宣戦布告
「本ッ当にすまなかったッ」
斑目家正門付近までやってきた時のことだった。
人目がなくなったのを見計らうようにして、小林さんが私に土下座した。
「あ、いえ、土下座するほどのことでは……」
あの後、私は結局持ち合わせが足りず、またもや頼み込みでアルバイトをして勘定を済ますことになった。
店員さんに金が足らないことを話すと、すぐに奥に引っ込み、例のアレを持ってくる。
すでに私の分は金髪専用赤色人型兵器みたいになってるみたいで、この前袖通したアルバイト用の制服がやってきた。
なんで私のだって分かったかって?
マジックインキで常塚さんが書いた【高梨】って名札がしっかりとクリップで留められとりましたから……
しばらく接客していると、私がいないことに気づいて探しにきた三人に向っていらっしゃいませを言うことになった。
あの固まった表情はトラウマになりそうですよ。
小林さんにお金を払ってもらい、ファミレスから釈放された私は、翼たちと別れてこの正門へとやってきたのだ。
まぁ、確かに謝って欲しいことではあるものの、翼のおかげでお金が払えずアルバイトというものに慣れてしまったので、私の中では謝られるほどの苦痛ではなくなっていた。
慣れって恐いね。いや、ホントに……
小林さんが立ち上がるのを待つこと十分。
額をアスファルトと密着していた……ってかめり込んでアスファルトにヒビ入っとりませんか?
とにかく、小林さんはゆっくりと身体を起こす。
ずれたメガネを直しながら照れくさそうに笑っていた。
「まさか僕がこんな大ポカをするとは思わなかったよ。忘れた頃にやってくるからボケは恐いね。いや、懐かしいか」
「懐かしい?」
「ああ。昔の同僚が大ドジだったんだ。横で見ながらどうしてそこでそんなことになるんだかと心の底で笑っていたよ。今思えば彼女の凄さが良く分かる。僕ならああ何度も自動ドアに挟まったりする人生は耐えられそうにない」
いや、自動ドアに挟まれるって……ありえないよ普通。
その時点で自動ドア設置した側が責任追及じゃん!?
「さて、斑目決雪の元に行こうか」
「あ、そうですね。行きましょう」
目の前にあった正門を潜ると、お爺さんがタライに手を入れて熱心に何かをかき混ぜていた。
「あれか、なるほど。確かに小豆を洗っているね」
ゴクリと唾を飲み込む私をほっぽって先へ先へとおじいさんに近づいていく小林さん。
「なんじゃ若いの。知り合いを連れてきたか。もう来るなと言ったはずじゃが?」
相変わらず、視線をタライの中に入れたまま私に声をかけてくる。
「今回は高梨君は外野ですよ。斑目決雪さん」
名前を呼ばれたお爺さんが手を止めた。視線を上げて小林さんを睨みつける。私は恐る恐る二人に近づいていった。
「今度はまたヒョロイのが来おったわ」
「斑目良知留、及び斑目稲穂脱走の件でお聞きしたいことがございます」
「話すことはない。帰れ」
「それは捜査妨害でしょうか? いいのですか? このままでは御孫さんを二人いっぺんに失うことになるかもしれませんよ」
お爺さんの言葉を聞き流すように言葉を返す小林さん。
お爺さんもこのたった少しの会話で気付いたようだ。
彼が一喝で追い出すことができないことを。
「紫鏡は無敵なのじゃろ? そう聞いたが?」
「どこから聞いたのやら。ウチの前田君一人でも抹消できる妖ですよ。ガシャドクロにしてもです。ウチの隊長には勝てないでしょう」
不敵に笑みながらメガネを光らせる小林さん。お爺さんが小さく唸った。
「だからなんじゃッ!」
「簡単なことです。その気になれば我々は今すぐにでも彼女たちを抹消できるのです」
お爺さんの顔色が変わった。
「それに……長女の留々離さんにあなた自身も。このままでは殺人教唆の罪で抹消されるかもしれない」
「な、何を……」
「小豆洗いでしたか? 残念ながら貴方の妖はそれではありえません」
さらにお爺さんに近づき、小林さんはタライから小豆を一つまみ取り出す。
「水分を吸いすぎ、磨かれ過ぎたこれはもはや小豆ではありえない。何日も何年も同じ小豆を洗っていたのでしょうね。水も一日中替えていないのでは? 客が何時来ても熱心に磨いでいることを見せ付けるためですから水を替えに行く必要はないですし、素人目にはそんなこと全く分からない」
小豆洗いじゃないって……どういうこと?
「なぜ小豆を洗いながら僕たちの接近に気付けたのか? 僕だけならまだ偶然だと言われても理解できる。でも……高梨君はまだ貴方がタライに目線を落としたときの見える範囲に入っていない。入り口から動いてすらいなかったからね。妖反応があっても彼女だとは判別できない。そして貴方は一度も高梨君の方角を見ていない」
お爺さんの顔がさらに険しくなった。
すぅっと息を吸い込み、
「喝ーッ!」
逃げ出したくなるほどの気合の入った声。
思わず仰け反ったけど、小林さんは涼しそうな顔でその場から動いていなかった。
「短気は損気ですよ。すぐに怒鳴り散らして相手が必ず逃げるとは限りません」
タライを片手で掴み、小林さんは難なく持ち上げた。
「目目連。家に付くモノで視覚を無機物に与えることが能力でしたっけ? それならば確かに高梨君が近くにいなくても認識ができる。小豆洗いだと自己主張しておけば自分本来の妖が強力でも低級の小豆洗いだと認識される……なかなか賢明ですね」
「ち、違う……」
「何が違うので? 貴方が小豆洗いではないということ? 目目連ではないということ? どちらであろうと、病室での伊吹さんとの会話という証拠がこちらにあります。言い逃れはできませんよ」
「!?」
病室での伊吹さんとの会話?
「ちょうど斑目良知留が妖に覚醒する直前ですね。伊吹さんのコネであなた方は病室にやってきた。残念ですが、グレネーダーは警察とは似て非なる組織なのですよ。伊吹さんをも欺く形ではありますが、室内を盗聴させていただいておりました」
そ、そんなの初耳ですよ!?
「バカな!? 伊吹君は盗聴の心配はないと……」
「妖使いを甘く見ないで貰いたいですね。声は所詮振動なのですから」
つまり、誰かの妖が偶然お爺さんたちの会話を拾っただけみたい。
偶然の産物ってヤツだね。
もしかすると小豆洗いじゃないってこともその時知ったから言えることではなかろうか?
ともかく、お爺さんはついに口を滑らした。
「さて、目目連の妖を持つ決雪さんにお尋ねしましょうか?」
「ふん、正体がバレたところでなんだというんじゃ。貴様等国家の犬に話す口は持たんわ」
「まだそのような……!?」
胡坐を組み、両手を組んで座りこんだお爺さんに、呆れたような口調で応えかけた小林さん。その右手のタライから、紫色の光が零れだす。
「な……これはッ!?」
慌ててタライを離す小林さん。
タライが地面に落ち、中身の水と小豆が地面に散らばった。
タライの中に残った水はなおも紫に輝き、やがてあの歌が聞こえだす。
「あ……よっち~?」
「良知留じゃと!?」
にょきりと突き出る真っ白な手。
タライの端を掴み、もう片方の手が反対側を掴みに出現する。
両手で支えを作ったよっち~は、ゆっくりとタライからその姿を現した。
そりゃあもう、井戸から出てくる幽霊みたいに物凄い光景でした。
水に濡れた身体を持ち上げ、患者服の彼女がタライから全身を抜き出す。
地面に立つその姿は、まさに怨霊に見えた。
「良……知留?」
「ただいま……お爺ちゃん」
小さな声で答え、濡れた髪を掻き上げた。
「よかった……良知留、無事で……」
普段の頑固さが嘘のように、お爺さんは嬉しそうによっち~に歩み寄る。
「どうして……復讐したの?」
よっち~の凍てつく声に、お爺さんの歩みが止まる。
「どうして、じゃと? あ、当たり前じゃろうが! お前を汚した……」
「ウチを助けてもくれなかったくせに?」
お爺さんの言葉を無視するように言葉を被せた。
「ウチ、祈ったよ? 助けてって、お願いしたんよ? でもな……」
ゆっくりと顔を上げる。
「……誰も助けてくれんかった」
紫色に変色した双眸がお爺さんを睨みつける。
「ウチの復讐や。いらん手はだすなや。次は……ないで」
「よ……良知留?」
「恭一にも姉貴にも稲穂にも伝えとき、ウチの目を奪った奴は私が殺す。それだけ言うとこ思て帰ってきてん。あんたらにもやグレネーダー。ウチは誰にも止められへんで。ほな……な」
言いたいことだけを言ってタライに戻ろうとするよっち~、小林さんがとっさにその肩を掴んだ。
「待て、斑目良知留ッ!」
「待たへんよお兄さん。これはウチの戦争や」
タライに脚を伸ばし、水面に触れた瞬間、よっち~の姿が掻き消えた。
掴んでいたものが急に消滅し、支えを失った小林さんがたたらを踏む。
タライの水はすぐに色を失い、元の透明な水に変わっていた。
覗きこむと私の顔が水面に映っていた。
名前: 斑目 決雪
特性: 小豆とぎが趣味
妖名: 目目連
【欲】: 人を覗き見る
能力: 【無機物眼化】
無機物に目を生やす。
生きていないモノであれば何でも可。
植物である木材には不可。
年代を経て枯れ木になれば可能
【離眼】
生やした眼が自分の視界外であっても、
視界として使用可能。
【同族感知】
妖使い同士を認識する感覚器。
個人によって範囲は異なる。




