幸せはネコのカタチ
水田と民家が五分五分くらいに並ぶ場所に立川家はある。
民家のほとんどは築100年は超え、住んでいる人も平均60歳。
だが、立川家には今年で78になるおじいさん、30前半の夫婦、7歳になる娘と猫。
そのため、この一軒で平均を5も下げている。
これから話すのはその家の猫チロの物語。
もう昼か…
最近、年のせいか時間の感覚がおかしい。
お腹も空かず、動くのもダルい。
やっと思いで起き上がり台所へ向かう。
行く途中、階段が目に映る。
もう何年上へ行ってないだろう。
今の年じゃ、一段登るだけで諦めるだろう。
そんなことを考えながら台所についた。
台所には夫婦の妻 早紀さんが作業してる。
多分自分の昼ご飯か…
その後ろを通り過ぎようとすると早紀さんは気づきしゃがんだ。
「おはよーチロ」
そう言って首元を撫でる。
いつやってもらっても気持ちがいい…
思わず足に力が入らなくなりへたり込む。
「あらっ」
と言い、早紀さんは笑いながら、お腹や背中もさすってくれる。
この時間が一番至福だ。
どんなに嫌なことがあってもすぐ忘れさせてくれる。
少しして
「あっ早くご飯食べきゃ」
と言ってさするのをやめた。
私もご飯のところへ向かう。
食べようとして匂いを嗅ぐと、匂いが違うことに気づく。
最近エサがコロコロ変わる。
私がエサを少ししか食べないのをエサのせいだと思って変えてくれるのだろう…
そう思うと申し訳なさでいっぱいになった。
でも食べる気になれない。
匂いを嗅ぐと気持ち悪くなるからだ。
やっとの思いで5口食べ、その場を後にする。
向かう先は居間の窓側。
いつもの場所だ。
いつもそこでお昼寝をする。
日が当たり気持ちがいい。
やっぱりこの時期が一番良い。
居間から見える庭にはタンポポが生え、チョウチョが飛んでいる。
昔はよく追っかけ回してたが今はそんな気力もない。
あの頃は楽しかったな…
何でも出来る気がした。
喧嘩したり、走り回ったり、屋根の上に乗ったり…
ふと目が覚める。
いつの間にか寝ていたようで外は真っ暗になっていた。
辺りを見渡すとおじいちゃんと夫婦の夫 正一さんが楽しそうに話をしている。
台所の方からは早紀さんと今年小学生になった美帆ちゃんの楽しそうな声が聞こえる。
何となくおじいちゃんのところへ行ってみる。
「やぁチロ、おはよーさん」
そう言って頭をなでてくれる。
おじいちゃんは今まで私がどんなに悪いことしても怒らなかった。
すごく優しいおじいちゃんが私は大好き。
「チロ、こっちおいで」
正一さんの声だ。
私は素直に近づく。
「ほら、おいで」
喜んで正一さんのあぐらの上に寝転ぶ。
ここが私の特等席。夕ご飯の時はいつもここにいる。
夕飯の支度が出来たのか、早紀さんと美帆ちゃんが居間に入ってきた。
美帆ちゃんは料理を置くなり、私に飛びつく。
「チロ~!」
そう言って頭をゴシゴシする。
少し痛いが昔に比べたらまだマシだ。
「今日のご飯は魚だよ!」
そこまで言い終わると走って台所に消えていく。
すぐまた戻ってきて私の前にお皿を置いた。
お皿の上には赤い色をした刺身が…
私はどうにか気持ちに応えようと
「ミャオォォォ」
と鳴いてみる。
美帆ちゃんは満足そうに笑ってくれた。
みんな揃ったところでいただきますをし、食べ始めた。
私も魚を食べようとするがお腹がなぜか空いていない。
美帆ちゃんに迷惑かけないように一口ずつ食べていくが、半分が限界だった。
「もう、いらないの?」
と寂しいそうに美帆ちゃんは聞いてくる。
「ミャウゥ」
とだけ鳴きその場から離れる。
なんだか今日は疲れた。
体がすごく重いし、なにより眠い。
もう寝よう、そう決めいつもの寝床に寝転がる。
瞼は重く開けていられなかった…
何時間寝ただろう…
少し目を開けてみる。
そこにはいつもの光景…と早紀さん。
早紀さんはずっと私の背中をさすってる。
気持ちがいい…
本当この家で育って良かった。
つくづくそう思う。
起き上がろうとするが体が重い。
そして、だるい…
ここまで来るとやはり歳を感じてしまう。
起き上がるのを諦め、また寝転がる。
瞼がすごく重い。
早紀さんのさすりも心地よい。
私は深い眠りについた。
ガタガタ揺れてる事に気づき目を開ける。
狭い場所に入れられているみたいだ…
昔から狭い場所は嫌いだったが、今はそこまで気にしない。
というか暴れる気力がないと言ったほうが正しいだろう。
少しして揺れがおさまった。
誰かが持って運んでると直感で分かる。
臭いがキツい…臭くはないが、生理的に無理な臭い。
臭いを必死に我慢していると急に
目の前が明るくなった。
眩しくて目を細める。
白い…そして白い服を着た人がのぞき込んできた。
そして、早紀さんの声が聞こえる。
白い服を着た人とお話しているようだ。
外に出たいが体が動かない。
突然、白い服の人は私の体を持ち上げ、台の上に乗せた。
白い服の人は眉間に皺を寄せ、悩んでる。
早紀さんも心配そうに私を見ていた。
「年によるものですかね…もう手遅れかもしれません」
その瞬間、早紀さんは泣き崩れた。
なんで、泣いているんだろう…
私には分からない。
でも泣いている早紀さんは見たくない。
必死に動き、早紀さんの手を舐めてみる。
早紀さんはこちらを見て、私に抱きついた。
私は手を舐めることしかできなかった…
帰りはあの狭い所ではなく、助手席だった。
早紀さんは泣きながら運転していた。
時々こちらをみるが、そのたびに必死な笑顔で
「大丈夫よ」
と言ってくる。自分に言い聞かせるように…。
私はその声を聞く度にいたたまれなかった。
私は家に着いてから急に眠気が襲ってきて、そのまま寝ることにした。
何時間いや、何日寝ていただろうか…
そんな錯覚に陥る。
瞼が重い。
周りで私の名前を呼んでいる。
「チロ…チロ…?」と…
声からして美帆ちゃんだろう。
泣いているのか嗚咽がまじっている。
私は耐えられず、重い瞼を必死に開けた。
周りには家族全員が揃っていた。
おじいちゃん、早紀さん、正一さん、美帆ちゃん…
でも、正一さんはこっちを見てくれない。
私なんか悪いことしたのかな…?
美帆ちゃんは泣きながらも笑顔で私に抱きつく。
嬉しいけど、苦しいよ…
声を頑張って出そうとするけど、空気が漏れるだけ。
苦しいから少し爪をたてた。
美帆ちゃんは気づいたのか、私を元の場所に戻す。
早紀さんとおじいちゃんは首元をずっと撫でてくれる。
気持ち良くてそのまま寝たいけど、寝ればもう起きれなくなってしまう。
本能的に分かっていた。
もう死ぬのだと。
この場所から離れたいと思ったが、できなかった。
最後までみんなと一緒にいたかった。
最後までわがまま言ってごめんね。
死に対して特に恐怖もない。
だけど…未練はある。
まだ、この家族と一緒に楽しく過ごしたかった。
家族の一員として生きていきたかった。
でも、もう逆らえない。
今の時間を大切にしよう。
ほんの数分だとしても大事にしよう。
残り少ない力を振り絞り鳴いた。
すると、正一さんがこちらを向いた。
泣いていた。
私はてっきり弱々しくなって身動きもとれない私を怒ってると思っていた。
でも、その考えは全くの間違えてそうだ。
涙を必死に我慢してるのが遠くからでも分かった。
私のために泣いてるの?
泣かないで…
いつもの笑顔でいてよ…
目を開けていても視界がぼやける。
なぜだか分からないけど、体の中から溢れてくるこれは何だろう。
美帆ちゃんの顔が更に歪む。
泣かないで。
いつもの元気な笑顔を見せて。
その思いが伝わったのか、美帆ちゃんは飛びっきりの笑顔で笑ってくれた。
その笑顔もだんだんとぼやけ、景色が白くなっていく。
そして、瞼がさらに重くなる。
私の力では、限界が近づいてる。
少しずつ瞼が閉じいく中、今までのことが走馬灯のように流れる。
この十余年いろいろあった。
数え切れないほどの出来事が…
いつこの家に来たんだっけ?
古い記憶が蘇る。
そうそう、正一さんが私を拾ってくれたんだ、箱に入れられ捨てられてた私を。
前の飼い主は覚えてない。
私が生まれてすぐ捨てられたから。
正一さんと早紀さん、おじいちゃんは私を精一杯お世話をしてくれた。
本当に嬉しかった。
私なんかを拾ってくれてありがとう。
私のお世話をしてくれてありがとう。
それから数年経ち、美帆ちゃんが生まれたな…
みんな嬉しそうだった。
私もなんだか嬉しかった。
美帆ちゃんが生まれなかったら遊び相手はいなかったし、今までの楽しみも半分以下だっただろう…
美帆ちゃん生まれてきてありがとう。
美帆ちゃんも3歳くらいになるとイタズラを始める。
私も好きだから一緒にやっちゃう。
カーテン引っ張ったり、いろいろなところをかけのぼったり、部屋の物を落としたり…
だけど、おじいちゃんは怒ったりしなかった…早紀さんには怒られたけど。
私はそんなおじいちゃんが大好き。
いつも優しくしてくれたおじいちゃん、ありがとう。
いつもいつも見守ってくれた早紀さん。
時には優しく、時には厳しく接してくれた。
そして、何より私とずっと一緒にいてくれた。
それだけで私は嬉しかった。
私をここまで育ててくれてありがとう。
そして、みんな。
年を取って辛くなっても、みんなの顔を見ると生きようって思うことができた。
私を大切にしてくれたみんな。
『ありがとう』の一言じゃ足りないくらい感謝してる。
私がいなくなっても、いつもと変わらない家族でいてね。
私と最後まで一緒にいてくれてありがとう。
そして私は深い深い眠りについた。
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今日はいつもより早起きをした。
朝の空気は5月なのにまだ肌寒く、身震いをしながら庭に出る。
私はある一点を目指す。
ある石の前にしゃがみ、手を合わせる。
もう三年も経つね。
最初の頃は意味が理解できず、毎日お墓の前でチロが元気になってでてくるのを待ってたんだよ。
だけど一週間、二週間待っても帰ってこない…
その時やっと実感した。帰ってこないんだって…
それから、ずっと泣き続けたよ。
今は大丈夫だけど、たまに寂しくなるよ。
「美帆―、早く行くぞ―」
お父さんが急げと言わんばかりに車を指さす。
でも表情は柔らかく、うきうきしていた。
今日ね。
家に妹がくるんだよ。
お母さんが私のために妹を生んでくれたんだ。
今まで1人で寂しかったけど、もう大丈夫だよ。
お姉ちゃんとしてしっかり頑張るから、見守っててね?
チロ大好きだよ。
fin