有伽の決意
校庭にでた私たちがトラックにさしかかった辺りで、私たちの教室の窓から隊長が飛びだして来た。
見事、地面に着地した隊長が私たちに追いつく。
「隊長、真奈香はッ!」
「安心しろ、いや、安心していいかは分からんが生きている」
その言葉に、私は安堵して座り込む。
走り尽くめで疲れた……
「おい、高梨、そんなところでへばってたら追いつかれるぞ」
「いや、それも安心しろ。しばらくは追ってこれはせん」
自信満々の隊長に、翼の足が止まる。
「しかしだ、確実に息の根を止めたわけではない。あまり時間はないだろうな」
「んじゃぁ、どうするんスか」
「逃げる以外に選択肢はないのか翼?」
「あ、いや、でも……」
「正直、私も驚いている。あの妖を見たのは二度目なのでな」
二度目? 真奈香の妖がなにか知ってるの?
「あれはダーキニー。いや、茶吉尼天だ」
ダキ……ニ? なにそれ?
「ちょっと待ってください、隊長!」
真奈香の妖の名前を聞いて、翼が異を唱えた。
隊長に意見なんて、翼にしてはめずらしい。
明日はきっと血の雨が降ることだろう。
うわ、考えてみると血の雨ってかなり恐いじゃん。
「なんだ? 翼」
「前から不思議だったんっス。ダーキニーっていやぁインドの出生じゃないですか。なんでそんなもんが妖として覚醒できるんですか!」
「阿呆。出生がどこであれ、日本にやってきたモノだろうが。ならば原住民であることに変わりはない。それが人とともに歩む道を選んだ人以外の精神体なら、条件は満たされている。原住民とは神や悪魔の力を覚醒し現代まで伝承されているモノたちだからな。そもそも原住民という言葉自体、妖使いの名称のとき、学校霊など別種の能力者が現れたから付け替えた名称だ。当てになどするな」
「ダキニ……ってなんなんですか?」
私の質問に隊長は意外そうな顔をして顎に手を当てた。
「有伽は知らないか。少し説明してやろう。翼、お前の知る限りでいい。言ってみろ」
と、まずは翼に促す。知識拝見だね。
「ええと……あれだ。インドの下級女神だったんですよね」
「私に聞くな、たわけ。自分の知識に自信がないなら知らんと言えばいい」
隊長は翼には容赦なかった。翼って嫌われてるのかな?
「答えますよ、答えりゃいいんでしょう? 茶吉尼は心臓喰らいの化け物で、空飛べて、狐に乗ってんだ。前にグレネーダーにいたっしょ! どうっスか師匠! 俺博識っしょ」
翼の答えを聞き、隊長が満足そうに頷いた。翼が得意満面で私を見る。
どうだ、見たかっ! って言いたそうだ。
「百点で採点すれば十点だ間抜け」
十点? 低ぅ。
隊長の言葉で有頂天だった翼が一瞬で気落ちする。
「ダーキニー、茶吉尼天は確かにインドの低級女神だ。名前は【空の遊歩者】を意味している。性力を化身としカーリーの側面、または侍女とされている。本来は死を見取る者であって心臓喰らいではなかったが日本に来て食人鬼というレッテルが張られてしまっている。翼の知識はこの辺りが不足している知識だな。日本では閻魔天の使いとして、後期は独立して宇賀弁財天と習合している。それと乗り物となっている動物が狐というのは日本に来たときにそれと見合うものが日本に狐しかなかったというだけで空海以降に勝手に付けられただけのこと。本来の動物がなんなのかは分からん。ジャッカルであるという見方が強いようだがな」
「隊長博識です。翼とは段違です!」
私の言葉に少し照れる隊長の横で翼がものすごく悔しそうにしてる。
ちょっと楽しい。
「相手の能力は精神力を形にし、ジャッカルのようなもので攻撃してくる。これは完全な精神体のためテケテケとは違い物理攻撃が効かん。だが、半精神体である翼のテケテケでなら撃退可能だ。恐れるほどではないだろう。体力もかなり上がっているが、これもさほど問題はない。私なら経験がある分、十分倒せるだろう。一番厄介なのは、空を自由に歩行することができるということだ。これは有伽の舌で何とかなると思う。ここであの妖使いを駆除するぞ。こちらは三人。向こうは成り立てが一人だけだ。一人一人が己の役割をすれば倒せる」
真奈香は妖使いになったばかり。
妖能力を存分には発揮できないだろう。
いわば今は宝の持ち腐れ状態。
倒すなら隊長の言うように今が好機だと思う。だけど……
「待って……ください」
真奈香の駆除。そう聴いた瞬間、私は反射的に答えていた。
「どうした?」
「ボクがやります」
私は疲れた体に鞭打って立ち上がる。
「なに言ってんだテメェは? 今の話耳に入ってねぇのかよ? 一人じゃ確実に死ぬぞ」
「分かってる。戦ったらボクは死んじゃうね。のっぺらぼうさんと一緒になるって分かってるよ。でもさ……」
私は翼を睨みつけた。
「まだ、真奈ちゃんが危険だと判断されたわけでも、通報されたわけでもないんだよ。話だけなら……ボクでもできるでしょ?」
そうだ。真奈香があの行動をしたからって精神に異常をきたしているかどうかなんてまだ確認していない。
それなのに危険分子ってだけで抹消なんて、出雲美果のときと変わらない。いや、通報されてないだけまだ悪い。
助けられる可能性があるなら、私は真奈香を助ける。
友達なんだ。噂でみんなが私を敬遠していた時でさえ、私を庇ってくれた親友なんだ。
確かに困ったさんではあるが、それも私を大切に思ってくれているから。
そんな真奈香を……こんなことで失ってたまるか。
大丈夫。真奈香はまだ通報されてない。
殺してしまったのも、こんなこというのはなんだけど、抹消対象に認定されてるのっぺらぼう。
感謝はされるだろうが抹消されることはないはずだ。
これをグレネーダーへの手土産にすれば。
「隊長。真奈香のおかげでのっぺらぼうは抹消できました」
「確かに、そうも言えるな」
「グレネーダーになるとき、何か一つだけ願いを聞いてもらえるんですよね?」
「うむ。重労働の見返りという奴だな。それがどうした?」
後悔なんてするものか。
最初から、どうせ私の未来は真っ暗だったんだから。
それなら流されるだけの人生よりも自分で決めたレールの上を歩いてやる。
「私、高梨有伽は、グレネーダー正規隊員となるに際し、上下真奈香を同隊員として迎え入れていただくことを条件としますッ!」
高らかに宣言してやった。
「な、なに言ってんだ高梨ッ!?」
驚きに目を見張る翼を無視して私は隊長を見る。
妖使いになってから初めてだった。
初めて他人の前で自分のことを私と言った。
他人には分からないだろうけど、これこそが私の決意だ。
自分の中で一番大事な決断を下した証明だ。
「後悔はないのか?」
「ありません。いいえ。この決断だけにはありえません」
「説得してみせると?」
「師匠、あれが説得できると本気で……」
「黙っていろ、たわけッ!」
隊長の大喝に言いかけの言葉を飲み込む翼。
隊長と私を交互に見つめる。
「正直、人殺しは嫌です。グレネーダーに入ってそんなことやりたくなんてない。血も見たくない。でも、生き残るにはそれをしなきゃいけない。けど、そのために助けを待ってるかもしれない友達見捨てて、大人数でイジメて抹消なんてもっと嫌なんです。助けられる可能性があるならあらゆる努力をしたいんです。私……」
隊長を、そして翼を見る。
「高梨有伽は、良い子ちゃんですから!」
隊長はしばらく私を真剣な目で見つめ、フッと、微笑んだ。
「良かろう。死んでこい」
「師匠ッ、そんなの……」
翼の恨みすら混じった視線を無視して隊長が続ける。
「隊員枠を二人分空けておく。入隊してくる日を楽しみに待っているぞ。高梨有伽」
「はいッ、ボク……私も楽しみにしてます」
後はもう、二人を振り返らなくてもいい。
ただ校庭を走りぬけ、真奈香のいる2‐Cへと行けばいい。
あとは……私と真奈香の問題だ。




