初出勤は遅刻から
それは、とても温かな揺り籠だった。
自分を抱く、力強い腕のような、不思議な感覚。
揺り籠は私の頭上に顔のようなものがあり、泣いているように見えた。
手を伸ばして揺り籠を触ろうとするけど、私の腕は上がってくれない。
しきりに声が聞こえる。
戻って来い、だろうか? それとも、いくな。だろうか?
誰かが泣いているようにも感じる。
泣かないで。
声にならない声で言う。
けれど、泣き声はさらに悲しさを強くする。
そして、気付く。
これは、私に向って泣いているのだ。
ああ、じゃあ私は……
意識が霞む。消えていく。
消えたくない。そう思いながら、居心地のいい揺り籠で私は……
ジリリリリリリリリリッ
なにかが鳴っていた。私の耳元で……
深いまどろみに頭まで浸かっていた私は、不意に侵入してきた不快な音に眉をピクリと動かした。
ジリリリリリリリリリッ
煩い。黙れ。沈黙しろ。
瞑った目をぴくぴくと痙攣させ、不快感を露にする。だけど音は鳴り止んでくれない。
しばらく我慢すれば音も収まるだろう。気にならなくなるはずだ。
片手を伸ばして音源を探る。
そいつの頭の上をぽんぽん叩く。音は止まらない。
ああ、そういえば二度寝しないようにとダンボールでガードしてたっけ。
耳元で口やかましく鳴り響く嫌な音に、せっかくの忍耐も限界に。
仕方なく重い目蓋を開いていく。
ごろんと音の鳴る方へ体を傾け、それの容姿を確認する。
簡素な横向き円柱型の目覚まし時計。頭上に筒状のダンボールが取り付けられている。
起き抜けにその赤い物体は見たくなかった。
ダンボールを取って音を消し、時刻を確認。
時刻は八時二十六分……
……ん? 八時……二十……
ガバリと身体を無理矢理起こし、目を見開いてもう一度確認する。
やっぱり八時二十六分だ。
まだ寝惚けてるんじゃないか? そう思って両目をこする。
も一度確認……八時二十七分。
ほら、さっきのは見間違……じゃないッ!? 一分進んだだけじゃんッ!
眠気なんて一気に吹き飛んだ。
布団を引っぺがし、ベットから飛び起きる。
そのままパジャマのズボンを脱ぎつつケンケンパで洗面所へ、脱いだズボンをそのまま床に放置して顔を洗う。
濡れた顔のままパジャマを着替えて、朝食……は無理。
用意……そうよ。用意のチェックしないと!
小さめのバックを漁って用意したものをチェック。
昨日から何度目になるのかもうわかんない。
一応二十回くらいチェックしたのは覚えてるけど、それからまた幾度かチェックしたし。うん。おけ~い。
服は……向こうで着替えるから、確か私服でいいんだっけ。寒いから手袋して行こう。それから……
鏡台の上に置いてある写真立ての横に大事に? 放っぽってあったそれを手に取る。
黒塗りの手帳。
中には私の免許証が入ってる。【グレネーダー】の免許証が。
免許証を手にとって、写真立てを見る。そこに入った一枚の写真。
微笑み浮かべた小さな女の子が写っている。
「行ってくるね、折鹿」
免許証を大事に胸ポケットにしまいこみ、バックを持って、さぁ、行こう。
夢にまで見たあの場所に。
グレネーダーという、妖使いだけが入隊できる新たな職場に。
すでに遅刻確定だけど……
この世界には妖使いという不可思議な生き物がいる。
といっても人間となんら変わりなく、生まれてくるのも人間からだ。
どうして妖使いなのかっていうと、昔いたっていう妖というものに似た特徴を持つかららしい。
例えば【垢嘗】という妖使い。人の垢を舐めるという行為に幸せを感じるようになり、体質まで変化する。
なんかね、垢を舐めても平気なように殺菌能力が上がってるんだってさ。
だから風邪なんて引くことすらないらしい。羨ましいね全く。
もちろん、普段は普通の人となんら変わりはないんだけど、妖使いには【欲望】があった。欲望といっても人の思考にあるような彼氏彼女が欲しいという程度の欲望じゃない。
例えば【貧乏神】の妖使いは人を不幸にしたいという欲望を四六時中持つようになる。
普通の人と違って、凶悪なほどにその衝動が強まってしまうのである。
三大欲求と同じくらいの衝動と思ってくれればいい。
妖使いは種族によってさまざまで、例えば私、斑鳩入鹿はダーキニーと呼ばれる妖を持つ。【茶吉尼天】のほうが分かりやすい?
欲望は、なんと、心臓喰らい。
時々無性に心臓が食べたくなっちゃいます。
っても人間だけじゃないよ。
いや、まぁ、確かに人でも食べたいって思っちゃうこともあるけどさ。特に好きだと思った人の心臓の音聞くと、こう、ゴキュリと喉が鳴るっていいますか。
他の動物でも魚でも、とにかく心臓ならなんでもいいの。最近は焼肉店のハツが気に入ってる。
そこいらに焼肉店はあるし、一人用のホットプレートを買ったので、家でも手軽に焼肉できる。毎日焼き肉パーチーさ。
まぁそんなわけで、欲望には逆らえないのよ。
理性が働いても……ほら、寝ないとそのうち幻覚見ちゃうように、耐えすぎると禁断症状がでてしまう。
だからこまめに心臓摂取……どうしよ。自分で自分に寒気してきた。
妖使いには普通の人にはない不思議な力があって、私の場合だと相手の心臓を抉り取るために身体能力が強化されていたり、空を歩行したり、狐に似た生物の精神体を呼び出すことができる。
これは茶吉尼という妖の力のせいで、別の妖を使う人は、その妖にあった特殊な力を使うことができるらしい。
というか、そういう力を持ってるせいでその妖の名前を冠していると言ったほうがいいのかな?
妖使いは日本限定だそうだ。
海外で発祥したってのは聞かないね。まだ報告されてないだけかもしれないけど、不思議と日本人以外で発症なんてのは聞いたことない。海外の日本人発症者ってのは聞いたことあるけどね。
で、私が今向かってるグレネーダー。
これは俗称で、正式名称は妖専用特別対策殲滅課で、幾つか部署はあるけど、私が務めるのは抹殺対応種処理係。
一応警察の一つの課として機能している。国原警察署の後ろに後付けされたドーム型建造物がグレネーダー国原支部。
基本構成としては普通の刑事さんの課と同じで、一つの係に大体十人くらい。
さらに係長こと指揮官の下に二人の副指揮官をトップとして五人くらいの二班に分かれる。
ただ……私が配属される係に所属している隊員の名前はまだ会ったことないからわかんないとしても、急造のためにまだ二、三人くらいしかいないらしい。
だから、二班に分けたりはしないし、副指揮官も一人だけ。
また、人数が足らないせいで指揮官も現場に出ているそうだ。後は私と同じ新人だってさ。
仕事内容は……悪い妖使いをやっつける正義の機関。
いや、まぁ多分に私の勝手な思い込みが入ってるけどね。
でも、大体そんな感じのとこ。
志望動機はヒーローになりたい。
そこんとこで押しまくった結果、合格証書がグレネーダーの手帳と徽章と一緒に送られてきた。
喜びすぎて即行確認の電話を入れて受付の人と三時間くらい話し込んだり、一日中踊り狂ってたのが昨日の話。
そのせいでどうやら初日から遅刻したらしい……
確実目を付けられるだろうなぁ私。
……って、ほぅぁッ!?
そこはただのアスファルト。
道路と私の間にはなにも存在していない。
なのに、私のトロッくさい足はなにかに躓いてくれました。
盛大に地面にスライディングヘッドを決めて、アスファルトを盛大にへこませる。持ってたカバンはどこぞに吹っ飛ぶ。
「お、お姉ちゃん、大丈夫?」
突然こけた私に心配したらしい近くの女の子が私に声をかけてくる。
いや、もう慣れました……幼い頃からすでに習慣ですから。
ガバッと起き上がり何事もなかったようにカバンを拾う。
女の子はお下げの良く似合う小学校高学年といった背丈。
紫色の髪は染めてるのかな?
左右のお下げはくるくる回転してドリルを描き、くりくりっとした眼は心配そうに私を見つめている。
「大丈夫、大丈夫。入鹿はとっても強い子ですから」
元気に答えてふと思う。
私……年下に敬語使っちゃったよ。
女の子は苦笑いを浮かべてもう一度大丈夫? と聞いてくる。
私はも一度大丈夫と答え、すぐさま走りだす。
間に合えッ! なんて淡すぎる期待を込めながら……
名前: 斑鳩 入鹿
特性: ドジっ娘
妖名: 茶吉尼天
【欲】: 心臓を食べる
能力: 【空の遊歩者】
空を自由に歩く、または駆けることができる。
【身体強化】
心臓を抉り取るために身体が強化されている。
人間の肉体なら初速度無しで突き破れる。
車に轢かれても平気。
【ジャッキー君】
精神体を作りだすことができる。
ただし、操作は作りだした本人に依存する。
(移動できなくなるが、入鹿は二体出現させられる)
【死期悟り】
知人の死期を知る事が出来る。
この能力は本人の関心度に依存する。
【死を見取る者】
相手に触れる事で相手の死に際を知ることができる。
【不幸体質】
この妖に目覚めた者は知人の死を遠ざけるため、
自身の幸運を相手に分け与える。
【不幸逆転】
近しい者が死ぬ一日前後、
不運な運勢が逆転し超幸運になる。
【同族感知】
妖使い同士を認識する感覚器。
個人によって範囲は異なる。




