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テニス孫

チャコが産んだ双子はスクスクと大きくなる。男児は姑がいたって気に入り我が子以上に可愛がった。母親であるチャコが男の子の身の回りの世話をやこうものなら、

「チャコさん。よろしくてよ。孫の面倒は私が致します。あなたはいろいろ忙しいでしょうから構わないでちょうだい」

男の子は母親の目の前から奪い取るようにして姑の部屋に連れて行ってしまう。


母親チャコとしては確かに面白くはない。嫁であり姑でもあるが孫の子供の育て方は別の問題だといつも思うが。ここはグッと我慢をしていく。

「まあ仕方がないか。お姑さんにはオニイチャンは初孫だしね。取り立てて悪いことをしているわけでもないから」

と自分を説得させた。同じ家庭の中にあって家庭が二つあるような感じではあった。


また常に旦那からは、

「お袋もひとり身だから淋しいんだ。チャコ悪いちょっと我慢してくれな。オニイチャンは孫であり恋人でありだろうから」

母ひとり子ひとりの境遇は波風を立てないが一番だとなった。

「息子はお義理母さんに預けたと思えばだけどね」

オニイチャンは姑が甘やかし過ぎたことからかなり我が儘な男の子になりそうな心配はあった。


双子の妹はどうだったか。こちらの孫は女の子だからと姑さんに身向きもされない様子だった(笑)


母親チャコは娘だけは一生懸命に世話をやき育児に専念をする。チャコ自身が子供時代に母親になったらこんなママになりたいと言う理想を追い掛けてもいた。そんなチャコの母親姿を見て旦那は、

「側からみたらお袋と子育てを争っているみたいだ」

嫁姑は子育てにも波及していた。


子供も成長をしてアメリカンスクールに通う年齢になる。ニューヨークには日本の幼稚園もあることにはあるが大抵はアメリカンスクール(幼稚園コース)に親は入れたがり入学させていた。

「ニューヨークで歩いて通う学校はアメリカンスクールと日本人学校とヒスパニッシュ。アメリカンスクールに入れたら英語を覚えてくれるんだけどマナーがあまりつかないと言われているの」

アメリカンスクールでせっかく英語を身につけても日本に帰ってしまったらなんにもならないとも言われていた。

「ヒスパニッシュスクールだと英語とスペイン語を覚えてしまうらしいわ」

メキシコの学校らしかった。


結局は日本人学校に落ち着く。この学校から帰国後は青山・立教・国際キリスト・慶応に進学するのにコースがあった。雙葉出身のチャコとしてはあまり受験で子供を苦労させたくないとも考えていた。

「子供が早くも幼稚園かあ。私も自分の時間が取れるから本腰入れてなぎなたをやりますかね」

30に近くなりチャコは肥り俊敏な動作が苦手にはなったが一旦道場に入りなぎを持つと捌きはまだまだ健在ではあった。

「私がサブで姑は師範。お義母さまはもう無理をさせてはいけない」

と嫁のチャコから師範を交代いたしましょうと提案する。最初姑は、

「嫌ですよ年寄り扱いされては」

と師範交代の固辞をした。がまあシブシブ嫁の言う事に従った。実際に体の節々が言うことを聞かなくなり師範としの模範演技がつらいところであったからだ。


師範交代でチャコが道場主となる。すると世の中うまく出来たもので、

「あれ?子チャコがなぎを持ち出してきたぞ」

日本人学校の幼稚園に通う子チャコがなぎなたに興味を示し、えいやあと道場で振り回し始めた。

「あなたもなぎを始めましたか。義理母と私そして孫が3代に渡ってなぎをやることになるのかしら」

師範のチャコはつい腕組みをして我が子を見てしまう。


子チャコはそんなことに見向きもせず背中になぎなたを持ちクルクルと回りニコニコして遊んでいた。横に祖母が来たら、

「私もオバチャンもエイヤァ〜」

裾払いの決めのしぐさまでしていた。おばあちゃんはニコニコ顔で孫娘を見て、

「おやまあ。誰の血筋を引いたんだろうかねこのお嬢ちゃんは」

両方の手に大人のなぎなたはでっかいからと小さいなぎを特別に作って手渡した。

「オバアチャン、エイヤァ〜」

豆剣士の誕生であった。


孫娘は母娘の道場に入門していたが、男の孫はどうだったか。


こちらも日本人学校の幼稚園に入学して元気いっぱいに毎日遊んでいた。


しかし祖母の猫可愛がりが禍となりブクブクと肥りブタさんになってしまった。

「まあねオバアチャンがあれだけ可愛がっていっぱい食べさせるから」

母親チャコの肥りやすい体質も手伝い見事に小児肥満児になってしまう。幼稚園の健康診断でも小児肥満だと診断されてしまう。

「おいおい肥るのは困るぜ。そんな小さな歳からブタにされてさ」

旦那は慌てて息子を運動させるために外に連れ出す。なんとか痩せさせようかとする。しかし祖母が甘やかしたツケは大きくて、

「僕お外で動くの嫌。オバアチャンと一緒におコタツでお煎餅を食べていたい。パパなんか嫌いだあ」

父親の手を払いのけて自宅に戻ってオバアチャンを探す有り様だった。旦那もチャコもこれには困ったと悩む。

「オバアチャンにも困ったもんだと言わせないといけない」

旦那は意を決めて実の母親に息子の孫の苦情を言う。

「お母さん。孫を可愛がりは結構だけどさ」

幼稚園の診断書を見せてもう孫の猫可愛がりは辞めてもらいたいと言った。

「それではなにかい。孫が肥り出したのは私のせいだとお前は言うのかい。ああそうかいそうかい。悪者はいつも私だと言うんだね。わかりました。わかりましたよ」

オバアチャンはプイッと横を向いてツムジを曲げてしまった。いかにも嫁が変なものを孫に食べさせるから肥るんだよと言いたいところであった。

「いやあお袋には参ったなあ。言い方がまずかったのかすっかり膨れちまったよ」


それからは肥満をなんとか解消させてやりたいとあっちこっちに旦那とチャコは相談に回る。日本人会の中にお医者さんもいらっしゃり、

「幼稚園は成長期だからダイエットなんてさせてはいけない。ちゃんと適度な運動を与え消費エネルギーを増やしてやるんですね」

お医者さんは水泳やエアロビクスを勧めてくれた。

「運動か。水泳ぐらいなら僕も付き合ってもいいか」

と旦那は双子たちを連れてプールに行く。


プールで女の子の方はバシャバシャとうまく泳いで楽しんでいた。適応性に優れていると言うべきかにこやかな笑顔だった。


しかし男の肥満児は、

「僕は泳げないからつまんない。プールにはもう来たくはない。早くおウチに帰ってオバアチャンとおみかん食べたい」

一度嫌だと言い出したらもうダメ。我が儘に育てられたから言うことを聞かない。


挙げ句には自分勝手に水泳着を着替え済まして早く帰りたい、帰りたいの一点張りだった。さすがに気のいい旦那もこの我が息子の姿にはホトホト嫌気が差してしまう。

「参ったよ。あれほどまで程度が悪いとは思わなかった。それにしても弱ったぞ。将来大人になって碌なモノにならないぞ。まあ自分を見ているようだけどさ」

お袋の教育が間違ってしまったようだ。お袋の息子は真剣に腕組みをして自分の息子の行く末を案じた。

「また俺みたいな大人になってしまったら困るからさ」

旦那としては我が儘な性格は父親譲りだとして諦めたフシがあった。だから我が儘をそれはいけない、やってはいけないとは言わない方針を貫くことにする。

「自分自身がひとりっこだったから自由にしていたからさ。だからあれこれと言われたくはないからね。しかし我が子は我が儘なデブのまま育てたくはない。このあたりが子育てなる難しい問題なんだなあ」

夜はの妻チャコとあれこれと話合いを持つ。


母親チャコとしては双子はどっちがどっちと区別なくおおらかに育てたかったが。

「義理母さんが横槍を出してきたから」

ついつい愚痴ってしまう嫁であった。


幼稚園に通って始めての冬休み。ニューヨークで年末のプロテニスの試合が開催された。

「このテニス試合はねウチの商社がスポンサーになっているから」

旦那から皆さん家族でテニス観戦することになる。おばあさんは、

「テニス観戦かい。ありゃあルールが今ひとつわからないからね。私は遠慮しておくよ。おまえ達家族水いらずで行っておいで」

オバアチャンが家に残るというと男の孫も大抵は一緒に残るというところであったが。

「お兄ちゃんは残るのかい?オバアチャンと一緒に」

この時は孫のお兄ちゃんは珍しく残らないと返事をした。

「うん僕さあ、オバアチャンとおウチにいないよ。テニスが見てみたいんだ」

どうやら幼稚園のお友達からテニスの話を聞いたから興味を持ったらしい。そして遊戯の時間にはテーブルテニスをやったことがありかなり上手だと幼稚園では褒められたことがある。

「僕ね、テニスお上手だよ。パコーン!パコーン!お友達からエースを取ってしまいました」

旦那はオヤッ?という顔をした。また話を聞いてチャコもうん!と反応をする。

「あれだけ運動嫌いがテニスをやったんだと。幼稚園の教諭に褒められた?なんですと」

夫婦でお互いに顔を見合わせた。デブの我が子の言葉が信じられなかったのだ。


世界テニスは予定通りに行われた。チャコ達は家族で観戦をする。

「エヘヘ、私もおばあさんと同じでちょっとテニスのルールがわからないわ」

とチャコは同じく観客席で退屈をする娘を抱いて外に出てしまう。どうもテニスよりハンバーガーとチキンが楽しかったようだ。


旦那は男の子とテニス観戦。

「僕は高校大学とテニス部だからね。お袋のなぎなたはやらないが(笑)テニスはかなりやった」

旦那の高校時代に人気のあったATP選手(世界男子テニス)は約10年のブランクがあった。だから目の前の選手は替わっていた。

「世界のトップ10がニューヨークに来ることは知ってる。しかし知らない選手が増えたなあ」

旦那はパンフレットを眺めながら溜め息をつく。

「お父さんちょっと教えてよ。このマスターズテニスは世界のテニスの中のトップがニューヨークに集まったんでしょ。なぜ日本選手はいないの?僕日本の選手が見てみたいや。日本人学校にある日の丸を振って応援したいや」

旦那は息子に言われてハタッと困った。日本選手はATPで100位はおろか200位にもいるかどうかの低いランキングだったからだ。

「オニイチャンは弱ったことを言うなあ。マスターズに日本選手か」

マスターズテニスは日本人選手は今まで誰ひとり参加していなかった。※女子はある。


「オニイチャンが今からテニスをやって将来マスターズテニスに参加してくれたらどうだい。そうなればお父さんは日の丸持ってこのニューヨークで応援してあげるよ」

旦那は何気ない一言を幼稚園の息子に言った。

「うん?僕がテニスをやるの」

オニイチャンは肥った体をちょっと斜めに構え悩む。頭の中はテニスが好きになるか興味を持つかどうかというところだった。


まもなくマスターズは始まった。世界トップクラスのスター選手が次々に試合を執り行う。


最速サーバーがガンガン打ち込まれれば天才的なプレーヤーはいとも簡単にレシーブをしてしまう。観戦するオニイチャンは園児なれども世界のプレーに酔いしれた。

「お父さんあれ凄いなあ」

プレーの名前を知らないがひとつひとつ感心をした。言われた旦那はひとつひとつ園児の息子にわかる範囲でテニスを教えてやる。

「あれがボレーだよ。足が早くないとネット前にいけない。しかし凄いなあ。アッと言う間にネット前にいる」

息子はうんうんと頷く。

「本当によく飛びついたね。あの早いボールにバチン(ボレー)ができるなんて凄いなあ。お父さんネットは触ってはいけないの。あのラケットはブーンって振らなくてもボールは飛んでいくんだね」

知らない間に親子でプレーのひとつひとつに見入り拍手を送っていた。


このマスターズを園児熱心に観戦をしていくうちになんとなくだがテニスというスポーツが見えてきた。

「コートをまんべんなく走らないといけないけどうまくやればジッとしていても打てることがある。僕でもできそうだ」

肥った園児はひとり納得しながらプレーを観戦した。

「お父さん。あれ?選手がゾロゾロ出てきたぞ」

シングルからダブルスに試合が替わっていた。

「アッハハそうだな。ゾロゾロだな。これはダブルスと言って2対2でテニスをするんだ」

園児にはダブルスの試合があまり面白くはなかったようであった。

「お父さんダブルスなんて面白くないなあ。適当にポンポン打ち込めば勝てるみたいだ。いいや僕お母さんのところに行くよ。ちょっと携帯貸して。居るところを知りたいな」

園児は母親の居場所を聞いて売店に走ってスタコラと向かってしまう。

「ダブルスよりハンバーガーがいいのか我が子は」

やれやれと思い旦那も後を追ってハンバーガーとチキンを食べに外に出た。


売店には母親のチャコと娘が一生懸命にハンバーガーをパクパクしていた。テニスの試合よりも数倍は楽しくておいしい時間だった。後から息子が来て、

「あっ、お母さんまた食べているや」

チャコはアラアラどうしましょと息子の一言にドキッとする。しかし肥った園児とチャコの母子は見事なコンストラストをハンバーガーショップの前に示していた。共食いか。


テニス観戦は結局ハンバーガーを食べておしまいとなった。

「私や娘にはテニスはちょっと退屈だったわね」

ただハンバーガーだけは誰かれ気兼なく食べて幸せだった。


テニス観戦した後変わったのが息子、デブな園児だった。

「幼稚園のテーブルテニスで僕は強いんだぞ。みんなかかってこい」

お遊戯の時間にはいつも嫌々ながらゴロンゴロンしていた。


それが好んでテーブルテニスをやりたいとなった。これには幼稚園の先生方も驚いた。なんせあれだけ動くの大嫌い給食大好きのデブ園児だったから。

「テーブルテニスは面白いよ。バチンと打てばバシンと決まるから」

実際にボールコントロールはうまく正確にコートの中を狙って打ち込めばだいたい入った。


このデブ園児の噂はただちに日本人学校からコミュニティに広がり、

「園児だけどテニスをやらせてみるか」

日本人の経営するニューヨークテニスクラブに体験入門することになる。

「本当にテニスをやりたいの?オニイチャン」

母親チャコは息子に聞いてみた。デブ園児で動くことがあまり好きではない息子。余計に心配だった。

「うん。テニスやりたいな。だって僕上手なんだもん。幼稚園のみんなよりボール打ち込みはうまかったんだ」

チャコは息子がちょっとやってすぐに飽きてしまわないかとそれが心配だった。母親としては息子の飽きっぽい性格があるからあまり乗り気ではなかった。


テニスクラブに息子の手を引いて出かける。ニューヨークテニスクラブは日系中心のクラブだった。

「オニイチャンみんな上手にテニスしているわね」

チャコはさらに心配。あんな練習を息子は堪えれはしないだろうなあと。

「オニイチャンあんなに走らないとボールが拾えないわよ」

デブ園児の嫌いなランニング。

「まずはあれで嫌になるだろうなあ」


母親チャコはクラブの会長さんにまず紹介をされ息子の適性を見て貰うことにする。

「ウチの若手コーチを紹介しましょう。彼がお子様の適性を見たいと言いますから」

紹介された20台のコーチはジュニア育成に名がある存在だった。さらには自らの選手時代に怪我をして24歳でJOPを引退をしている。全日本に優勝をした翌年のことだった。だからかなりテニスには未練があった。

「こんにちは。さっそくですから噂の園児を見て見ましょう。日本人学校で一番テニスがうまいと言われているんだってね、僕」

オニイチャンは軽く頭を元全日本チャンピオンに撫でられた。


園児のテニス適性はラケットを使わず軽いボール遊びから始められた。

「僕の持論としてはボールをいかにうまく捉えることができるかをまず見たいんですよ。子供たちは比較的ボールを怖がらないからボールに対しての恐怖がない」

なんと育成コーチはテニスボールをワンバウンドさせて園児にオデコで打ち返させた。

「あっそうだ。お母さんお母さん。一緒にやりましょう。僕知ってますよ、お母さんはなぎなたの師匠さんですね」

日本人会は狭い社会だからチャコの存在はすぐに全日本人会会員に知れ渡る。

「はっ私もやるんですか」

テニスコートの横でデップリ座っていた師匠のチャコはどうしましょと困惑した。

「ええっお願いします。このくらいの年齢の園児はね母親がやると僕も頑張ってやろうかなって張り切りますから。でも日本伝統のなぎなたとテニスを比べたらテニスが簡単かもしれませんよアッハハ。他のご父兄の方もテニスシューズを貸しますからどうぞ参加してください。オデコに当てるだけですからね」

全部で10組の親子ペアがオデコ当て遊戯に参加した。

「あらっ易しいようでできないなあ」

他の親子はうまくオデコに当てられない。がチャコとオニイチャンはパコン〜パコン〜と軽快にリズミカルに当てて打ち返す。オニイチャンは物凄くうまく育成コーチの受けやすい高さに正確にボールを返させた。母親チャコも同様だった。

「うまいね。ボールに対してうまく対処ができている。師匠もまずまずだ」

このオデコ遊びができない親子は次のステップに育成コーチ進ませなかった。

「じゃあオニイチャン。ラケットを選んでもらいボールを打ってもらいましょうか」

いよいよテニスが始まる。オニイチャンは子供用ラケット(スモールサイズ)をしっかり握る。ウエスタングリップを構えた。

「よし、では球出しから」

育成コーチはゆっくりとワンバウンド打球を出していく。

「この園児は初テニスだから空振りや振り遅れがかなりあるはずだ」

育成コーチはポンとまず1球出してみる。


バコーン!


オニイチャンは快音を残しラケットを振り切った。スイングのフォームはぎこちないものだが打球は凄かった。育成コーチは唖然として打球を見た。

「こいつは案外行けるかもしれない」

球出しは続く。フォアもバックも両手打ち。どちらに球が来ても快音を残しジャストミートをしていた。打ち損じというものがほとんどなかったのが凄かった。


育成コーチはクラブのオーナーにラケットで軽く

「この園児は合格ですよ」

と知らせた。それを見たオーナーはわかったよと頷き母親のチャコに近寄る。

「お母さんどうやら息子さんはクラブ入会に合格されました。つきましては入会手続きと細かい規則をお話したいと思います。クラブハウスまで来ていただけませんか」


チャコはあらまあどうしましょとまたまた戸惑う。

「そんな。ウチの子がテニスだなんて。根気がない子ですからね長続きはしませんから。母親としては気が進みませんわ」

確かにムラっ気があるから辞退したかった。


育成コーチのレッスンが終わりオニイチャンもクラブハウスに戻ってくる。息子は母親の顔を見るなり、

「お母さんテニスは面白いなあ。僕ねこのお兄さんに褒められちゃった。テニス上手だねって。嬉しかったよ。幼稚園のお遊戯みたいだった」

チャコは驚いた。息子が自分の息子がニコニコしている。あれだけ体を動かすことを嫌がり家の中でゴロゴロしていたデブ息子が。運動で笑顔を見せている。


いつも同じ家の中にいても姑が自分の部屋に連れていくから息子の様子を知らなかったと考えさせられた。見ているようで見てはいない。

「オニイチャン。テニス面白い?今ねテニスクラブいかがですかと言われているの。入会手続きをお母さんがしようかと考えているんだけどね」

長続きしないなら息子は入会しないがいいだろうとチャコは考えたのだ。


汗を拭きながら後からやってきた育成コーチは、

「お母さん。息子さんは才能があります。ちょっと僕に預けさせてもらえませんか。いろいろなジュニアを見ているけど初日からあれだけ打つ園児は始めて見たんです。ぜひ僕に育成を任せてもらえませんか。なにか差し触りがありましたらクラブとしてはできる限りのバックアップ体勢を取らせてもらいますよ」

育成コーチの耳にはあの園児の打球音がまだまだ新鮮に残っていた。


母親チャコは困ってしまう。

「とりあえずはウチの人とも相談してから決めさせてください。いえね根気があまりない子に育ててしまいましたからテニスも長続きしないんじゃあないかと思います」

チャコは丁寧にお礼をしてクラブを後にする。

「お母さん。僕テニスやりたいよ。長続きするからさやりたいな」


夜は家族会議が開かれた。

「へぇ!オニイチャンにテニスねぇ。そんな才能があるんか。しかも園児からわかるとはなあ」

血筋としては剣道と長刀の格闘技が合っていそうだった。

「父親の俺もテニス部はテニスだけど。正直うまくはなかった、アッハハ」

旦那はテニス大会に出た経験がほとんどないくらい。正選手になることがなく万年補欠だった。

「あんなことなら長刀でも男でやればよかったぞ」


祖母は会議に出て、

「孫に才能があるとわかったなら伸ばしてやりたいね。お前たちは賛成かい。私は賛成だよ。なんせ好きな道をつき進むのは最高の贅沢だからね。さあオニイチャン、テニスとやらをオバアチャンにも教えておくれ」

孫の頭を撫でながら賛成を言う。これで孫のテニス入会が決まり。ついでにテニスクラブの送り迎えは全部祖母がやってくれることになった。


クラブ入会手続きは孫と祖母が直接行う。クラブでは育成コーチが対応してくれた。

「そうですか入会してくれますか。僕は一生懸命教えます。頑張って上手になりましょうオニイチャン」

育成コーチは嬉しかった。今後この園児がどこまで伸びるかその成長がはかりしれないからだった。


さっそくその場でラケットからシューズとテニス用品を買い求めた。

「クラブの気持ちとしてラケットは提供(無料)させてもらいます。将来のウィンブルドン選手は常に最新ラケットを使って貰いたいからです。契約ラケットはダンロップになります」

園児の前に真新しいダンロップが置かれた。

「ワアッこれ僕のラケットなの。カラフルでかっこいいなあ」

ラケットのコマーシャルには中村藍子がチョコンとついていた。園児は自分のものになるという喜びが強く目をギラギラと輝かせていた。

「オバアチャン僕も一人前のテニス選手になった気分だエヘへ」

孫はダンロップを握りしめて喜びを現した。

「そうだね。立派なラケットをいただいて」

祖母としてもこの辺りで孫がどんな立場になっているか薄々気がついてくる。

「そんなにも孫はクラブに期待をされているのかい」

なぎなたの師匠から見たらテニスなんてなんとも頼りのないような球遊び程度にしか写らなかった。

「まったくの球遊びだね。ポンと打ち上げたらポンと返ってくるだけさ」

だから何が楽しいのかいという話だった。まだなぎで相手を威圧したり力と技で脅した方が数倍も面白いと思っていた。

「ではさっそくレッスンをいたしましょう。園児のクラスは今ね5人いらっしゃります。皆さんお上手ですからオニイチャンも負けないように頑張ってね」

孫は育成コーチから頭を撫でられたらコックリと頷く。


レッスンが開始したら祖母はコートサイドに陣取る。園児達の父兄がいる観客席に。

「あれ?師匠さん。師匠さんではないですか」

5〜6人いた父兄になぎなたのお弟子さんがいらっしゃった。

「へぇお師匠さんのお孫さんがテニスですか。そうそう孫娘さんがなぎなたでしたね」

一気に祖母は話題の主になる。まあ面白くもないテニスレッスンを見るよりは楽しかった。


孫のテニスレッスンは育成コーチがオリジナルのプラクティスを考案して実践をしていた。

「お師匠さん。あの育成コーチね有名な方だそうですよ。なんでも全日本の優勝者だそうです」

全日本と聞いてちょっと気になる師匠さんだった。

「球遊びの全日本かい。大したことはないでしょうに」

まだなぎの全日本の方が権威があり難しいと考えていた。

「全日本を優勝してこれから世界のテニスに出て行こうとした時に肩を傷めたそうです。ラケットが握れないくらいになって手術。なんとかリハビリをこなしてカンバックをはかったんだそうですがダメ」

カンバックはならなかった。再度全日本にトライをするがその予選すら勝てないレベルになっていた。

「全日本を優勝してこれから世界のテニスに出て行こうとした時に肩を傷めたそうです。ラケットが握れないくらいになって手術をするわけです。この手術に至るまでが長く悩んで余計に傷を広げてしまうらしいんですよ」

なんとかリハビリをこなしてカンバックをはかったんがダメだった。

「努力をしたがカンバックはならなかったんですね。肩を治し全日本の予選からトライしたそうですけどね」

試合の勘はどうしても戻ってこないまま敗れてしまう。予選敗退という事実は優勝者であるプライドを深く傷つけた。


それからは引退を視野に入れ現役生活を送るが。

「まったく勝てない選手は実業団からもいらないとされそのまま首ですよ。そうそう首になってニューヨークに飛んだのかな。このニューヨークテニスクラブのオーナーが実懇だからと呼び寄せたのかな」

ニューヨークテニスクラブに逃げてきてからは現役をスッパリと辞めた。これからは指導者としてコーチの道を歩む決心をする。24〜25歳の若い決断であった。長い人生の第1の転機となった。

「なるほど。育成コーチは若い割には苦労をなさっているんですね」

コーチとしてはテニスレッスンは当初クラブの全クラスを受け持ち臨時補助でやっていた。そのうちに好きなクラスがジュニアだとわかる。

「育成コーチが言うにはジュニアを育成して将来自分の絶たれた道を歩ませてやりたいだそうですよ」

すでに日本には彼女もいて収入が安定したら結婚もしたいと人生設計もあった。


オニイチャンのレッスンは育成コーチのカリキュラムの通りに毎回確実に進んでいく。面白いテニスだと生徒の園児たちは喜んで毎回参加をしていた。


一方父兄の席ではお師匠さんを取り囲んで日本文化や武芸などに話の花が咲きそれなりに盛り上がった。

「私はテニスはあまり好きじゃあないが観客席でのあの討論は面白いねぇ。毎回孫についてテニスクラブに行くのが楽しみになったよ」


時間は流れオニイチャンがレッスンを受けて半年となった。園児は少しだが体格が成長をしてどうにか大人用のラケットを握れるくらいになる。

「今の使用の子供用ラケットはあくまでレッスンのために使っていく。試合となったらちゃんとしたラケットを持たせないといけないからさ。ハードヒットはラージラケットの特権さ」


さあオニイチャン。新たにダンロップラケットを握り育成コーチの球出しを受ける。

「よーし来い。ちゃんと打ち返してみせる」

顔つきを変えて真剣にボールを睨みラケットを構えた。コーチが球を出すと、


パッコーン!


コートいっぱいに快音が響き渡る。ジャストミートだった。

「よしうまく打てたな」

次の園児に交代する。が他の園児はそれほどでもなく快音は聞かれなかった。


この園児達のレッスンをお師匠は見逃しはしなかった。

「おやっ孫だけ音がいいじゃあありませんか」

コートの上には新しいダンロップラケットを熱心に素振りする孫の姿があった。


ここからである。育成コーチはオニイチャンだけ特に目をかけてくれるようになる。園児であれど小学の学童並のレッスンを課すことも幾度かあった。


そこで。


「オニイチャン来週から小学クラスに転入してもらうよいいかい。小学はちょっときついかもしれないがオニイチャンならやっていけないこともないさ。コーチは僕だしね。もうレベルが違うからさ」

オニイチャンはわかりましたと大きく頷いた。クルリと回り観客席の祖母に喜んで走っていく。

「オバアチャン聞いて聞いて。エヘヘ僕さあ」

目をキラキラさせてワンランク上のアップを報告した。祖母はよしよしと笑顔を見せて孫の頭を撫でてやる。

「偉いねオニイチャン」

シロウトの祖母が見ていても孫のあのストロークは園児じゃあないなあと感じていた矢先のことだった。


「エッ園児クラスから小学クラスにあがった?オニイチャンはやり始めてまだ半年足らずですよ」

母のチャコは驚きの様子だった。


旦那は旦那でなかなかやるわいな我が息子は。と鼻が高いところであった。

「小学クラスになったのか。いつのまにそんなにうまくなったのかな。天性の才能かなアッハハ。どうだちょっと俺と打ってみるかオニイチャン」

万年補欠の父親は日曜に息子とテニスをやることにした。何年振りのラケットスイングかというところ。


日曜は息子と仲良くテニスクラブに出かける。クラブハウスに支配人がいて旦那に挨拶をしてくる。

「はじめまして。お父さんにお目にかかるのは初ですね。息子さんたいしたもんですなあ。ウチの育成コーチはすっかり息子さんの才能に惚れてしまいました。このままスクスクと成長してもらいたいですね」

育成コーチの名前を支配人から旦那は始めて聞いた。

「うん?その名前どちらかで聞いたことがありますね。どこだったかな」

3年前の全日本の優勝者と知ると、

「全日本の優勝選手ですか。ええっ!あの選手が今このニューヨークにいるんですか。なんでまたこんなところまで」

なぜいるのかはわからないが選手名は全日本でわかった。そうそう怪我をして知らない間に消えてしまった選手の名だった。

「というと我が息子は大変なコーチにレッスンを受けているということなのか。こりゃあひょっとするとひょっとだぞ」

旦那は頭の中をウィンブルドンがよぎった。ちょっと冷静になって全日本の有明コロシアムがボンヤリと浮かんで来た。


クラブでレンタルコートをし息子と軽く打ってみる。息子はガッチリと構えいかにもうまく打つテニスプレーヤーだった。


父親は息子とミニテニスから始めてストロークに移行した。

「驚いたな。我が息子はうまくなっている。ボールに力があるしコントロールが正確だ」

父親の打ちやすいポイントに繰り返し打つ。しかもコントロールはまったく苦にならない。

「恐れ入りましたオニイチャン。うまくなったなあ。お父さんはもう勝てないや。しかし園児の時から勝てないとは。俺本当にテニス部だったんか」

父親はちょっとがっかり。


息子に休もうと言ってコートサイドにジュースを買いに行く。売店までの途中にクラブハウスがある。前を通っていくとおやおや中でなにか揉めている声が聞こえる。

「なんだろ大声を出して」


クラブハウスには園児クラスの父兄が怒鳴りこんでいた。なんでもニューヨークで渉外弁護をする30台後半の男だった。

「面白くないですなあ。ウチのボウズ(園児クラス)は真面目にテニスをやっているというのに。後から後から入ってきたよそ様の子供はどんどんアドバンス(上級)クラスにいかされるなんて」

どうやらオニイチャンが園児クラスから小学クラスにあがったことが面白くない口調だった。

「いえね息子がクラブから帰ってきて泣くんですよ。僕はいつも同じクラスのままだと。だからどんなクラス別けをしていらっしゃるか見に来たわけです。支配人さんは簡単に実力でとかおっしゃるけどそんな園児程度でなにがわかるというのでしょうか。そんな生まれて4〜5年の子供の実力だなんて」

渉外弁護士は怒りが収まらない。さらには興奮の口調が激しくなり育成コーチの教育方針がまずいのではないかとまで言い出してしまう。

「ちょっと待ってくださいお父さん。お言葉ですが」

それまで黙って聞いていた支配人が反論に出た。

「それは言い過ぎですね。ウチのコーチはあれこれと言われるようなレッスンはしておりませんよ。育成コーチは確かに若いから時に誤ることをされるかもしれない。だが彼は彼なりに研究してジュニアの育成に熱を入れてくれております。その証拠にジュニアテニスでウチのクラブから全米ジュニアテニスにベスト8まで勝ち進んだ子までいますからね」

このベスト8は日本人会会報にデッカク掲載されていた。


渉外弁護士はどうにもこうにも自分の息子だけ高く評価されないことが納得できない。

「ベスト8ねぇ」

ならウチのボウズもそうさせてくれと言いたい顔だった。


旦那はジュースを買い求め渉外弁護士の父親の話をジッと聞く。

「おいおい。親はあんなに熱心にならないといけないのかい。この世界は」

買い求めたジュースをグイグイ飲むデブな息子を改めて眺めてみた。時は流れてオニイチャンは小学4年10歳となった。この年齢から全米ジュニア(10歳)テニス大会に出場可能となる。


育成コーチはかねてから付き合っていた彼女と結婚しひとりの子持ちとなった。

「ええお陰さまで僕も父親になりました。まだ息子は小さいですからねテニスを教えるまでかなり時間はあります。それまではクラブのジュニア達にしっかり頑張って貰いたい」

父親になり子供の気持ちがより一層わかるようになったらしい。


ニューヨークテニスクラブはジュニア育成にかなり実績をあげていた。


18歳以下クラス(18歳16歳14歳〜10歳)で全米ジュニアテニス選手権に選手を送り込みベスト8から優勝者まで輩出させるまでになっていた。功績は育成コーチの賜だと言えた。


母親チャコ。小学4年の息子から、

「お母さん僕さあ2週間後、ニューヨークである全米ジュニアテニス選手権の予選大会に出場するよ。今日ね育成コーチから言われたんだ」

いよいよオニイチャンのテニスの試合デビューとなる。


育成コーチはジュニアテニス選手権(18歳〜10歳)をどうみていたか。

「僕個人としては優勝させるつもりで出場させています。だからオニイチャンの予選出場もすでに実力があると認めましたから出してやろうと思ったんです。後2週間はみっちりとレッスンして予選突破さらには本戦勝ち進みを目標にしていきたいですね」


育成コーチの目が変わりオニイチャンは毎日猛特訓を受ける。レッスン内容は全て実践形式になる。なんと育成コーチと真剣そのもので試合をしていたのだ。元全日本チャンピオンは力いっぱいサーブを打ち込み小学4年が取れるか取れないかのスピードをいくらでも打っていた。

「うん。早いサーブは慣れたら怖くないや」

小学4年は平気な顔をして元全日本チャンピオンのサーブをレシーブしてしまう。後は正確なストロークとひたすら駆け回るフットワーク。受け手としてのテニスは目を見張るものがあった。

「サーブレシーブがうまいよオニイチャンは。シングルよりダブルスに出してやりたいくらいさ。しかし俺30越えたらサーブが遅くなってしまったのか。いとも簡単に小学にリターンされちゃうぞ」


問題は攻撃面だった。テニスそのものはともすると優しい性格は役に立たないと言われている。相手の嫌がるコースをひたすら狙う選手が勝てるスポーツかもしれない。


オニイチャンはおっとりタイプだったからこの相手が嫌がるコースを突くができない。だから正攻法でストロークを交し相手のミスを待つことが多くあった。それを育成コーチは歯痒い思いでみる。

「ストローク合戦はなるべく避けたい。あんなまともに打ち合っては疲れるだけだ。ストレートとクロスをうまく打ち分け相手を走らせたらベストだ。しかしなあ」

この戦法が相手の嫌がるでありオニイチャンにはまったくやる素振りさえみせない。

「何度か教えてやるんだけど。できない性格らしい」

いいとこのお坊っちゃんだからやりたいとは思わないらしい。


そして2週間が過ぎオニイチャンは全米ジュニアテニス選手権予選に挑む。予選は2回勝ち進みで本戦となる。


「お母さんいよいよ試合だ。緊張するなあ僕。怖いなあどうしょうかなあ」

オニイチャンは前夜珍しく母親に弱音を吐いた。


小学4年10歳のテニスプレーヤーはこれから出会う幾多かの対戦相手の怖さと一晩闘うことになる。しかしまだ小学4年であった。


母親チャコは息子を風呂に入れ寝巻きを着せてやると、

「オニイチャン明日は頑張ってちょうだい」

大きくなった我が息子を改めて見上げ同じ布団に入る。チャコは母親という立場となぎなたの勝負師という面から息子を見た。

「試合というものは勝ち負けが必ずあるもの。その勝ちは相手に勝つことも当然ですけど自分に勝つといういたって当たり前なことも忘れてはいけないわ」

息子はしっかりと母親の手を握りしめスヤスヤと寝息を立てて寝つく。安心した寝顔はこれから始まる闘いをまったく予見しないものだった。

「こんな歳から勝負をするなんて。産んだ時にはまったく考えてもみなかったわ」

スヤスヤ寝息の息子の前髪を2〜3回撫であげる。母親は布団から出た。もう母親がいらない歳だろうとふと思った瞬間だった。


全米ジュニアテニス選手権予選。昼からオニイチャンは試合に入る。観客席には育成コーチと祖母そして母親チャコがいた。

「お母さんオニイチャンは予選ぐらい簡単に勝ち上がりますよ。この予選2試合は心配はしておりませんから」

盛んにチャコと祖母はなだめてもらう。


予選試合は始まった。対戦相手はメキシコの11歳。オニイチャンと比べると背が高く足が早い雰囲気だった。

「足がありますからねストローク合戦になったら負けるかもしれない。だがその前に」

育成コーチは試合前のアドバイスを子供に入念に行う。オニイチャンはうんうんと頷き時折にっこりと微笑んだ。

「オニイチャンのサーブは速いから打ち返せないよ」

メキシコのサーブから始まった。ヒョロとした体格からはさほど速いサーブは打ち込みはされなかった。レシーブは易々と行われ気がついたら簡単にブレイクをしていた。

「相手はあんまりうまくありませんね。この試合貰いましょ」

オニイチャンのサーブは矢のごとくコートに突きささりアッと言う間に6-0、6-0勝利する。嬉しい嬉しい公式戦初勝利だった。

「チャコさん嬉しいわね。オニイチャンが、孫が勝ちましたわ」

チャコと姑はガッチリ握手をする。予選とは言え全米ジュニアだから。

「お母さん、オバチャン勝ったよ!僕なかなかよかったでしょう」

太った小学は観客席でにっこり微笑んだ。試合が済み母親からおにぎりを貰いぱくつく。

「次は第4試合ね。オニイチャン頑張って。これに勝つと本戦入り。あたしゃあ心臓が踊ってしまうよ」

オバアチャンは孫の晴れ姿に満足していた。


予選2試合目。対戦相手はベネズエラの11歳選手だった。背丈はあまり大きくはなかった。

「このベネズエラは試合を見ていたんだけどね。特徴は足が早い。日本の軟式テニス見たいなプレーヤーだな。ただしサーブは強くはない。とにかく拾いまくるからなあ要注意だ」

育成コーチはことこまかに指示を与える。肩を抱かれヒソヒソとアドバイスをする。小学のテニスプレーヤーはジッと一点を見つめて育成コーチの言葉に頷き自信をつける。

「よしわかったね。大丈夫だオニイチャンはサーブが早いから打ち返せないさ。自信を持って行こう」


試合は始まった。ベネズエラはコーチの言葉の通り走りに走り拾いまくる。ストロークが正確さを欠くため減点を重ねてくれた。要は自滅のテニスだった。

「チャコさん。この試合もいただきでしょう。あの相手はもう顔が真っ赤。心ここにあらずですわ」

試合としてはバンバン打ち合ってはいるが細かいコントロールは大差がある。最後はオニイチャンのサーブでバシッと決めた。6-2、6-3。


おめでとう本戦入りだ。


「キャアやりました」

観客席のチャコとオバアチャンは大喜び。


全米ジュニアテニス選手権出場は日本人会会報に掲載(写真入り)されすぐに知れわたる。


なぎなた道場ではもっぱらテニスの話題で持ちきり。

「お師匠さんおめでとう。息子さんすごいね。全米ジュニアでしょう」

言われた母親チャコとしては悪い気持ちではなかった。

「ええありがとうございます。でもね勝ち上がれますかね。アメリカ全部から子供が集まってくるんですからね。強い選手ばかりですから」

チャコとしてはなぎなたの選手権を思い出す。高校選手権、大学選手権。年齢の近いトーナメントはなぜかあまり負けるという気持ちがなかった。

「年齢近いと戦い易いのかしら」


テニスクラブ。

育成コーチの激しいゲキが飛ぶ。全米ジュニアテニスの出場はこのクラブから

10歳-2。

12歳-3。

14歳-3。

18歳-2。

全て育成コーチの育てたジュニア選手ばかり。

「僕としては出場するからには優勝してもらいたい」

キッパリと言い切る。大会まで時間がないからレッスンは全て試合形式になる。なんと10歳クラスでも18歳の高校クラスのサーブをガンガン受けさせた。年少のオニイチャンには辛いだろうと思うが、

「いいや。早いサーブは嫌いじゃない。早いとさ燃えるよ。もっとガンガン打って貰いたいな」

平気でレシーブをこなしていた。受けることには天才的なものがあった。


育成コーチは試合形式の中なぜ失敗をするのか同じ過ちを犯すのかを徹底してアドバイス。嫌いなフォーメーションをなるべく無くすことに指導の目を注ぐ。

「時間がないからちょっと残念だけどね。でもこれからどんどん成長するジュニアだから僕が全てを教えていかなくても大丈夫。試合の中、経験を積んでうまくなります。ジュニアみんなの優勝を期待したい」


待ちに待った全米ジュニア選手権開幕する。

10歳-32

12歳-32

14歳-64

16歳-64

18歳-64


ニューヨークテニスクラブからはのべ20人を予選と本戦に送りこんだことになる。このジュニア大会はアメリカで最もレベルの高い大会になる。日本の全日本ジュニアとは比べることができないくらい。下部大会の獲得ポイントで本戦出場資格が与えられた。会場はニューヨークスクエアガーデン。プロテニスが常時使うコート会場だった。

「チャコさん。この会場は凄いわねぇ。大人の試合にはアメリカ大統領もやってくるんでしょう。オニイチャン大したもんだこと」

姑は一瞬、さすが我が孫と思うがグッと呑み込む。母親の前ではあまり言いたくはないセリフだった。


観客席には日本人の姿もかなり見えた。中には観光客もチラホラいた。

「エッ全米ジュニアに日本人も出場しているの?大したもんだねえ」

チャコの後ろから日本語が聞こえた。チャコはクルリと振り返り、

「その日本人は私の息子なんですの。応援お願いします」

と挨拶をした。観光客はなんでしたかという顔をした。


大会はコート4面を使って行われる。育成コーチが全出場選手の進行役に大活躍をする。

「ウチの子供みんな集まって。この大会は4面コートだけ。だから前にある試合の進行によって自分の試合コートがどこになるかちゃんと見ておくように」

各クラスに分かれてはいるが試合は同じコートだから勘違いをする子供が毎回あった。


「お母さんこれが僕の10歳クラスの試合の表だよ」

10歳クラス-32ドローはオニイチャンがちゃんと名前の書き込みがあった。母親チャコはどれどれと手に取り見てみる。

「えっとオニイチャンの名前はと。うん?第1シードの横にあるわ。あれ?エッ、第1シードですって」

第1シード選手は優勝候補の証しだった。全米ジュニアの獲得ポイントが最高位だった。チャコにしたらとんでもなく強い相手に息子は当たったとショックだった。


慌てて育成コーチに聞いてみる。

「すいませんコーチ。第1シード選手と対戦でしょうウチの子は。大丈夫なんですか」

チャコはコーチの顔を盛んに眺めた。コーチはなんだろうかと呑気に構えていた。

「ああそのことですか。ジュニアのランキングはまったく当てにならないですからね。たまたま第1シード選手は金持ちか親がテニスに熱心で数多く試合に出したからポイントが多くなったんでしょう。心配はいりません。オニイチャンのその対戦相手は僕もちゃんと見ています。負ける相手ではないですから心配なさらないでください」

育成コーチの言う通りだった。第1シード選手は名をガリクソン(米)と言った。父親は大リーガーの投手。日本の巨人にも在籍したことがある。ガリクソンの息子だと言うことからいろいろな試合に出場する機会があったらしい。

「ガリクソン投手ですか。野球選手ねぇ」


試合はまもなく始まった。オニイチャンはチャコの作ったオニギリをガブリと食べあげて元気よくコートに向かう。

「相手は第1シードだけどなあ」


コートに入る前に育成コーチから入念なアドバイスを受ける。コーチは対戦相手を100%理解して適切な指示を与えていく。サーブが早い遅い。足が早い遅い。ストロークが正確、不正確。


この場合にコーチからは小細工などは一切言わなかった。最終的なアドバイスに、

「オニイチャンは大丈夫だから勝てるから。自信を持って行け」

と肩をポンと叩いて送り出した。


オニイチャンは自信を持ってコートに立つ。グルリと回りを見渡しニューヨークスクエアガーデンのコートはなんて爽快で綺麗なんだろかとまず思った。そこに集まっての満員の観客。ニューヨークのテニス好きなファンが大挙して観戦にやってきてくれた。

「と言ったって僕だけを見にきたわけでないからなあ、アッハハ」

プレーヤーズベンチに腰掛けながらオニイチャンはひとり笑う。この笑いから緊張がほどけリラックスできた。


試合は始まった。コイントスでガリクソンはサーブを選択した。

「コーチの話だとサーブは早くない。丹念にコースをついてくるだな」

その通り並程度のサーブがコーナーコーナー目がけて打ち分けられていく。

「ちょっと変則だけど慣れたら打ちやすい」

最初のサーブゲームでだいたいの球筋を読んだ。後はひたすらストロークを繰り出すだけだった。コートサイドの育成コーチは、

「よし相手の癖を読んだらまずは負けることはない」

小さく拳を握りしめた。


第1セットは6-4で取る。まったく危なげない試合だった。観戦席のチャコもホッと安心をする。

「なんだといっても第1シード選手ですからね。オニイチャンはコテンパンにやられちゃうのかとヒヤヒヤしたわ」

チャコ応援で喉がカラカラになる。手元にある水筒のお茶をゴックンて飲む。さらに目がオニギリに行く。

「あらっお腹が減っちゃったわ」

息子のためにあったオニギリをパクパクしてしまう。タラコの味は大変おいしかった。オニイチャンの好物はここで母親チャコが全部食べてしまった。

「試合が終わったらオニイチャンにハンバーガーを買えばいいわ」


第2セット始まる。

ガリクソンは完全にリズムを崩し、ただ来たボールを打ち返すだけとなった。こうなると勝ちは見えたも同然だった。


ゲームは4-2とリードしたところでトラブルが発生した。オニイチャンのお腹がゴロとなった。

「アチャアお腹が」

試合途中だがインジュアリータイムを取る。トイレに駆け込みだった。

「あれ?息子は大丈夫かしら」

オニギリを全部食べてしまったチャコは心配顔だった。観客にはインジュアリーの説明がなされていない。


しばらくしてオニイチャンはコートアウトから元気に戻る。


いや元気がちょっと怪しいかった。インジュアリータイム以後動きに精彩を欠くシーンがいくらか見られていく。スコアもジリジリと追い上げられる。気がつくとタイブレーク6-6までなった。

「悔しいや。お腹がおかしくなってから力が入いんない。踏ん張りが効かない」

コートサイドの育成コーチも心配だった。

「予期せぬ出来事は常にスポーツにはあるとは言うが。試合をしているのは子供なんだから」

小学のテニスプレーヤーは顔色が悪く今にも倒れそうな雰囲気だった。場内もその様子を察知してザワメキが起こる。堪らなくなりコーチはタイムをかける。右手を颯とあげた。

「審判!ドクターを呼んでください」


呼ばれたドクターは顔色とお腹の様子から神経性疲労だと判断する。試合のために極度の緊張がまずは原因だった。


休憩を執り顔色が少し回復したところでレフリーは試合再開を告げる。これまた極度の緊張を強いられるタイブレークからだった。

「オニイチャン大丈夫かしら。ベンチの上の様子しかわからないけど。お医者さんを呼んでいたわね。何かあったんだわ」

母親チャコは我が子の異変も想像でしかわからない様子だ。


タイブレークは始まった。ガリクソンは相手は病み上がりだと思いガンガン打ってくる。畳み掛けの攻撃とはこういうものの見本のようだった。

「あらまあ。ガリクソンが息を吹き返すとは。危ないなあ。やられちゃうかな」

コーチはヤキモキして戦況を見つめる。タイブレーク4-6。危ない!


ここからオニイチャンは精神を統一させる。後がない崖っぷち。

「負けるのは嫌だ。こんなことぐらいでヘコタレてたまるか」

まずはサービスエースで5-6に。

「まだピンチだ。このリターンを必ず返すんだ」

目が鋭く光る。


獲物を狙って飛ぶ鷹のごとくキラリと光る。リターンは見事にエースになった。ダウンザラインの深いポイントに見事に打球は掃かれていった。ガリクソンは一歩も動けないまま見送る。ダウンザラインは大人のプロでもまず打てない打球。カウントは6-6。やっと追い付く。ここで安心していてはいけない。リードしなくては勝てない。


観客席は固唾を呑み一進一退を繰り返す日本とアメリカに注目をする。

「チャコさん教えておくれ。孫は勝っているのかい?負けているのかい」

タイブレークのスコアの数え方がイマイチわかりずらいところであった。


チャコと姑がゴソゴソやっている間に7-6。

「お義理母様。オニイチャンがリードいたしました」

後1ポイント取れば勝ちである。

「よしサービスだ。一発で決めてやる」

ダンロップラケットは軽くポンとボールをバウンドさせた。


トスアップをしてボールが落ちてくる。鋭くダンロップが振り切られた。


バシッ!


アッ。残念だネットにかかる。セカンドサービスになる。

「セカンドでも構わない。エースを狙って行け」

同じ軌道でボールはトスされた。ただトスアップが気持ち高い。


バシッ!


目が覚めた。サービスはインサイドラインギリギリに入ってエースになった。


おめでとう。1回戦の勝利の瞬間だ。


観客はアメリカ人の敗北を認め全員感激の拍手をする。オニイチャンは嬉しい全米ジュニアの勝利者となった。この1勝のお陰でジュニアランキングのポイントが加算されランカーの仲間入りしたことになる。


観客席にいた母親チャコは拍手の中スクッと立ち上がり回りに深いお礼をした。

「ありがとうございました。ありがとうございました。皆さまの応援で息子は勝つことができました」

隣の姑、気丈夫なオバアチャンもハンカチで目を覆う。

「私はなぎで全日本。孫はテニスで全米。そう考えたら偉大な孫ですわ。大したもの」


さて次は2回戦だ。ジュニアの試合は1日に2試合組まれることも珍しくなかった。オニイチャンはナイトセッションラストに組み込まれた。


「お母さん。お腹減っちゃった。オニギリちょうだい」

試合が終わったばかりの息子はスクッと手を出す。

「あらっ」

母親チャコどうしましょうとなる。チャコがオニギリ全部食べてしまった。ナイトセッションのためにじゃあハンバーガーで我慢とはいかない。動物性蛋白質とオニギリのたんすい化物とでは栄養の点ではお話にならない。

「困ったなあオニイチャン。お母さんがオニギリ全部食べてしまったわ」

ニューヨークスクエアガーデンには日本人向けのショップがなかった。

「ヤダア!僕オニギリ食べたい」

こんなところで我が儘が発揮された。


親子の会話を聞いていた姑。なんですかはしたないとちょっと嫌な顔をする。

「チャコさん。オニギリぐらいのことでなんですか」

姑はチャコから携帯を借り電話をする。

「私のなぎのお弟子さん。和食レストラン経営の方がいらっしゃいましてよ。アッもしもし。なぎなたの」

和食レストランにオニギリを含むお弁当を注文する。

「ナイトセッションは何時でしたか?では夕方にウチの息子が取りに向かいますから。ハイハイ家族5人です。よろしくお願いします」

と言った感じだ。夕方には旦那が妹を小学校に迎えに行きついでに和食レストランに寄ってもらう。なかなか要領がよろしいようで。話を聞いたオニイチャンは、

「うんわかった。和食レストランのお弁当おいしかったから僕楽しみだよ。早くお父さんこないかなあ」

我が儘は収まった。単純な話。ただチャコだけはへこんでしまった。


2回戦はスェーデンの選手。名をボルグと言った。

「ボルグ?スェーデンの。ひょっとしてあのボルグの息子さん?」

その通り。1976〜1980とウィンブルドン5連覇した伝説のチャンピオンはビョンボルグの息子が勝ちあがってきた。

「僕ボルグ知ってるよ。コーチが見せてくれたDVDにウィンブルドンがあったから。マッケンローと決勝やっていたなあ」

そのマッケンローの息子もジュニア選手権に参加をしていた。ドローの関係では当たるのではないかと囁かれたぐらいだった。


育成コーチがオニイチャンにアドバイスをする。

「なんか凄いのが出て来たね。ビョンボルグ息子だって。ボルグはねテニスプレーヤーズの神様だからね。だけど神様は父だけであり息子は無関係(笑)」


※実際のボルグ息子はコルグボルグ(1982年生まれ)スェーデン国内テニス選手権では参加していたとテニスマガジンで見たことがある。しかし国際レベルはとなるとあまり名を聞かれない。


ナイトセッションの時刻が近くなる。旦那は娘を小学校から連れ和食レストランでお弁当をごっそりもらって観客席に来た。

「やあ遅くなって悪い悪い。エッ、チャコ。オニイチャンが1回戦を勝ったんだって。凄いなあ。これで世界ジュニアランキング入りなんだろ」

たった10歳で世界ランキングに入ってしまうとは。我が子は大したもんだと尊敬する。


お弁当が届くと家族5人で仲良くお食事です。

「おやっお弁当ね張り切って作っていただけましたね。日の丸の旗がついていますよ。私の好きな南瓜のゴロ煮とキンピラさん。まあサービスしてもらいましたね」

お弁当の包み紙には手紙が添えられていた。

「お師匠さま。お孫さんの健闘を祈っています。頑張れ!ニッポン」

姑は手紙を孫に見せてみる。

「頑張れ!ニッポンか。エヘヘ。まだ見たことない日本のために僕頑張ってみるか」

ご飯に立てられた小さな日の丸旗が意地らしく見えた。


「しかしよりによってビョンボルグの息子さんとやるなんて。まるで夢みたいだな。父親のビョンボルグの姿は今でもはっきり記憶しているからさ。正直憧れた選手のひとりだからね」

ニューヨークスクエアガーデンの観客も同様だった。ジュニアの2回戦ぐらいの試合ではあるが満員になってくる。そのボルグジュニアの横第2コートにはジョンマッケンローの息子が登場していた。

「ヒャアー夢だなあ。なんだろこの組み合わせとは。マッケンローがボルグがみたらどんな感想を言うかな」

第2コートのマッケンローは右利きだった。


ニューヨークスクエアガーデンは熱気に包み込まれ大変な盛り上がりになる。本日2回戦ボルグジュニアとマッケンロージュニアが勝つと明日は1981年以来のボルグマッケンローの組み合わせが期せず見えることになるからだ。地元のテニスマガジンは両者の特集記事を決定し盛んに写真を撮る。

「明日ボルグマッケンロー?というとオニイチャンは負けるということか。あかんあかん。負けてはならんぞ。フレ〜フレ〜」

ニューヨークスクエアガーデン熱気に包まれいよいよオニイチャンとボルグジュニアの対戦が始まる。


場内は観客が溢れてくる。その観客席にはどこからか日本人が集まり始めた。

「皆さん会報や口コミで応援に来てくれたんですよ。チャコさん二人して皆さんに応援のお礼をいたしましょうか」

姑はチャコの肩を叩いて後ろ座席から頭を下げて歩く。

「お師匠さん!孫頑張ってやあ。応援しているぜ。いやあワクワクするなあ」

なぎなた師匠の孫、息子が全米ジュニアを戦うことは日本人会会報に掲載されていた。さらに対戦相手は将来世界でも通用するレベルだと宣伝されていた。当然勝てば世界にも通用することの証拠。今までもジュニアは多少全米ジュニアに参加をしていたが優勝はなかなかできないがこのジュニアは期待がかかるとも宣伝だった。

「あの師匠の孫で新しい師匠(チャコ)の息子だろう。いっちゃあなんだが勝ちに対する執念はかなりじゃあないか。負けず嫌いとか言うものを超越していたりしてさ。そりゃあ期待されるさ、なあ」


チャコと姑が日本人応援席を挨拶して回るうちに場内アナウンスが流れた。

「お義理母さんいよいよ始まるようですわ」


ニューヨークスクエアガーデン。満員の観客が拍手をする。日本人とスェーデンのボルグが勇ましく入場した。

「おおっ、ボルグに似てんなあ」

観客はざわめく。かつての名選手の父親そっくりな息子(11歳)がちょこんと登場をした。


育成コーチはオニイチャンを呼び最後のアドバイスを耳うちする。コーチはちゃんとボルグの試合を見て欠点と長所を的確に調べる。ストローカーかサーブ&ボレーヤーか。試合の組み立てはどうするか。10歳の子供にはなるべくわかりやすい言葉で伝えてやる。

「ストローカーだぞ。打ちあったら負ける。左右に振る。走らせるんだ」

左右と聞きわかりましたとコックンと頷く。となるとオニイチャン得意のダウンザラインをバンバン打ち込めとなる。

「ストレートのダウンザラインは大好きさ」

グイッと手元のダンロップを握り直す。コートに立つとなぜかやりやすい相手ではないかと自然に感じられてくる。サーブは早くなくストロークも目に見えて早いわけでなし。

「が油断は禁物。世界の選手にはなにがあるかわからないのが常だから」

育成コーチは心配顔ながらコートを見つめる。


コイントスはボルグが権利しサーブを取る。

「よしこいボルグ!」

オニイチャンは集中を高め試合に没頭する。


バシッ!

観衆注目のボルグサーブは放たれた。あまり早くないからと軽くレシーブをしたら、

「ウッ、痛ァ〜」

サーブにはかなりの重さがありラケットに共鳴をしてしまう。物理的に振動が起こり手に痺れが伝わる。思わずラケットを手放してしまった。


ラケットが弾かれたと場内はざわめく。世界のジュニアは違うとまざまざと見せつけた瞬間だ。


すかさずインジュアリーを取る。右手にきた痺れがまったく取れないためだった。ドクターが呼ばれる。

「まったく今日は医者がよく来る日だ」

右手を振りながらドクターを待った。会場はざわめく。

「なんだい今の?オニイチャンはラケットが弾かれたのかい。どうしたんだい」

オバアサンは呆気に取られた。たかだか子供の球遊びがという気持ちがまたふつふつと沸いてきた。

「お母さんこの全米クラスになるとサーブも凄いよ。ウチのオニイチャンだってかなりのサーブだからどっこいどっこいだろうけど」

父親と祖母は遠くから心配した。


一方母親チャコは居ても立ってもとコーチに頼み行く。今治療する息子のところに行かせてと頼む。

「あっ、お母さんそれはできない。選手がコートに入ってしまえばコーチの僕でさえも入っていけない。ルールはルールなんです」

チャコは重い気持ちになった。目の前の我が子に手を差し出せないとは。

「せめては。うんせめてはオニイチャンのベンチの後ろに座ることぐらいかな。ちょっと頼みましょうか。なんとかなるかもしれないから」

コーチは観客誘導の学生に携帯椅子を使わせて欲しいと頼む。

「お母さん。この携帯椅子を持って息子さんの後ろに」

チャコはありがとうありがとうと頭を下げて前に進んだ。息子のいる真後ろに椅子を置く。

「オニイチャンオニイチャン大丈夫かい?」

チャコは後ろから息子を呼ぶ。治療の息子は日本語を聞いてクルッと振り向く。あっお母さんと気がつく。しかし試合中は他人とは話をしてはいけないルールだから目を合わせて、

「大丈夫だよ」

と言うだけだった。


ドクターの治療は終わった。オニイチャンはしっかりダンロップを握り素振りをする。

「重いサーブはわかった。球がずっしりと来ることはわかった。後はどうリターンするかだ。受けてやるぜ」

ゆっくりコートに入ってレシーブ態勢になる。ダンロップはしっかりと両手でグリップされていた。

「さあ来いボルグ」


ボルグのサーブが始まる。


バシッ!

いかにも重い鈍い音が響き渡る。

が、レシーブは軽く返しネットを越えた。観客は一様にわぁーと騒いだ。

「あのジャパニーズがボルグサーブを返したぞ。ビヨンの息子のサーブを」

一度返したら後のストロークはオニイチャンのモノだった。鋭い打球が右左と面白いように打ち分けられた。まるで絵に描かれたようなテニスだった。ボルグは肩で息をするくらい走らされた。

「よしこの勝負貰った。お母さん楽にしてください。負けはしませんから」

母親チャコはオロオロと戦況を見守るばかりだった。何て言われても息子は心配は心配。

「よしサーブさえ切り抜けたら勝てる」

もはや敵ではなかった。

6-4.6-2圧勝だった。

「よーしよくやった」

ニューヨークマジソンスクエアは大歓声に包まれた。


試合が終わったオニイチャンは英雄が凱旋する気分になっていた。コートを離れる際に母親チャコを呼ぶ。チャコはハンカチで目を拭いて前に息子がいることがわからない。

「お母さん僕勝ったよ。世界のボルグに勝ったよ」

チャコは息子を、偉大な息子を力いっぱいに抱きしめた。母親は嬉しかった。泣けて泣けて声が出せなかった。

「お母さん痛いよ。力強いから痛いじゃんか。みっともないから泣かないで。さあ帰って明日に備えよう」


翌日はベスト8だった。対戦相手はマッケンロージュニア(米)。


ボルグジュニアに勝ったことはすぐ日本人会に広まる。そして翌日の試合もナイトセッションだとなると、

「よし応援に行こう。お師匠さんの孫が出るんだから行こう」

恐らくニューヨークに居住する日系はほとんどがマジソンスクエアに集められる。

「オニイチャン凄いことになったわね。さっきねコーチは日本からのテレビのインタビューを受けていたわよ」

オニイチャンのベスト8は日本にもニュースとして伝わる。今やちょっとした名士になった。

「エヘヘ、僕なんか英雄さんだなあ」

日本のテレビニュースには、なぎなたの息子さんがニューヨークでテニス大活躍だと書き込みされていた。


「さてさて大変なお祭りになってしまいましたね。ベスト8は世界の8だとも言えますからね騒いだのも無理はないですよ。全日本ジュニアだったらとっくに優勝決めているぐらいかな」

育成コーチは冷静な判断をする。

「次のジョンマッケンロージュニアは強いですよ。まったく相手にテニスをさせないテクニックを持っている。父親譲りの天性だなあ」

ハードヒットしないとなるとオニイチャンの強烈なサーブは見事な餌食になる可能性があった。

「だから弱るんだなあ。速いサーブが通じないなんて」

マッケンロージュニアの対戦相手はことごとく見事なリターンエースを食らい負けていた。


オニイチャンは夜遅くまでマッケンロージュニアのビデオをコーチに見せてもらう。

「よく見て御覧。決して無駄な動きをしないがマッケンローの特徴だ。強く打たないからミスショットが極端に少ない。父親はフェザータッチと言って柔らかなリストで華麗にショットを繰り出し世界に登りつめたが息子も似てんなあ。正確なショットを打てるのは遺伝なんだろうなあ」

コーチはビデオを繰り返し繰り返し見て欠点をアラを探す。見つけてやらないとオニイチャンに明日の勝ち目はまずはない。

「こんな学童クラスで欠点がないとは。厄介だぞ」

深夜にまで対マッケンロー作戦は練り考えられていく。


ベッドに入ってもコーチは目が冴えて寝つけない。どうにもいいアイデアが浮かんでこないのだ。


翌日のスポーツ新聞には優勝候補はマッケンロージュニアだとデカデカと書いてあった。ジャパニーズがボルグジュニアを倒したから敵はいなくなった。


テニス評論家たちもマッケンロージュニアのあのフェザータッチはまず打ち崩すことはできないであろうとなっていた。

「ケッ評論家が言うのか。どうしても打ち崩せないか悔しいなあ。オニイチャンなんとか最善の打開策を捻ろうや」

朝のミーティングですらまだ具体的な対策がなかった。


育成コーチは10歳クラスのオニイチャンだけを見ているわけでなく12・14・18クラスと子供が参加して勝ち進んでいた。

「10歳クラスは盛り上がり注目だけどね。僕にはかわいい生徒さんが他にもあるからオニイチャンだけに関わっているわけにいかない。まんべんなく指導をしてみんなを優勝に導きたい」

スクエアには4面コートが用意されていたが4面同時に日本の学童選手が試合をする時もあったくらいだった。

「みんなに目が行き届く限りアドバイスをしたい」

育成コーチは試合最中は忙しくコートサイドを跳んで回っていた。


当日の試合はナイトセッション。試合消化の早い18歳クラスから順次夕方スタートをした。コーチは大忙しとなる。

「この18歳クラスから優勝者を出していけばドミノ式に各クラスの士気があがる。僕は学童が出場している限りアドバイスしてやり勝たせてやりたい」

コーチが他の選手のお守に取られたからオニイチャンの試合の具体対策は座礁してしまう。10歳クラスは後ろに回された。


コーチが忙しくしている間にオニイチャンの試合は迫ってきた。観客席にはチャコを先頭に家族全員がいた。旦那は、

「いよいよオニイチャン登場だ。見て御覧よコートサイドを。あのカメラの砲列の凄いこと。ベスト8になると世間の注目もグッとあがる証拠さ。オニイチャンの姿は世界のテニスファンに知らされるんだろうな」

日本を含んで世界に知らされていくであろう。


すぐ場内にオニイチャンとマッケンローの名前がアナウンスされた。観客は待ってましたとざわめく。

「マッケンローはマッケンローだな。相変わらずアメリカの人気プレーヤーだ」

マッケンロージュニアは登場をすると満員の観客に手をあげた。立ちい振る舞いは父親譲りのスターそのもの。10歳にしてすでに父親並のスターの風格が兼ね備わるマッケンロージュニアだった。

「オニイチャンも手を降ればいいのに」

と妹は母親にねだったハンバーガーをぱくつきながらボヤク。


試合前に両者の記念写真が撮られた。

「お互いにダンロップラケット。カメラにラケットがよく見えるように構えてください。マッケンロージュニアもっと前に出て」

ダンロップ専属カメラマンから言われた。オニイチャンは下がりマッケンローを真ん中にして写真撮影だった。

「マッケンローがダンロップの一番有名選手だって?冗談じゃない。僕がいるじゃあないか」

オニイチャンはカメラマンのあまりのマッケンロージュニアびいきにカチンとくる。


まもなくオニイチャンの試合が始まる。が育成コーチはまだコートサイドに姿を見せていない。違うコートでの学童の試合がまだ終らないために動きが取れなかったのだ。

「コーチは来ないのかな。いつもちゃんと試合の前にアドバイスをくれるんだけど」

オニイチャンは不安を感じる。いくら天才プレーヤーと言っても学童は学童だ。観客席からは母親チャコが我が息子の不安な顔を見逃しはしなかった。

「どこか不安な表情だわねぇ。お腹の具合が悪くなったかな。オニギリがなにか当たったかな」

ラケットを振るスイングに元気がないよう母親には見えた。


試合の始まる直前にやっとコーチが姿を見せる。オニイチャンニッコリ!

「コーチ!コーチ!」

試合が始まると選手とコーチは一切接触をしてはならないルール。かろうじて間に合う。

「いやあオニイチャンごめんなさい。遅くなってしまった。じゃあさっそく作戦だ。いいかマッケンローはだなあ」

しっかりコーチに肩を抱き抱えてもらい作戦を授かる。

「あらっ、あの子ったらコーチがいなかったから不安顔だったのかしら」

観客席母親チャコはオペラグラスをしっかり握りしめていた。


試合は始まる。コーチのアドバイスをもらったオニイチャンは顔が柔和になる。不安がなくなっているというところだった。育成コーチはちゃんとコートサイドに座り学童の試合をしっかり見ていく。このコーチが見守るというだけで子供たちは安心をする面がかなりある。


試合はまもなく始まった。マッケンローが強く打たないためにストロークが異様に増えポイントがなかなか取れない感じだった。今まで対戦した相手にはまったくないタイプだった。

「軟弱なテニスに見えるが違う。しっかりとツボを押さえたテニスをしているな。さすがあの悪童マッケンローの息子さんだ。こんなとこでイライラしたりしたらもうおしまいさ。試合にはならないぜ相手の思うツボに嵌る」

いや嵌ってしまったなあ。短気なオニイチャンはイライラが募るばかりだった。


ハードヒットしてもポャーンとした球が"最も"打ちにくいコースに返る。

その度に懸命に走る。これの繰り返しをするだけだった。ネットに走る、ダウンザラインに走る。第1セットの試合だというのにオニイチャンは汗ビッショリ。子供だから息が切れるということまではいかないがかなり疲労は募るところ。

「ちくしょう。ちゃんと打ち合えよ。ガッツ〜ンと打ち合えよ。まったくテニスをやってくれよ」

思わずダンロップラケットを振り上げた。ストレスからコートに叩きつけたくなったのだ。

「アッいかん!やめろラフプレーはいけない」

コートサイドのコーチは大声を張り上げる。緊張の走った瞬間だった。


ラケットを振り上げた手に震えがきた。

「わかった、わかったよ。僕我慢するよ」

イライラの頂点のまま試合は進んで第1セットは4-6で落とす。

「オニイチャン落としたね。かなりイライラが頭にあるみたいだ。なんとか気分転換させてやらないと。第2セットに入ってもあのままズルズルいきそうだ」

旦那は心配をした。コーチはコーチでサイドから心配顔をするだけだった。

「悔しいが見たようにマッケンローの方が上だ。テニスがうまいと確かに思う。対戦相手がイライラしても何をしてもテニスに勝てば問題はないというわけだ」

コーチはグイッと手を握る。悔しさが態度に出てしまった。対応したいがアイデアがなかった。


選手の二人がプレーヤーズベンチに座り休憩を取っている時だった。満員のニューヨークマジソンスクエアが揺れることが起こった。選手もコーチも観客がワアワア騒ぐ方向を見た。


観客席の後方にその人物は現れた。人々の波の中に白い髪が見えた。そして見慣れた顔がニッコリと笑いながらそこに立っていた。期せずしてマジソンスクエアに響き渡る歓声は、

「ジョン!ジョン!」

ジョンマッケンローがそこにいたのだった。

「ジョンマッケンローがいる?どこだい」

旦那は歓声の起こった方向を見る。チャコも騒ぎに誘われ眺めてみた。チャコから見たらジョンマッケンローは、

「マッケンローさんて。今戦っている息子の対戦相手のお父さんね」

母親チャコはいたって冷静であった。ニューヨークのマジソンスクエアガーデン。全米ジュニア選手権の真っ最中ジョンマッケンローは悠然と歓声に応えた。軽く左手を挙げた。満員の観衆は大喜びだった。アメリカの偉大なヒーローの姿に酔いしれた。


マッケンローは手を挙げて歓声に応えながら電光掲示板をみる。息子のスコアはどうなっているかと気になる。

「第1セット取ったところだな、よしよしだ」

さらに笑顔を振り撒いた。


マッケンローは階段を歩んで特別席に向かう。センターコートの真ん前にあった特別貴賓席はマッケンローのために空けてあった。マッケンローは手を挙げたまま席につき観衆の声援に応えていく。着席と同時に歓声はおさまり元の静けさが取り戻される。


特別貴賓席にマッケンローが座るとなにやら大会関係者らしき者がマッケンローに大会の経緯を説明し始めた。

「ミスタージョン。息子さんの対戦相手は日本人です。昨日はボルグジュニアを破りました」

マッケンローはボルグジュニアと聞いて興味を示す。ならばあの日本ジュニアはかなり強いのかと。

「あの対戦相手の日本ジュニアはニューヨーク在住です。母親はなぎなたの師匠(教授)をしています」

マッケンローは当然に"なぎなたとは何か?"聞く。日本の伝統武芸のひとつらしいと答えると、

「伝統なのか。トラディッショナルな武器とはなんだろうか。また日本にいる忍者とか将軍とか言うんではないだろうな」

なんでしたら直接聞いて見ますか?母親はほらっあの日本人ばかりの輪の中にいます。


その話の流れから母親チャコは大会関係者から呼び出しがかかる。

「誠に申し訳ありません。なぎなたのお師匠さまチャコさまでございますね。ジョンマッケンローさまからお言付けがございます。是非お会いしたいと申しております」


マジソンスクエアガーデンの特別貴賓席。ジョンマッケンローは取り巻き連中と和気あいあいに談笑をする。時折手振り身振りでコートにいる息子のプレーを解説しているようであった。

「我が息子は大したもんさ。俺の小中学生ジュニア時代なんざちっとも勝てないガキだった、アッハハ」

父親マッケンローが爆発するのは大学時代。全米大学選手権を大学3年で優勝。その勢いでワイルドカードを貰いウィンブルドン初出場を果たす。

「初出場でベスト8だった。そりゃあもう夢中だったさ。だがあの歳までは俺はまったくの無名選手。我が息子ともし対戦していたら負けてしまったなあアッハハ」

改めて全米ジュニアに今参加している我が息子を見つめる。こいつは俺よりも上に行くだろうと。


上機嫌なマッケンロー。そこにチャコと旦那が招待をされた。旦那は大学テニス部だからもちろんジョンマッケンローを知ってる。一度や二度はマッケンローの独特なフォームを真似をした世代であった。が母親チャコは、

「ごめんなさい。まったく知らなくて」

大会関係者は日本語の通訳をつけるからしばらくお待ちくださいと言う。そこにアメリカの新聞記者の姿があった。

「これは間違いなく記事になるね。マッケンロージュニアの父親と日本ジュニアの両親だ。天才ジュニアの育成はこの親の遺伝から生まれたことは間違いないから」

記事はハシャイでしまう。


マッケンローは母親チャコがデブとして現れたことがまず不思議だった。

「日本伝統トラディッショナルの教授(師匠)がこの方なのか。何かの間違いなのではないか」

真剣にチャコを見て首を傾げてしまった。


間に日本人会のプレス専用通訳が入る。チャコと旦那とは懇意な女性だった。

「こんばんは。ジョンマッケンローはチャコさんのなぎなたのお師匠さんに興味があるようですわ。さっきから盛んに日本伝統とはなんだと聞いてきますからね。私のわかる範囲で説明をしてはおきます。それにしましてもオニイチャン凄いですわね。全米ジュニアベスト8ですからね。今の試合はちょっと苦戦されていますけど。いいえ逆転されて勝って貰いたいわ」

プレス通訳だけあってソツのない受けごたえに徹してくれた。


チャコも旦那もマッケンローぐらいの英語は理解ができる。だがここの対話が後に新聞や雑誌記事となるとおいそれと迂濶な話はできないようだった。だから通訳に、

「任せてください。ちゃんとした内容に致します」

となる。記者たちはテニスジュニアの親であること。チャコが日本伝統武道の名手師範であること。このふたつが知りたいところだった。


貴賓席マッケンローからは、

「いやあお招きいたしました。私がジョンマッケンローです。さあさあお座りください。お互いの息子の試合をじっくりと観戦していこうではありませんか」

マッケンローはサッと握手を求めてきた。旦那とチャコはアラアラッと慌てて手を出した。するとカメラのフラッシュがバシャと焚かれ眩しかった。


※マッケンローは現役時代カメラフラッシュにナーバス。試合中フラッシュを焚かれた相手を激しく罵る場面がかなりあった。


マッケンローは旦那とチャコに息子さんはテニスがうまいなあとまずはお褒めの言葉を言う。ストロークが安定して打球に力強さがある。サーブは早いからレシーブが難しい。かなりの天才だ。さらに笑顔でもって小さな声で、

「まあ勝つのはウチのボウズだけどアッハハ」


全米ジュニアの試合は第2セットが始まる。ざわついた場内は静まり返り緊張の糸が張られた。


マッケンロージュニアもオニイチャンも集中をしているかが顔に現れた。マッケンローはじっと二人を見て、

「お互いにいい顔していますね。特にマッケンロージュニアは親に似てハンサムだアッハハ」

マッケンローは饒舌にしゃべりまくる。まるで放送局の解説者そのものだった。


試合はオニイチャンが盛り返し4-2となる。マッケンローは息子がなかなかリードを奪えないのを見てちょっとイライラする。

「ダメだダメだあ。狙い球が絞れていないから簡単に打ち込まれてしまうんだ。右左に振るか前に後ろに走らせろ」

かなり興奮してしまい立ち上がった。悪道マッケンローの姿がそこにあった。


マッケンローの大声にジュニアはコートの中で反応してしまう。(ルール違反)


観客のマッケンローを見たジュニア息子は審判台に歩みよりなにかクレームを言う。審判はわかったと頷く。すぐに掛りが飛んできて審判からの伝言を聞く。そのまま掛りはジョンマッケンローの貴賓席に歩み寄る。

「ミスターマッケンローさま。息子さまからのメッセージでございます。親父っ、頼むから黙って見てろ!でございます」

言われたマッケンローは力なくガクンと腰を落としおとなしくなる。ちょっと可哀想なお父さんだ。


試合はさらに競り合い6-6のタイブレークになる。場内は熱気に満ち溢れた。気合いの入るいい試合となった。拍手が声援が沸き上がる。オニイチャンは、

「タイブレークは望むところだ。マッケンローには負けたくない。あの変則テニスには負けない」

シューズの紐を結び直し気合いを入れ直しコートに立つ。


貴賓席の旦那とチャコ。

「マッケンローさんが黙ってしまいましたね。よほど息子さんが心配なんでしょうね。あれだけやかましく言っていたのに」

チャコは通訳の女性に聞いてみた。

「ええっ心配は心配なんですが」

マッケンローの息子から黙ってくれとクレームがあったとはちょっと言えない。


タイブレークは始まった。終始オニイチャンがリードをしてそのまま逃げ切る。7-6

「よし1-1だ!なんとかこれで振り出しに戻した」

オニイチャンは10児らしからぬガッツポーズをしてプレーヤーズベンチに戻る。


最終の第3セットの始まりは20分の休憩が与えられていた。この休憩はコーチがアドバイスをしてもよかった。育成コーチはたまらず教え子に走り寄る。

「オニイチャンよくやった。マッケンローの変則テニスに慣れたという感じだ。よしこのまま押し切って行こう」

オニイチャンもコーチに褒められてにっこり。確かに変則テニスに対応ができるようになり、

「その通り。最初はイライラしたけどね。あっコーチ、お腹減っちゃったよ僕。お母さん呼んでオニギリもらってくれないかな。僕の好きなタラコオニギリが食べたいや」

コーチはさっそく走りオニギリを調達に母親チャコを探す。

「オニギリですね。わかりました。ええっオニイチャンが食べたいと思ってちゃんと握ってありますから」

母親チャコは手提げのバスケットからよっこらしょとタラコとシャケのオニギリを取り出す。

「私もお腹が減ってきたから食べたいなと思って。よかったわ食べてしまわないで」

チャコはオニギリを見たらお腹がグゥーと鳴った。


マッケンロージュニアにもジュニアコーチがいたが。


出たぁ〜!父親マッケンロー。貴賓席から一目散に走り息子のいるプレーヤーベンチにやってくる。ジュニアコーチなんか目に入らずで無理やりに押し退けた。世界のマッケンローが来たらジュニアコーチ恐れ多くて逃げ出した。

「どうだ息子よ調子は。あんなチンケな日本人なんかになにをてこずるんだ。いいか右左の揺さぶりを繰り返せ。後はだなあ」

父親マッケンローはここぞとばかりに熱を入れた。


今見た試合のことを全て含め息子にアドバイスをする。その様子、身振り手振りのアドバイスは、アメリカのデ杯の監督そのものだった。(アメリカテニスの最高峰の監督)


しかし言われた息子は嫌な顔をしている。また同じことの繰り返しだぞとウンザリであった。

「もうパパいいから。パパいい加減黙ってくれよ。言いたいことはすべてわかったから」

世界のマッケンローは息子の一言にガックリ。アララッ気のせいか目から涙がこぼれてしまう。最愛の息子に拒否されて愕然としてしまった。

「悔しいなあホロホロ」

やるせない気持ちでマッケンローは貴賓席に戻ってくる。それを見たチャコは、

「あらっ可哀想に」

と手提げバスケットからオニギリをひとつ。

「ミスターマッケンローどうですか。日本のライスボールです。えっと中身なんだっけ忘れちゃった」

マッケンローはうん?こりゃ珍しいなあと貰う。

「サンキュー」

ガブと噛んだら梅干しが歯に当たった。さらに涙がこぼれた。


母親チャコの食べたかったオニギリを食べて元気になったのはオニイチャンだった。

「よしお腹も膨れたし頑張っていくぜ」

シューズの紐を結び直してラケットをグイと握る。


マッケンロージュニアは父親を退けて一息つく。

「フゥー父親は偉大なんだろうけどさ。うるさいからやってられないわあ」

よっこいしょとベンチから立ち上がる。ジュニアはお腹は減ってはいなかったが腹は立っていた。


貴賓席の旦那。

「さあ始まりますな第3セット。育成コーチから聞いたんだけどね学童クラスの体力だと第3セットはかなり厳しいらしい。あれだけ走って打ってを繰り返して3セットはね。だからテニステクニックよりも体力勝負になるそうだ。オニイチャンもフラフラになるまで戦うかもしれない」

オニイチャンはその体力が勝負である第3セットというものを経験したことがない。大抵は2セットで勝ち負けが決まっていた。学童の中には立っているだけで精一杯の子もいた。激しい体力の消耗が格闘技テニスという側面もある証しである。

「大丈夫かしら。試合時間だってとっくに一時間は回っているわ」

マッケンローとの試合はなんせストロークが多くポイントを稼ぐのに時間がかかっていた。

「まあなあ。なんとも言えないね。大人であれば筋肉の傷みから痙攣や肉離れになったりと大変だけど」


第3セットは始まった。マッケンローもオニイチャンも打ち合いを挑むことになった。ストロークならばラリーならば負けない両者だった。お互い天才プレーヤーは正確にベースライン深い返球を繰り返していく。


観客は固唾を呑んで見守る。僅か10歳の子供が肩から息をしながら死闘を繰り返すのである。長いラリーが終わった時、それはそれは温かい拍手が場内にあった。

「オニイチャン大丈夫か。背中から流れるような汗だぜ」

旦那はみちゃあいられないと嘆く。マッケンロージュニアも同様だった。


ポイントが決まると二人ともしばらく疲れた体のために身動きが取れない。これがボクシングであればセコンドから真っ白なタオルがリングに投げ込まれるシーンとなる。

「オニイチャンあんなに疲れて」

母親チャコは思わず目を覆ってしまう。選手はいずれも疲れから足がもつれよろけるシーンも見られていく。まさに死闘と化した。場内の観客はマッケンローマッケンローと絶叫する。またジャパンジャパンと日本人の大声援がそれに加わった。

「ジャパンジャパンだって?ウチの息子は日の丸を背負って戦うのか」

旦那はコートに度々崩れ落ちる我が子を見て哀れみに感じてしまう。本心はもうタオルだ、辞めて貰いたいところだった。


コートの上。両雄はついに疲労のピークに達する。10歳児は動けなくなってしまった。

「試合は中止サスペンション」

主審が手をあげた。試合中止を告げた。


貴賓席からジョンマッケンローと旦那の両雄の父親が飛び出した。いち早く息子を救いたくて走っていく。

「お父さん足が動けないや。ガクガクしてさ」

オニイチャンは父親が抱きおこす腕にしっかり支えられた。

「パパ。ノームーブ(動けない)」

マッケンロージュニア。よしよしと息子を抱きしめた。何もいわないが息子のすべてに満足だった。


場内は割れんばかりの拍手が巻き起こる。

「ブラボー!ブラボー!天才プレーヤー」

両雄はすぐ救急扱いになり医務室に連れていかれた。道すがらマッケンローは、

「大丈夫だよ、大丈夫。なあに好きなテニスをこんな夜遅くまでやるからいけないんだ。まだ俺たち親が必要なんだアッハハ」

旦那に向かい親に心配をかけてくれるから息子は憎めないんだぜと言って涙を見せた。


医務室のドクターはすぐ点滴を準備させた。

「天才だとしても10歳なる子供だ。無理をさせて取り返しがつかなくなったらどうする。アメリカと日本の損失だ」

父親が叱られた。


かなり遅れて母親チャコが医務室に案内された。チャコは息子が倒れたのを見てしばらく気絶していた。

「ええもう大丈夫よ。だってオニイチャンがあんな風になって。私どうかなってしまうかと思わず」

涙がハラハラとこぼれ落ちた。


その夜両雄は医務室にて就寝。ただ疲れただけだから寝たら回復する。ベッドの横にはお互いの父親が付き添った。旦那は大喜びする。

「マッケンローと一緒に居られるなんてラッキーだ。夢みたい」

子供のことなんかどうでもよくなってしまう。その夜子供はぐっすり眠れたが父親は?

「いやあ朝までテニスの話に華が咲いてしまった」

マッケンローがほとんど喋べりまくりの夜だったらしい。

「一晩夢のようなアッハハ。マッケンローは確か日本の伝統に興味だった。侍や忍者、将軍。武芸では空手、柔道、剣道。なぎなたははじめわからないようだったが説明してやった。まあ興味があれば道場にいらっしゃいと伝えておいたよ」

父親同士は徹夜をして日米の異文化からテニスからと話が弾んだらしい。


朝は母親チャコが医務室に駆け込む。愛する息子のためにオニギリと熱い味噌汁を持参した。起きたオニイチャンは、

「うんうまい!お母さんのお味噌汁はおいしいね。お腹すいたからおいしいよ」

母親チャコは息子がおいしそうに食べる顔を見てホッとする。

「よかった元気になれたわ」

旦那も同じ食事だったがあまりこちらには関心はなかった。


おやっ、何食べているのかなとマッケンローが覗く。チャコちょっと気になる。

「ミスターマッケンロー。よろしければお味噌汁スープいかがですか」

さあと味噌汁を出された。マッケンローは生まれて始めて日本の味・味噌汁を飲む。赤だし味噌汁をマッケンローがゴクリ。

「プァー」

マッケンローダメだこりゃあと苦虫の顔をした。


オニイチャンとマッケンロージュニアの試合は延期され翌日と発表された。恐らくマジソンスクエアの観客は楽しみにしていたマッチであろう。

「明日に持ち越し?オーノー」

マッケンローはスケジュールが空いてはいなかった。すぐさまフライトして欧州テニス選手権にアメリカ監督として飛ばなくてはならなかった。

「悔しいね。父親が息子のテニスを見ることができない。その代わり欧州テニスだ。他人の子供を面倒みなくてはならない。まったく因果な商売ってやつさ」

マッケンローは早めに身支度を整えてマネージャーに携帯で連絡を取る。

「よしわかった。後30分で車を医務室に回してくれ。すぐに出るよ」

かなり寂しい顔でマネージャーに告げた。


ベッドの上のマッケンロージュニアはよっこらと起き上がる。彼も寂しい瞳でいた。

「パパ。アメリカは欧州テニスで優勝してね。強いアメリカを作っていくのはパパの仕事だから。僕も大人になってパパの元でテニスがしたいや。パパにちゃんと見てもらえるようなナショナルチームの選手に」

10歳の息子はだから早く行ってくれと言っていた。マッケンロー親子が顔を合わすのは約1年振りのこと。父親マッケンローはメディアを通し息子がジュニアテニスに参戦を知りなんとかスケジュールをやりくりしていた。そんな息子を見て、

「子供は少しの間に成長をするもんだなあ」

実感していた。

「パパ僕さ約束する。この全米ジュニアは優勝する。アメリカの監督の息子は全米ジュニアで優勝しないとみんなから笑われちゃあ嫌だモン、アッハハ」

父親マッケンローはよしよしと頷いて医務室を後にした。あの自信に満ち溢れた息子の顔を、屈託のない笑顔をこれ以上見ていたら、

「俺はアメリカのデ杯監督を辞めて息子の専属コーチになりたくなってしまう」

マッケンローは上機嫌だった。マッケンローはクルッと振り返り旦那とチャコにも手を振った。

「再試合のマッチはウチの息子が勝つと宣言してくれた。悪く思わないでください。グッドラック」

なっなんと頭を下げて出て行った。あのマッケンローが頭を下げた。


オニイチャンは自宅に帰ってきた。あのニューヨークマジソンスクエアのやかましいところから静かな自宅に戻ってホッとしていた。

「お母さん、一晩グッスリ寝たら大丈夫さ。お昼過ぎには育成コーチのところに行くよ。マッケンロー対策をしっかりやらないといけないからさ」

確かに元気は元気だった。母親チャコのオニギリとお味噌汁が効果あったようだ。


クラブに行くと育成コーチから支配人から一生懸命にビデオを見ている。クラブ出身のジュニアがまだ勝ち残るためあれこれと対戦相手の研究に余念のないところである。

「支配人。こうしてジュニアのビデオを見ても日本人は体力が劣りますね。アジア人種は体力がないから早く勝負を仕掛けないと勝ち目はないと言えますね」

クラブ出身ジュニアはオニイチャンを含めて3人勝ち残る。3人が3人勝ち上がっていくと日本人としては初の3クラス優勝となる。それまでは3年に一回優勝があるかないかだった。

「いずれにしても育成コーチのお陰だよ。このレベルアップはたいした手腕だ。支配人としても嬉しい」

ジュニア育成に功があるからクラブの会員も日本人だアメリカ人だと問わず増えていた。クラブ経営はホクホクだった。

「欲を言えばジュニアの上の大会で優勝させたい」

ATPとWTAの世界プロテニス。育成コーチとしても世界に通用する選手輩出は夢の話であった。

「マッケンローみたいな選手を育てないとね」


こんにちはと育成コーチの元にオニイチャンはやってくる。まあ上がってビデオを見ようかとなった。

「どうオニイチャン疲れは取れた?マッケンローは大変だろう。今からマッケンローのビデオ見て対策を練るからさ。それはそうとどこか痛いかい。大丈夫か?さすがだな」

育成コーチはマッケンロージュニアのビデオを見ながら盛んに試合の流れのつかみどころを教える。

「マッケンローはさ、球が遅くてイライラするんだ。だからジッと我慢しなくてはいけない」

オニイチャンはビデオを見ながら昨夜の試合を思い出す。うんとコーチは頷く。

「だから遅いテニスに慣れたらなんとかなりそうだ。明日は第3セットからだったね。1セットだけど油断は禁物だ」

オニイチャンはさらに繰り返しビデオを見た。その姿は鬼が獲物を狙うがごとく。なんとかマッケンローの癖を知りたかった10歳児。


ビデオを見終えたら少しコーチからレッスンを受けオニイチャンは帰宅する。自宅では母親チャコが笑顔で迎えた。

「オニイチャンおかえり。さあ今晩はご馳走だよ」

その日の夕飯は母親チャコが腕によりをかけ日本料理を息子のために振る舞う。焼き物・煮物・漬物・野菜は根菜類。

「オニイチャンが明日試合で頑張るように。さあさあたくさん食べてもらいたいわ」

チャコは育成コーチからテニスを含むスポーツ選手の"スポーツ栄養学"をパンフで預かる。

「ええスポーツするのに必要なビタミンとミネラルを豊富に摂取しなくてはいけないと言うやつです。私は捻りハチマキでオニイチャンのために勉強いたしました」

蛋白の肉類はほどほどに抑え炭水化物を増やす。

「私が料理好きならば栄養学の学校に行きたいところですわ」

しかし。チャコ自身は食っちゃ寝食っちゃ寝でブクブクとダルマさんのよいになってますが。

「私はもういいの。オニイチャンが大切なの」

毎年10キロは増量している母親チャコ。大好きなシュークリームとアイスクリームは毎日必ず食べていた。

「最近はベネズエラのチョコレートが、エヘへ」

隠れデザートに加わりました。チョコレートはポリフェノールで栄養価値があるらしいが量によりけりだ。


その夕飯には愛知県特産自然薯(じねんじょ)が並んだ。とろろ芋の最高峰。日本人会の方がオニイチャンに食べて欲しいと持って来てくださったの」

とろろは根菜類になりミネラルとビタミンEが豊富。持久の運動には欠かせないものだった。自然薯(じねんじょ)を見て姑のオバアチャンは、

「私は山口だから知らないわ。とろろ?なんですの」

孫と一緒に興味深く食べてみた。

「アチャ。オバアチャンあんまりうまくないなあこれ」

孫の一言。オバアチャンは、ちょっと考えて、

「ちょっとチャコさん。この料理ってこれで正しいの?いただいた日本人会の方は愛知の三井物産の方でしたわね」

姑は電話をかけて料理方法を聞いてみたらと言う。

「いいわ私が聞いてみますから」

確認の電話をしたら、料理方法がまったく違っていた。

「チャコさん。自然薯の食べ方やり方を教えますからと来てくださるそうよ」


わざわざ来てくれたのには意味があった。全米ジュニアに優勝をしたら自然薯食べていたからだと三井物産は言いたかった。

「こんばんは。自然薯の食べ方を教えてさしあげましょう。あらあらお母さんこれじゃあいけないね。じゃが芋やさつま芋ではないですから。ここにすり鉢を用意しましたから」


※自然薯は愛知特産(奥三河が有名)。郷里の方はそれなりにおいしい食べ方を心得ています。


三井物産名古屋の自慢の自然薯が出来上がる。食卓には薬味に葱・海苔・胡麻が並んだ。


すり鉢のとろろは珍しくてオニイチャンはなんだろうと盛んに覗く。

「とろろってこれ?初めて見た」

母親が知らないんだから息子も知らないとろろ料理。姑も知らない。


そのとろろはオニイチャンを含む家族に大好評だった。皆さん鱈腹いただきました。

「あらおいしいわね。つい食べ過ぎたわ。いくらでも食べてしまうわオニイチャンは」

母親チャコが一番食べてしまったけど。


皆さん栄養満点となった。オニイチャンはスタミナがつきチャコは贅肉がついた。


翌日第1試合。再度仕切り直しの全米ジュニアはベスト8。第3セットの途中から再開される。


館内は最初の試合だと言うのに熱心なテニスファンが押し掛けてくれた。日本人会はほぼ全員だった。日本人ジュニアは18歳クラスで優勝を狙う選手がいた。

「オニイチャンはこのマッケンロージュニアを倒すと次にベスト4。今日は2試合勝つと明日決勝だ。まさかなここまでやるとは思いはしなかった。さらに18歳クラス優勝したら大変な騒ぎだぞ」

育成コーチはにこやかな顔だった。ジュニアベスト8以上が計算外に多いためクラブから金一封が出たのだ。優勝者が誕生したらさらにもらえる。


オニイチャンは張り切ってコートに登場する。一緒にマッケンロージュニア。マッケンローは高らかに手を観衆に向け振る。スターの子供はやっぱりスターだ光りが違う。


ファン注目の試合はすぐ始まった。この第3セットからの再開試合はオニイチャンがやけに走りまくり、

「ふぅ〜。マッケンローの球を拾いに拾いまくりで決着だ。よし決めた」

昨夜のとろろ料理が効果を発揮して持久がついたらしい。6-4とポイントを取る。


試合は決まる。マッケンロージュニアは参ったなと首を振りながら握手を求めた。2日に及ぶ戦いはこうして幕を降ろした。

「おめでとう。俺に勝ったからには優勝をしてくれよ。俺は今からお父さんのいる欧州に行くんだ。アメリカ代表のテニスをじっくり見ていくよ。お父さんが監督だからぜひと言われた。またいずれの日にかマッチ(試合)しようぜ。今度は俺もっともっと強いテニスやってやるからさ」

父親の解説のように長々と話をした。身振り手振りを交えては確かに似ている親子だった。


この勝利でオニイチャンはベスト4進出となる。


がベスト4の対戦相手は足の捻挫が悪化したため昨夜のうちに試合リタイアを宣言していた。

「喜んでいいぞオニイチャン!明日はいきなり決勝だ」


決勝はウクライナのセルゲイブブカジュニアだった。


※棒高跳びのセルゲイブブカ。息子は2人いて兄が棒高。弟はテニスをやっていた。弟は今24歳ぐらいだがすでにテニスは引退をしている。ジュニア時代は父親が有名だからかなり脚光を浴びてプレーをしていた。


観客はオニイチャンの試合が終わりホッとする。次に18歳クラス決勝を心待ち。

「10歳12歳クラスも面白いが18歳はいいぜ。男女ともこのくらいになるとそのまんまウィンブルドンや全米オープンに出場できる実力があるからさ」


オニイチャンは試合が明日となりとりあえずは帰ることにする。となると母親チャコのオニギリさんはバスケットの中で無駄になる?

「オニイチャン。バスケットにオニギリがあるからスクエアガーデンズで夕方まで遊んで行きましょ。ジェットコースターがあるわよ」

ハイキング気分の遊園地だった。オニイチャンはニッコと喜んで行きたいと言った。双子の妹も母親からバスケットを預かり行きましょうとワクワクだった。

「たまには子供に子供らしいことをしてやらないと気がもたないわ」

チャコは両手に子供を連れてジェットコースターに向かった。


久しぶりに子供と遊んでチャコは上機嫌。さらに子供たちの笑顔が見えて母親の責任をまっとう出来たと幸せだ。ジェットコースターはちょっと余計だったが。

「お母さんいろんな乗り物乗ってお腹減っちゃったよ。そろそろお昼にしよう」

双子が揃ってお腹をグゥーと鳴らした。

「あらまっ兄妹仲良く二人してアッハハ。じゃあその辺りでベンチ探してちょうだい。バスケットのオニギリ食べましょ」

オニイチャンが探してメリーゴーランド近くのベンチに腰を掛けた。親子仲良く3人お昼のランチタイムを楽しむ。

「まあメリーゴーランドが見えて。後から乗ろうか」

妹はいいねいいね乗ろ乗ろとハシャグ。母親チャコはバスケットを開けてオニギリと果物を取り出そうとする。蓋を開けてまず果物のタップァウェアを開けてみた。キゥイと林檎の匂いが入り混ざり鼻につきツゥーンとした。チャコはツンという臭いに頭がクラリとしてめまいを感じた。

「お母さん、お母さん!大丈夫?」

チャコはベンチに倒れたらしい。記憶が飛んでいたから息子の揺り動かしで気がついたようだ。

「アッお母さんどうしたんかな。ごめんなさい頭がクラってして」

息子と娘は心配をしてジッと母親を眺めていた。

「ねぇお母さん。病院に行こうよ。なんかさ顔色が悪く見えるから」

チャコも気分が悪かったようで、息子娘に手を引かれ帰っていった。


自宅には日本人ドクターに応診を頼む。チャコは布団を敷き寝ていた。

「奥さま。おめでとうございます。オメデタでございます。精密に検査しないとわかりませんが3ヶ月ぐらいでしょうか」

オニイチャンと妹はキョトン。ドクターは兄妹に弟さんか妹さんがお腹にいらっしゃるよと告げた。

「赤ちゃんが出来たの。お母さんのお腹にいるの?ねぇ本当に赤ちゃんがいるの」

息子はソォッと母親のお腹を触ってみた。

「ガォ〜」

チャコが吠えた(笑)


オニイチャンと妹は手を取り合って喜んだ。夜は旦那と姑も帰って来て喜びの輪に加わり至福の家族となった。


ただ妊婦チャコだけはツワリが激しくて、

「いやだあ。シンドイわあーん。頭が痛いし吐気もあるの」

さらに追い打ちをかけたのが、

「あのね。姑に隠れてアイスクリーム食べたいけど寝ていたら冷蔵庫にこっそり行けないの。アーン食べたいなあ。昨日買ったアイスクリームはねベネズエラのチョコアイスクリーム。苦味がオツなんだけどなあ」

例え隠れて食べたとしても匂いのあるものは体が受けつけなかった。仕方がないからチャコふてくされて寝てしまう。

「ガアーグゥー」

枕を高くいびきを高らかにして。


翌日は全米ジュニア最終日。10〜18歳クラス全てで優勝が決まる。

「18歳クラスは負けてしまって準優勝だった。となればオニイチャンの10歳クラスが最後の砦になるんだな」

旦那は観客席で周りの日本人に説明をする。母親チャコは朝から体調が悪く自宅にいた。気分がよくなれば会場入りはしたいと思っていた。

「じゃあ息子さんに頑張ってもらわないと。頑張れニッポンだね。ちゃんと日の丸持って来ましたから応援頑張るぞ」


試合はオニイチャンとセルゲイブブカジュニアの決勝戦。コートサイドには育成コーチがしっかりと見守っていた。

「ブブカはビデオを見た限りパワーテニスだ。ハードに打ってくるやつは守備が脆い。そこをついていけば勝てる。やりやすい相手であると俺は読んだ。欠点がある相手は徹底して攻めよ」


主審が両者をネットサイドに呼ぶ。コイントスが始まる。

「アッそうだ。オニイチャンのオニギリはどこにあるかな?」

旦那が娘に尋ねた。

「オニギリはねオバアチャンが作ったのよ。赤いバスケットの中にあるの。ネッ、オバアチャン」

言われてオバアチャンはこれよっとバスケットを高く見せた。すると旦那は、

「お母さん。そこにオニギリがあるということはいつオニイチャンに渡すんだい。試合中は渡せないよ」

オニイチャンのテニスバッグに入れておけばよかったと後悔した。

「おやそうかい。ならここからポイッと投げてやろうかな」

オバアチャンは実際やりそうだった。


試合開始。

ブブカのサーブから行く。オニイチャンは精神を統一してレシーブの姿勢を保つ。かなり早いサーブだと読んだ構えだった。


その頃自宅では母親チャコが病み上がりのようにベッドにいた。妊婦だとわかったがどうも気分がすぐれない。

「風邪をひいたかな。またドクターに往診頼もうかしら。電話番号はと」

頭がさらに痛くなってきた。電話では早く来てとやっとの思いで告げた。

「頭が痛いわ。この症状は妊婦とは違うわ」

経婦でもあるチャコ。どこか悪いところがあるのではと不安に襲われる。

「今頃はオニイチャンが頑張っているだろうなあ。ごめんなさいねお母さん応援にいけない」

さらにガンガンと痛みは増す。早くドクターさん!


ブブカの第1サーブ。強烈にラインの中を直撃をした。場内はオッーとざわめきが起こる。とても早く重い球に見えた。対戦のオニイチャンはまったく動きが取れなかった。日本人の応援団はこりゃあダメかもしれない、勝てる相手じゃないないなあと思ってしまう。その証拠に応援の声が止まってしまった。


チャコはベッドに横になる。天井を眺めて早くドクターが来てとだけ思っている。枕横には洗面器。いつでも吐ける用意がされていた。

「気分が悪かったり吐気がしたり。ツワリであるような違うような」

寝ていたら汗が流れてしまう。苦しさは波のごとく押し寄せてくる。


やがて往診のドクターがやってきた。

「うーん妊婦さんの症状ですけどね。考え過ぎることがあるから精神が弱りましたかね。鎮静剤を注射しておきましょう」

精神が弱り?チャコはもしかして息子のテニスのことかなと考える。

「先生。息子のテニスが見えないから精神的に参っているんでしょうか」

ドクターはうん?なんだろうと疑問に思う。よくよく話を聞いて、

「なるほど。全米ジュニアね。ウチの息子もテニスをやりますからね。学童でもう全米で戦うとは大したもんです。エッ今決勝ですか?」

ドクターは時間を確かめた。たぶん試合の真っ最中かなと。

「ちょっと携帯サイトを見てみましょうか。全米ジュニアならライブスコア(なま中継)があるでしょう」

ドクターは付き添いナースに君ちょっとと調べさせた。

「あっ先生サイトがありました。うーん今は第1セットの最中だ。JPN0-2UKRか。始まったばかりだからどっちがどっちとも言えないが」

オニイチャンはスタートから苦戦だった。


母親チャコは鎮静剤を打ち楽になる。ドクターはお腹と頭を診る。触診の範囲ではあるが、

「熱が気になるところですね。妊婦さんはね思わぬトラブルに見舞われがちですから。ちょっとお腹を診てみましょうか」

妊婦であるからとドクターは子宮の周りを。


「オッ!」


ニューヨークマジソンスクエアのテニス会場。10歳クラスのマッチはJPN0-1UKRと電光掲示板は照らし出されていた。


コートのプレーヤーズチェアーには疲れ切ってうなだれた日本の学童と、元気にドリンクを飲むウクライナの英雄ブブカの息子があった。

「第1セットはブブカの完勝だったな。早いサーバーに足が絡むから抜け目がない感じだった。がこのままズルズルと行ってしまえばまず勝ち目はない。どうするオニイチャン。日本男子の代表」

オニイチャンはなかなか顔をあげない。下を向いたまま泣いているようにも見える。第2セットが始まってもブブカの対策が見い出せないのである。


観客席の旦那の携帯が鳴った。おやっ、こんな時間に誰かなとディスプレーを見た。

「うんチャコか。また容態が悪くなったか」

携帯を持ってロビーにまで走る。

「もしもし。エッ!入院だって。わかったわかった今からすぐに行く。ニューヨークの何番地だい?タクシーに聞けばわかる病院なんだね。日系が多いところか。よしすぐ行く」

女房チャコが入院することになった。旦那はテニス会場にオバアサンをひとりだけ置いて、

「母さんすまない。チャコが入院だって。僕は娘を連れて今から行ってくる。オニイチャンも心配は心配だが頼んでおくよ」

慌ててアイスを食べる娘の顔を拭き靴をはかせて外に出た。娘は食べかけのアイスがもったいないかなと名残惜しかった。


タクシーはすぐつかまり病院に向かう。途中なんどか携帯が鳴った。どうやらチャコは子宮外妊娠の疑いがあるらしい。そのお腹の赤ちゃんが成長をしてチャコのお腹を烈しく圧迫するから痛くてたまらないとのこと。

「じゃあ人工的に陣痛を起こさせ流産させるということですか」

なんとなくチャコの症状と入院が結びつく。

「人工的に陣痛起こさせ流産か。家族が増えると喜んでいたのに」


タクシーが病院に到着した頃はチャコはオペ室だった。救急車で運ばれた時には激痛でもんどりを打つくらいでありすぐに降ろしてしまわないと母体が危ない状態になる。

人工的に流産があればよかったが。


オニイチャンはコートに立ったまま動けなかった。ブブカの強烈なサーブを受けなんとラケットのガットが切れた。

「プッチン」

不吉な予感が走る。

「ちくしょう勝てないや。何をどこに打ちこんでも通用しない。悔しいっていったらありゃあしない」

ポイントが決まる度に背中から汗が流れ落ちる。疲れはドッと学童を襲った。


会場は静まりかえる。いよいよ後がない日本となった。頑張っての掛け声も飛ばなくなる。


観客席ではオバアサンがなにもすることがないからバスケットからオニギリを出して盛んにパクパク食べていた。

「孫は勝っているのかね負けているのかね。アッハハ私にはサッパリわからないんだね。悲しいかなテニスの得点の見方がわかんない」


チャコの病院はオペ室の赤ランプが点灯したまま。妊婦チャコに分娩を薬でもやってみたが失敗する。

「しかたがない。帝王切開に切り換えよう」

精密検査により赤ちゃんはすでに死亡が確認された。一刻も早く取り出さないと今度は母体が危ない。


ドクターは待ち合いで心配をする旦那にインフォームドコンセプト。手術の経緯を細かく説明をする。聞いていた旦那は顔色が失せていく。


危ないのは承知をしてもらいたい。


「子供がダメで母親も危ないとはなんてことなんだ」

側にいた娘の手をギュッと握り悲しみをまぎらわす。心配な娘。

「お父さん。赤ちゃんダメだったの?お母さんは大丈夫だよね。お母さんは元気なんだよね。いつも言っていたでしょ、丈夫で長持ちだって」

娘は気丈夫に父を見つめた。あの元気な母親が危篤状態であるとはまったく想像すらできない娘であった。


旦那は待ち合いからオバアサンに電話をする。

「チャコが危篤なんだ。オニイチャンが試合終わりしだい病院に来て欲しい。早くしてよ」

言うだけ言って切ってしまう。病院の位置も言わないまま。


手術は長くなった。赤ランプはなかなか消えない。2時間ぐらい経過をしたであろうか息子とオバアサンが病院に駆け付けた。オニイチャンは0-2で敗退し準優勝だった。

「お母さんは大丈夫だよね。決して死んだりしないよね」

妹は兄の姿をみてついに泣き出してしまう。

「ワアーン!お兄ちゃんお母さんを助けて。お母さん死んじゃう。いやいやお母さん助けて」

大丈夫さ。お母さんは元気なんだから。兄は妹を抱き慰めた。

「お前、チャコさんは重体なのかい」

姑は息子に聞く。ああっ危ないらしい。医者からの説明では死産だから赤ちゃんを取り出さないといけないらしいが。開腹手術にしても体力がもつかどうか。


心配した家族は夕方から夕刻まで待たされついに、

「あっ!お父さん。赤ランプが消えた。お母さん手術終わったんだ」

娘は涙が枯れた顔をあげた。

「お母さん大丈夫?早く逢いたいわ」

兄と妹は手術室のドアの前に立ち並ぶ。なにやら音がする。ストレッチャーに乗ってチャコが出てきた。

「先生!女房は。ウチのやつは」

手術を終えたばかりのドクターは旦那にクルリと向いて、

「胎児は死産でした。お気の毒さまでした」

それだけ告げたら頭を下げドクター控え室に消えた。


後方より看護婦長が神妙な顔で、

「ご主人さま。お話があります。私と一緒に来てもらえますか」

旦那の手をグイッとつかんだ。


兄と妹。ストレッチャーのチャコを見守る。顔色は悪く血の気がまったくなかった。付き添いの医者は輸血が合わない場合たまにこうした症状があるとだけ説明をした。


妹は兄の手を握りシクシク泣くばかり。こんな病人姿の母親は生まれて初めてみた。

「お母さん早く元気になって笑ってちょうだいね。お母さんの元気な笑顔が大好きなのよ。お願いだから、お願いお願いだから」

もう言葉にはならなかった。


婦長に呼ばれた旦那は担当医から絶望的なことを告げられた。今晩がヤマだと。体力がないところで開腹手術をしたんだが無理に無理を重ねることになった。胎児の存在がもっと早くわかれば対処もできたが。

「今晩です。なんとか体力回復してもらい峠を越えてもらいたい」

担当医はお話はそれだけですと頭を下げた。


チャコは流産と開腹手術。二重の負担を抱えてしまった。

「みんなよく聞きなさい。いいかお母さんはね赤ちゃんがダメになって体力を使い果たしてしまった。お医者さんが言われたのは、今晩がヤマだそうだ。今晩を無事乗りきればまた元気なお母さんが」

旦那はここまで説明したら涙が出てしまった。

「とにかく。お母さんは助かる。だからいいね家族みんなでお母さんの健康回復を祈ってやりたい」

涙が出て出て。子供たちの前だがチャコとの思い出が沸々と浮かんでしまった。娘はワアーンと父親に抱きつく。

「お母さんは元気になるわ。私の大好きなお母さん、死んじゃあ、嫌っ!嫌だモン」

病室いっぱいに娘の喚き泣き声が響く。姑も目の涙をハンカチでソッと拭いた。


深夜になる。ベッドのチャコの容態は変わらない。医者の話ではこのまま寝て朝を迎えてもらいたいと言う。スヤスヤ眠り体力回復がはかられたら峠は越えたとなるらしい。

「気になるのは血圧でしてね。普段は高いはずなので」

医者の測定血圧値はかなり低い。全身に循環する血液は緩やかに回ってしまう。担当医は心配をして脈だけ診て病室を出た。母親チャコの太い腕はダランとして力がなかった。


娘は泣き疲れたのだろうオバアサンの膝に頭を乗せ寝てしまう。オニイチャンは試合の疲れもあったが長男の責任からかずっと椅子にもたれ母親の容態を見守る。まるで神のようであった。


零時を越えた辺り。ここが日本であれば月が高くのぼり雲が流れ野良犬が吠えたりする。丑みつの時刻となった。旦那だけは目が冴えてしまいチャコの横に座る。

「こんな病人のチャコは初めてだ。俺との出会いから考えても君はいつも明るく元気だった。風邪ひとつ引かないくらいだ」

ソッとチャコの手を握りしめた。柔らかな手を。

「恋人のチャコが好きになって僕は惹かれていったんだ」

出会いを思い出す。デートをぼんやりと思い出す。プロポーズから挙式からと思い出す。双子の誕生日。夫婦となって最高に嬉しかった日だった。


改めて眠り続ける最愛の妻チャコを見た。

「この2〜3日はチャコも苦しかったんだろう。オニイチャンの試合があったから君は無理をしたんだね」

しっかり握りしめた手を放し布団の中に入れた。

深夜も更けオニイチャンも椅子もたれに寝ていた。旦那だけは起きていたからちょっとインスタントコーヒーを買いに行こうかと病室を空けた。自販機までは時間にして5分もかからない。チラッとチャコの寝顔を確認してドアを空けた。旦那は外に出た。自販機はすぐにわかる。コインを探してコーヒーを紙コップに注ぐ。ニューヨークの夜は院内にあってもやかましい。インスタントコーヒーをちびりちびりと飲んで、

「さあ病室に戻って行こう。チャコが待っている」


病室のドアに手をあてたら中からチャコがうめき声を出していた。姑やオニイチャンもいたが気がつかない。

「チャコ!起きたか。うん苦しいかい」

すぐにナースコールする。チャコは荒々しい息で苦しい様子。すぐに医者がナースが病室にやってくる。

「鎮静剤を」

冷静な医者の言葉が深夜の病室に響き注射はうたれた。チャコは呼吸が苦しい中何か言いたそうにもがく。

「あなたッ」

愛する旦那を。さらに息子と娘。娘は眠い目を懸命にこすりながら母親の顔を覗き見る。

「お母さん死んじゃあ嫌ッ嫌だァ〜」

娘は痛々しい母親を見て泣き出した。母親は娘の泣き声ににこやかな微笑みを湛えた。

「私は、だ・い・じ・ょ・う・ぶ(元気になりますから)」

小さな小さな声でチャコは娘に応えた。目が見えないから娘の様子がわからない。娘はたまらず小さな手を出してお母さんの手を握りしめた。娘として小さな願いを神様に祈っていく。母親は衰弱して娘の手を握りしめることができなかった。


医者ももはやどうすることもできなかった。このまま発作でも起きたら。

「痛みはどうやら収まりましたね。後は術後の発作が心配なんです」

医者は体温を計り脈を取る。正常ではなく弱々しい脈だった。若い医者としては強烈なカンフル剤をガッツンと投与したくなる。後は栄養を与え自己回復に期待するだけであった。


椅子にもたれて寝ていたオニイチャン。スクッと目を覚ましベッドの母親を見た。なにやら妹が泣いてやかましいなあと。

「お母さんが目を覚ましたんだ。妹は泣いてばかりじゃあないか」


チャコは娘の手を握りかえそうと力を入れる。しかしダメだできなかった。全身の力が抜けていた。

「お母さん。わかる?僕だよ」

オニイチャンは妹の後ろから声をかけた。チャコはわかったのかわからないのか無反応のままだった。


姑も後ろから恐々と覗き込む。これがあの元気だった嫁チャコなのかと哀れみさえ感じていた。


深夜の病室が2時を回ろうかとした頃だった。


チャコは苦しくて発作を起こす。

「ウゥー」

苦しそうなうめき声が病室に響き渡る。さらに両手がワナワナと震えた。


医者としてはもう鎮静剤を投与するしか方法はなかった。なんとか発作が沈まるように祈って。


時計は2時を示した。病室では女の子の大泣きの声に大人の男の泣き声が加わった。


ベッドのチャコはたおやかな顔だった。やすらかな顔だった。息を引き取った時は愛する家族ひとりひとりにありがとうと言っていたようだった。やさしいチャコは天国に召した。


チャコ享年33歳。ニューヨークにて死す。

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