覚醒
―――ウチは混濁とした世界におった。
暗闇が全て覆っているのに、周りにある全てに形があった。
声も聞こえた。
「もう少し早く戻っていれば……」
誰かの声。聞いたことのある声だった。
「君のせいではなかろう。ワシらも守れなんだアイコじゃ」
酷く衰弱したしわがれた声。知っている。
「でも、よかったん? 会わせてもろて? 面会謝絶やろ?」
懐かしい、ウチの声。でも、違う声だ。
「俺には、これくらいしかできませんから」
「伊吹君、すまんなぁ迷惑かけて」
「いえ、俺は別に……」
ウチはゆっくりと目を開く。
片目でしか映ることの無い景色。
見えるはずの左目は別の色で塗り潰されていた。
ぼやけた視界に映る家族と年上の彼、失われた色。
「稲穂が一人やってくれたようじゃの。残りは二人じゃ、なんとしても良知留の復讐をせんとな」
あと……二人?
それはウチを襲った? 冗談やない。
これはウチの問題や。ウチの復讐のはずや。
勝手に殺すんやない。助けなかったくせに……
ドス黒い感情が渦巻き始める。次第に右の視界が暗くなる。
やがて世界が色褪せて、たった一つの色になる。
ウチに気づいとらん三人から目を逸らし、ふと見上げた姿見に、ウチは何故か心が躍る。
自然と伸ばされた腕。色が付いて用をなさない鏡に触れる。
包まれる快楽。愉悦と決意。
ここがウチの桃源郷。ウチだけに許されたネバーランド。
そして、ウチを堕としたあいつらを……死に逃がさない、凍れる煉獄。
時間軸の無い、ウチだけの世界。
ウチは次第思い出す。
受けた屈辱。求めた助け。
手を差し伸べてくれた者など……
助けてくれたものなど一人もいない。
……誰もいない。
そうだ。そこにあったものはただ一つ。
絶望。
だからウチは、あいつ等を……
ウチを助けてくれんかった全てのものをッ。
世界をッ! 運命をッ!
ウチの味わった地獄へ!
道連れにすると、今……決めた。
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「二人してガシャドクロに会って生きてるなんてな。驚いたぜ」
病院の集中治療室の前で、私はソファに座っていた。
私の前に立つ隊長と前田さんも、横に座っている翼も不機嫌だった。
「これで分かったろ。もう勝手に行動すんじゃねぇぞ」
「……うん」
「聞いてんのかよ?」
「……うん」
「……聞いてないだろ」
「……うん」
「お前バカだろ」
「……うん」
はぁ~と盛大に溜息をついて翼が深く腰かけた。
壁にもたれて上を見上げる。
「いいじゃねぇか生きてんだからさ。まだ……取り返しが付くだろ」
「……そうだね」
翼は陰口の能力で、自分の義理の妹を抹消していた。
陰口のせいだったとわかったものの、後の祭り。
もう……妹は抹消された後で、二度と会うことは叶わなくなっていた。
それに比べたら、確かに真奈香は生きていた。
外傷のわりに出血量も少なく、医者の話じゃ縫合も無くくっつくそうだ。
吹き出した血も見た目が派手だっただけで量はそれほどじゃなかった。すぐに細胞自体が癒着したせいで後から血が流れる事もなかったんだと。
確かに、斑目稲穂が言ったように、真奈香は放置しても十分な状態だったようだ。
一応、ということで今は大きい傷が無いか調べてもらっている。
「だが、これで斑目良知留の関与は否定された」
隊長の言葉に顔を上げた。
「どうして……ですか?」
「主治医と翼が見張っていた。だが昏睡状態だ。仮に目覚めていたとしてもだ。日留里貴明に対する攻撃時間がありえない」
「ありえない?」
「そうだ。まるで有伽たちが来るのを待っていたようだったろう? いや、むしろお前の後をつけていたのかもしれない。つまり斑目良知留は現場にいないのにどうやって相手と接触していると分かる? 仮に、有伽たちの妖の気配を探っていたとしてもだ。日留里貴明には妖能力は無い。何時接触しているかなど分かるまい」
「それに、お前の報告じゃ少なくとも目玉使いは二体いる」
「二人?」
翼の言葉に眼を丸くする。
「罪の意識で相手に眼を生やす怒々目鬼。斑目の目玉もこいつの仕業だろうな。実際に見えるらしいし、容姿は変わらなくなるから生やしたんだろ。もう一匹は障子や屋敷に目を生やす目目蓮だ」
……二人? 待てよ、斑目良知留の現状を知っているのは……
「た、たたた大変だッ」
慌てた様子で私の思考を断ち切ったのは、伊吹さんだった。
警視正でダンディな方の伊吹さん。
どうでもいいけど自殺防止として拳銃を持たさないように隊長が取り上げたそうだ。
「なんでぇおっさん。そんな慌てて」
「良知……良知留がッ! 斑目良知留が消えたッ!」
「斑目良知留がッ!?」
思わず立ち上がっていた。
「脱走かよっ?」
「違うッ! 消えてたんだッ! さっき見に行ったらッ!」
斑目良知留が消えた?
胸に沸き起こる不安感。
手術中のランプが消え、医者が治療室から出てきた。
「大した傷は見当たりませんでした。相手はよほど手馴れているようですね。すぐにくっついて跡が残らないように斬られていました。半日安静にしていれば、そのまま日常に戻っても差し障りありません」
真奈香の安全にほっと胸を撫で下ろす。
「さて、遠藤高男の家に向うぞ翼」
事態が落ち着きを見せたのを感じ取り、隊長が口を開いた。
「うぃ~す」
「あ、ま、待ってください隊長ッ」
つい、呼び止めていた。何ができるわけでもない。
でも、行かなきゃいけないと思った。
「ボクも……付いて行っちゃダメですか」
隊長は何かを考えるように視線を落とす。
その視線は胸元辺りにあり、服の間に銀色の何かが見えた。
「始末書は覚悟しろ有伽。それでもよければ付いて来い」
やっぱり隊長だ。嬉しさで顔が綻ぶのが自分でも分かった。
「はいッ! 隊長」
「か~、俺の存在はまた無視かよ」
「わかったわかった翼ちゃんも一緒に行こうね~」
「蹴り飛ばすぞ高梨。ったく、さっきまで死神に取り付かれたような顔してたくせによ」
面白くなさそうに舌打ちしながら、翼が後から付いてくる。
待っててね真奈香。真奈香の分も……私がんばるよ。




