アヤカシタワーの依頼人1
「ここ……は?」
目の前に聳え立つような高層マンションを見上げ、わたしは絶句していた。
何度か見たことがあった。聞いたこともあった。
とても有名な町のシンボル的存在。
六十階建てのマンションで、中は結構広いと評判。
快適な生活空間3LDKのすばらしい間取り。光差し込むベランダには作られた庭園があるとか天から伸びたブランコがあるとか。
県内唯一とされる妖専用マンション、その名もアヤカシタワー。
なんでこんな名前なのかと言うと、ようするに住人が全て妖使いだからという単純な理由だった。
そう、全住人が妖使いなのだ。
それも国から生存を許された妖使いたちが一所に集まったマンション。
聞こえはいいが、ようするに収容所のようなものだ。
近隣一帯からは普通の民間人は皆移住してしまい、近所の商店街もやや寂れた感がある。
全都道府県に一箇所以上必ずあるらしいけど、わたしの住む県にはこの高港市にしかなかった。
入居してみたくはあったけど、結構な値段がするし、母さんの安月給で賄える金額じゃないので一生来ることがないと諦めていた場所。
あ、でも翼お兄ちゃんならお金持ってるしここに住めるかも。
そんで同棲とか始めちゃったり。
うわっ、うわっ、ちょっと想像しちゃったよ!
は、裸エプロンとか、悦んでくれるかな? あ、でも翼お兄ちゃん足集めるの好きだから素足さえだしとけば悦んでくれるよね?
翼お兄ちゃん、ご飯にする? お風呂にする? それとも……とか言っちゃってぇ♪
思わず身じろぎしていると、伊吹さんに変な目でみられた。
ちょっとショックだったのですぐになんでもない表情に戻り今の痴態を完全になかったことにした。
設計上の問題としては、あまりに高いので上層は風当たりが強く常に揺れているということ。
不安定で心配だけど、そこは妖使い用のマンションだし別にいいか。という設計者の関心のなさが浮き彫りになっている。
ついでにエレベーターが無いのでいちいち階段を登っていかないといけない。
これも設計段階でエレベーターという文明の利器を妖使いなんぞだけのために金出して作るなんてやってられるかとかいう意見により取り除かれたことが原因で、豪勢に見えながら所々で手抜きが施されている。
ついでに吹き抜けになってる場所も多々ある。
このこと自体はわたしも実際に階段登るまで知らなかった。
ようするに現在進行形で六階までの道のりを上昇中。
六階登るだけでも息切れしそうなのに、六十階の人って毎日よく上り下りできるよね。感心するよ全く。
「それで、伊吹さん、今回はなんの用なの?」
「ん? 言っただろ? 探偵の助手してもらうって」
ああ、そういうことか。
わたしはてっきりグレネーダー関係でなにか動きでもあったのかと思ってた。探偵業まだやってたんだ。
六階に着くと、伊吹さんはある一つのドアの前に移動する。
わたしが横に着いたのを確認し、呼び鈴を鳴らした。
「お電話いただいた伊吹探偵事務所の伊吹と申します。依頼内容を伺いに参りました」
インターホンに向かって伊吹さんが声をかけると、「ち、ちょっと待ってください」と女の子の可愛らしい声が聞こえる。
ドタバタと急いでるのがここまで伝わるほどに慌しく廊下を駆ける音がする。ついでにドテッと痛そうな音も響いた。
しばらく声を殺して泣いていたのだろうか? ドアが開き、涙目の女の子が姿を現す。
最初、白いワンピースかと思ったが、ただ白い服と白のフリルスカートを着ているだけだった。腰に一本の帯が巻かれていて、繋ぎ目があるのかどうかが分かりづらい。帯は後ろで蝶結びをしていて、余った帯が床に垂れていた。
頭に白のリボンが付けてあり、ちょっと欲しいと思うほど可愛らしい。
「あ、あの、どうぞ」
言いながら伊吹さんの姿も確認せずに奥へと引っ込む。
伊吹さんとわたしは顔を見合わせ苦笑いを交わすと、彼女に従って家に入れさせてもらった。
家の中は入り口から大口開けて見入るほどに凄かった。
玄関口には土間があり、フローリングの床に敷かれた絨毯が廊下を埋め尽くす。
靴箱は漆喰の見るからに豪華そうな物品。
その上にはこれまた高そうな花瓶が置かれ、百合の花が生けてあった。
さらに背後の壁には額縁に入れられた幼稚園児が書いたような抽象画。
横目に見ながら靴を脱いで上がる。
伊吹さんはこういう家は慣れているのかさっさと少女についていってしまい、気がついたわたしは急いで追うことになる。
さすがに迷子になるほどの広さは無いが、やはり見知らぬ家に一人取り残されるのは避けたかった。ちょっぴり寂しい気分を味わいたくないので、どんな部屋があるのか調べるのは止めにした。
女の子に通された部屋はリビング。
家族の憩いの間に相応しく、灰色の絨毯の上に置かれたガラステーブル。
それを囲むようにして白というよりは年代を重ねてくすんだ色のソファが三つ。
ソファの置かれていない方向には少し離れた場所に大型のテレビ。
窓にはブラインドがかけられ、観葉植物が窓辺に置かれている。
少女の勧めでソファに腰掛け、伊吹さんの横で彼女と対面するように座る。
少女は頻りにそわそわと忙しなく身じろぎし、かといってわたしたちと視線を合わせることもせず「あ~」とか「う~」とか声にならない呻きを発している。
「依頼人の細本さんでよろしいですね?」
業を煮やした伊吹さんが商談を始める。
いきなり声をかけられた少女はビクンと飛び跳ねながらも、懸命に声を出す。
「は、はい、依頼しました、細本流亜でしゅっ!?」
最後に舌を噛んだらしい。
可愛そうに涙を必死に堪えてるのが一層痛々しく見える。
単に緊張してるだけなのか、元々人と話すこと自体に慣れていないだけなのかは分からないけれど、必死さだけは伝わってくる。
よっぽど探したいものか調べたいことがあるようだ。
「それで、依頼内容は? こちらに来てから詳しい内容を伝えていただけるそうですが」
「あ、は、はい。その……お、お……」
頑張って声にしようとして、寸前で声にならない。
伝えたいことがあるのに、喉元まで出掛かっているのに最後の最後で突っかかる。
見ているこちらももどかしく、早く言ってしまえとついつい体に力が入る。
「お、お願いしますっ! ピナちゃんを見つけてくださいっ!」
ようやく出た言葉に彼女自身が安心し、言い終えたと同時に深い安堵の息を吐く。思わずわたしも同時に息を吐き出して力を抜いていた。




