私立探偵はすぐ消える
家に帰り着くと、隣のおばさんに挨拶をして帰宅する。
どうにも好きになれないおばさん。
陰険ですぐに怒りだすから嫌いだった。
多分生理的に受け付けない部類の人なんだと思う。
だからできるだけ関わらないようにして、お母さんの待つ家に帰る。
わたしの家はあまり広くない。というのも隣や周囲と似たような建物で、連立するタウンハウスだからである。
二階建てで3LDK。ユニットバスとトイレ別。
二階はお母さんの部屋とわたしの部屋とベランダ付きの客間が一つ。
どれも大した広さはなく、リビングが8畳くらいで一番広い。
「お母さんただいまぁ」
キッチンにいるだろうお母さんに声をかけて二階に上がる。
わたしの部屋はぬいぐるみが多い。翼お兄ちゃんが買ってくれるものもあるけど、それよりもUFOキャッチャーから自分で手に入れたものが大多数を占める。
妖の欲以外で持っている、わたしの唯一の趣味だ。
「もうすぐ学校かぁ。新しい学校。新しい生活。なにも分からず知らないまま……総てを置いてこないといけなかった。なんちって。はぁ、もう、このままじゃダメだよね……」
ベットに寝転び、携帯電話を取りだした。
今日、白滝さんに貰った入鹿お姉ちゃんの写ったプリクラを携帯電話に貼って、しばらく眺める。
どこか照れたような幸せそうな入鹿お姉ちゃんの顔。
内巻き気味の癖の強い髪が印象的な人だった。
プリクラは初めてなのだろう。普段からは想像もつかない白滝さんの照れくさそうなマヌケ顔が横にある。
二人並んでいるその写真はとてもお似合いのカップルに思えた。
「ちょっと憧れるな。わたしも翼お兄ちゃんとゴールインできるといいなぁ」
なんて言ってみたり。
ちょっと自分で言って恥ずかしかったので、ベットに顔を埋めて手足をバタバタさせてみる。あ~、もう。なんか、もう。あ~、ちょっと暑くなってきた。
一頻り悶え終えると、冷静さを取り戻すために、プリクラに視線を向けた。
入鹿お姉ちゃんのプリクラを見ていると、もう一度入鹿お姉ちゃんに会いたくなってくる。
だけど、入鹿お姉ちゃんはもういない。
いないんだ……って言い聞かせて、明日の行動予定を考える。
ひとまずは翼お兄ちゃんへの弁当を考えて……
そこまで考えて、ビクリと反応した。
妖使いに目覚めてから現れた感覚器官。
同族を見分ける感知器官に触れる、一つの妖使いの反応。
殆どの妖使いに備わる能力らしいんだけど、相手の反応が見られるのは一部の妖使いだけで、全く反応しないけど妖使いだったり、能力発動時のみ反応が分かるなど、大して意味のない能力だったりする。
しかも、こっちが感覚器に意識を向けないと感知すらしないし。
目視で魂の形を見た方がわたしには早いんだよ。
人魂の能力のせいか、相手の魂が見えるんだよね。妖使いだとちょっと歪だから良く分かるの。
翼お兄ちゃん?
まさかとは思ったがそれはありえない。
翼お兄ちゃんの妖は、能力の発現時のみ、妖使いとして認識できるだけ。
じゃあずっと反応しているこれが翼お兄ちゃんだったとして、誰に妖を使っているのだろう?
考えがまとまった瞬間、わたしは再び家を飛びだしていた。
わたしには入鹿お姉ちゃんの謎以外に探している人がいた。
当然その人は妖使いで、一度だけ会ったことがある女の人。
入鹿お姉ちゃんの知り合いらしい。
入鹿お姉ちゃんの付き添いとして、一緒に来ていたのを見たことがあった。
名前は知らない。
ただ……白滝さんには入鹿お姉ちゃんの妹さんだと言っていた。
でも入鹿お姉ちゃんの妹である折鹿さんはすでに死んでいる。
何者かはわからないけど、その女の人が、入鹿お姉ちゃんについてなにかを知っている可能性があるのは確実。
妖使いとしか分かっていない以上直接会うしか見つける術はない。そのため、わたしはいつものように妖反応を持つ誰かを見に行く。
夕焼けに染まる街中を駆け抜け、人通りのない路地裏に入る。
腐った生ゴミのような物体がそこら中に転がっている嫌な通路だ。
できれば二度と通りたくない。ただ、相手との距離はそれ程遠くはない。もうすぐだ。
狭苦しい一本道を越えた頃、そこに一人の男性が立っていた。
男の人は地面に座り込んで、高校生だろうか? 倒れた少年を見下ろしている。
わたしも翼お兄ちゃんと同じで、妖は認識できるが、わたしが能力を使っていなければこちらは相手に認識されないという特性を持っているので、相手が妖反応を見てわたしに気付くことはない。
そこのところだけは安心して、わたしはゆっくりと近づいていく。
ぼそぼそと声が聞こえてくる。
「さて、と、そろそろいいかな? 俺は買い物を頼まれたクチでな、早く帰らんとじゃじゃ馬どもが暴れだしちまう」
男は少年に声をかける。だけど少年から答えはなかった。
やたら呻きのような声が周囲から漏れている。
あ、死角で見えなかったけど似たような制服の人が何人も倒れてる。
「じゃあ、二度と脅せば人から金だけ貰えるとか思うなよ若者たち!」
はっはと笑って踵を返す男に、少年の一人が起き上がる。
パチンと折りたたみ式のナイフを開き……
「っざけんなジジィッ」
危ない。と思った。
つい出そうになった声を口に手を当てて喉の奥に押し止める。
男は避けることなく少年のナイフを自分の胸に招きいれ……とたん、男の姿が掻き消えた。
まるでふわりと風が舞うように、一枚の木の葉を残して消える男。
目標を失った少年は無様に転んで自分の腹にナイフを刺していた。
思った以上の大きな悲鳴が響き渡る。
少年は腹に刺さったナイフを抑えて泣き叫ぶ。
そんなに痛いなら早く取ればいいのに。
と、その少年の真後ろに、男が突然現れた。
「おいおい、ナイフなんて持ってこけたら危ないだろ。気をつけろよな」
くっくと笑って少年を蹴倒す。
痛みで仰け反る少年に足を乗せて固定し、ナイフを抜いていた。
「ほれ、もう気は済んだか若者たちよ」
もう、彼に敵対しようと思う少年は居なかった。
罵声だけを残して逃げ去っていく。
なんの妖使いかはわからなかったけど、とても凄い身体能力だ。
気付かれないうちにさっさと帰ろう。
と、後ろを向いた瞬間、目の前にいるさっきの男。
壁に背もたれ、わたしに対して人差し指を軽く振る。
「……え?」
「盗み見は良くないなお嬢ちゃん」
「あ、その……」
殺される!? 冗談じゃなくそう思った。
迷うまもなく発動させる。
翼お兄ちゃんからお前の妖は危険だから使うなって言われてたけど、生命の危機なんだ。使わない手はない。
わたしの力。人魂を。
わたしの背中から現れるのは人には見えない。
妖使いにしか見えない無数の手。
ぎゅわりと現れ、男に向かって飛びだした。
「っ!?」
一瞬頬に冷や汗浮かべ、男は即座に掻き消えた。
わたしの触手が木の葉に触れて……それだけだった。
「おお恐い。妖使いだったのか。いきなり反応したので驚いた」
後ろから聞こえた声に思わず振り向く。
男が悠然と立っていた。
「う……ぁ……」
一歩退いて、ゴクリと唾を飲み込む。
この人はどっち? 敵対者? それとも無害な人?
あの身体能力だ、ほぼ間違いなく危ない人。
だったらやられる前に……魂抜いて無力化しなきゃっ。
対する男は、慌てたように両手を前に突き出した。
「待て待て待て嬢ちゃんっ! ストップ! スト~ップ!」
思わず飛びだした触手が男の鼻先で止まる。
「まぁ待て! ここは平和的に話し合おう。プリーズトーキングミー」
わたしは触手を引っ込め、でもいつでも対応できるように数本の触手は残しておく。
「なんの用でここへ来たのか知らんが俺は買い物帰りなんだよ。連れが早く帰らないと五月蠅いんだ。そこで提案。見逃してくれたらただで探偵業請け負うぜ」
……探……偵?
興味深そうな顔でもしていたのだろうか? 男はフフンと笑うとわたしの目の前にやってきた。
「私立探偵伊吹健二だ。よろしく嬢ちゃん」
「え……? あ、よろしく?」
伊吹と名乗った男はわたしに名刺を差し出すと、時計を見て驚き、慌てるように去っていった。
後に残されたわたしはなにをするでもなく、ただただそこに呆然とつっ立っているしかなかった。
え? 結局何だったの?




