妖使いの末路
女が走っていた。
行きかう他人の波を押しのけて。
怯えと恐怖と絶望を混ぜた表情で。
あの少女を貶めようとしたばかりに……
あの少女さえいなければ。
必死に走る女は後ろを振り返る。
そうして、見た。
ああ、もう、追ってきた……
グレネーダーから逃げ切れるのだろうか?
女はもう一度振り返る。
まだ追いつかれるには時間がある。
だけど、それだけ。いつかは追いつかれてしまう。
自分はすでに40代。相手は10代の若者が二人だ。
前を向こうとして、ぶつかった……
不安定な走り方に加え、勢いが付いていた女は、そいつを巻き込んでど派手に倒れる。
「いってぇなババァッ!」
若い男だ。
あまり関わりたくない雰囲気の男。
鼻にピアス。耳にピアス。舌や目蓋にもついている。
だが、今の彼女は迷わなかった。
「あ、あんたっ、助けておくれよっ」
女……金山幸代は押し倒した男にしがみつく。
男は迷惑そうに罵声を浴びせる。
「フザケてんのかッ!? バラすぞババァッ!」
「あ、あたしゃわかんだよッ! あんた妖使いなんだろ? 仲間じゃないか
ッ」
「な、何を根拠に……」
周りを見ながら慌てる男。
金山幸代は尚も縋りつく。
「妖使いは影が違うんだよッ。お願いだよぉ。同族だろぉ。見捨てないでおくれよぉ」
必死に男にしがみつくおばさんは、私たちが自分の後ろにいるのも気づかない。
「げっ、高梨有……」
私を見た男の方が悲鳴じみた声を上げる。
何で私を知ってるの? 私……有名人?
私たちが男に気を取られた瞬間だった。
「冗談じゃないよ、私に向かってくるんならっ! 陰口の力ってのを見せてあげようじゃないかい!」
金山幸代の影がまるで生き物のように口を開いた。
『私の目の前にいる二人組みは殺人犯だ! 取り押さえなければ全員殺されちまうよッ』
その言葉を聴いた瞬間、周りの人が歩みを止めた。
「な、なんだ?」
「これ、もしかして【陰口】の力!?」
周囲の人の影が同時に口を開く。
『私の目の前にいる二人組みは殺人犯だ! 取り押さえなければ全員殺されちまうよッ』
それは影から影へ瞬く間にこの場にいる全ての人に伝わった。
通常なら、そんな与太話聞き入る奴なんて一人も居ない。
ほとんどがおばさんをおかしな人と認識して足早に去っていくだけ。なのに……
私と翼に向かって群がりだす人々。
その場に居た数千の人間が一斉に私と翼を地面に倒し、固定する。
抵抗なんてできはしない。
群がる人の波は留まることを知らず、私たちを抑えた後もかわるがわる拘束しようと躍起になる。
すでに拘束されている以上もう拘束する必要なんてないしそもそも私たちがたった二人で皆を殺すなんてできるはずもない。
なのになんで? 誰も気づかない?
「クソッ、こんな奴にッ!」
「あ、はは……どうさね? どうさねッ! 身動きできないだろう? それでどうやって私を抹消するんだい刑事さん?」
引きつった笑いを浮かべ、金山幸代は立ち上がる。
下敷きにされていた男が私たちを押さえつけようとして再び座ったおばさんの尻に敷かれた。
「ぐえ、テメェ何を……」
男の言葉におばさんは答えない。
「私を捕まえようなんて百万年早いんだよバカ娘がッ! せっかく助かったのに残念だったねぇ」
男に座って、おばさんは得意満面に罵声を浴びせる。
影が再び口を開く。
『その二人を殺してしまえば皆がしあわ……』
でも、影が言葉を吐ききる前に、
「なぁ、ババァ……能力使えんのはテメェだけじゃねぇんだぜ?」
おばさんの後ろに誰かの手が置かれた。
ビクリと肩を震わせ、おばさんが振り向こうとする。
その瞬間、おばさんの後ろに生まれた半透明の少女。
おばさんの下敷きになっていた男がおばさんを向いた時、おばさんの後ろに出現したその少女と目が合った。男は声もでない。
それはそうだ。誰だっていきなり上半身しかない少女が目の前で鎌を咥えていたら、絶句するしかないだろう。
女が振り向く。
―――ほら……捕まえた―――
少女の声と、翼の口の動きが重なった。
少女が首を振る。
口に咥えられた鎌が何かを薙いだ。
赤い何かの飛沫と丸っこい何かが舞った。
……え? な……に……これ?
見覚えのある者が一瞬にして違うモノへと変化する瞬間。
赤い飛沫を撒き散らし、私の方へと飛んでくる物体。
ベシャリと何かが目の前に転がり、周りが赤く染まっていく……
目の前にあるのは涙に濡れた顔。
さっきまで泣き叫んでいたおばさんの顔。
私をバカ娘と怒鳴りつけたおばさんの顔。
何が起こったのか理解しようと、目だけきょろきょろと動く生首……
やだ……なに……これ?
これが……抹消?
飛び散って私に振りかかった血は生暖かく、充実感も爽快感もありはしない。
「う、うわああああああぁぁぁぁぁっ!?」
男の叫び声。
我に返った周囲の人も私たちの戒めを解き騒ぎ始める。
私は初めて見た死という現実に対応することができない。
その場から動けずに、おばさんの顔と向かい合う。
「高梨、警察手帳」
翼が何か言っている。だめだ。頭に入ってこない。
死んだの? これが死ぬってことなの? おばさんはもういなくなるの? 彼女の一生ってこれで終わりなの? 私も、こうなるはずだったの?
こんな……こんなの……嫌だ……
翼が私のポケットを乱暴に探る。
取りだした手帳から私の偽造写真を剥がすと、そのまま手帳を広げる。
「ご安心ください民間人の皆様っ! 私はグレネーダーの者です。ただいま邪悪な妖使いを抹消いたしました。ご安心くださいッ! コレは妖使いです」
自分の手帳を掲げ高らかに宣言する翼。
何を言っているの? ご安心ください?
妖使いが死んだら安全になるの?
なんでみんな……みんななんでこんな言葉で安心できるの?
死んだんだよ?
確かに酷い人だけど、みんなの目の前で死んだんだよ?
私の周りで、なんだ妖使いだったのか。と安堵感を含んだ声が囁かれ、陰口の力で集まった野次馬たちが、もう興味はないと散っていく。
なんで誰も悲しまないの? 苦しくないの?
何でみんな、そんなに無関心でいられるの?
「高梨有伽、聞こえるか?」
小さい声が聞こえる。誰かが耳元で囁いているらしい。
「のっぺらぼうだ」
……え?
今、なんて?
その名を聞いて我に返る。
目の前には男の顔があった。
顔中に付けられた銀色のリング。
おばさんがぶつかった男の人だ。
「のっぺ……」
呟こうとすると口を塞がれた。
「話がしたい。落ち着いたらお前の学校に来い。そこで待っている」
学校? どうして?
「グレネーダーを連れてくるんじゃぁねぇぞ。ダチを人質にしてるからな」
私の答えを聞かないまま、のっぺらぼうは足早にその場から去っていく。
彼を見送った後、私はもう一度おばさんを見た。
すでに生気は失われ、生きていたものとは思えない物体になってしまったそれに、私は独り、涙を流した……
名前: 金山 幸代
特性: 話好き
妖名: 陰口
【欲】: 他人の噂を別の他人に話す
能力: 【影操り】
人一人分の影を自由に操れる。
相手の影が影に攻撃されると、
その相手も同じ個所に傷を負う。
【噂話】
影同士で話を伝えると、
その噂を相手が真実と勘違いする。
強制命令を行う事も可能。
【同族感知】
妖使い同士を認識する感覚器。
妖使いは影が一般人と違って見える。
個人によって範囲は異なる。
【認識妨害】
相手の同族感知に感知されない。




