感染
なんだろう? 今日はやけにツイていない気がする。
こういう日は大体最後の最後に特大の不運がやってくるっていう警告なんだ。きっとそうに違いない。
学校からの帰り道、私は真奈香と二人すでに日課になったグレネーダー高港支部への道を歩く。
グレネーダー……妖専用特別対策殲滅課、という警察の部署で、八年ほど前に特設された部署である。
このグレネーダー内には五つの管轄があり、犯罪撲滅追跡係、通信情報処理係、貴重対応種護送係、総務係、そして私と真奈香の所属する抹殺対応種処理係。
構成人数は六人。
隊長こと白滝柳宮と副隊長の小林草次。
それから先輩に当たる前田愛とお荷物こと志倉翼と名乗る隊長のバカ弟子が一匹。
後は私たち二人を含めた構成になっている。
本来隊長や副隊長は、指揮官とか係長とか言うそうなんだけど、隊長からじきじきに「隊長と呼んでくれないか?」と言われた以上こちらで呼ぶのは必定というヤツだ。
私も真奈香もこっちの呼び方で慣れてしまったので、今さら正式な呼び名を呼べとか言われても無理な相談というものである。
本日はついに後輩が入ってくると支部長の常塚秋里さんから連絡があり、喜ばしいかぎりの日なのだが……
私は疲れた表情で隣を歩く真奈香を見た。
申し訳なさそうな顔に時折見え隠れする恍惚を必死に隠す真奈香は、表情隠しに精神を集中させているのか一言も会話が無い。
変に話して私に嫌われたくないとでも思っているのだろうか?
「ねぇ、真奈ちゃん……」
前方後円墳のようなグレネーダー高港支部の入り口で、私は抑揚をわざと失くして言葉を吐いた。
「ふぇっ!? ……あ、何?」
弾かれたように声を出す真奈香に、内心笑いながら答える。
「新人さん、楽しい人だといいね」
「う、うん……そうだね」
オペレーティングルーム目指し歩きながら、私は会話を続ける。
「真奈ちゃんって空飛べるんだよね?」
「うん。正確には歩くだけどね」
「また空の散歩連れてってよ。朝のことはそれで許してあげちゃおう」
許す。その言葉を聞いた瞬間、真奈香の顔が目に見えて明るくなった。
「やったぁ~! 有伽ちゃんとデートぉ!!」
「いや待てっ!? ……ん? あれ? 結果的にそうなんのこれ?」
なぜだろう? せっかく仲直りと思ってのことだったはずなのに、深みに填まっていっている気がするのは気のせい?
やっぱり、なんか今日は不幸だ。
オペレーティングルーム前に着くと、二人して立ち止まり、身なりをチェック。背筋を伸ばして深呼吸。
「よっし、行くぞ真奈ちゃん」
「うん。いつでもどうぞ~」
ドアにはドアノブというものは無く、かわりに横の壁にプッシュボタンがある。
コレを押すことでドアが開き、緊急時にはボタン横のレバーを下に倒すことでドアに鍵を掛けることができる。
プッシュボタンをポンと押すと、ドアが開く。
「おはようございま~す……ってアレ?」
開かれたドアの向こうには……誰も居なかった。
「なんだ、誰も居ないじゃん」
「支部長さんのとこだよきっと。私呼んでくるね」
メンツ回復のためいいとこ見せようと張り切っているのか、私が返事するより早く真奈香は部屋を出て行った。
取り残された私は何もすることが無いので、仕方なく部屋に入り込み座って待ってようとして……ん?
隊長の机に何かある。
この部屋にはいつもはホワイトボードが一つと、長机が入り口から見てコの字型に三つ並んでいる。
椅子は机一つに二つ設置されていて、隊長と副隊長がボード側。
窓際の机には前田さんと翼の席があり、入り口側の机には私と真奈香の椅子があった。
入り口からはちょっと死角になっているが、入ってしまえば見づらかった隊長の椅子のある場所もしっかりと見える。
机に乗った黒い何かの入ったアンプル。
今までなかった変化に注視する。
何も思わず、私は誘われるようにそれに近づいていた。
「何……これ?」
手にとって目の前に持っていく。
目を凝らしてじぃっと見てみると、なんとなくもぞもぞ動いているような気がしてくるが、どうやら黒い粉末が入っているようだ。
あまりに近づいて見たため動いているように錯覚しただけだろう。
何か重要なものだろうか?
まぁ、こんなとこに無造作に置いとくくらいだからそんなことは無いか。
「あっりっかちゃ~んっ!!」
「ほわっ!?」
パリンッ
背中側から突如響いた大声に、思わず手にしていたアンプルを取り落とす。
しまったと思った時にはもう遅かった。
アンプルは床に叩きつけられ無残に砕け散る。
「すまんな有伽。急な事件でみな司令部に……」
真奈香の後ろから入ってきたらしい隊長の声。
私は振り向いて慌てて言い訳を考える。
「あ、あの、これはその……不幸な事故といいますか、真奈香の声に驚いたボクの不始末といいますか……」
振り向いた先にいた、服や靴やその他いろいろ全身を黒で固めた隊長に言い訳を……と思ったのだが、隊長は私を、正確には私の足元に割れたアンプルを見るなり真奈香の首根っこ掴んで後退する。
「あ、あの、隊長?」
ドアの境目を越え廊下にでると、入り口封鎖。
しかもご丁寧にガチャンとレバーを下げてしまう。
って閉じ込められた!?
「た、隊長!? どうしたんですか!」
パニックになりそうな頭を必死に働かせながらドアに走りこみ、私は力の限りドアを叩く。
いくら私が悪いことしたからって監禁は酷いんじゃないだろうか?
泣きそうになりながらさらにドアを激しく叩こうとして、ドア越しに声が聞こえた。
「師匠、高梨のバカが死んだってどういうことっすか!?」
これ……熱血バカの翼の声?
「有伽ちゃんさっきまで元気だったのに……」
何? 私死んだってどういうこと?
生きてるよ。どう見てもここに今ちゃんと生きちょりますがな!
信じられないといった声音なのは真奈香だ。
私だって信じられるわけがない。
「ええと……有伽お姉ちゃんどうなったの?」
これは前田さんの声だろう。
今回は一度も震えず言い切れたようだ。
彼女の妖は震々。いつも雪国のような格好で寒そうに震えている変わった子だ。
確か小学四年生だと言っていた記憶がある。
「柳ちゃん、まさか、例の――――アレ?」
切羽詰ったような女性の声。たぶん常塚さんだ。警視庁へ出張のとき隊長が話していたのだが、この常塚さん、支部長なのに警視庁長官よりえらいらしい。
にしても、例のアレって……やっぱり……
「うむ。室内に繁殖した。保って数分。私と真奈香もすでに感染しているかもしれん。別の部屋に三十分隔離させてもらうぞ真奈香。それと小林、オペレーティングルームと隣の部屋の空調を遮断しておいてくれ」
「隊長っ! 一体どういうことなんですかっ!?」
「有伽……残念だがお前はもう助からん。後で真奈香あたりが過去に戻って助けてくれるだろうことを期待して死んでくれ」
「いや、ちょっと待ってくださいよっ!? どうして私死ななくちゃなんないんですかっ!?」
思わず自分のことを私と呼んでしまうほど、私は気が動転していたらしい。
「お前が壊したアンプルだがな……アレには妖が入っていたのだ」
妖? あの黒いのが?
と、視線をアンプルに向けた私、そこには空のアンプルが転がっているだけで、黒い何かはどこにも無かった。まるでそこから溶けて消えてしまったような……
どこに……ど……こ?
視線を周囲に向け、考え込むように手を口元に持っていきう~んと唸る。
消えてしまったのなら無害なのではと希望的観測が思い浮かんだが、次の瞬間、視界に掠めたそれに私は思わず絶句した。
手が……私の手が……真っ黒に染まっていた。
私の手を腕を、まるで這い嘗め尽くすように侵食する黒いモノ。
「あ……あぁ……」
黒い何かが私を包む。
腕から肩に、肩から体に、全身に……まるで増え続ける癌細胞のように、私の体が黒くなっていく。
「あ、ああ、ああああああああああああああああああ――――っ!?」
何かを叫び、でも……すぐに私の意識も黒く染まっていった……




