部屋や塾の教室で脳にたっぷり栄養を送られて生活している。まさに人間ブロイラーとでもいうべき「飼育」環境である。いつそれが終わるかというと大学に入学するまでなのだが、それまでに資金が底をつく家庭も珍しくない。セランもそういった中途半端な家の出だったため、周囲の同級生のごとく家庭教師を調達したり、塾に通ったりはできなかった。それ以前に高校の学費を払うのですらギリギリで、同級生との交友費用などスズメの涙程度であった。だから遊ぶ場所がゲーセンになるのだろう。
セランは早く大学に行きたかった。それなりの大学でいい。大学にさえ入れれば、高校のようにエリート階級の同級生だけではなく、自分と同じような身分の人間もいるだろう。お金がないのならアルバイトをすればいい。
けれど。
当麻のようにエリートらしい「正しい」人生は送れない。
何故なら、俺の家は貧乏で、当麻の家は金持ちだから。
資本主義に翻弄される人生だなぁ、と隣の席でグーグー寝ている当麻の寝顔を見つめながら、セランは思った。