無慈悲に奪われる大切なモノ
一度は翼に手を引かれ、私は真奈香から逃げた。
そういえば、体操服を舐めようとしてしまったときも私が逃げたんだ。
真奈香の熱いラブコールからも逃げたままだ。
なんだ……真奈香から逃げてばっかじゃん私。
ちゃんと向き合ったこと一度もなかったね。
じゃぁ、あれだ。今が初めての向き合いってやつだね。
教室はすでに瓦礫の山と化していた。
中心部の机や椅子はもう使い物にならない。
窓際のものも同じで、床にも大きなヘコミや、のっぺらぼうのものと思われる血痕が飛び散っていた。
そして、窓際で私と対峙する真奈香。
相変わらず俯き加減で表情は覗えない。
朱色に染まった彼女の腕と、口元の液体だけが真奈香自体を不気味に魅せる。
「真奈ちゃん」
小さく呼びかけると、少し顔が上がる。
「有伽ちゃん……」
ゆっくりと私に向かって歩きだす。
「食べちゃった。心臓」
不気味な笑みを張り付かせ、真奈香が近づいてくる。
「真奈ちゃん、お話しよう。いい?」
私の問いに、真奈香は答えない。でも、動きが止まった。
「その……美味しかった?」
なに聞いてるんだろ私。こういうことを聞きたいんじゃないのに。
「不味かった。吐くくらい」
それもそうか。妖の欲として心臓喰らいなだけなんだ。
私の特殊な体内と違って真奈香は普通の内臓だ。
味覚が変わるわけじゃない。
だから、私は聞いてみる。一分の望みを託して。
「真奈ちゃん、私を見て、その……欲しいと思う?」
お願い、思わないで。
心臓なんていらないって。真奈香。
真奈香が戸惑う。どう答えるか迷っている。
「有伽ちゃん……」
一歩、真奈香が踏みだした。
思わず退がりそうになる足を気力で抑える。
汗が全身に噴き出る。
背筋のゾクゾクが止まらない。
「有伽……ちゃん」
ゴクリと生唾を飲む。私、緊張してる?
「……ほしい」
私の肩に手が伸びる。
ダメ……なの? 話し合いすらできないの?
「有伽ちゃんがほしい……ほしいっ」
「高梨ッ!」
喧しい音を立てて翼が教室に入ってくる。
もうちょっと早く来てくれたら止めに入ってくれてたかもだけど、すでに真奈香は私に肉薄し、翼の距離からは助けになど入れない。
「ごめん翼……無理っぽい」
真奈香を見つめたまま、私は答える。
足は完全に震えていた。
心臓が痛いくらいに脈を打つ。
「アホッ! 逃げろよッ! こんなんで死んでどうすんだよッ!」
死んでどうする? 少し違うよ翼。
死んだら風俗商売しなくていいんだよ?
誰かを殺して、嘆き悲しんで壊れなくて済むんだよ?
後悔とか遣り残したこととか、沢山ある。
でもね、これはこれで一つの幸せなのかも。
真奈香が生きられるなら、それでもいいよ私。
近しい人が死ぬ瞬間を見ないですむのなら、自分が居なくなった方が……
「真奈ちゃん、約束して」
聞いてないだろうけど、私は真奈香に正面から立ち向かう。
「私をあげる。でも、他の人に手をださないで。約束して。お願いだよ」
目が熱い。私、泣いてる?
やっぱり怖いんだ。
でも、逃げない。
辛くたって逃げやしない。
通せんぼするように体を目いっぱい広げた。
別に死にたいわけじゃない。
でも、真奈香に殺されちゃうんなら、それでもかまわないと思う。
真奈香が壊れてしまったなら、私には真奈香を隊長たちと抹消しなければならないから。
でも、例え真奈香を抹消できたとして、その後は今度は私が壊れていくだけ。
真奈香が妖使いになった以上、二人一緒にグレネーダーに行く。
真奈香を生かすためにとか、そういった綺麗事じゃなくて、私には必要なんだ。
どんなに辛い時でも私の傍に居てくれる友達が。
それは、今までずっと真奈香しかいないから。
翼でも隊長でも、他の誰にも彼女の代わりなんてできない。
どんなに嫌がられていたって、きっと仲直りしてみせる。
でもね、話し合って分かり合うことすらだめなら……
いいよ、真奈香にあげる。私の心臓。
でもやっぱり、目を開けたまま死にたくないな。
前に見た夢みたいに絶叫しちゃいそうだし。
だから、目を瞑ってしまおう。
思考は昔の楽しかった事を思いだそう。
そうすれば化けてでるなんてことにはなんないでしょう。
真奈ちゃんと会った時とか、隊長のこととか。翼と……はいいや。
――あれ、なんだよ私、最近のことしか楽しいことないや。
最後に浮かんだのは、優しい父さんと快活な母さんのキスシーン。
あの時ほど幸せな日……他にはなかったなぁ。
そこまで考えた時だった。
私の体に何かが触れた。
これが……心臓のなくなる感覚?
なんだか口元がとっても暖かくて、鉄臭い味がして、それ以外の変化がなくて?
あれ? 何か変じゃない?
意識すれば自分の心臓の脈打つ音が感じ取れる。
まさか……翼が真奈香を?
私は恐る恐る目を開く。
そこにあった惨状は、私の描いた結末。そのどれでもなかった。
目の前に顔があった。
長い前髪に見え隠れして、恍惚とした瞳で私を見つめる。
熱を帯び、潤んだ瞳を持つその顔は、真奈香のものだった。
唇に当たるふくよかな感触。
私……もしかしてキスしてる?
「ぷぁっ、わああああああああああっ!!」
慌てて目の前の真奈香を突き飛ばす。
「な、ななな、なに? なんなの? なにしてんのよアンタはッ!」
突き飛ばした真奈香に怒鳴りつける。
横で禁断の園を覗いてしまった。みたいな顔をしてる翼はこの際無視ッ!
「なにってぇ、有伽ちゃんもらったもん」
張り倒された真奈香は、これまた屈託のない笑顔で答えてくる。
「もらったって、え、なに? ちょっと、何かおかしいでしょ? 心臓ほしいんじゃないの、アンタはッ!?」
「私言ったよぉ? 有伽ちゃんがほしいって。有伽ちゃんもくれるって言ったぁ。有伽ちゃんやっと告白の答え聞かせてくれたんだぁ」
え? あれ? ちょっと? なんだかおかしくないですか!? 告白? なんでそんなものに答えたことになってるんですか私ッ!
「な、ななな、なんでそうなるのよッ!」
「私ねぇ、有伽ちゃんが私の体操服持ってっちゃった時てっきり口ではああ言ってるけど本当は私に気があるのかなって思ってもう、二日も学校探したんだからぁ」
「だあああっ! 何度も言うけどボクは百合な人じゃなぁいッ!」
「でもくれるって言ったぁ。私浮気しないもん。他の人には手をださないも
ん。約束守るよ。有伽ちゃんだけもらうもんっ!」
確かに、私が言ったこと守ってるっぽいけど……
「嫌ぁっ! 心臓はともかくそれは嫌ぁっ!」
すがり付いてくる真奈香に必死に抵抗する私。
日本語の難しさを痛感するのだった。
大切に守りぬいていたファーストキスがぁ……
「心臓いいのかよ……」
「外野、五月蝿いッ!」
結局、真奈香は相変わらず真奈香のまんまだった。




