02. 日記帳とおしゃべり
手足付きのミニ日記帳は、周囲をぐるりと見回してから、再び少女の方を向いた。
「倉数芽依さん、ですか。中々良い人材を召喚しましたね、この国の第3王子は」
「どっ、どうして私の名前、知ってるんですかっ!?」
「僕は、ありとあらゆる文字として残された情報を閲覧する事が出来るんですよ。名前は学生証、身元は遠い過去の文献、状況は第3王子の手記を閲覧して入手しました」
ミニ日記帳から、隠す事無くぽこぽこと不穏な単語が飛び出してきた。
それらから類推するに、芽依が必死に目を逸らしてきたこの現状には、何やら面倒なバックグラウンドがあるらしい。
“召喚”などと言うふざけた現象は、平穏無事を好む彼女にとって“受け入れたくない現実”のトップランクに位置する代物だが、情報を得る為には、いい加減現実を認めなければならない様だ。
芽依は、自分で右の頬をぺちぺちと叩いて喝を入れると、一気に問答へと突入した。
「召喚したって事は、ここは何処なんですか?」
「ここは、貴女の居た世界とは異なる世界の地球です。ちなみに、貴女が居た時代から400年程経っています」
「え、ちょっ、400年“後”っ!? この部屋がどっぷり中世ヨーロッパ風だったから、てっきりそんな感じの時代かと思ったんですけどっ」
「そんな感じの時代ですよ。科学技術が進み過ぎた末に、ね」
ミニ日記帳の言う事が理解出来ず、芽依は眉を顰めた。
科学が発達して、異世界から物質を転送する技術が開発されたのなら、召喚と言う魔法の様な現象が起こっても不思議ではない。
しかし、彼――声から男性と判断――の口振りには、それ以外の含みが感じられる。
そして、そこにはこの世界の根幹に関わる何かがある、と芽依は直感した。
「どう言う事、ですか?」
「今のこの世界は、動力としての“電気”が存在しない代わりに、“魔法”が生活を支えているのです」
「うわーい、エネルギー問題解決済みですね」
「キレのある皮肉ですね。実際には、ある日突然、全世界で一斉に電気が使えなくなったので、当時は大混乱でしたよ。魔法が普及し、世界が中世ファンタジーな感じで安定するまでに、50年余り掛かりましたし」
事も無げに世界の激変っぷりを説明したミニ日記帳は、更に恐ろしい一言を口にした。
「まぁ、僕の所為ですが」
「何やっちゃってんですかーッ!?」
テンパっている状態でも、そこを突っ込まずにはいられなかった。
*****
この世界も、芽依が居た世界とほぼ同じ歴史を歩んでいた。
だが、幸か不幸か、芽依の高校時代から約10年後に、一人の科学者が日本で産声を上げた。
幼い頃から才気に溢れ、大学院を卒業する頃には神に選ばれたと言っても過言ではない程の卓越した頭脳を持っていたその人物は、医学と理工学の発展に大きく貢献した。
そんな彼が最も力を入れたのは、ナノテクノロジー。
元々当時の日本はナノテク先進国であったが、彼が本腰を入れて専門の研究機関に入ってからは、他国の追従を許さぬ、ぶっちぎり独走状態となった。
当然、他国がそれを良しとする訳がない。
彼の技術を盗む為、厳重なセキュリティを掻い潜って、とある国のスパイが送り込まれた。
研究員を装ったスパイは、比較的監視の目が緩かった、彼が個人的に研究しているナノマシンの研究データとサンプルを持ち去ろうとしたのだ。
それに直ぐ気付いた彼は、警備員と共にスパイを追い掛け、敷地を出る直前で何とか取り押さえた。
しかし、運命の瞬間が訪れた。
スパイが、最後の悪足掻きとして、ナノマシンのサンプルを大気中にぶちまけたのである。
彼が趣味で作っていたそれは、決して生物に危害を与えるものではない。
だが、開発した彼でさえ想像し得なかった、間接的に人間社会を崩壊させる能力を有していたのだ。
研究所及び研究所を直轄していた政府は、ナノマシンが生体に無害であり、また人々の要らぬ不安を煽らない為に、この事件を公表しなかった。独自の情報網で事件を知った数少ない国々も、同じ様に黙殺を決め込んだ。
この何も知らず、何も変わらない世界が、自己複製型であったナノマシン達によって音もなく満たされるのに、大した時間は掛からなかった。
そして、事件から約一月後――世界から“電気”が失われた。
動力から信号に至るまで、ありとあらゆる”電気”が、まるで無かったもののように消滅したのだ。
電子機器の組み込まれている物が、何の前触れも無く一斉に使用不能となるなど、誰に想像できただろう。
通信手段も移動手段も医療器具すらも一切合切ストップすると言う未曾有の現象は、停電とは比べ物にならない凶悪さで、現代社会を打ち砕いた。
更に追い打ちを掛ける様に、地球史上最大規模となる地殻変動まで起こり始め――。
こうして、数十年の歳月をかけて、世界は淘汰されていった。
「で、そのナノマシンを作ったのが、僕――正確には、僕のオリジナルと言う訳です。ちなみに、現在の僕は、オリジナルの記憶と思考パターンを完全転写して作られた人格プログラムです」
「あ、あははははっ、そ、壮大な作り話ですねっ!」
「作り話で済めば良かったんですがねぇ」
手短にこの世界の経緯を説明したミニ日記帳は、両手を横に上げてゆらゆらと左右に揺れた。“やれやれ”を表現しているらしい。
彼の語った言葉は、上辺こそ軽い言い回しであったが、言葉の端々に重みと揺るがない何かが織り交ぜられている様に感じられた。
何より、目の前でこんな正体不明の物体が喋っているのだから、信憑性は鰻登りだ。
そして、止めとばかりにある事を思い出した芽依は、がっくりと肩を落としながら、この世界トンデモ裏話が真実であると確信した。
「成程、だから“ラジエルの書”なんですね」
「そう言う事です。理解の早い方で助かります」
ミニ日記帳は、満足気な声でそう言った。
“ラジエルの書”とは、地上と天界の全ての秘密を知り尽くす大天使ラジエルが、宇宙の神秘についての知識を纏めた書物であると言われている。
つまり、ミニ日記帳は、その大それた名を冠する事で、自身の知識が真実である事を示していたのだ。
「分かりました。貴方の言葉を信じます、えっと……お名前、“ラジエルの書”さんで良いんでしょうか?」
「ああ、言われてみれば、僕は自分に名前を付けるのを忘れていました。流石にその名は、会話には向きませんね」
「じゃあ、“アール”さんって、どうですか?」
「僕はお粥ライスなど食べませんが?」
ミニ日記帳の意味不明な返答に、しばしの沈黙が流れる。
「?? “ラジエル”の頭文字なんですけど」
「そう言う事ですか。……考えてみれば、オリジナルの頭文字も同じですし、良いかもしれません。では、これより“アール”と名乗りましょう」
「じゃあ、アールさん。とりあえずよろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いします」
芽依とアールは、向かい合ってお辞儀をした。
何とも日本人らしい、1人と1冊の挨拶であった。
今回のポイントは『アール』と『お粥ライス』です。
分からない方はググってくださいましー。